So cute!
長期任務を終えて、一年ぶりに帰ってきたヘルサレムズロット。
バーに擬態した結社の支部の奥、纏めた報告書を提出したカルラはちょうどその日の夜、ライブラ主催の飲み会があると聞いてにやりと唇の端を吊り上げた。
別人になりきっての潜入調査の間は、寝てる時も気が抜けない上に、ろくにストレスを発散する手立てもなかった。仕事柄慣れているとはいえ、やっぱり疲れるものは疲れる。
そんな神経をすり減らすばかりの日々からようやく解放されたのだ。ならば少しくらいハメを外したって許されるだろうと、カルラは脳内に一人の男の姿を思い描く。
ザップ・レンフロ。
女癖はどうしようもなくって、入れ込んだら終わりのひどくタチの悪い男。けれど一晩の遊びにはうってつけの、極上の男。
彼の公言する愛人ほどの密な関わりはないけれど、何度かベッドの上で遊んだことはあった。その夜の事を思い出せば、今でもじわりと腹の底が熱くなる。何度重ねても時間を置いても、少しも色褪せることの無い最高の夜ばかりだった。
だから。
(決めた、今日はザップに遊んでもらお)
頭の中で飲み会の会場から近いホテルをいくつかピックアップしたカルラは、鼻歌交じりでバーを後にした。
ザップの女癖の悪さは周知のもので、結社の人間にはほぼ満場一致でクズ扱いされているけれど、それでも彼はひどくモテる。カルラのように、後腐れなく遊びたい女達には特に。
従っていつもなら、飲み会の時はさりげなくザップの隣をキープしたい女達による水面下での熾烈なバトルが繰り広げられるのに、その日に限ってはなぜだか何の妨害もなく、すんなりと隣にいけてしまった。
スムーズすぎて拍子抜けしたものの、ひどく都合のいい状況をわざわざ手放す理由も見つからない。ぺらぺらと軽口混じりで適当な口説き文句を並べてくるザップは控えめにいってやる気に満ちていたし、カルラだってその気だった。
下準備もお膳立ても万全。あとは二人で抜け出すタイミングを見計らうばかりとなっていた。
なっていた、筈だった。
妙な空気になったのは、ザップが四杯目のワインを味わうことなく勢いよく胃に流し込んでから。
飲みすぎると勃たなくなる男はいるものの、ザップに関してはその心配はない。さすがに正体がなくなるまで飲ませればベッドに連れ込むどころではなくなるけれど、ある程度なら酔っている方がより情熱的でカルラの好みだ。
だからむしろ、積極的に酒を勧めていたのだったが。
カルラへと向けて甘い言葉を囁いていたザップがふと、きょろきょろと何かを探す素振りを見せたかと思うと、おもむろに血紐を伸ばして何かを手元に手繰り寄せた。
「……ザップ、なに、それ」
「ん? レオ」
カルラだって、前線での戦闘要員ではなくともライブラが出来る前から、牙刈りとしてそれなりにやって来た方だ。ある程度の不測の自体には慣れているし、大抵の事なら顔色一つ変えずに淡々と対処出来る自信がある。
しかし、それはあまりにも予想の範疇外すぎた。
血紐の先にくっついていたのは、酒でもつまみでもなく、一人の男。引き寄せたその男の腹に手を差し込んで、しっかりと小脇に抱えたザップの行動に思わず取り繕うことも忘れてぽかんと口をあけたカルラは、ついついその男をそれ扱いしてしまう。
そんなカルラがこぼした疑問に、あっさりと答えたザップが口にした名前には心当たりがあった。
レオ、おそらくはレオナルド・ウォッチ。
長期任務に外へ出たカルラとは入れ違いに、ライブラに拾われた神々の義眼保持者。顔までは知らなかったものの、噂だけはちらりと耳にしていた。
案外普通の子ね、と脳内の冷静な部分が率直な感想を呟くけれど、現状はどう見ても普通ではない。
レオナルド・ウォッチを小脇に抱えたザップは、何事も無かったかのように再びカルラに美辞麗句を捧げ始めたものの、生憎とレオナルド・ウォッチの存在が気になりすぎてろくに耳に入ってこない。
混乱のままそっと辺りを見回したけれど、カルラのように戸惑いを浮かべている構成員はいなかった。代わりに向けられるのは、面白がるような、呆れたような、どこか生暖かさを孕んだ視線。
そのおかげで、何がどうなっているのか未だ理解出来ていないままに、それでも一つだけ分かったことがある。
(これ、もしかして珍しいこと、じゃない、の?)
