指先から告げる


モヤモヤっつーか、イライラっつーか、ムラムラ?
なんかよくわかんねーんだけどさ。
オメーみてるとこの辺になんか詰まった感じするんだわ。

なんて。
突然、家に押しかけてきた職場の同性の先輩にそんな事を言われたら。
しかも半ば強引に部屋の中に入ると同時に、しゅるりと伸びてきた血紐にぐるぐると巻き付かれて逃げ出せないように拘束されてベッドの上に放り投げられる、なんていう有り難くもないオプションつき。
レオナルドはけして、そこまで自意識過剰な方ではない、と自分では思っている。
その辺の可愛い女の子と目が合っただけで好かれてるなんて勘違いはしないし、たまに綺麗なお姉さんにひらひらと手を振られればドキリとはするけれど、ああザップさん関係の人かなと考える。
けれど拘束されて体の自由を奪われた上に、トントンと胸の辺りを指で叩きながら、ムラムラなんて言われたら、さすがに。
それがいくら根っからの女好きのザップとはいえ、いやむしろ、考える前に穴に突っ込んでそうなザップだからこそ。

(ちょっとまってこれ俺のケツの穴やばくね?!)

なんて。
己の尻が狙われているのだと勘違いして、ざっと青ざめてしまったのも致し方ないことだと思う。

「考えても分かんねえし。じゃあもう、やってみるしかねえじゃん?」

ザップの言葉選びだって悪い。
そんな事を言いながら伸びてきた手が、ぺたぺたと体のあちこちを触りまくった挙句に、しつこく胸の辺りを弄り始めたら、いよいよマズイと危機感を募らせるのが当然だ。普通に怖いし、必死でもがいて抵抗だってする。

ところが、だ。
義眼を使うべきかどうか、なんて追い詰められた思考の中、最終手段を視野に入れて葛藤していれば。
舌打ちと共に執拗に胸を弄っていた手が離れていって、やっぱちげーわ、と呟きながら首を捻るザップが見えたから、レオナルドはほっとして力を抜く。
知らないうちによほど緊張していたのか、気が抜けたら抜けたで反動でなんだか落ち着かなくなって、誤魔化すように口を開いた。とりあえず何でもいいから喋って、変に気まずく感じられる空気を払拭してしまいたかった。

「ザップさん」
「んだよ」
「俺、もしかして、ヤられちゃうんじゃないかなーなんて思っちゃったんすけど。ま、まさかないっすよね、あははは……」
「んー、ぶっちゃけ、そのつもりだったんだけどな」

冗談にして笑い飛ばすつもりが、藪をついたらしい事に気づき再度、レオナルドはぴきりと固まる。
恐る恐る、なるべく刺激しないようにこっそりザップを窺えば、まだ納得がいかないように首を捻るばかり。
何か言ってやりたかったけれど、また何か変なものを踏んでしまうと困るので、ぐっと黙り込む。未だ体を拘束する血紐をどうにかしないうちは、下手に動くのは躊躇われた。

なんかちげーんだよな、とぶつぶつ独り言を言いながら、釈然としない様子でしばらく何事か考えていた様子のザップは、固まったままのレオナルドをじろじろと見ると、はーっとため息をついてしゅるりと拘束を解いた。

「逃げんなよ。逃げたらヤるわ。逃げなかったらヤんねーからよ」

ちらりと玄関に意識をやったレオナルドに目敏く気づいたのか、動き出す前にけん制されてぐっと言葉に詰まる。
屈したとは思われたくなくて、目は開けないままぐっとザップを睨み付ければ、恐ろしいくらいに静かにこちらを見据えるザップの姿があって。
しばらくの後、とうとうレオナルドは降伏した。

「あーもう、訳わかんねえっすけど。いいですよ付き合ってやりますよ、はいドーゾ!」

捨て鉢に吐き捨てながら、両手を差し出したのは捨て身の嫌がらせのようなものだ。別に抱きしめろと催促した訳じゃない。
なのにザップは照れもせずその腕を引き寄せ横たわったレオナルドを起き上がらせるとそのまま、無駄に長い手の中に体ごと抱え込む。
慌ててじたじたと身を捩れば、腕の力が強くなっただけでなく、腰に足が巻き付いてきた。

