犬も食わない
違和感を覚えたのは、かなり早い時点で。
ザップとレオナルド、ツェッドはチェインと組んで二手に分かれ、とある違法ドラッグの工場へ潜入し元凶と生産ラインを潰す任務をこなしている最中。
レオナルドとチェインが主に連絡を取りあい連携を図る中、やけにチェインが大人しいなと思ったのだ。
同じ組み合わせで何度か仕事をしたことがあるけれど、いつもならレオナルドとのやり取りの途中で、チェインの口から必ずザップへの罵り言葉が飛び出す。どうやら通信機の向こう側で、レオナルドとの会話に無理矢理ザップが割り込んでくるらしい。
なのに今回に限っては、そんな傾向が一切ない。
しかしツェッドは、その時は違和感は抱いたもののさほど気にはしていなかった。何の風の吹き回しかは分からないが、大人しくしていてくれるならそちらの方がいい。変に尋ねて墓穴を掘っても困るので、淡々と状況を報告するチェインに、珍しいですねなんて迂闊な言葉をかける事はしなかった。
いよいよおかしいと本格的に思ったのは、任務を滞りなく完了させ、後始末を終えて合流してから。
予め決めていたポイントで落ち合ったザップとレオナルドは、明らかにいつもと様子が違っていた。
いつもなら四六時中、煩いくらいにぎゃあぎゃあと何かしら言い合ってる二人が、やけに大人しい。何か問題でも発生したのかと思ったけれど、どうやらそうでもないらしい。少なくとも今回の任務について、何か支障があった訳ではなさそうで、レオナルド達が担当した生産ラインの殲滅と原料の焼却は、文句のつけようがないほど完璧に行われていた。
けれど、やっぱりおかしい。
普段は隙あらばレオナルドにちょっかいをかけて、おちょくって馬鹿みたいに笑っているザップが、少し離れた場所で大人しく葉巻を吸っている。たまに視線をちらりとレオナルドの方に向けるけれど、すぐに逸らしてぼうっと遠くを見つめている。大人しすぎて、気味が悪い。
レオナルドはレオナルドで、ザップの方を一切見ようとしない。チェインとは普通に喋っているけれど、不自然なほどザップの存在を無視しているように見えた。
どうしたんですか、あれ、と声には出さず視線でチェインに尋ねてみれば、さあ、とこちらも無言で肩を竦めて首を振られる。
事務所へと引き上げるのも、レオナルドとザップは別々に。
すっと姿を消したチェインを見届けてから振り返って、帰りましょうか、と声をかけてきたレオナルドの向こう側、さっさと停めてあったランブレッタに跨ったザップは、エンジンをかけて一人で走り去ってゆく。
一体何が起こっているのだろう。
殊更に明るく振る舞うレオナルドになんとなく聞けないまま、釈然としない気持ちを抱えたツェッドはそのまま、レオナルドと二人、電車に乗って事務所へと帰還した。
意外なことに、事務所には既に報告を終えたらしきザップが居た。
てっきりあのまま、事務所に顔を出さずツェッド達に丸投げして、どこぞの酒場か愛人の元へ向かったのだと思っていたのに、随分と前にやってきてそのまま、待機していたらしい。
待ち構えていたスティーブンに掻い摘んで要点を話すレオナルドの横顔と、ソファーに座って無言で葉巻を吸うザップを交互に見たツェッドは、室内に漂うなんとなくぴりぴりとした空気に、微妙な居心地の悪さを覚える。
いっそザップが面倒くさく絡んできてくれた方が、腹は立つがマシだった。けれどむっすりと黙り込んだザップは、ちらちらとレオナルドを気にする素振りを見せる癖に、その口を開こうとはしない。
なんなんですか、これ。
スティーブンにも、目線で問うてみたけれど、返ってきたのはチェインと似たりよったりの反応。
軽く目を見開いて肩を竦め、やれやれと言わんばかりに首を振ったスティーブンに、ツェッドはがくりと肩を落とした。
ふと時計をみれば、あと少しで昼の十二時。いつもならレオナルドと、不本意ではあるけらどなぜかザップまで誘って三人でランチに出かけるのが恒例になっているけれど、この分だとそれはないだろう。
そう判断したツェッドは、一旦自室に戻るべく事務所の奥に引っ込もうとしたのだが。