初めての奇行にしては、周りの反応が慣れすぎている。二度三度の事でもない。もっとそれ以上、少なくとも居合わせたメンバーが動揺せずに苦笑いを浮かべるくらいの期間、おおよそ半年近くは続いていることのように思えた。
と、周囲の状況からざっと素早く判断を下したカルラは、げんなりして肩を落とす。こんなことのために観察眼を磨いた訳じゃないのに職業柄、勝手に脳が推察を始めてしまうのが悔しい。
しかし複雑な心境とは裏腹に、カルラの目は無意識のうちに追加で情報を拾ってゆく。
ザップの小脇に抱えられたレオナルド・ウォッチは、ぱちりとカルラと目が合うとぺこりと頭を下げて、僕のことはお気になさらず、と呟いたあとは特に口を挟むことなく静かにしていた。けれど大人しくしているかといえばそうでもなく、ぷらんと抱えられた状態でしっかりと手に持った皿のつまみをぱくぱくと食べている。なかなかに図太い。
さして酔ってる感じでもないのに、ザップの腕から抜け出そうともしない。完全に現状を受け入れていた。
レオナルド・ウォッチの持つ皿が空になると、近くの構成員が適当な食べ物をそこに追加で盛ってやっていた。その動きは完成された一連の流れ作業のようで澱みがない。
誰も彼もがこの異様な状況に慣れきっている。
正直、その時点でカルラの気持ちは半分くらい挫けかけていた。
あからさまな誘い文句を投げるザップの表情には、男らしい色気が滲んでいてじわりと身体が熱くなったけれど、努めて見ないようにしたってどうしても視界の端に入ってしまうレオナルド・ウォッチの存在で、すぐにさあっと熱が引いてしまう。全然集中出来ない。
そうして、六杯目。ウイスキーのグラスを一気に空けたザップは、ついにカルラを口説くのと並行して小脇に抱えたレオナルド・ウォッチに話しかけ始めた。
なーレオ、それうまそう、寄越せよ。そうそう、そのカリカリしたやつ。うわ、このインモー! 寄越せっつったのに全部食いやがって! ちっげーよそれじゃねえわオメーが今口に入れたやつだっつーの。は? 超うまい? おいおい、レオナルド君よ。お前くっそ生意気じゃね?
