星屑サンダー


どうにも腹の虫の居所が悪い日というのはレオナルドにもあって、そんな時は何をしてもだめだ。
ゲームをしてもだめ、お気に入りの写真を眺めてもだめ、ミシェーラからの手紙を読み返してもだめ。何をしても気が晴れなくってつまらなくて、さわりと肌を撫でゆく風の音にすらイライラして仕方ない。

それを自分一人の中に留めて消化出来れば良いものを、そういう時はそれだってうまくはいかない。
気を抜けば誰かに八つ当たりじみた振る舞いで鬱憤をぶつけてしまいそうになる。言ってはいけない言葉を、腹立ち紛れに投げつけてしまいそうになる。
もしもそれですっきりしてしまえるなら。けして褒められた事ではないと分かっているけれど、まだ良かっただろう。けれど生憎とレオナルドは、そんな性分をしてはいなかった。たとえ相手が仕方ないなと大らかに許容してくれても、レオナルド自身がそれを許せない。ほんの一時気が晴れてもすぐに、他人に悪意を向けた自己嫌悪で潰されそうになる。下手をすれば腹の虫が収まった後もじくじくとボディーブローのように効いてきて、長くレオナルドの心を苛む棘となる。
絶対に後悔することが分かりきっている。分かっているからこそ、そんな日は誰とも会いたくない。

幸いにして、そういう時の対処法は分かっている。何もせずに寝てしまうことだ。そうすれば目覚めた時には多少気分はマシになっていて、最悪から抜け出せば気晴らしで気分を引き上げる事だって出来る。逆にいえばそれ以外、やれる事は何も無い。
だからこれは仕事だと自分に言い聞かせてどうにかやり過ごしたバイトの後。ライブラの事務所にも顔を出さずにそのまま家へと真っ直ぐに帰ることにした。急な事件や差し迫った案件が入っていなかったのは、不幸中の幸いだった。
明かりの消えた部屋にソニックの気配はない。朝、レオナルドの顔色をみるなりそれきり姿を見せてはいなかった。時々レオナルドがこうなることを知っている小さく賢い友人は、こういう時のレオナルドとの付き合い方をよく理解してくれている。
電気もつけずに暗い部屋の中、ずんと腹の底を重くする不快感が指先に滲まないように細心の注意を払って、ツェッドに宛てて今日はそちらには行けないとの連絡を入れるだけで、どっと疲れが押し寄せてきた。すぐさま返ってきた返事に目を通すこともせず、レオナルドは硬いベッドに潜り込み、薄い毛布を頭まで被って小さく丸まりぎゅっと目を瞑った。

後は寝るだけ、そのつもりだったのに。
うとうとと微睡み眠りの切れ端を掴みかけたレオナルドの耳に、どんどんとドアが荒々しく叩かれる音が聞こえ、あっという間に睡魔は遠ざかってしまった。
クソッ。小さく舌打ちをして、ますます身を縮めて毛布を握る手に力を込める。居ないふり、寝たふりでやり過ごしてしまいたかった。その辺のただの酔っ払いの悪ふざけで、やがて飽きて過ぎ去るものだと思い込みたかった。

けれどそんなレオナルドの望みとは裏腹に、扉を叩く音は止むどころか激しさを増す一方。
クソッ。もう一度舌打ちをしたレオナルドは、扉の向こうにいるだろう相手に向けて胸の中でひそりと呟いた。

わざわざこんな日にやって来なくてもいいでしょーがザップさん。ほんっと、タイミングの悪い。

おそらく、いいや、確実に。ドアの前にいるのはザップだ。本当はドアを叩く音が聞こえた瞬間から、確信していた。だってそれは嫌になるほど聞かされてきた音だったから。
分かるのはそれだけじゃない。血法を使って鍵を開けて勝手に入ってくることなく、ああもしつこくドアを叩くって事は、酔ってるかクスリがキマってるかのどちらか。素面ならあんな風にドアを叩いたりなんてしない。
どんどんどん、再度響いた薄い板を叩く音の後、れぇぇおぉぉぉおとレオナルドの名前らしきものを呼ぶ声がする。ほらやっぱり、ザップの声だ。ついでに舌の回らなさから判断するに多分、酒じゃなくてクスリの方。それもアッパー系のやつ。すごく面倒くさいやつだ。

