Long,long ago in a certain place


むかしむかし、あるところに。

お決まりの言葉から始まる話を語るレオナルドの声色は、普段よりも幾分落ち着いていて柔らかく、ゆったりとしている。
足を投げ出してベッドの上に座り、膝の上に乗せたソニックに聞かせるように、小さな声で囁くそれが微かに鼓膜を震わせれば、目の前に一枚、薄い眠りの膜が下ろされる。
外の世界が一歩遠のいて隔てられ、内側がじわりと暖められたような感覚を抱く。

登場人物はお姫様だったり小さな女の子だったり弱っちい男だったり、様々に形を変えるけれど、話の展開はおおよそ同じ。
主人公に多種多様のイベントが発生して、試練を乗り越えて、最後はめでたしめでたしで終わるハッピーエンド。
以前はたまに、誰も幸せにならない後味の悪いブラックな話も混じっていたけれど、毎回ソニックがキイキイと抗議するような声をあげるから、困ったように笑ったレオナルドが、実はこのお話には続きがあってね、と予定調和のご都合主義なエンディングを、無理矢理にくっつけるようになった。
だから今では、どんな話でもハッピーエンドに辿り着く事が決まりきっている。くだらなくてつまらない、全く心が踊らない話ばかりだ。

けれどどうしてだか、ここ最近は毎晩のように、そんなつまらない話に耳を傾けながら眠りにつくのが、ザップの習慣となっていた。
ソニックに話を聞かせてやるレオナルドに、その姫さんっておっぱいでけーの、処女っぽいよな、なんて適当な茶々を入れているうち、もうちょっと黙っててよとでも言いたげなソニックに飛びつかれて口を塞がれ、はいはいザップさんはこれでも食って大人しくしててくださいよ、と安いジャーキーやらクラッカーを投げて寄越すレオナルドを見ながら、じわじわと身を浸してゆく眠気に次第に口を開くのも億劫になってゆき、気づいた時には夢の世界。手には飲みかけのビールの缶を握ったままの、見事な寝落ちだ。

思うに、話がつまらないのが悪い。
加えて、レオナルドがやたらとまどろっこしい、いかにも眠気を誘うようなのたついた喋り方をするのも。
現にソニックだって、一つの話を最後まで聞き終えたとして、二つ目に入れば少しも経たないうちに、腹を出してすうすうと寝始める。いくらレオナルドの膝の上だとはいえ、臆病な音速猿がそこまで気を抜いて寝こけてしまうくらい、作り話を語るレオナルドの声には眠気を誘発する効果がある。
だからザップだって、知らず知らず眠りの世界に誘われていまうのも、仕方のないことだ。

それを聞けば眠くなってしまうのが分かってから、ザップはビールを飲んで暇つぶしに耳を傾ける代わりに、予めベッドの上に寝転がるようになった。
一人用のシングルベッドは、マットも固くて寝心地は悪いけれど、床に座ったまま寝こけるよりはまだマシだ。ついでに枕代わりに、レオナルドの太ももの片方に頭を乗っける。
金に困ってひいひい言っているくせに食生活が偏っているのが悪いのか、それともジャンクフードばかり食べているせいか、筋肉の代わりに贅肉がそれなりについている太ももは、案外柔らかくて枕としては悪くない。
もう片方の膝にはソニックが陣取っているから、片方だけで我慢してやっている。
最初は嫌そうな顔をしていたレオナルドも、三回目からはあっさりとザップの行動を受け入れた。五回目辺りからはソニックがレオナルドの膝に飛び乗って視線で話をねだれば、ちらりとザップの方を見て、こっち来ないんですか、とでも言いたそうな素振りを見せるようにもなった。
そういう部分は順応性が高すぎてチョロいと常々思っているけれど、変に騒がれても面倒なので指摘はしていない。
男の太ももを枕にして眠るなんて、改めて言葉にしてみればとんでもなく、勘弁しろよと言いたくなるところだけれど、男の部分をレオナルドに変えて、枕のためだと思えば、さほど嫌な感じもしなかった。
ゆるりゆるりとつまらない作り話を語りながら、指先でソニックの頭をちょいちょいと撫でて腹をくすぐり、その手の動きにつられるのか反対側の手で、ザップの頭まで同じように撫でる。
これも最初はしまったと言わんばかりに、気づけばすぐに手を引っ込めていたのに、今では何の躊躇いもなくザップの髪を指で梳いて、柔らかく手のひらを這わす。
それが眠りの邪魔になっていれば文句のつけようもあるのに、頭を撫でられるとより一層寄せる睡魔の色が強くなり、気づけば寝入ってしまう。朝までぐっすりと、眠ってしまう。

