切り取った四角の中


ぱしゃり、ぱしゃり。

聞き込みの、帰り道。
ザップの隣を歩くレオナルドの手元から、断続的に機械で世界を切り取る音がする。


バイトの合間に、記者の仕事もしているらしい、という話は聞いている。どうせ暇でしょうよ、と取材と銘打った街歩きに付き合わされる事もたまにあった。
けれどそういう時は、ちゃんと立ち止まって構図を決めて、時間をかけてそれらしいものを撮っている。わざわざその辺の店に取材交渉やらインタビューやら、へらへら笑って頼み込んで、手元のメモにいろいろと書き付けてゆく。記者の仕事というものがどんなものかさっぱり分かっていないザップにすら、なんとなく概要が掴めるような、らしい立ち回りをしてみせる。

だから、それは違うのだと分かっていた。
なんとなしにその辺の風景を写真に収めて、足も止めずに撮ったものを確認したら、あっさりと消してしまう。そしてまた撮って、眺めて、消去。
ぱしゃり、ちらり、ばさり。
繰り返し、繰り返し、まるでルーチンワークのように。
どことなくぼんやりとしていて、声をかければはっとしたように取り繕って笑うけれど、またすぐに遠くへと心を飛ばし、カメラを胸の辺りに掲げて、手当り次第にその辺の風景を切り取っては捨ててゆく。

ザップといる時は毎回、という訳ではない。短くて半月に一度、間が開いて二ヶ月程度。
人が隣にいるのに、まるで遠くにいるような態度が気に食わなくて、あれやこれやと話しかけてからかえば、そのうちカメラはポケットにしまわれる。そして何事も無かったように笑って、膨れて、うるさく騒ぐ。

別に、それで良かったのだ。
その行為が何を意味するかなんて全く興味がなくって、隣にいるザップの事を蔑ろにしなければそれでいい。だからそれが始まればわざと邪魔をして話しかけまくって、いかに早くポケットにカメラをしまわせるかが、ザップの命題となっていた。
それ以外は別に、どうでも良かった。


だから。
ふと、聞いてみたのはただの気まぐれ。
さして気になる訳ではないけれど、今日の昼飯何にする、くらいの軽さで、心に浮かんだから、そのまま口にしてみただけ。

「なあ、それ何なんだよ?」
「……それ、って?」

別に気になった訳じゃない。レオナルドがあっさり白状すれば、ふーん、で終わった筈の話だった。
なのにレオナルドの身体がぴくりと一瞬強ばって、何かを恐れるように硬い声を出したから、あっさりとその意味が変わる。
暇つぶしに尋ねただけの言葉に、きちんとした答えを吐き出させるまで、容赦をしないと勝手に決める。

「写真撮ったかと思えばすぐ消して、ぼーっとしやがって。気味悪ぃんだけど。何の儀式だよ、ソレ」

顎をしゃくってカメラを指して、大袈裟に顔を歪めて、わざとレオナルドが反発しそうな言葉を選ぶ。いつもなら簡単に挑発に乗ってきて、ぎゃあぎゃあと大声を上げながら気味悪くねぇし、と反論しそうなものなのに。

「や、別に。大したことじゃ、ねえっす」

小さく笑って首を振ったレオナルドに、いよいよザップの機嫌は下降した。
大体そういう時は、大したことなのだ。大多数にとっては大したことがなくても、レオナルドにとってだけは大きな意味を持つもの。
世界平和には支障がない程度にささやかで、けれどレオナルドが取り繕って笑って隠す程度には、重要なこと。
レオナルドについて一から十まで知っていなければ気が済まない、なんて事は毛頭ないけれど、隠されれば面白くない。
だからザップは強めにレオナルドの頭を叩いて、その裏にあるものを引きずり出そうとする。

「いっちょ前に隠し事出来ると思ってんじゃねえよ、オラ、吐け」
「だから、ほんとに大したことじゃないんですってば!」
「ならいいだろ、とっとと吐けっつってんだろうが。それともアレか、陰毛君は逆バンジーがご希望って訳か。しゃーねえなあ、やってやるよ」
「うわあああ、ちょ、やめてくださいって! ああ、もう! 分かりましたってば!」

数度べしべしと頭を叩いて、尻を蹴りつけてもなかなか吐こうとしない。
業を煮やしたザップが血紐を伸ばしてその身体に巻き付け、宙に向けて放り上げたところでようやく、慌てたようにレオナルドが白状する素振りを見せたから、追加で二度空中でシェイクしてから、地面に下ろしてやった。

マジで大したことじゃねえんすけど。ほんと、つまんない、くだんねぇことなんすけど。

ふらふらとよろけながら、まだ往生際悪くぶつぶつと呟くレオナルドに、巻き付けたままの血紐に力を込めれば、わああと大声を上げて、やっと観念したように渋々と口を開いた。