開けたくなくなんてなかった。顔を合わせたくなんてなかった。さっさと諦めて帰って欲しかった。
そりゃあザップには普段から遠慮なく暴言を吐きまくっているけれど、それでも超えてはいけない一線は一応弁えているつもりだ。
クズでどうしようもないけれど、あれで案外繊細なところもある人だ。クズでどうしようもなくてムカつくけれど、ザップの中の柔らかいところをわざわざ抉って傷つけたいとはちっとも思っていない。たとえザップが傷つかなくても、投げた言葉にまぶした棘でレオナルド自身が傷つく事になるって分かりきっているのに。

けれどレオナルドは無視を決め込むことを諦めて、渋々ベッドから降りて玄関に近づいた。よく知っているのだ。こういう時のザップはとにかくしつこい。レオナルドが反応するまで、一時間でも二時間でもあのまんまだ。気配を消す術なんて知らないレオナルドが部屋の中にいることなんてザップには丸わかりで、居留守も通じない。
放っておけば近所から苦情がくるし、家主からも怒られて最悪部屋を追い出されてしまう。それだけは避けたい。

ああ、もう、クソッ。アンタが悪いんだからな。

絶え間なく響く打撃音、衝撃で震えるドアの前、大きくため息をついたレオナルドは、ひそりと悪態をついてからドアノブに手をかける。
うぞうぞと蠢く不愉快な腹の奥の感覚を、もう制御出来そうにない。こうなったら飛びっきり嫌な言葉をぶつけてやろう、めちゃくちゃに八つ当たりしてやろう。べそをかくまでねちねちと嫌味を囁いてやろう。そんな事すら考えながら、声をかけることもせずに勢いよくドアを開けてやる。

内開きの扉、突然開けてやればしつこくドアを叩くザップがバランスを崩すかもしれない。そうだこけちまえ、と思っていたのに、ムカつくことにクスリで脳みそが溶けていてもそういうところは察しがいいのか、思惑通りにはいかなかった。開けたドアの向こうには中に何かがぎっしりと詰まった血法で作ったカゴを抱え、へらへらと笑うザップが僅かにもよろめかず真っ直ぐに立っている。
さて開口一番何を言ってやろうか。
ひどく意地の悪い気持ちで、喉の奥に蠢く棘を言葉の形にして吐き捨ててやるべくすうっと息を吸ったら。

「すっげぇぇえええだろ!」
「……何がっすか」
「きらきら!」

それらを音にしてしまう前に、やけに機嫌のよい大声で遮られてしまった。
焦点は微妙にあっていない。どこか虚ろなのにギラギラと異様な光がちらつく瞳は、まさにどこから見ても立派なヤク中そのものだった。
そんな目をしているくせにザップは、腹が立つくらい無邪気に笑ってぐい、と腕に抱えた赤いカゴをレオナルドに見せてくる。きらきら、と主張する中にあったそれは、全くきらきらしていないただの石ころたち。

「……きらきらぁ?」
「きらきら!」

思いっきり眉をしかめて、嫌味ったらしく聞き返してやったけれど、撤回はされない。再度きらきらだと主張して、にやにやと嬉しげに笑ってこくこくと頷く。ただのヤク中のくせに、顔だけはいいせいかそんな仕草が少し可愛いく見えるのがまたムカつく。

「……アンタ、頭だけじゃなくって、目ぇまでおかしくなったんすか」
「あぁあん? きらきらのぴかぴかのてっかてかだろぉがぁ」

はあ、とため息をついてとりあえず、ザップを部屋の中に招き入れる。本当は入れたくなかったけれど、玄関先で騒いでいるのはまずい。
しかしてっきりアッパー系をキメてるのかと思ったら、サイケの方だったらしい。どこをどう見てもただの石ころにしか見えないものに、神々の義眼ですら捉えられない幻覚を見ているらしいザップの様子に、面倒くせえな、舌打ちをしてわざと声に出して呟いた。