言うなれば、安眠。
どうしてだか、レオナルドのつまらない話を聞きながら眠ると必ず、安らかな眠りが得られるのだ。
嫌な夢も見ないし、途中で目が覚める事もない。

そして、何より。
その声をバックミュージックにしてみる夢は、いつだって忌々しいほどに穏やかだ。


夢の始まりは大抵、真っ暗闇の中に一人きり。
それも全身のどこかしこも小さくなった、幼い頃のザップが一人、何も見えない闇の中に立っている。
自分の置かれた状況を理解するとすぐさま周りを警戒して、いつ何が襲ってきてもいいように、爪で指に傷をつけて血を垂らす準備をする。
それは実際に昔のザップが経験した事をなぞっているようで、今更身構えて怯えるほどのものでもない、当たり前に傍にあったもの。警戒はあっても、恐怖はとうの昔に溶けて消えている。どこから何が襲い掛かってきても、瞬時に対処できるだけの自信だってあった。いっそリラックスしていると言っていい程の気楽さで、見えない敵を殺す準備をする。

ところが、いつまで経ってもザップの命を狙う敵は襲ってこない。
代わりに現れるのは、そんな当たり前だったものじゃなくて、小さなザップにとっては当たり前ではなかったもの。けれどザップがよく知っているもの。
ザップさん、と遠くで名前を呼ぶ、ひどく聞きなれた声がすると同時に、真っ暗闇がぱあっと明るくなっていって、その光の真ん中にレオナルドが現れる。ザップとは違って現実のまんまの姿をしたレオナルドは、縮んだザップよりも幾分目線の位置が高い。
夢の中のレオナルドは小さなザップを見つけると、へにゃりと気の抜けた顔で笑って、ここに居たんですかと両手を伸ばして近づいてくる。そして血で形作った太刀に怯む様子もなく、躊躇うことなくあっさりとザップを抱き上げて、行きましょうかとすたすたと歩き出す。
本来ならそこで、警戒を怠るべきではないのに、夢の中のザップはレオナルドの姿を見つけた途端、身体の力を抜いてしまう。
だって、弱っちいレオナルドが、傷一つ負うことなくへらへらと笑っていられる場所なのだ。ならば危ない訳がないと勝手に判断して、すっかりと警戒を解いてしまうのだ。

レオナルドに抱き上げられて連れてゆかれるのは大抵、陽の匂いのする草原か、湖のほとり。
そこで地べたに足を投げ出して座ったレオナルドの片方の足には、いつの間にか現れた小さいミシェーラが座っていて、その頭にはソニックが陣取っている。ザップが座るのは、レオナルドの空いた方の足の上。現実のザップがいつも、枕代わりにする方。
小さいミシェーラとザップを足に、ソニックを頭に乗せたレオナルドが始めるのは、眠る前に聞いたのと同じ、ハッピーエンドで終わる物語。
片手でよしよしとミシェーラの頭を撫でながら、もう片方の手でソニックをちょいちょいとくすぐる。
そうしてたまに、ザップの頭を撫でて、ザップさんは何の話が聞きたいですか、なんて聞いてくる。昨日はミシェーラのリクエストだったから、今日はザップさんの好きな話をしましょう、なんて言ってくる。まるでそれが、ザップに与えられた当然の権利だと言わんばかりの顔をして。ミシェーラに向けるのと同じ柔らかな声色で話しかけて。ソニックに触れるのと同じ優し気な手つきで、ザップの頬をするりと撫でて。
ザップさん、どうしますか、と。
そこだけはミシェーラやソニックに向けるのとは違う、少しだけ丁寧な言い回しで問うてくる。
別にオメーのつまんねぇ話なんてどうでもいいし、と言ったつもりの小さなザップの口から飛び出すのは、いつも思ったものと違っていた。
かっけーやつ、だとか、全員ぶっとばすやつ、だとか、ちゃっかりと要望を声に出して告げて、分かりましたと笑ったレオナルドが、むかしむかしあるところに、と始めれば、夢の中のザップは機嫌よく笑ったりなんてしてしまう。