「ツェッドさん、ランチ行きませんか」
なぜだかよりにもよって、レオナルドがツェッドに声をかける。ザップは無視したまんま、ツェッドだけに。
ただでさえ良いとは言えなかった事務所の中の空気が、その一言でさらにぴりりと張り詰める。レオナルドがツェッドの名前を呼んだのと同時に、一瞬、殺気に似たものがザップの方から飛んできた。
レオナルドはそんな空気に気づいてるのか気づいていないのか、しれっとした顔でツェッドの返事を待っている。
断ろうかとも思ったものの、結局は頷いた。レオナルドを一人で行かせるのが危なっかしいとの思いがあったのと、これ以上拗れると更に面倒だと考えたから。
ツェッドとしては別にザップがどうなろうがどうでもいいし、大人しければそちらの方が煩わしくなくていいのだけれど、それでも。
事務所の奥に住んでいる都合上、ずっとあんな空気が続けば自分が居心地が悪いし、それに。
あの、レオナルドとザップの馬鹿馬鹿しいやり取りが聞こえないと、静かすぎて少しだけ気持ち悪いから。
別にあの人の事はどうでもいいんですけど、と内心では言い訳をしつつ、ツェッドはレオナルドから話を聞き出すべく、その背を押して事務所を出る。背後からちくちくと突き刺さる視線に、ああもう鬱陶しい、とため息をつきながら。
店はすぐに決まった。
何か食べたいものありますか、と尋ねるレオナルドに、ではダイアンズ・ダイナーで、と答えればそれであっさり決定。いつもならツェッドの希望には確実にザップが文句をつけてきて、店が決まるまでに一悶着あるのが常だったから、あまりにも簡単に決まったことにツェッドはある種の感慨深さを覚える。
レオナルドとザップは揃うと煩いけれど、レオナルドだけだとそれなりに常識的で、良心的で、さりげないこちらへの気遣いが心地よく、話していて楽しいし、不快感を抱く事がない。
もういっそ、ずっとこのままなら、これからも平穏で楽しいランチの時間が過ごせるのではないかと、割と本気で考えたツェッドだったけれど。
思考とは裏腹に、ダイアンズ・ダイナーの一角に腰を下ろして注文を終えたツェッドは、不本意だと言いつつも気づけば真っ先に、気になっていた事を切り出してしまっていた。
「喧嘩したんですか、あの人と」
「あー……」
取り繕う事なくど真ん中に放り投げたそれに、返ってきたレオナルドの反応はツェッドの予想したものと、些か違った。
てっきり、そうなんですよツェッドさん、ザップさんってば酷いんですよ、なんてむっと顔を顰めて、ザップへの不満が飛び出てくるものだと思っていた。
ツェッドはこの諍いの原因が、ザップにあると端から決めつけている。
だって普段から、ザップの行いは目に余るものが多く、というかそういう類のものしかなく、そのとばっちりを一番に受けているのはレオナルドだ。さすがに我慢の限界がきて堪忍袋の緒が切れても仕方ない。仮にレオナルドの位置にツェッドがいたなら、一日と経たず喧嘩別れするだろう。自ら好んで共に行動をしたいなんて、間違っても思わない。
だからツェッドは、レオナルドの話に存分に付き合って、鬱憤晴らしに協力しようと思っていた。
なのに、レオナルドは腹を立ててザップの所業を批難する代わりに、どことなく気まずそうに俯いて、なんかすみません、と弱々しく呟く。
「いえレオ君が謝る事では。どうせあの人が何かしたんでしょう」
「や、まあ、僕も悪いんで」
想定外の反応に少し慌てたツェッドが、ザップのせいだと決めつけて話せば、なぜかザップを庇うような事を言い出したレオナルドに、ツェッドは首を捻る。
「でもあの人って多少レオ君が何かした所で、お構い無しに暴言吐いたり暴力奮ったりしてるじゃないですか。あんな風に大人しくしてるって事は、いくら全く人間的には尊敬できない人でも、爪の先程の良心が痛むような事をしたのかと思ったんですが」
「はは、ツェッドさん相変わらずザップさんに厳しいっすね。んーまあ、あれでも意外と、繊細なとこもある人ですし」
「あれで?」
「あれで、です」