ちゃんと聞こえる音量だった筈だ。けれどザップはレオナルドの言葉に特に反応することなく、我が物顔でずんずんと狭い部屋を突っ切ると、どすりとベッドに腰を下ろすと、血法を解除してざらざらと石ころをベッドの上にばらまいた。

「ちょ! もー、勘弁してくださいよ……」
「ほれみろ、こっちがきらきら、これがぴかぴか、んでこれがぎらぎら」
「あーハイハイすごいっすね」

石のサイズはどれも爪先ほどの大きさのものばかり。その中からザップの長い指が一つ摘んでは持ち上げて、目の前に翳しきらきらだとかぎらぎらだとか口にして楽しげににやにやと笑う。その間もやっぱり焦点はどこかぼやけて合ってはいないまま。
既にレオナルドの気持ちは萎えかけていた。八つ当たりして傷つけてやろうと意気込んでいたのに、今のザップには何を言っても響かないどころか、言葉がきちんと通じるかすら怪しい。そんなものに棘を投げつけたって、跳ね返った自分が痛いばっかりで、余計みじめになるだけだ。
気の済むまで一人で喋らせて、頃合を見て追い出そう。方針転換をしたレオナルドは、適当な相槌でザップの言葉を聞き流す。

「星がよ、落ちてんだわ」
「はいはい」
「あっちにもこっちにも、すっげー落ちてんだわ」
「へー」
「すげーじゃん。なのによ、売れねーんだわ。誰も買わねーの。こんなきらきらしてんのに」
「はは、ざまあ」
「ありえなくね? 売れると思ったのによー」
「ふーん」
「んまあ、でもおめー、こういうのバッカみたいに好きだろ」
「はいは、……はい?」

あちこちに星がいっぱい落ちていた、なんて聞きようによってはひどくロマンチックにも思える事を口にした直後、売れなかったと愚痴るザップはクスリでトんでいてもやっぱりザップのままだった。突然チンピラに石ころを突きつけられて売りつけられそうになった誰かはさぞ戸惑ったことだろう。
石ころを売れなかったザップと、押しつけられそうになった誰か。その姿を想像して意地の悪い気持ちを少しだけ満足させたレオナルドは、すっかりと油断していた。

だから最初は、意味が分からなかった。
突然、向けられた二人称。二人しかいない部屋、今、それを受け取るのはレオナルドしかいない。

「だからおめーこういうの好きだろって」
「えええ……えっ、と、これ、俺に?」
「そう言ってんじゃん」

聞き流し切れずに思わず戸惑いを滲ませれば、ぽん、と石ころを指で放りあげて血紐で器用に受け止めたザップが、何でもないことのように口にする。
バカじゃないですか、と咄嗟に思い浮かんだ言葉は、なぜか音には出来なかった。
だって、レオナルドは知っているのだ。
ザップが誰かに贈り物を選ぶ時は、その人の事だけを考えてその人のためだけにそれを選ぶ事を。いつもは金金煩いくせに、贈り物は案外値段に拘らない。ケチっているのではなく、誰かに似合うもの、喜んでくれそうなものを基準に選ぶからだ。だから大抵は高価な装飾品の類が多いけれど、たまに道端に咲く花やお菓子のオマケなんてものも選んだりする。そしてそうやって誰かのことを考えて誰かのためだけに用意したものを、別の誰かに流用したりはしない。
クズのくせに、そういうところは外さない人だとよく知ってしまっている。

「でけえのはダメなんだよ、うねうねしてキメェ。ちいせえのもダメだ、きらきらしねえからな。これっくらいじゃねえとダメなんだわ」

しかもわざわざ、選んで拾ってきたらしい。
いくつあるかは分からないけれど、ベッドにばらまかれた石ころたちを見るに、軽く見積もっても百は超えている。

ほんとにもう、バカじゃねぇの、と再度吐き捨てたくなったのは、ザップに向けてじゃなくて自分自身に対して。
ザップの目にしか見えないきらきら、ただの石ころ。そんなものを押し付けられても迷惑でしかない筈なのに、最低の気分のところにガラクタを押し付けられれば腹が立って当然の筈なのに。不愉快で埋め尽くされた腹の底を縫うように、嬉しさが湧き出してしまったから。