気が抜けるほどに平和な夢は、基本的にはレオナルドと小さなミシェーラ、ソニックと小さなザップで構成されているけれど、たまにイレギュラーも出現する。
それは大抵は小さなツェッドだったり、小さな異界存在のレオナルドの友人たちだったりするけれど、たまに小さなチェインや小さなクラウスも顔を出す。挙句の果てに小さなスティーブンまで出てきた時には、さすがに夢の中のザップもひくひくと頬を引き攣らせた。
彼らは揃いも揃って、必ずザップの座っている方のレオナルドの足を狙ってくる。ミシェーラが座っている方には、見向きもしないくせに。
物欲しそうな顔をしたり、何か言いたげにじっと見つめてきたり、羨むようだったり、はっきりと代わってと告げて来たり。様々な手段でそこに陣取るザップに取って代わろうとする。
そういう時の夢の中のレオナルドは、ちっとも役に立たない。困ったなあ、なんて口では言いながら、にこにこと笑ってザップたちのやり取りを眺めているだけ。けっしてそこはザップさんの席ですから、なんて言いはしない。
だからザップは自分で、その場所を死守するしかない。
ぎゅっと足にしがみついて、何を言われてもそっぽを向いて無視をする。徹底的に聞こえないふりをする。
血法を使えば早いだろうが、と、どこかで思っているはずなのに、不思議とそれが形になる事はない。きっと強引に引きはがされそうになれば、それを使う事も止む無しと判断するのだろうけれど、夢の中の彼らはそこまで執拗に迫ってくる事はない。
残念そうな顔で引き下がって、じゃあここでいいや、と。背中だったり、腕だったり、つま先だったり。レオナルドの身体にちょこんと触れて、ねえお話しの続きをしてとレオナルドにねだる。
夢の中で一番図々しいのは案外、ツェッドだ。だからザップの座る場所は譲らないけれど、膝から先の伸ばした部分に、腰をかけることだけは渋々許してやっている。

そうして夢の中でもレオナルドのつまらない話にうとうとと眠気を誘われて、次第に辺りが暗くなってゆけば、夢の終わりも近い。
完全に辺りが真っ暗闇に包まれる直前、ひゅっと何かに襟首を捕まれて持ち上げられるような感覚を覚えれば、直後に現実のザップが目を覚ます。
覚醒したザップの置かれた状況は、眠る前と違っている。
枕は太ももから丸めたタオルケットに取り換えられていて、ザップより上にあった筈のレオナルドの顔は、胸の辺りに収まっているか、もしくは反対側の壁にこつりと額を当てているか。
レオナルドの上で腹を出して寝ていたソニックは、少し離れた場所に用意された寝床に移されていて、たまにキキッと寝言らしきものを口にする。
一枚きりの薄い毛布は、大抵どちらかの身体の上に移動しているから、二人の上を覆うようにかけ直してやって。ついでにレオナルドの頭が壁にくっついていれば、そちらもベッドの中まで戻してやる。放っておくとたまに、そのままごつごつ壁に頭をぶつけ始める事があるから、仕方がない。
ソニックもレオナルドよろしく、寝床からはみ出している事もあるので、そちらも血紐を伸ばして押し戻してやる。
それなりに気を遣って扱っているとはいえ、どちらもちっとも起きる気配がない。まるで夢の続きみたいに、どちらも気を抜ききっている。ヘルサレムズ・ロットの一角、それも治安の良くない安アパートの中とは思えないほどに、部屋は緩みきった空気に支配されている。

一通りの仕事を終えたザップは、一人だけ起きているのも癪に障ると、もう一度目を瞑るのがいつものこと。
つまらないおとぎ話は聞こえないけれど、大きなのと小さなの、一人と一匹の呑気な寝息が聞こえてくれば、うつらうつら眠気が忍びよってくる。完全に寝入るほどではないけれど、丁度よい塩梅の微睡みに身を浸す時間は、割と心地よくて気に入っていた。
しばらくしてから、次に目を覚ますのは、ソニック。ごそごそと動き出す気配がしたと思うと、ぴょんとレオナルドの上に移動して、ぺちぺちと頬を叩いて目覚めを促す。
しばらくうんうん唸ってからようやく起き出すレオナルドは、ザップよりよっぽど寝汚いくせに、ふわあと欠伸をしながらザップさん、ザップさんと何度か声をかけて身体をゆすったあと、呆れたようなため息を漏らして、よいしょとザップを跨いでベッドから降りてゆく。全くほんとに、ザップさんはしょうがないよなー、なんてソニックに話しかけながら。
バーカ、俺の方がよっぽど早起きだっての、と微睡みの中で思いながらも、反応はしない。しばらくしてキッチンから聞こえてくる、フライパンで何かを焼く音がして、出来上がった気配がすればようやく、ベッドから身体を起こす。あまりに早く起きすぎれば、手伝ってくださいよ、なんてレオナルドが図々しくも煩いのだ。ザップの朝の仕事は既に、レオナルド達が起きだす前に終わっているっていうのに。
だからザップは堂々と、二度寝の心地よさに浸りきる。レオナルドが、ザップさんそろそろご飯出来ますよ、起きなきゃ全部食べちまいますよ、と生意気な事を言い出すまで。
硬いベッドは売春宿や愛人の家のものと比べれば、著しくグレードが下がるのに、不思議と身体の疲れはよく取れる。もしかしたら意外と、柔らかなマットよりも硬いものの方が、身体にあっているのかもしれない。頭もすっきりしているし、多少残った強張りは数度こきこきと首を鳴らせば、あっさりと飛び散ってゆく。