ザップのせいだと決めつけたのは、ほぼ普段の行いの結果ではあったけれど、一応根拠はあった。たとえレオナルドがザップに心底腹を立てて無視を決め込んでも、ザップが受け入れなければその状態を維持する事は不可能だ。血糸を使って縛り上げるなんてしょっちゅうで、そんな強硬手段に出られればレオナルドだって、口をきかないでいるのも難しい。
だからあんな風に不機嫌を撒き散らしながらも、現状に甘んじているのは、多少なりとも罪悪感を抱いているから、と判断したのだが。
やんわりと否定したのみならず、あろうことか繊細だなんて言い出したレオナルドに、なんだか自分はひどく見当違いな事をしてるのでは、とツェッドは微妙な居心地の悪さを覚える。
「なんか、謝るタイミング逃しちゃって、ズルズルこんな感じで。一応仕事には支障出ないよう気ぃつけたんすけど。ザップさんも、そこはちゃんとしてるし」
全て吐き出してしまいたい気分になったのか、運ばれてきた大ハンバーガーを齧りつつ、ぽそぽそとレオナルドは話し出す。
そりゃあ暴力的なとこもありますけど、一応加減はしてくれてるから、大した怪我はしないし。その辺の調整は上手いんです、ザップさん。
暴言っつっても語彙力ないし、すぐにちっちゃい子が負け惜しみ言ってるみたいになって、んで手が出ちゃうんすよ。あれ、僕がちょっと言い過ぎちゃうこともあるから、凹まれるよりはそっちのがいいし。
なんかそういう反応されるのが当たり前だから、反撃すんのも嫌なほど怒らせちゃったかなって思ったら、どう声かけていいかわかんなくなっちゃって。
俺も最初は怒ってたけど、途中からもうそれは全然、どうでもよくなったんすけど、謝るタイミング、すっかり見失っちゃったんです。
本気で嫌がられて二度と話しかけんなとか思われてたら、俺。
だってザップさん、いつもは。
――以下、割愛。
途中までは親身になって聞いていたツェッドだったけれど、ある程度聞いた後は、その大半をうっかり聞き流してしまった。けしてわざとではない。耳が勝手に、言葉を拾うことを拒否したのだ。
だって大ハンバーガーを平らげて大コークを飲み干す間にレオナルドが語ったのは、愚痴と反省の形をとったザップへの賞賛といかに仲直りしたいか、なんてもの。兄弟子にあたる男の話を聞いている筈なのに、なぜだか惚気を聞かされているような錯覚に陥ったツェッドは、無意識のうちにそれに真面目に耳を傾けるのを拒否していた。
ザップが二度と話したくないくらいレオナルドを嫌ってるなんて、有り得ない。明らかにレオナルドを気にしていたし、一人だけランチに誘われたツェッドに殺気まで飛ばしていた。嫌ってるどころか、どう考えても構われたくて仕方ないようにしか見えない。
つまりおそらくは、あっちもレオナルドと同じ状況なのだろうと、ツェッドは判断する。
話しかけるタイミングを見失って、いつも通りのじゃれ方をして嫌がられたらどうしよう、なんて、とてもあの男らしくない、レオナルド曰く繊細な心境により、不機嫌を振りまきつつも大人しくしている。
そこまで理解したツェッドは、一気に全てが馬鹿馬鹿しくなってしまった。
いがみ合ってこうなってるのではない。相手の胸のうちが気になって、仲直りがしたくて、こうなっているのだ。
しかもザップは非常に短気であるし、レオナルドも多少悩んでも腹を決めればあっさり前に進む気質だ。
そんな二人である。おそらくはツェッドが介入するまでもなく、放っておきゃそのうち元に戻った筈。
自分のしたことはただ、惚気話を聞かされただけなんじゃないかと、どこか遠い目をしたツェッドは、レオナルドが食事を終えたのを確認するとすぐさま、支払いに移ろうとした。このまま留まればまた、第二弾を聞かされる。それだけは回避すべく、昼時で客も多いのでとやんわり促せば、素直に従ったレオナルドがへらりと笑った。
「なんか、ツェッドさんに話したらちょっとスッキリしました。この勢いで、謝ります……って俺、この後バイトなんだった……あ、そうだツェッドさん、お願いが!」
正直これ以上関わるのは勘弁してほしかったけれど、心底感謝している様子のレオナルドを無碍にするほど、ツェッドは冷たくはなれなかった。
