嫉妬をしない理由は
実の所、もう随分と前から、愛人たちとのセックスは絶えていた。
レオナルドと寝るようになる前から既に、一人二人と去ってゆき、寝るようになってからは加速度的にぼろぼろと別れを告げられた。
つい二月ほど前に最後の一人が、もう終わりにしましょう、と切り出され、それ以来セックスはレオナルドとしかしていない。
レオナルドとザップは、付き合っている訳ではない。
ただ時間が合う時は一緒に食事をして、話をして、ゲームをして、テレビを観て、その辺の店を冷やかして、二人で借りた部屋に帰って、同じベッドで眠って、たまにセックスをしているだけ。
その関係に敢えて名前をつけるなら、恋人かが一番近い気もするけれど、ザップには正確な所は分からない。
レオナルドには、割と好かれているとは思う。
そもそも何とも思っていない相手なら、いくらザップが無理強いしても全力で抵抗するだろうし、仮に強引に進めたとして、その後確実に報復に出る。レオナルドなら、間違いなく。
最初に寝た時から比較的簡単に流され、多少無理をした時は軽く復讐されたものの、結局は許された。
現在においてもセックスを嫌がられていない時点で、その分だけの好意は向けられているとザップは確信していた。
しかし。
その好意の種類と程度をイマイチ測りきれないのは、レオナルドの態度のせいだ。
無意識か意識してかは不明だが、それなりにザップの事を甘やかしたり逆に甘えたり、時には好きだなんて可愛げのある事を認める口にするくせして。
一方では、わかりやすく嫉妬してみせたことがない。
セックスは抜きになったとはいえ、今もザップは時々愛人たちに会いに行っている。
しかし体の関係が既に無いことは、もし告げてしまえば、まるでレオナルドのために身辺整理をしたみたいに思われそうなのが癪で、言ってはいない。
愛人たちに揃ってフラれてしまった理由は主にレオナルドの存在が影響した結果だったで、あながち間違ってはいないものの、それは結果としてそうなっただけで、ザップが動いたからではない。そこを勘違いされるのは、困る。
(んなの、俺がめちゃくちゃレオの事好きみてぇじゃん)
レオナルドとザップが付き合っていると思っているライブラのメンバーには、そんなザップの行動について、呆れた目で見られたり結構本気で説教されたりしている。
なのに肝心のレオナルドは、何にも言わない。
ちょっとメリッサの所行ってくるわ、とわざわざ告げても、顔色一つ変えず行ってらっしゃいとザップを送り出す。
無理して我慢してるのよ、なんてK・Kにはしょっちゅう言われているけれど、なんとなく、それは違う気がしていた。
なぜならレオナルドは、基本的には喜怒哀楽が分かりやすい。
まあ、本気で隠されて無理して笑っている時は、分かりにくくて何度か騙された事もあるけれど、時間をかけてじっくり観察すればさすがに分かる、と思う、多分。
少なくとも今は、無理している気配は一切見えてこない。
いってらっしゃいと、時に笑みすら浮かべて愛人たちの元へ送り出される度、ザップの胸の内に澱のようなものが溜まってゆく。
なんだよ、オメー、そんなに俺のことどうでもいいのかよ。
なのに俺とヤッてんのかよクソチビが。
軽い罵り合いなんて日常茶飯事なのに、その時に限ってはなぜか、胸に湧いた言葉をそのまま口にする事が出来ない。
そうして引っ込めた言葉たちが、凝りとなってじわじわとザップの心の底に積もってゆく。
その日も、愛人の一人に呼ばれて出かけて、見知った売春宿まで足を向けた。
ザップの愛人たちの多くは娼婦を生業としていて、ただでさえ厄介事の多いこの街においては、面倒事や命の危険に晒される事が飛び抜けて多い存在でもある。
綺麗さっぱりフラれてはしまったけれど、それを恨んでもいないし、別に嫌いになった訳でもない。
だから、ねえちょっとザップ助けてよ、とヘルプコールを貰ってしまえば、一度は情を交わした間柄。
無視して死なれても寝覚めが悪いので、時間があれば向かうようにしている。
大抵はくだらない用事だけれど、たまにライブラが出張るべき案件も紛れていて、そういう意味でも早めに芽を摘むべく動くのは悪い事ではない。
放置して拗れて規模が大きくなれば、どうせ後で苦労するのはザップとついでにレオナルドなのだ。ならば問題が小さいうちに動いた方が、結果的に拘束される時間は少なくなるし、その分家にも帰りやすくなる。
