不本意ランチタイム


「ザップさん、太りました?」

皮膚にまとわりつくのは水気の飛んだ汗の名残。それに加えてローションやら唾液やら精液やらが張り付きまくった体をシャワーできれいさっぱりと洗い流してから、部屋に戻ったレオナルドはベッドの上に座り込む全裸の男をじっと見つめて、おもむろにそれを口にする。
以前、裸獣汁外衛賤厳が訪れた時のように分かりやすくぽこりと腹が突き出てはいなかったし、一見すれば特に変わりがないようにも見える。けれどなんとなくどこかしら違和感があって、それも今気づいたのではなくヤッている最中から薄々思っていたことだ。
レオナルド自身どうしてそうなったのかさっぱり分からないけれど、ザップとは寝ている。一緒に眠るという意味ではなく、ガッツリとヤッてしまっている。きっとザップもどうしてそうなったのか、よく分かっていないと思う。分からないけれどレオナルドの家で二人で遊んでいれば五回に一回はヤる流れになって、やがて五回が三回になって、明確な理由を見つけるよりも先にそれは日常の中に入り込んで居座りつつあった。

そうして、今日。例のごとくヤッている最中にふと、思ってしまったのだ。あれ、ザップさんってこんなに柔らかかったっけ、と。
最近では四日に一度の割合でヤッているせいで、日々変化する細かな違いには近すぎて逆に気が付きにくい。けれど一番最初、抱かれた時はもう全体的に硬くって、特にゴツゴツと当たる腰骨が尖って痛かった気がするのに、近頃はそんなこともない。
そしてそんな最中の疑問を思い出して改めてザップを観察してみれば、さして変わりがないように見えるのに全体的に丸くなったような気もする。こちらも毎日見ているせいで、確信は持てない。しかし昨日とまるで変わらないようには見えるけれど、ひと月、ふた月と記憶の中を遡ってゆけば、過去のザップはもう少し痩せていたような気がしてならない。

「そそそそそそそんな訳ねぇだろ……」
「うっわぁ、誤魔化すの下手くそすぎんでしょ……」

そんなレオナルドが抱いた違和感は、勘違いではなかったらしい。大袈裟にどもりつつスっと目を逸らしたザップの態度からして、どうやら本人は気づいていたようだ。
そういえば腹、もっとくっきり割れてたもんな。
本人が認めてしまえば不思議なもので、特に気にしていなかったものがあれこれと見えてくる。筋肉を示す線は薄くなっているし、顔も心なしか丸みを帯びているし、脱ぐ前のズボンの太ももはぱつんぱつんになってはち切れそうだった事も思い出した。なるほど、太っている。
少し悪戯心を擽られて、ザップに近づきつんつんと腹をつついてみた。まだ筋肉はついているけれど、やはり若干脂肪が乗っていて柔らかい。面白くなって元々は引き締まってかなり細かった腰、出現した脇腹の肉を掴んでやろうと手を伸ばせば、ひらりと躱されて逆にレオナルドの腹を摘まれてしまった。

「オメーだって人のこと言えた腹してねーだろ! オラ! 見ろよこの贅肉!」
「ちょ、揉むなって! お、俺はこれがデフォルトですもん! 俺はいいの俺は! アンタから見た目とったらいいとこなしのただのクズでしょおおぉぉお!」
「あぁあん?! んなことねーし! イカサマしやすいカジノにもクスリにも詳しいし売人に顔がきくし! いいとこだらけじゃねーか!」
「清々しいほどクズ要素しかねえ!」

そのままむにむにと腹を揉まれながら、ベットの上でぎゃあぎゃあと言い合う。ザップのくせにレオナルドの腹についての言い分はけして間違ってはいなくって、太ったとはいえまだレオナルドよりは痩せている。けれど自分の腹についた贅肉にちょっぴり気まずさを覚えつつも、丸々棚に上げてそれでもと言い返せば更に腹を揉む力が強くなった。負けじとレオナルドもつんつんとザップの腹の肉を遠慮なくつつきまくっているうち、揉み合いになって取っ組みあって狭いベッドの上をごろごろと転がり回る羽目になる。
しばらくそうして揉み合って騒いで喚いて一通りやり合って、勝ち誇った顔のザップに馬乗りになられて存分に腹を揉みしだかれた後。飽きたのかぱっと手を離し、ごろりとレオナルドの隣に寝転がったザップに、少し真面目な声で囁いた。