濃い霧に覆われたHL、星は滅多に見ることが出来ない。だから、レオナルドは星空の写真を眺めるのが割合好きだった。レオナルドの部屋にやってきたザップが勝手に冷蔵庫を漁って一人で酒盛りをしてご機嫌になっている横で、星の写真を眺めていた事は何度かあった。ザップはまるで興味がないようで、レオナルドが写真を見せても腹の足しにもならないとバカにしたように鼻を鳴らして、それより酒だ酒だと騒いでいるばっかりだったくせに。

胃の中で、不快感と嬉しさがせめぎ合って混ざり合う。素直に喜ぶのは癪で、だけど嬉しくって、でもやっぱりムカついて、なのに喜んでしまいたくって。
相反する気持ちを処理出来なくて俯いたレオナルドがむすりと黙り込めば、こつん、頬に石ころが投げつけられる。
顔を上げれば、面白いことを思いついた時の表情でにやにやと笑うザップが指先に石ころを弄んでいた。相変わらず焦点はぐらついたままなのに、レオナルドがそちらを見た一瞬、視線が交わった気がして、直後、ひゅんひゅんと石つぶてが飛んでくる。

「オラオラ感謝しろ、喜べ、崇めろ! んで明日の昼飯おごれ!」
「イテ、痛いっ、やめてくださいって、止めろバカ!」
「あー……なんつったっけ? あれだよあれ、流れ星には三回……三回回ってワンって言うんだったか? オラ、ワンワンワンだ陰毛頭!」
「言わねえっつーの! くっそ、このっ!」

本当に、やめてほしい。
的当てだ的当て、と嬉嬉としてザップが投げてくる石ころは、さして大きくはないとはいえ体に当たると普通に痛いし、避ければ部屋のものが被害を受ける。
ああ、ほら、テーブルに置いた写真が弾かれて床に散らばった。ああ、もう、コップが高い音を立ててごろごろと転がる。割れたらどうするんだバカ。

レオナルドは怒っていい。心底思う。人を的にするなんてなんてやつだ。人の部屋の中で石を投げるなんて、常識がないにも程がある。何もかも、あまりにも横暴が過ぎる。

「ってー! 何すんだ変態眼球!」
「やられっぱなしでいるかっての!」
「クッソ生意気ー!」

けれどレオナルドはきゃんきゃんと叫びつつ、気づけば傍に散らばった石ころをザップに向けて投げ返していた。ああ、もう、カレンダーに当たったじゃん。ああ、ほら、壁に傷が入っちゃう。
分かっているのに、手は止まらない。ひゅんひゅんと部屋の中を飛び交う石ころのせいで、何もかもめちゃくちゃだ。本当に今日はついていない。最低の日だ。
なのにザップを罵るレオナルドの唇は、不機嫌の代わりに笑みの形を作っていた。

だって、レオナルドのために、カゴいっぱいのきらきら、傍目から見ればただの石ころをせっせと拾い集めるザップの姿を想像すれば、それだけで笑いだしたい気持ちになる。

アンタ、これ、俺のために選んだんでしょ。俺のこと考えて、俺にやるために。ははは、ばーか。

それがどこか擽ったくて、でも悪い気はしなくって、照れくさくって。むず痒い気持ちを誤魔化すようにぎゃあぎゃあ騒いで石ころを投げ合ううち、それ自体が楽しくなってきてしまう。
次は絶対あの無駄に綺麗な顔のど真ん中に当ててやる、意気込んで腕を振りかぶれば、石ころと一緒に体の中に渦巻く不快感が飛び出て軽くなってゆく。

そしていつの間にか。散々暴れ回って不貞腐れていた筈の腹の虫は、雷のように部屋の中、降り注ぐ石ころの流れ星たちに、ぷちりと潰されて消えてしまっていた。