不眠不休でこき使われるよりは、家でゆっくりレオナルドとゴロゴロして暇だ暇だと言い合っている方が、よほどいいと考えての事だった。
幸いにしてその日は、ライブラが預かるような案件でなく、ちょっとタチの悪い客を追い払ってほしいなんてものだったから、用件自体は簡単に終わった。
けれどすぐには帰らず、そのまま売春宿の一室で、お礼として振る舞われた酒をしこたま飲んでべろべろに酔っ払う。
かなり長い時間そこで過ごしたせいで、帰る頃には数種類の香水や化粧の匂いが服にべったりと染み付いて、酒の匂いと混じってなかなかの悪臭に変化していた。
それでも。
「あ、おかえりなさい。うわ、ザップさんすげぇ臭いっすよ。とっととシャワーしてきてくださいよ」
あからさまに酒と女の匂いをさせて帰ったザップを迎えたレオナルドの顔には、やっぱり嫉妬の欠片も滲みはしない。
ザップは気の長い方ではない。
我慢するのは嫌いだし、基本的には頭よりも先に手と口が動く。
だから。
悪臭である、以上の意味で気にした様子のついぞないレオナルドの態度に、とうとう。
積もりに積もった澱に圧迫されていた堪忍袋の緒が、ぷちりと切れた。
むしろザップにしては、よくもった方だ。
無言でレオナルドの身体を抱き上げ、寝室に連れ込んでベッドに放り投げれば、何すんだよとレオナルドに抗議されたけれど、無視して太ももに頭を乗せ、その腹に顔を埋めれば、あっさりと口を噤む。
その妙な察しの良さが、今はザップの苛立ちを煽った。
「オメーよ、その、アレだ。嫉妬みてーなの、ねぇの?」
「え?」
「っだからなぁ、オラ、嫉妬だよ嫉妬! 『 きゃーザップさんひどーい、レオくん悲しい!』みたいなやつだよ」
「まさかそれ、俺の真似ですか? うわあ、全っ然似てねえわー」
「うっせえ。いいから答えろよ」
顔を見たらどうしたって口には出来ない事も、レオナルドの腹に顔を埋めてだと、多少は吐き出しやすい。
適度に柔らかくて暖かいから、頬が熱くなるのはレオナルドの体温のせいだと、声にはせずに呟いて、ザップはレオナルドの答えを待つ。
多少は悩むかと思ったけれど、さして考え込む様子もなく、あっさりとレオナルドはそれを口にした。
「ないっすね」
「……なんでだよ」
こいつ全然嫉妬とかしねーな、だとか。
あんま俺のこと好きじゃねーんじゃねえの、とか。
あれやこれや考えはしたけれど、どこかではもしかして、と期待していた分。
それをはっきりと言葉にして否定された衝撃は、ひどく大きかった。
レオナルドの答えを聞いた途端、ザップの中に積み重なった澱が急速におどろおどろしい形を持ってゆき、悪意にも似たそれが身体の真ん中から指先へと広がってゆく。
頬に触れた無防備で柔らかな肉を、いっそ食い破ってやろうかと獣じみた思考すら、当たり前の顔をしてザップの中に居座り始める。
辛うじて実行に移す前に思いとどまり、喉奥から絞り出した言葉は、時間稼ぎの形をした起爆装置だった。
レオナルドの答えによっては、ザップの中のものを一気に爆発させるもの。
そしてザップに見えていたレオナルドの答えは、それを止めるものにはなり得ない。
「だって」
けれど。
「ザップさんの愛人さんたちってつまり、アンタを抱きしめて包んで慈しんでくれた人たちでしょう。今よりちっさかったアンタに、柔らかくて暖かくて優しいもの、くれた人たち」
「正直、嫉妬とか考えるより先に、居てくれて本当に良かったなぁって思っちゃうんすよねぇ」
だって、の次に続くのは、俺たち付き合ってる訳じゃないし、の類がくるに違いないと半ば決めつけて、剥き出しかけたザップの牙を、予想外の方向から顔を出したレオナルドの言葉が、あっさりと引っ込めさせてしまう。
レオナルドの腹に顔を埋めているザップには、その表情を確認する術はない。けれどその声には、幾分かの照れと、妹のミシェーラを語る時のものと似た色が、溢れんばかりに滲んでいた。
塊となって今にもレオナルドに襲いかからんとしていた内側の澱が、その声色だけであっさりと解けてゆく。
そうしてレオナルドの発した言葉の意味を、ゆっくりとなぞってゆけば、行き場を無くして凝り固まった言葉の残骸が、さらさらと崩れていった。
触れた腹から微かに聞こえてくる心音は、いつものレオナルドのものと変わらない。身体に力も入ってなければ、体温も上がっていない。
嘘をついて取り繕ってる様子なんて微塵もなく、至極自然体だった。