「……いやでも、マジでこのままいくとヤバくないっすか……?」
「……ガチトーンでそーゆーこと言うのヤメロ……」
「だってそれ、愛人さんたちに嫌がられません?」
「……ソンナコトナイヨ」
「あっ……既に振られちゃってるやつですね……」
「……うるせー」

ライブラからの給料をすぐさまギャンブルに注ぎ込んでまるまるスってしまうようなザップの生活を支えているのは、愛人たちの存在だと知っている。彼女たちからお小遣いを貰って生きているヒモなのに、太ってしまえばそんなパトロンたる彼女たちから愛想をつかされてしまう可能性だってあるんじゃないだろうか。そうなったら絶対、レオナルドに飯を集りにくる頻度が今以上に増えるに違いない。それは勘弁してほしい。
そんな自己保身もあって尋ねてみれば、レオナルドの心配はけして的外れではなかったようだ。うろうろと落ち着かなく視線をさ迷わせつつ返ってきたカタコトの返事で、おおよその事情は察せてしまう。
そのまま、聞いてもいないのに最近の振られ事情をぐちぐちと愚痴られる羽目になってしまった。幸い全員に切られた訳では無いようだけれど、数人、名に聞き覚えのある何人かにはきっぱりと振られてしまったようで、なんでだよアイラ、一人一人の名前を挙げては涙目でぐずり始める。
そりゃ何でも何も太ったからでしょうよ、と思いはしたけれど、本気で落ち込んでいるらしいザップにそれ以上の追い打ちをかける気にもなれなかった。クズだけれど、愛人たちのことはみんなザップなりにちゃんと好きなのだと知っているから。
だから面倒くさいなと思いはしつつ、仕方なしに話に付き合ってやって、はいはい可哀想可哀想とおざなりに慰めてやる。
レオナルドを腕の中に抱え込んで、鼻を啜りながら肩に擦り付けられる頬は、やっぱり心なしか柔らかい気がする。これはこれでそんなに悪いもんでもないのにな、なんてちらりと浮かんだ心は口にすることなく胸の奥にしまいこんで、仕方ないなあとため息混じりに、擦り寄せられた頭を軽く抱きしめてよしよしと撫でてやった。



「ツェッドさん、メシ行きましょ。ザップさんが帰ってくる前に!」
「勿論いいですけど……あの人、また騒ぎませんか?」

翌日、ライブラの事務所にて。頼まれた書類整理に一区切りついたところで時計を確認したレオナルドは、ツェッドに声をかける。ザップは一人でお使いに出ている所で、事務所にはいない。それを分かっていてザップが帰る前に行こうとツェッドを急かせば、躊躇いがちに聞き返された。
確かに、レオナルドとツェッドが二人だけでご飯に行ったあとのザップは面倒くさい。あからさまに不機嫌を表に出して、分かりやすく拗ねる。だったら最初から一緒に連れていった方がマシだと、ザップに対して辛辣な所のあるツェッドがそう判断するくらいには、ものすごく面倒くさい。
けれどその面倒くささを鑑みても、今日のレオナルドはザップと共にランチに行く訳にはいかない理由があった。
ザップが太ってしまった原因をレオナルドなりに考えた結果、レオナルドの飯を無駄に奪って人一倍食べるせいではないかとの結論に達したからである。けして昨日あのあと、なぜか再びヤる気になったザップにしつこく抱かれて、もう無理だと泣きごとを漏らしても離してはもらえなくって、今日になっても腰が重くて体がダルい現状に腹を立てている訳ではない、……八割くらいしか。

「だからザップさんから僕の飯を守らなきゃいけないんすよ、ザップさんのダイエットのために!」

ザップが太った事を包み隠さず暴露して、あくまでザップのダイエットのためなのだと主張すれば、ツェッドがああ、と納得したように頷いた。確かにあの人太りましたもんね、と口にしたツェッドは、どうやら以前からそれに気づいていたらしい。
そういうことなら、と納得したツェッドが座っていた事務所のソファから腰を浮かしかけたタイミングで、ぶふふふっと大きな笑い声が聞こえる。レオナルドとツェッドが揃って声のした方を向けば、書類で顔を隠してふるふると肩を震わせて笑うスティーブンの姿があった。スティーブンの春風のような笑みに何度も肝を冷やしてきたレオナルドとしては、普通に怖い。