「ほら、この眼、すげー見えるじゃないっすか。幻覚とか、そういうの、勝手にその奥まで覗いちゃうし。普段は一応、抑えてるんっすけど、まあゼロには出来ねーみたいで、それなりに、色々見えちゃうから」
「あー……、ほんっと趣味悪ぃ変態眼球だわなぁ」
「はっ、そっすね。……で、まあ、世界の本質に近いのは、コレで見たもんなんでしょうけど。幻覚引っぺがして、その奥まで見ちまうんすから。神々の義眼、なんてご立派な名前までついてるモンですし」

むすっと不貞腐れたように、自身の眼について語る合間に、茶々を入れれば一瞬、嬉しそうに笑う。
けれどすぐさま元通り、苦々しげな表情に戻り、いかにも不本意そうにその眼がよく見えるのだと何度も繰り返して、そして。

「正しいのは、こっちって、分かってるんですよね」

ぱしゃり、手元のカメラのシャッターを押して。
画面に表示された風景をザップに見せて、痛そうに笑って、小さな声で呟いた。

でも、俺の世界だったもんは、こっちなんです。

さして珍しくもない、ヘルサレムズ・ロットの街並み。霧で霞んだ建物はくすんでぼやけ、面白みも何にもない。そんな写真を目を細めて見つめ、自嘲するように唇の端を吊り上げたレオナルドは、言い訳のようにぶつぶつと言葉を重ねてゆく。

「たまに、昔の俺の眼だと、どういう風に見えてたか分かんなくなるから、確認作業、みたいな? 馬鹿みてぇですけど。写真って、上辺だけ切り取って、余計なもんまで拾わないから。オーラとか、残り香みたいな気配とか、そういうの、いろいろ。写真じゃ、見えねぇし。だから、コレで見てもそれなりに、フツーに見えるんすよ。あー、まあ、質の悪い幻覚なら、機械まで騙してくんねぇんで、多少は違うみたいっすけど」

指で画像をなぞって、切なげにため息をついて、そのまま消去ボタンを押す。
消えたあとには、真っ黒な画面が写り、また適当にその辺にレンズを向けてぱしゃり、シャッターを切る。
表示されたのは、さっきのものとさほど変わりのない、似たり寄ったりの画像。それをまた、じっと見つめながら、レオナルドは呟く。

「色の見え方とかは、多分、違うんすけど。なんかやたらと、グラデーションとかはっきりしてて、綺麗に見えちゃったりなんかするんすけど、元々は俺、そこまで眼が良かった訳じゃねーし。細かい色の違いみたいなの、ミシェーラには分かっても、俺にはさっぱり、なんて事もしょっちゅうで。ほんと、フツーの、特別なとこなんてない、眼だったんです。だから、ムカつくけど、精度は断然こっちの方が上。……って、分かってるんですけどね」

でも、俺に見えてた世界に近いのは、こっち。
誰にでも見えてるものに似てて、色もちょっと足りなくってくすんでて、幻術にあっさり騙されちゃうような、上っ面だけが見える世界。

いかに神々の義眼で見えるものが、真実に近くて色鮮やかであるか強調しながら、それでも写真に切り取ったものが自分の世界に近いのだと、後ろめたそうに語る。
何度も、何度も。作り物の目で見る世界の方がよほど美しいのに、と主張して、けれどぼやけてくすんだ世界が自分に見えていたものだと、卑下するように愛想笑いを浮かべて焦がれてみせる。
そのちぐはぐさに、ザップは呆れてため息をつき、また一つレオナルドの頭を強めに叩いてやった。

「オメー、馬鹿だろ」
「ほんとっすよね。まじ、馬鹿っすわ。なに贅沢言ってんだっつーの」
「アホ、ちげぇわ」

ザップの言葉を後ろ向きに捉えたらしいレオナルドは、きっと気づいていない。
より良く見えるようになったから、それを不満に思うのは我儘だと思い込んでいる。よく見えるようになったせいで、ミシェーラだけでなく自分のものまで、奪われていることをちっとも自覚していない。
その目を忌々しく思っているくせして、奪われたのでなく与えられたのだと勘違いしている。
だからザップは、その思い違いを指摘してやることにした。思い切り馬鹿にして、鼻で笑いながら。

「お前のそのカツアゲ遭遇率ヤバすぎじゃね。まっさかココ来る前に既に上位存在お抱えの変態医者にまでカモられてるとか、うわ、ねーわー」

そう言ってやれば、レオナルドの顔に動揺が走る。いやいやと首を振って、泣きそうになりながら、違う、と何度も小さく口にした。

「奪われたのは、ミシェーラで、俺は、なんも。俺の分まで、ミシェーラが」

だって自分には、見えてるから。前よりもよほど鮮明に、何もかも見えてしまうようになったから。だから自分は何も奪われていなくて、ミシェーラからだけ奪われてしまったのだと、言い聞かせるようにぶつぶつと呟く。
そんなレオナルドの様子に苛立ちと共に既視感を覚えたザップは、軽く己の中を探り、見つかった心当たりに、ああ、と頷いた。