自然体のままレオナルドは、良かった、なんて言う。
端的に要約してしまえば、ザップに愛人がいて良かった、なんて身も蓋もないものになるけれど、さすがにそこまで曲解するつもりはない。
「まあそりゃ、全くしないっつったら多分嘘になるんでしょうけど。凹んでる時に聞いたら、多少は落ち込んでムカつくかもしれんですね。勿論ムカつく対象は、愛人さんたちじゃなくアンタですよ、ザップさん」
「嫉妬っつーか、うっわ最低だなザップさんっていう、呆れ?」
ザップの方から仕掛けた事なのに、気負いなく柔らかな感情を注いでくるレオナルドの声に、だんだんと腹に触れた頬の熱が、上がってゆく。
ため息混じりで続いた言葉と共に、聞いてます? と、つままれた髪をぐいぐいと引っ張られたけれど、当分顔を見せる気はなかった。
「でもいろいろ考えてムカついて腹立てても、結局最後は、寂しがりのアンタが、一人で暗い夜を過ごさなくて良かったって、安心しちゃうんですよ、コレが」
しばらくザップの髪をくいくいと引っ張っていたレオナルドだったが、途中でようやく諦めたか、指でさらさらと髪を梳きながら、ふっと息を吐いて言葉を紡ぐ。
見えてはいないのに、ザップの目には苦笑いしているレオナルドの顔が、しっかりと浮かんでいた。
「俺よりちっちゃいアンタが、暗い部屋ん中で一人で膝抱えて寝て、寂しくて泣いてんの想像するくらいなら、愛人さんたちに囲まれて腰振って、その胸の中で眠ってんの想像した方がまだマシっすわ」
レオナルドは弱い。
ザップよりも、圧倒的に。
なのにたまにレオナルドは、ザップを庇護すべき弱いものとして扱う事がある。
弱いものとして侮られる事は、けして歓迎すべき事ではないし、レオナルドのくせにと一瞬、腹立たしさを覚える事も多々あるものの、そこに馬鹿にする色が微塵も滲んではいないことを察してしまえば、途端に馬鹿馬鹿しくなって気が抜けてしまう。
現に今だって。
何か言い返そうとしたのに、咄嗟に何も思いつかない。無理やりかき集めた言葉を形にしようとしても、誰が泣くかよバーカ、と呟いたつもりのザップの声は、うまく空気を振動させてはくれなかった。
「確かにザップさんのその辺の下半身事情は最低だと思いますし、うわまじモゲればいいのにって思ったことは一度や二度じゃねーですし、挙句の果てに刺されるとか勘弁してくれって思ってましたし、またんなトラブル起こされたら即家から蹴りだしますけど」
「それでもアンタには必要だったんでしょ、彼女達みたいな存在が。なら、嫉妬じゃなくて、どっちかってーと、感謝してますよ、俺としては」
「ザップさんのこと、抱きしめてくれてありがとうって」
そこまで一気に言い切ると、なんかすげー語っちゃって恥ずかしいっすね俺、と笑ったレオナルドが、ぽんぽんとザップの軽く頭を叩く。
「だから、嫉妬はしてません。納得しました?」
さすがにそろそろ腹が熱いんすけど、と可愛げのない言葉に催促されてようやく顔をレオナルドの方に向けると、すっかりと呆れきった、だけどその裏には照れが隠れているような、穏やかな顔をしていた。
手を伸ばして、するりと指でその頬を撫でたザップは、ふと思いついて口を開く。今度こそは失敗することなく、きちんと音になってレオナルドの元まで届いた。
「レオ、お前さ」
「なんすか」
「……俺のこと、実はめちゃくちゃ好きなんじゃね?」
「何言ってんすか、今更」
俺、普段から結構、言ってませんか、と笑ったレオナルドの反応こそ、そのままザップへの答えになっている。けれどはっきりと言葉で聞きたくて、頬に添えた指を擽るように動かしながら、言えよ、と強請った。
「愛しちゃってますよ、マイダーリン」
「……ま、陰毛頭にしちゃ、上出来だわ」
冗談めかしてからかうような口調で応えたレオナルドに、にやりと笑って触れた指で頬を抓れば、伸びてきた手に同じようにザップの頬も抓まれる。
そのまましばらくの間、無言で互いの頬を引っ張りあったあと、どちらからともなくぷっと吹き出して、げらげらとひとしきり笑い終われば、ザップの中に積もっていた屈託の残骸は、跡形もなく消え去っていた。
そうして。
「アンタも大概、俺のこと好きですよね」
つんつん、と楽しそうに額をつつかれて、投げかけられた言葉を。
肯定するのを躊躇う理由は、胸の中のどこにも、もう残っていなくて。
ザップは少しだけ狼狽えたあと、まあな、と一言。
小さな声で呟いて、そっぽを向いた。