スティーブンさんとレオナルドくんは付き合っている(脳内で)


一年中深い霧に覆われたヘルサレムズ・ロットにおいて、カーテンの隙間から差し込む柔らかな朝日の光で優しく覚醒を促される、なんて爽やかな朝が訪れる事はない。
その代わりに、目覚まし用にセットしたライトがじんわりと、朝日に似せた色の光で静かに部屋を包んでゆく気配に頬を撫でられて、スティーブンは自室のベッドの上、ぼんやりと目を開けた。
途端に感じたのは、強烈な違和感。
隣にいたはずの存在が、綺麗さっぱりと消え失せてしまったような。あるべき温もりが、丸ごと失われてしまったような。
うつらうつらと微睡みながら、右手でぽすぽすと隣を探ってみたけれど、やっぱりそれは見つからない。昨日の夜、たっぷりと愛し合って、抱いて寝たはずの愛しい恋人の姿が、どこにも。
そのまま何度か、伸ばした右手で冷たいシーツを撫でるうち、ようやく働き始めた頭は、ああ、と、ある事に気づく。そして欠伸をひとつしたスティーブンは、納得して頷いた。

(そういや、あれは妄想だったっけ)

さして残念がる事もなく、あっさりとそれが事実とは異なっていた事を受け止めたスティーブンは、ならばもうここには用がないとばかりにさっさとベッドから起きだして、手早く身支度を整えながら今日一日の予定をざっと頭の中で組み立て始めた。
午前中はライブラとは別の、表向きの仕事をこなすついでにスポンサーと情報提供者とのコンタクトをとって、昼にはライブラに出向いてそこからひたすら書類仕事、プラス各種のアポイントメントと根回しに、各人への仕事の割り振り。
イレギュラーが入らなければ、おおよそ夜までには予定している分の仕事は終わるだろうが、早々うまく進んでくれないのがこのヘルサレムズ・ロットの非情なところだ。ひどいときは毎日のように、大なり小なり事件が舞い込んできて、頼んでもないのにスティーブンのやるべき仕事を増やしてくれる。
どうか今日は、何も起こらず一日が終わりますように、とそれが叶うことを全く信じないまま皮肉気に祈ってからふと、スティーブンはゆるりと表情を緩めた。

(せっかくだし、昼はレオナルドとデートをしながら食べて癒されよう。ついでに書類を捌いてる間は、隣で応援でもしてもらうか)

たとえイレギュラーが入らなくったって、考えただけでうんざりする仕事量だ。ならばちょっとくらい、恋人に癒される時間があったって罰は当たるまい。
スポンサーの一人が面倒くさいタイプだった事を思い出して、気が沈みかけたけれど、レオナルドと昼食を共にする事を思えば一気に気分が上がる。いっそ鼻歌でも歌いたくなるくらいだった。

さて、ここでひとつ、説明をしておかねばなるまい。
前述の通り、スティーブンの一日にこなすべき仕事は非常に多い。本来なら、恋人との時間なんて作ってる余裕なんてさっぱり存在しない程度には。
仮に昼食の時間はぎりぎり捻出できたとしても、書類仕事の間に隣でずっと応援してもらうなんて、土台無理な話である。レオナルドにだって割り当てられた仕事があるし、恋人特権で始終拘束なんてしようもんなら、K・Kあたりにこめかみをぶち抜かれること請け合いだ。
けれど、スティーブンとその恋人は、そんな不可能を可能にする方法を持ち合わせている。
誰にも迷惑をかけることなく、かつ二人っきりの甘い時間を獲得する方法を。
それには何も、レオナルドの持つ神々の義眼を駆使するなんて、手間をかける必要なんてない。
少しばかり頭を働かせるだけで、全ては可能になってしまうのだ。

なぜならば。
スティーブン・A・スターフェイズの恋人のレオナルド・ウォッチは。
スティーブンの脳内に存在しているからである。


現実のレオナルドとスティーブンは、恋人同士ではない。とても残念なことではあるが。
しかしながらスティーブンの脳内にはちゃんと、恋人であるレオナルドが存在している。
あれ、ちょっと頭おかしくない? やばくない? と思ったならそれは正解だ。スティーブン自身、ちょっと頭おかしいとは思ってるしやばいとも思っている。
思った上で開き直って、脳内レオナルドとの恋人生活を楽しんでいるのだ。