「ど、どうしたんですかスティーブンさん。ご機嫌ですね、ハハ……」
「ああ、いや何、君達が面白い話をしてるもんだからつい、ね」

なんでしょうあれ。何なんでしょうね、あれ。
一瞬、ツェッドと交わした視線で無言のままにそんな会話をしたレオナルドは、ごくり、唾を飲み込んでから恐る恐るスティーブンに声をかける。何となく嫌な予感はあったけれど、聞かずにスルーする方が怖かった。
覆った書類の下から現れたスティーブンの顔は、ひどく楽しげな笑みの形をしている。そこにとても不穏なものを感じたレオナルドが思わず身構えれば、ザップな、とここにはいない人物の名前を口にして、スティーブンが話し出す。

「あいつ、前はそんなに飯を食う方じゃなかったんだぜ?」
「嘘でしょ?! あんなに意地汚いのに!」

咄嗟に反論したのはけしてスティーブンの言葉を疑った訳じゃない。けれどしょっちゅうレオナルドの部屋に来ては冷蔵庫を漁り、なけなしの食糧すらも奪って目の前で意地汚く平らげる姿を思い出せば、にわかには信じがたかった。
しかしレオナルドの言葉に気を悪くした風もなく、嘘じゃないさ、とスティーブンはますます楽しげな口調で先を続ける。

「昼飯夕飯だって事務所から出かけては、そのまんま女のとこにしけこんでなかなか帰ってこないなんてザラだったしな。クスリをやればぶっ飛んで飯なんか食ってる場合じゃないし、飲み会の時は飯よりも酒だって、狙いすまして高い酒からがばがば飲み散らかしてたし」
「……確かに、そういうことしそうっね、あの人」

レオナルドの知るザップはとても食い意地がはっていたけれど、スティーブンの語るザップの姿にも説得力があった。そう言われてみれば、そんな行動をとっていても不自然ではない。想像してみれば、とてもしっくりと馴染んでザップらしい気がする。
話を聞いて、ふんふん、と頷いたレオナルドとツェッドを見たスティーブンは、そこで一度言葉を切ってから、にやり、という表現がぴったりの笑みを浮かべて、まるで言い聞かせるような口ぶりでゆったりと告げる。

「だから太るのは当たり前なんだよ、最近はよく食べてるみたいだからね。君たちと、一緒に」
「待ってくださいその先はめちゃくちゃ聞きたくない気がするんスけど!」

最初から抱いていた嫌な予感が、ここに来てぶわりと大きく膨れ上がる。最早予感では済まない、確信だった。その先を聞けば絶対後悔する。分かる、スティーブンのあれはそういう顔だ。
だから必死で声を張り上げて慌てて話を遮ろうとしたのだけれど、当然そんなもので止まってくれる訳もなかった。

「クスリをやるより、女と寝るより、酒を飲むより。君ら二人と飯食うのが楽しくて仕方ないんだろうな。いやあ、クズのくせにカワイイとこあるじゃないか、クズのくせに」
「うわああああ、やっぱり聞きたくなかったやつ……!」

だってツェッドやチェインを可愛いと思うことはよくあるけれど、ザップを可愛いと思うのは何だか悔しいし納得がいかない。けれどとても腹立たしいことに、スティーブンの語るザップは可愛かった。ムカつくけれど、なんだそれかわいいな、と聞いた瞬間思ってしまったことは認めざるを得ない。
見ればツェッドもがくりと肩を落として、両手で顔を覆っている。きっとレオナルドと同じく、うっかりザップを可愛いと思ってしまって、内心でものすごく葛藤してるに違いない。