よく眠れるし、身体の調子もいいとなれば、それに拘らない理由も見つからない。それが本能的な欲求に基づくものならば、尚更のこと。
だからザップは、多少釈然としない部分はありつつも、毎晩のようにレオナルドの部屋を訪ねる。
つまらない話に耳を傾けて、柔らかな眠りの世界を堪能するために。



「あら、ザップったら。帰るとこ、出来たの?」

レオナルドの部屋で眠るようになってからも、愛人の元へは通っている。多少の習慣は変わったけれど、根っこの部分が変わっている自覚は全く無かった。
以前ならば夜通しヤり通すか、そのまま朝まで眠っていたのが、少し早い時間に前倒しされただけ。途中でライブラから呼び出される事も少なくなく、相手の都合と下半身の都合の兼ね合わせで、愛人の家をハシゴする事もしょっちゅうあったから、身体を重ねた相手と朝まで共に居ないことなんてザップにとっては珍しい事じゃない。

だというのに。
夕方から数時間ヤり通した愛人の家でシャワーを浴びて、じゃあそろそろ行くわ、と出てゆこうとしたザップに、下着姿のままひらひらと手を振っていた愛人のポーラが、ぴたりと動きを止めて、そんな事を言い出したからザップも釣られて足を止めてしまった。

ザップが家を持たずにフラフラ愛人の家を泊まり歩いているなんて、誰もがみんな知っていることで、ザップが朝を待たずに出て行くのはおかしなことではないし、それに。レオナルドは愛人ではないけれど、部屋に寝に行ってるだけで、別に帰ってる訳じゃない。
だからそんな事を言われる心当たりがさっぱりと思いつかず首を捻れば、気づいてないの、とポーラが大袈裟に目を見開いてやれやれと首を振る。

「だってザップ、今、帰るって言ったじゃない。それもアナタらしくない、変な顔なんてしちゃって」

なあに、本命でも出来たの、なんてくすくすと楽しげに笑われたザップは、ぎくりとして自分の口から飛び出た言葉を思い返した。

(行くわって言わなかったか、俺。帰るなんて、言ってねえよな?)

どうやら無意識のうちに発していたらしいそれは、どれだけ探ってもザップの中には残っていない。
なのにいくら否定したって、ポーラはゆるゆると首を振って、帰るって言ったわよ、絶対に、と揶揄うように口にする。
終いには気をつけて帰るのよ、なんて子供を諭すような言葉で背中を押され、否定しきることが出来ないまま家を追い出されてしまった。


(いやいやいや、行くわっつったよな? 帰るっつってねぇよな?)

ポーラに言われた事が後を引いて、らしくもなく頭を使ってうんうん考えながら、無意識に動かしていたザップの足が向かったのは、なぜだかレオナルドの部屋の前。そんな筈はないのに、おかしい。
いつの間にかそこに辿り着いていた事に気づいたザップは、柄にもなく頭を抱えてその場に座り込みたくなった。

だってそんなの、本当にポーラの言い分が正しいみたいで、どうしていいか分からない。なんだか気まずいし、素直に認めてしまえば、何か別のものまでずるずると内側から引きずりだされて、取り返しがつかなくなってしまうような気がした。
あとは単純に、照れくさい。セックスもしないような相手の所に、しかも可愛げのないガキみたいな男の所へ帰るだなんて、ちっともザップらしくはなかったから。

別にそんなんじゃねーし、とあっさり割り切って、寝に来てるだけだしと開き直れてしまえば良かったのに。
ガンガンと扉を叩くために伸ばした手は、触れること無く宙に留まった。