レオナルドと(脳内で)付き合い始めたのは、今から二年と少し前。スティーブンが三十三歳の頃だ。
ガミモヅとの邂逅の前からレオナルドがやけに可愛く見えるようになり、ガミモヅによりボロボロになったレオナルドに肝を冷やし、しばらく葛藤した後にようやく恋心を自覚した。
しかし自覚したはいいものの、初恋にも似た初めての体験する己の心の浮かれっぷりのせいも手伝って、迂闊にアプローチをかけるのは躊躇われたから、まずはデートの誘いと告白からベッドインまでの流れを、練りに練った。
けして失敗など許されない。
必ず落とすとの強い決意の元、ようやく出来上がったデートプランを何度もシミュレーションをしているうち、気づけば現実のレオナルドに声をかける前に、脳内でのお付き合いが開始してしまった。
それに関しては今でもどうしてそうなったか、ちょっとよく意味が分からない。多分、疲れていたのだと思う。
何度も何度も何度も、スティーブンの告白にレオナルドが頬を染めて頷いてくれた場面やら、恥じらいつつスティーブンを受け入れて可愛く喘ぐ場面を妄想するうち、もうこれが本当でいいじゃないかと思ったのがきっかけ、だったような気がする。たぶん、おそらく、そんな感じだったと思う。

最初のうちはそれでも、勝手に浮かれあがって進んでいく自分の妄想に、頭を抱えて困惑していたのだ、スティーブンだって。
妄想の中では甘えるように笑って躊躇いなく腕の中に飛び込んできて、ベッドの中では挑発的な言葉すら吐いてみせるレオナルドだったけれど、あくまで妄想は妄想でしかない。
現実のレオナルドは、スティーブンのことを良くて頼れる上司、下手すれば口うるさくて怖い上司だとしか思っていないのは、スティーブンだってよく分かっていた。
そんなの、あまりに虚しすぎるだろうと、勝手に妄想を展開してゆく己の頭をどうにか諫めようとした。そして現実を妄想と近づけるべく、どうにかしようと考えてもいた。

しかしながら、ある時、スティーブンは気が付いたのだ。
あれ、これって誰にも迷惑かけてなくない? 妄想の中でレオナルドが恋人って事にしても、別に誰も困らなくない? と。
こちらのきっかけは、はっきりと覚えている。
ある時、事務所でザップがぎゃあぎゃあ騒いでいたのだ。レオナルドが、可愛い女の子に告白されていたと。
さすがにあの時は、スティーブンとて動揺を隠すことが出来なかったけれど、それは事務所にいた他のメンバーも同じだったらしい。皆多かれ少なかれ驚きを露わにして、興味津々にレオナルドに迫っていたから、距離を取って眺めていたスティーブンの動揺は、悟られることなくどうにか誤魔化す事が出来た。

わざわざ人前でそんな事をバラされて非常に迷惑そうな顔をしていたレオナルドは、なあもうヤった? とうとう陰毛頭も童貞卒業かよ、なんて最低なザップの言葉に、呆れたように首を振って付き合ってませんし、と素っ気なく答えたから、ものすごくほっとした。なんなら、あれ、もしかしてこれ、俺にもチャンスあるんじゃ、と妄想でちょっぴりレオナルドとの仲が深まったような錯覚を抱いていたスティーブンは、勘違いすら起こしそうになっていた。正直、結構危なかった。
けれど続けてレオナルドが口にしたのは、「実は好きな人がいて……」なんて、もしかしてを期待させてくれるようなものとは真逆のもの。

「今はミシェーラの眼を取り戻す事でいっぱいいっぱいで、そういう余裕ないっす。それに僕、自分の身を守るだけでも精一杯、っつーか、それすらも微妙なとこっすから。せめてここでまともに生きてけるようになんなきゃ、恋人作っても危ない目に合わせちゃいそうだし。この眼があるからこそ、余計に危ないですしね」