「……スティーブンさん、絶対、自分だけがザップさんのことかわいいって思っちゃったの腹立つから、僕たちにも話したんでしょ……」
「ハハハ、お裾分けだ」

そしてそれは、恐らくスティーブンも。朗らかに笑っているのに目は笑っていないスティーブンも、ひと足早く同じ気持ちを抱いたに違いなかった。
ザップの事は嫌いではない。きっと、普段からザップをクズだと言い切って憚らないスティーブンも、よく言い合いをして時に手が出て盛大な兄弟弟子喧嘩を繰り広げているツェッドも同じだろう。……た、多分。
けれど嫌いじゃないからと言って、好きだのかっこいいだのかわいいだの、そういう言葉を投げるには躊躇いを覚えてしまう。いいところがない、訳じゃないのだけれど、それを差し引いても余りある圧倒的なクズっぷりのせいで、素直に褒めるのは癪でどうしても気がすすまない。
おそらくザップに関わる人々にそれを語れば、大半はああ分かると深く頷いてくれるだろう。例外はクラウスくらいしか思いつかない。ザップ・レンフロとはそういう男だ。

「そんなこと聞いちゃったら、ザップさんのこと置いてきにくいじゃないですか……」
「……心の底から不本意で遺憾ではありますが、同意します……」

しかしそうは言っても、不意打ちでうっかりかわいいと思ってしまった事実は、非常に不本意ではあるけれど消すことが出来ない。すっかり置いていくつもりだったのに、スティーブンの話のせいでそんな気も萎えてしまう。
本当にスティーブンの言う通りなのかは定かではないし信じたくもないけれど、目に見えて太るくらいには以前よりもしっかり飯を食っているらしくって、ここ一週間の昼はおおよそ三人で食べていて、ついでに言えばザップは基本的に楽しいことしかしたがらない質だとも知っている。と、いうことは、つまり。更には、もしかして。レオナルドと寝ているのも、同じ理由になってしまうんじゃ。
スティーブンの言い分を一旦頭から追い出そうとしたのに、別ルートからも同じ結論に達してしまった上に、余計な事にまで思考が及んでしまいそうになったレオナルドが、じわじわ湧き上がる照れくささを処理しきれなくて、はあああ、と大きなため息をついたそのタイミングで。

「……何してんだオメーら。あっ、番頭、ちゃんと届けて来たんで。はいコレ、受領書」

ちょうど帰ってきたザップが、事務所に入るなり同じ格好で項垂れるレオナルドとツェッドに気づいて胡乱げな視線を向けてくる。珍しくきちんとお使いを遂行してきたようで、スティーブンに書類を渡すとすぐさまレオナルドたちの方へと近づいてきた。
いつもなら何とも思わない行動が、けれどつい先程の衝撃から逃れられてない状況、こちらに向かってくるザップを黙って迎え入れる事すら気恥ずかしくていたたまれない。

「ザップさんほら、メシ行きますよメシ!」
「オウオウ、なんだお前ら俺が帰ってくるの待ってたワケ? しゃーねえなー、どうしてもっつーなら一緒に行ってやってもいいけど?」

だからがばりと顔を上げたレオナルドは、余計な事を考えずに済むようさっさと行動に出る事にした。やけっぱち気味に大声を張り上げて、すたすたと今しがたザップが入ってきたばかりの事務所の入口に歩いてゆく。背中にかけられた、いやらしいにやけ顔が浮かぶような声にはムカついていいはずなのに、誘われて喜んで浮かれているように聞こえてしまうから重症だ。

「……寝言ほざいてると置いてきますよ」
「おっ、ちょっ、待てよ魚類! マジで置いてくなっての!」

レオナルドが振り返らずに事務所を出れば、ツェッドも後に続く気配があって、ちょっぴり焦った声のザップが追いかけてくる。今日はもうライブラの仕事はない筈で、それこそじゃあなと大手を振って愛人のところへ向かってもいい状況なのに、それでもレオナルドとツェッドと一緒にランチに行くことを選んでいる。おそらくはそれが、ザップにとって楽しいことだから。

(だ、ダメだ、今は何考えてもザップさんがかわいい……)

どうやらまだ当分、頭は使い物にならなさそうだ。追加で浮かんだかわいい、をぶんぶんと勢いよく首を横に振って強引に思考から追い出したレオナルドは、きりりと眉毛を吊り上げる。そして。
何もかもに納得がいかなくて釈然としなくてムカつくので、ザップのダイエットについては明日から考えることにして。今日は薄い財布をギリギリまで絞って、ザップにしこたま食わせてますます太らせてやろうと堅く決意したのだった。