深夜というにはまだ早い時間。
レオナルドの家の前、扉を開けずにぼんやりと立ち尽くしたザップが火をつけた葉巻の数は、この場所に来てから早くも、三本目。
未だ扉に伸ばせない手を見やっては、ため息をついての繰り返し。腹の立つことに、自分がひどく緊張しているとの自覚があった。
今からでも捕まる愛人を探して、そっちに転がりこもうかとも、考えた。
けれどそうするには、売春宿の集まる場所へと移動するなり、アドレスを呼び出して片っ端から連絡をつけるなり、しなければいけないのに、足も手も動こうとはしてくれない。

膠着した状態に、変化があったのは下に落とした葉巻を、踏み付けたタイミングで。
ぴょんと肩に何かが飛び乗る感覚があって、視線だけを向ければそこには予想通り、ソニックがいた。ザップと扉を交互に見やって、早く入ろうよ、と言っているかのように、くいくいとザップの髪を引っ張ってくる。
それでもなかなかザップが動こうとしないと、痺れを切らしたらしいソニックが窓から侵入すべく、ザップの肩から飛び出そうと足に力を入れた瞬間。

「なあ、ソニックよぉ」

思わずザップは、その小さな音速猿の名前を呼んで、引き留めていた。
特に何か言いたい事があった訳でもないのに。勝手に口が、動いてしまった。
ただでさえ落ち着かないところに、更に無意識の行動が重なって、ザップはいよいよ困惑してしまう。
それでも、その大きな目でじっと見つめられれば、意識とは別に腹の底からせり上がってきたものがあって。

「オメーんちって、ここか?」

飛び出した言葉に、思わずぱっと口を抑えたけれど、既に音になった言葉を取り消すことは出来ない。
それでもし、ソニックが胡乱げな目でじろじろと見てきたら、ザップはいよいよいたたまれなくなって、速やかにこの場を去り、一番近い売春宿まで駆け込んだ事だろう。穏やかに誘う眠りを捨てて、朝まで腰を振っていたかもしれない。
けれどその賢い音速猿は、当たり前だろう、とでも言いたげに、間を置かず何度も頷いたから。それが特別なことでも何でもないかのように、当然のごとく肯定したから。
その動作一つだけで自然と肩の力が抜ける。あれだけ困惑していたのが、不思議なくらい、ソニックの返事が腑に落ちる。

だってソニックも、ザップと同じだ。ザップよりレオナルドにくっついている頻度は高いけれど、それ以外の部分。別行動をしていても、夜になればレオナルドの部屋へとやってきて、飯を食って、つまらない話に耳を傾けるうちに眠りに落ちて、朝までぐっすりと寝こける。そして朝になればまた飯を食って、目の前の部屋から出かけてゆく。
音速猿と人間の違いはあるものの、他は大体ザップと一緒。
そのソニックが、何の違和感も抱く様子もなく、ここが自分の家だと、レオナルドの住むボロい部屋が住処だと、認めたので。
じゃあ俺もそれでいいんじゃね、と照れくさく思っていた事も忘れて、ザップはあっさりとその事実を受け入れた。
だって勘違いでなく、本当なのだから仕方ない。ソニックだってそう言っている。

もやもやと、胸に渦巻いていた釈然としないものが、あっさりと片付いた事に一気に気分を良くしたザップは、微かに頭を動かして頬で肩の上の小さな頭に触れてから、軽口めいたものを口にした。

「奇遇だな、俺んちもここなんだよ」

そうして、改めて自分の言葉にしてみれば、それは思いの外簡単に口に馴染んだ。何の反発もなく、ごくごく当然の事として、ザップはその音の連なりを受け入れる。
ふっと脳裏を過ぎった、夢の中の小さいザップは、まるでさっきのソニックみたいに、こくこくと何度も頷いていた。
あまりにも自身がそれを、肯定しかしないものだから逆に、どうしてあんなに困惑してたかさえ、分からなくなる。
頭では理解しておらずとも、既にそこはザップの帰る場所として、身体は覚えていたようだ。
気づいてしまえばあまりにも簡単すぎるそれに、三本分の葉巻を費やしたのが馬鹿馬鹿しくなって、足で吸殻をちょいと蹴ってから、ふはっと気の抜けた笑い声を漏らした。勿論拾うなんて真似もせず、明日レオナルドに片付けさせようと決める。

それから、ようやく。
じゃあ帰るかと、ソニックに話しかけたザップは、振り上げた拳を目の前の薄い扉に思い切り叩きつけて。
オラ、はよ開けろと、大声で叫びながら。
扉の内側から、一人と一匹の帰る場所が慌ただしく動く気配を感じて、にやにやと口元を緩めるのだった。