「だから、大人しくしとけって。犯すぞコラ」
「……分かりましたよ」

耳元で低い声で囁かれ、ようやくレオナルドは完全に抵抗をやめた。
すっと体の力を抜いて、ザップの方に体重を預ける。頭の中は努めて空っぽにして、何も考えないように。
どくりどくり、いつもより早い自分の心臓の音にぎくりとしたけれど、幸いにしてそれをからかわれる事はなかった。

そのまましばらく、ぎゅっと抱きしめたあと。
後ろに回った手が、ぽんぽんと何度か柔らかく背中を叩いたあと、そろそろと上下に撫でるように動き出す。
すぐさま先ほどの、散々あちこち撫でくり回された事を思い出してぴくんと体が強張ったけれど、宥めるようにゆるやかに動く手に次第にその緊張もほぐれていった。
鼓動もいつも通りに戻ったころ、手の位置が徐々に上がってゆく。肩甲骨をするりと撫でて、首筋を触って、後頭部。
触れる指先は少しくすぐったいけれど、不思議と不快感はない。
ようやく頭頂部にたどり着いた手のひらはそのまま、クセのある髪を撫でつけるように、緩やかに動く。
たまに指に髪を引っ掛けて、だけど引っ張るような動きはしない。自然とほどけてゆけば追うこともなくそのまま、また何度か頭を撫でて、戯れのように髪に指を絡めて。
その動作の合間に、つむじめがけて唇が降ってきた時には少し驚いたけれど、色を感じさせないそれはすぐに、動作の一部にごくごく自然に紛れてゆく。
頭を撫でるのと反対側の手は、そのままゆるゆると背中を撫でたあと、反対に下へ下へと動いていって、腰をつっと撫でたあと、おもむろにレオナルドの手を握った。
手の甲から包み込むように、指は絡めないで、まるで壊れ物を包むかのように柔らかく重ねるだけ。
たまに親指を動かしてちょいちょいと何度か撫でて、少し力を込めてやわやわと握って、そしてまた力を抜く。
時折指先で爪の形をなぞって、とんとんと叩いて押す。親指から順番に、小指まで。小指にたどり着いたら、また順番に親指まで。
飽きもせず延々と、同じ動作を繰り返し続ける。

頭も手も、なんだかたまらなく心地よくて、触れる手が気持ちいい。
やたらと落ち着いてしまって、うとうとと眠気すら覚え始めて思考がぼやけ始めた頃。

「なあ、分かったか?」
「へ?」

唐突にザップから問われて、はっとレオナルドの意識が覚醒する。
ザップの顔を見れば、なんとなく困ったような表情で、レオナルドの答えを待っているような気がした。
しかし期待されても、質問の意味がそもそも分からない。

「分かったって、何が」
「このモヤモヤの正体だよ」
「いや俺に聞かれても……アンタの気持ちでしょ」
「だーかーらー、それが分かんねーから聞いてんだろ」

そして質問の意味を聞いても、やっぱりよく分からなかった。
さっきまでの心地よさもどこへやら、少し胡乱な目でザップを見れば、もどかしそうにがしがしと自分の頭を掻いたあと、だから、と説明を続ける。

「オメー見るとモヤモヤってすんじゃん。んで、最初はヤりてーってのと似てる気がしてそうしようとしたら、微妙に違ったからよ。こう、なんつーの、本能の命じるまま? 体が動くのに任せたんだよ。したらこうなったから、どういうことか説明しろ」
「んな無茶苦茶な……」
「しゃーねえだろ、分かんねーんだから」

どうやら発端となったモヤモヤに名前をつける作業を、レオナルドに丸投げしたらしい。
困惑は当然したものの、考えるより先に動く人だしな、とある意味納得して、改めてザップの行動を振り返ってみる。

(抱きしめて、撫でて、キスされて……って、あれ、これ)

受け取っている間は、心地よさにうっとりとしていたけれど、思い返してみるとなかなか恥ずかしい。
ようやく何をしていたか、されていたか、客観的な視点で自覚して、一気に体温を上げたレオナルドは、それでも腕の中から逃げ出す事はしないまま。
どこか期待を宿した目でこちらを見つめるザップへと、慎重に言葉を選んで返してゆく。

「ええと、これ、したのがザップさんでされたのが俺って事は、一旦忘れましょう。それは別に置いといて、ごくごく一般的な場合って事で考えた場合ですよ」
「そういうのいーから。さっさと教えろって」
「……ああいうのは、なんつーか。甘やかしたいとか、優しくしたいとか、たぶん、そういう感じの」