レオナルドは、あはは、と軽く笑ってはいたけれど、ある意味では重い決意表明に周りは騒ぐのも忘れて戸惑い、けたけたと笑って茶化していたザップさえ少し気まずそうにしていた。別にンなこと考えずにとりあえずヤッてみりゃいいだろうがよ、と最低ではあるけれど、クズなりにレオナルドの事を元気づけようともしていた。
けれど最後までレオナルドは笑って首を振るばかりで、当然スティーブンの方を意味ありげに見てくれる、なんて事は全くなかった。というかおそらく、離れた場所からこっそりスティーブンが話に耳を傾けていたことにも気づいてはいなかった。切ない。

ともかく、そのレオナルドの告白が、スティーブンを開き直らせる転機となったのだ。
当分はレオナルドは誰とも付き合う予定はないらしいし、じゃあスティーブンが押しても素直に頷いてはくれないだろうし。
だったら妄想で恋人気分を味わうくらい、いいじゃないか、と。思ってしまったのだ。
無理に迫ってもレオナルドを困らせるだけだし、何よりすっぱりきっぱりお断りされて希望の一つも残してもらえなければ、スティーブンの方が立ち直れない。
三十代も半ばのおじさんの心は、割と臆病で繊細で傷つきやすいのだ。
たとえば追跡中の事件の作戦会議中、その中の黒幕らしき人物の写真を見て、ザップやレオナルドがこのおっさんが、なんて言い出しただけでちょっと傷つく。
おいおいそいつ、僕と三つしか違わないんだぜ、じゃあもしかして少年って僕の事おっさんって思ってるのか、あーやだやだショック、なんて簡単にぐっさりと言葉の矢が胸に刺さるお年頃である。レオナルドとのスティーブンの年齢差より、レオナルドの父親とスティーブンの年齢差の方が少ないと知った時の衝撃も、未だに記憶に新しい。

だからこそスティーブンは後ろ向きなポジティブさで、己の妄想を許容する事にした。
だって少年に当分恋人は出来ないし。振られたくないし。おっさんキモイとも思われたくないし。

要はばれなければいいのだ。
妄想だけなら無罪。YES妄想、NOタッチ。誰だって、頭の中に人に言えない秘密の一つや二つ、性癖の三つや四つ、隠し持っているものだ。
それを現実に持ち出せばアウトだけれど、実行に移さないならセーフ。スティーブンだって、裏切りそうだなと思うだけで裏切り者を始末したりなんてしない。多少トラップは仕掛けても、裏切ってから始末する。
それに、裏切りを抱えたやつらに比べれば、スティーブンの妄想なんて可愛いものだ。
ちょっと頭の中でレオナルドを抱きしめて、キスをしてセックスをするだけだ。たまにデートをして、家に招いて朝までベッドに閉じ込めるだけ。

だから問題ない筈だ。
それもこれも全て、頭の中だけなら、構わないだろう、と。別に実際にやるわけじゃないんだし、まだ、と。
スティーブンは、盛大に開き直ってしまった。


開き直ってしまってから、スティーブンの毎日はものすごく楽しくなった。
なにせ二十四時間いつでも、恋人のレオナルドが寄り添ってくれるのである(脳内で)。
仕事で疲れた時は「大丈夫ですか、スティーブンさん」と心配そうな顔で労わってくれるし(脳内で)、スポンサーに嫌味を言われた時は「元気が出るおまじないです」と恥じらいながらキスをしてくれるし(脳内で)、食事の時は目の前で「うわあ、すげーうまいっす!」とキラキラと輝かんばかりの笑顔を見せてくれる(脳内で)。おまけに夜はいつでもウェルカムでスティーブンの望む体位をとってくれるし(脳内で)、ちょっとマニアックなプレイを要求しても「スティーブンさんがしたいなら……」とおずおずと頷いてゆっくりと足を開いて誘ってくれる(脳内で)。
出先でレオナルドに似合いそうな服やら小物を見つければ買って持ち帰り、部屋に揃えてゆけばまるでレオナルドがそこで生活しているような気すらしてきて、家に帰るのも以前より楽しくなってしまった。ヴェデットには恋人が出来たと思われて、微笑ましげに見られたけれど、まあ(妄想的な意味では)間違ってはいないので積極的に否定はしていない。
レオナルド用の寝間着をクローゼットの中に見つけるたび、妄想の欠片が実現したような錯覚を覚えて、心底幸せになってしまう。ちょっとやばいとは思うけれど、幸せなので仕方ない。
その上で現実のレオナルドが笑顔の一つでも向けてくれようもんなら、それだけで有頂天である。人生って楽しいと思いつつ、しっかりとそれを妄想に反映させて、夜はいつもより張り切ってしまう(脳内で)。