かわいい、きれい、ムラムラする、触りたい。
そんなカルラに向けた、酒がすすむにつれ著しくパターンが減っていった、口説き文句にしては些かストレートすぎる言葉の合間に、マメにレオナルド・ウォッチに話しかけるザップはそのうち、レオナルド・ウォッチに話しかける合間にカルラを口説くようになってゆく。割合にしてレオナルド・ウォッチとカルラが、九と一くらい。ついでに口説くにしても、さすがにひどい。
むしろどちらかといえばレオナルド・ウォッチの方がカルラに気をつかって、ちょっかいをかけるザップに適度に応えつつその意識をカルラに向けようとしていたのに、ザップはちっとも言うことを聞かない。
(これは……うん、ダメ。無理ね、無理)
レオ、レオレオ、とひっきりなしに彼の名前を呼ぶザップに、とうとうカルラは諦めてそっと距離をとった。数歩離れたところでようやくカルラの不在に気づいたらしいザップが、慌てて縋るような視線を向けてきたけれど、にっこりと笑ってぺしりと叩き落としてやる。
そんなカルラの反応にザップはわかりやすく表情を歪めて肩を落としたけれど、しかし追ってはこない。代わりに不貞腐れたように唇を尖らせて、小脇に抱えたレオナルド・ウォッチに話しかけていた。
そっぽを向いて新しい飲み物を手にしたカルラが、意識はそちらに向けたままにしたのは、未練があったからじゃない。
描いた予定通りに進まなかったのは残念だったけれど、あまりにカルラの知るザップと違いすぎて、腹が立つより興味をそそられてしまったのだ。
「なぁんか、最近調子わりーんだよなあ」
「そっすね」
「今のもよお、いける流れだったろぜってー」
「そっすね」
「くっそ、何が悪かったんだよ……」
「そっすね」
一応、ザップの方も残念には思ってくれているらしく、大仰に嘆いているけれど対してレオナルド・ウォッチの反応は薄い。ちらりと横目で様子を伺えば、ザップの言葉にひたすら同じ相槌を打って、変わらずぱくぱくと皿に盛られた料理を口に運んでいる。完全にザップの方があしらわれている。
「かっわいいでしょ、あれ」
聞こえる会話に集中していたカルラに、話しかけてきたのはベリンダ。以前はカルラと共に、ザップの一晩の遊び相手の座を争って火花を散らした相手だ。ある意味目の上のたんこぶのような女だけど、ザップが絡まなければそれなりに良い関係を保っている。
「……うん、かわいいわね」
「でっしょ。最近は飲み会のたびにあれよあれ」
「もしかして付き合ってんの? あの子と」
「ううん、ただのお友達らしいわよ、お友達。ほんとカワイくてやってらんないわよ」
ベリンダが口にしたかわいいの意味が、男に向けるものじゃなく小さな子供に向けるものだとすぐに気づいて、深く頷いて同意する。確かに可愛かった。ちっともセクシーではないしそそられはしないけれど。
もしかして、とぱっと閃いた思いつきを口にしたら、ひょいと肩を竦めたベリンダに首を横に振られる。
思わず横目でなく、まじまじとザップを見つめれば、変わらずレオナルド・ウォッチを小脇に抱えたまま、手放す素振りもない。
なーレオ、レーオ。お前話聞いてねえだろ。傷心の先輩を慰めろよ全力で。なーレオ、レオって。
聞いてますってば、って、あーっ、それ俺の分! アンタのはこっち!
うっせーそっちのがうまそうだったからしゃーねーだろうが。
もーザップさんのバカ! シルバーシット! クズ!
はああ? バカっていう方がバカなんですぅ、ばーかばーか!
途中、適当にあしらわれていることに気づいたらしいザップが、ちょいちょいとレオナルド・ウォッチをつついて、わざわざ彼が口に運びかけていたものを横から奪って食らいつく。ローテンションでザップをあしらっていたレオナルド・ウォッチは、かちりとスイッチが入ったように瞬時にいきり立って、ぎゃあぎゃあと高らかに抗議の声をあげて騒ぎ始めた。
ばーかばーかと、貧相な罵り言葉を互いに投げつけ合う間も、ザップはレオナルド・ウォッチを抱えたまま。抱えられたレオナルド・ウォッチも、抜け出そうとはせず腕の中に収まったまま。
そんな、ザップの横顔が。
言い争いの最中のくせに、カルラが見たこともないような、心底楽しくて仕方がないって顔で晴れやかに笑っていたから。
「……かわいいわね」
「かわいいわよね」
ベリンダと二人、どちらともなくかわいいと呟いて、しみじみと頷き合う。
おそらくは、二度と。
ザップと寝ることはないだろうな、とぼんやりと確信めいた予感を抱いたカルラは、じゃれあう子供二人の声を聞きながら、ふふっと小さく笑みを漏らした。