もごもごと多少口ごもりながら答えれば、ザップの顔が狐につままれたような、きょとんとしたものに変化する。
それがいたたまれなくなって、慌てて言い訳のように言葉を継ぎ足した。

「別にアンタがそうって訳じゃなくて、一般的にですから! ……こう、されてる側としてはすごく、落ち着いて、気持ちよくて、ほっとするっつーか。なんか、優しくされたなって思っちゃう感じっすね」

出来れば否定してほしかった。
そんな馬鹿な事あるかと放り投げて、やっぱわかんねーわでうやむやにしてくれればよかった。
そうすればレオナルドだって、ですよねそんな訳ないですよねと笑って、全て流して忘れてしまえたのに。

「ふーん」

どうでも良さそうな相槌とは裏腹に、ぱっと。
子供みたいに無邪気な顔で笑ったザップが、ぎゅっとレオナルドを抱き込んで頭も背中も手も、ぐしゃぐしゃとひとしきり撫でたあと、そっかとどこか嬉しそうな声で呟いて。
これ、優しくしてえって事なのか、とまるで、初めて知った言葉を身体に馴染ませるように何度も、何度も。愛おしむかのように、口になんてするものだから。
勘違いですよ、とは言えないまま、されるがままにじっとそれを、受け入れてしまう。

「なんかすげー気分いいわ。オラ、もっと優しくしてやんよ」
「アンタが言うと違う意味に聞こえるんすけど」

レオナルドを撫でくり回して、上機嫌で笑うザップにため息で憎まれ口で返したけれど、その内心はけして穏やかではない。

優しくされてるみたい、と思ったのは本当。
甘やかされてるみたい、と思ったのも本当。
だけど一番最初に思いついたのは。

(好きだって、言われてるみたい)

なんて、そんな。
ただでさえ告げるのが気恥ずかしかったものより、数段恥ずかしいものだったから。
しかもそれを思いついた途端、心臓がきゅっと痛くなって、そこにあった何かが熱を持ってしまったから。
まるで最初から存在してたかのように、違和感なく染み付いてしまったから。
一度気づいてしまえば最早、無視するのが難しいどの存在感を持ってあったから。

(あーもう! 柄じゃねえだろ俺も! ザップさんも! 何だよこれ!)

いたたまれなくて恥ずかしくて、逃げ出したくなったけれど、触れてくる手にもう少しだけ甘えていたい。
そんな己の心情に、葛藤した後。
突然手を止めてはっとした様子のザップが。

「いやちげぇわコレ。ヤリてーのも混じってたわ」

なんて真面目な顔で言い出したから、少しだけほっとして笑ってしまう。
そうして、あっさりと前言を撤回し「なあいいだろ一発だけ! ちょーっとの間ケツ貸してくれるだけでいいから、な、な!」と口説き文句にしては下の下な言葉を、恥ずかしげもなく口にするザップに、「やですよ! ヤらないっつったじゃん!」とそれなりに抵抗はしたものの、結局は。

頭突きをかますこともせず、義眼の力を使うこともなく、強引にねじ込まれた舌を思い切り噛む事もせず、受け入れてしまって。
明確な意思を持って触れてくる手に恐怖を感じる代わりに、どきどきと胸が高なってゆくことを自覚して、とうとう。

レオナルドは、降伏して、認めることにした。
勝手に受信した愛の告白に、容易く陥落してしまったことを。
たったそれだけで簡単に落ちてしまうくらいには、元々胸の中にザップへの好意が根付いていたらしいことを。

それでも簡単に掘られていいやとあっさり割り切れもしなかったので、最後に悪あがきを一つ。
レオナルドの首筋に吸い付くザップの後頭部に、そっと触れてみる。
優しくしたい、甘やかしたい、大事にしたい、そして。どうやら俺も結構ザップさんの事好きだったみたいです、との気持ちを乗せて。緩やかに数度、撫でてみる。

反応は劇的に。
触れた瞬間びくりと身体を震わせたザップが、一撫でするだけで大人しくなって、二撫ですれば痛いくらいにきつく吸い付いていたその唇が労るように優しく首筋をなぞり、もう一度撫でれば。
レオナルドの背に回った手が、柔らかく上下して、優しくしたい、甘やかしたいって伝えてきて、まるで好きだって言われてる気になってしまったから。

なら仕方ない、とあっさりとした敗北宣言と共に、レオナルドは小さく笑って身体の力を抜いて。
めいっぱいの虚勢を張り、お手柔らかに、と掠れた声で呟いた。