それでも、もし。
妄想の恋人の現を抜かして仕事が疎かになっていれば、スティーブンとてさすがに考え直しただろう。このままではいけないと、きっぱりと妄想を捨てて、現実のレオナルドとどうにかなるべく、あるいは想いを切り捨てるべく、何らかの行動に出たかもしれない。

けれど困ったことにと言っていいのか、幸いなことにと言っていいのか。
頭の中の恋人はそちらにもいい影響しか与えてくれなかった。

可愛く励まされれば当然やる気が出るし、さっさと家に帰ってしまって存分に妄想の世界を堪能したくて、自然と効率も上がる。普段の思考と並列して、恋人レオナルドの妄想を常に頭の隅に存在させられるようになってからは、更に効果が倍増した。何をやっても上手くいくし、少々失敗したところで長々と引きずることもない。
まさしく良い事づくしで、スティーブンはますます妄想にのめりこんでゆくようになった。
寝起きに妄想と現実を混同して、あれ、これ現実じゃなかったっけ、と違和感を覚える事は日常茶飯事で、多少ヒヤリとはするけれどその、混濁した状態も案外悪くない。よりリアリティが感じられていいな、なんて事すら思っている。
そこまできっちり眠るのは家でだけだし、たまにライブラの事務所で働きすぎで思考がやばい方向に流れた時も、ボロを出した事はなかった。

そう、一度も、ボロを出した事がない。
それこそが妄想のレオナルドと恋人生活を送るスティーブンの強みでもあり、ある意味では最大の弱点でもあった。
ほぼ四六時中頭の中に恋人レオナルドを常駐させている事を誰にも全く悟らせないほど、どこから見ても誰から見てもスティーブンは、脳内レオナルドと付き合う前のスティーブンのままなのである。
本人的には脳内レオナルドに頑張れ頑張れと応援されて張り切っていても、傍から見れば鬼気迫る様子で仕事をこなしているようにしか見えないし、当然レオナルドに気があるなんて誰も思わない。現実のレオナルドに接するスティーブンは、あくまで仕事場の上司としての顔を崩す事はなかったし、隙を見せることもしなかった。セクハラなんてもってのほかで、軽く肩を叩く動作一つにまで細心の注意を払っている。

だからこそ、あれもしかして、と周りが秘めたる想いに気がついて、こっそり気を回してお膳立てしてくれるなんて素敵なイベントも起こらなければ、レオナルドがスティーブンの行動に逐一ときめいたり動揺したりなんて事件も一切発生しない。
まさか頭の中で自分との幸せな恋人生活を送っているなんて気づく余地もないレオナルドは、スティーブンに対して、接してきた年月分、上司としての信頼は着々と積み上げていっていたけれど、それ以外の感情はさっぱりであった。つまり、レオナルドの方から二人の関係を進展させる要素が、一切育っていないのである。
一方スティーブンの方も、脳内レオナルドは可愛い恋人だし、現実のレオナルドもやっぱり可愛いしで、毎日が楽しい。楽しすぎて、自分から動くなんて選択肢を思いつけないくらいには、妄想生活を満喫しまくっていた。
神々の義眼の状況に変化があればさすがに、スティーブンだって焦るだろうけれど、そちらも未だ手がかり一つない状況である。当然レオナルドに恋人が出来る素振りもない。

だから、つまり。
このままでは、二人は当分の間、もしかしたら永遠に、現状から進展しないのである。残念なことに。

最早、初恋を拗らせすぎてすっかり現状に満足してしまっているスティーブンが、現実のレオナルドとどうこうなるには、ヘルサレムズ・ロットでたまに起こる奇跡に縋るより他ない状況になっていたりするのだけれど。
そんな事にさっぱり気づいていないスティーブン(もうすぐ36)は、今日も。
三年目の(脳内)記念日に向けて、うきうきととびっきりの(脳内)デートの予定を立てて、本物に贈るアテのない、部屋に飾って妄想によりリアリティを出すための小道具としての、プレゼント選びに精を出すのだった。