先にビビアンに声をかけたレオナルドは支払いついでに大コークと大ハンバーガーを持ち帰りで頼み、少しも経たずに出てきたそれの入った袋を、ツェッドに押し付けてパンと手を合わせて頭を下げる。
「それ、ザップさんに渡してください。事務所にいなかったら、机に置いといてくれたらいいんで。ちょっと待ってくださいね……ザップさんへ、と。よし、これで!」
「……何か伝言あれば、しときましょうか?」
「大丈夫っす! さすがにそれは、直接言います」
何か吹っ切れたような顔つきになったレオナルドが、受けとった袋にペンでザップの名前を書くと、はい、とそれをツェッドに託した。ここまで来たらとついでに伝書鳩も請け負おうとしたら、そちらは断られる。
そのまま時間を確認して、慌てて店を飛び出て行ったレオナルドを見送り、ツェッドも自分の分の支払いを済ませようとすれば、それはレオナルドに貰ったよとビビアンに笑われた。
しょっちゅう金がないと頭を抱えているレオナルドの懐事情はツェッドもよく知っているので、全く彼という人はとため息が出そうになったけれど、そこまでされてはいよいよ、確実にこれを届けねばならない。
顔を合わせたザップに絡まれるのは面倒だけれど、まあ多少の事は仕方ないと予め心構えを作ったツェッドは、早足で事務所へと戻った。
ザップは、ツェッドたちが出て行った時の位置にそのまま、ほぼ同じ格好で居た。
戻ってきたツェッドの後ろに視線をやり、そこに誰もいないと知るとチッと舌打ちをして、イライラと葉巻に火をつける。
そんなザップに近づけば、ああん? と無駄に凄まれ、魚くせぇと連呼しだす。
子供か、と内心で吐き捨てながら、無言で託された荷物を目の前に突き出した。
「んだよ、コレ。磯くせーもん見せんなよ」
「……レオ君が、貴方にと」
ツェッドが差し出しただけでは胡散臭げに視線を寄越しただけで、けして受け取ろうとしなかったのに、レオナルドの名前を出せば反応は劇的だった。
ばっとツェッドの手からそれを奪い、側面にレオナルドの字を見つけたザップは、見ているツェッドの方が恥ずかしくなるくらい、嬉しそうににやにやと笑う。
「あーっと。スターフェイズさん、俺、今日はもう上がっていいっすか?」
「いいよ。そこにいても鬱陶しいだけだからな。報告書、忘れるなよ」
「へいへい」
袋の中に入ってた大ハンバーガーをあっという間に平らげ、大コークを一気に流し込むと、くしゃくしゃと丸めた袋を尻ポケットに押し込んだザップは、スティーブンに伺いを立てつつ既に足は事務所の入口へと向かっていた。
向かってた書類から少し顔を上げたスティーブンは、しっしと犬でも追い払うように手を振って、ちらりとツェッドを見ると、先程やったのと同じように、軽く目を見開いて肩を竦め、やれやれと首を振る。
チェインとスティーブンのその、似たような反応をさっきまでは、さあ、分からないの意味で捉えて解釈していたけれど。
レオナルドとのランチを終え、待ちきれないといった様子で事務所を飛び出していったザップの背を見送ったツェッドは、ようやくそれの意味する本当のところを悟ったのだった。
(痴話喧嘩は犬も食わない!)
それ以来。
似たような断絶状態が度々、レオナルドとザップの間に発生しても、けしてツェッドは介入しない。
またやってるのかあの人たち、と思いはしても口に出さず、巻き込まれないようにこっそりと距離をとる。
その時に偶然、ちょくちょくスティーブンの補佐につく馴染みのライブラの構成員が居合わせて、言葉を交わさない二人の姿に戸惑い助けを求めるように視線を向けてくれば、ツェッドは大袈裟に肩を竦め、やれやれと首を振る。最初はどこかぎこちなかったその動作も、今やチェインやスティーブンのものと遜色ないほどにツェッドの身体に馴染んでいた。
そうして、しばらくの後。
事務所に設置されたローテーブルの隅に、ザップの名前が入ったダイアンズ・ダイナーのロゴの入った袋が置かれているのを見ると。
懲りない人たちだと思いつつ、ツェッドは。
ほんの少しだけ、ほっとしてしまうのだった。