「オメーそりゃよお、詐欺の手口だわ」
「……は?」
「ガラクタをこっちのがいいやつだからって売り込んで、特別にそれと交換してやるっつって騙して、目的のブツをせしめんだよ。コツはな、そのガラクタをどんだけいいもんに見せるかっつーとこだな」
「が、ガラクタ……」

心当たりを口にしてみれば、ますますそれにしか見えなくなった。
価値のないものをすごくいいものに見せて押し付けて、代わりに金やら物やら情報やらを奪い取る。小物がよくやる手口だ。
騙されたとすぐに気づけばまだいい。
けれど騙された事に気づかずに、或いは気づかないフリをして、ガラクタを掲げてこれはすごくいいものなのだ、と語る詐欺の被害者。その姿に、今のレオナルドはよく似ていた。
邪険にしつつ、その眼に一定の価値を見出してしまっているレオナルドは、ガラクタを本物の宝だと信じる阿呆と変わらない。

「基本の基本だっての。気づいてなかったのかよ、アホ。オメエ、あれじゃね? 実は変な壺とか押し付けられてね? 意味わかんねー絵とか」
「そこまで馬鹿じゃねえっすよ!」
「いやだってお前、既に引っかかってんじゃん。騙されてんじゃん。眼ぇ盗られて、とびっきりの厄介なガラクタ押し付けられてんじゃん。あぁ? そこんとこどーなのよ、レオナルド君よぉ?」
「う、でも、それは」

畳み掛けるように詐欺の手口を明かしてやれば、レオナルドの顔に浮かぶ動揺の色が濃くなる。
神々の義眼、なんてご大層な名前がついたそれを、ガラクタ呼ばわりする度、ひくひくとその頬が引き攣る。
騙された事をまだ素直に認められないレオナルドに、ザップは容赦なく事実を突きつけてやった。

「だってオメーにゃそれ、別に必要ねぇだろ。売れねぇし。んじゃ、ガラクタだわ」

確かにその見えすぎる眼が、牙刈りやライブラにとっては非常に有用なものだってことは、さすがにザップだって身に染みて分かっている。
けれどじゃあそれが、レオナルドにとって価値があるものか、といえばそうではない。
いくら誰かにとって価値があろうと、換金すら出来ないそれは、レオナルドにとってはガラクタに等しい。そんなガラクタを押し付けられて、代わりに本来の視界を奪われた。それはミシェーラだけでなく、レオナルドも。
おそろしく単純な事なのに、気づいてなかったらしいレオナルドの、呆けたような顔を鼻で笑って、指で額を弾く。

「お前がカモられんのは珍しくねえけど。さすがに盗られた事ぐらい気づいとけよ、この間抜け」

そんなザップの指を受けて、痛い、と呻いて俯いたレオナルドは。
しばらくの間の後、「……っす」と湿った声で、しおらしくも頷いた。

そのまま流れた沈黙が、少しだけ居心地が悪くて、濡れた声をからかってやろうか、それとも別の話に切り替えてやるか、ザップにしては珍しく逡巡する。
と。
はは、と笑って顔を上げたレオナルドが、不貞腐れたような顔で、唇を尖らせて文句を言った。

「……俺から一番盗ってってんの、ザップさんすけど」

少し、照れくさそうに。概ねはいつも通り、憎たらしげな様子で。
すかさずザップも、鼻で笑っていつも通りに返してやる。

「アホ、それはちげーっての。あれは、あー、あれだわ。俺の俺のもん、お前のもんは俺のもんっちゅーやつ」
「いや俺のもんは俺のもんですし」
「っつーかオメー、俺のもん勝手に盗られてんじゃねえよ。死守しとけよそこは」
「だからアンタのじゃなくて俺のだっつーの!」
「あーモーうるせー。陰毛君が煩いせいで腹減ったわ。飯行くぞ飯、俺の金で」
「ちょ、俺の財布! それ! 俺の金! ザップさんのじゃねえし!」
「オウオウ、今日は結構入ってんじゃん。さっすが俺の財布」
「もー! ちょっと! ザップさんの馬鹿!」

そのまま、考える前にぽんぽんと飛び出す言葉に身を任せれば、あっという間に調子を取り戻したレオナルドが、きゃんきゃんと喚き始めて。
取り上げた財布の中身を確認したザップは、上機嫌に笑ってそれを己のポケットにねじ込んだ。返せ、と煩いレオナルドの頭を押さえつけ、そのままどこかの店に入るべく足を進める。
その途中。ふと思いついて、レオナルドの手からカメラを取り上げた。さすがにそちらは、簡単には譲れないものらしい。財布よりもよほど真剣に、取り返そうと伸ばされる手をひょいひょいと避けながら、ぱしゃりと一枚、自身にレンズを向けてシャッターを切り、写った画像を確認してからレオナルドに返してやる。

「オラ、見てみろよ。そのガラクタで見ても、上っ面とやらで見ても、俺ぁーかっけーだろ」

ははん、と笑って胸を張り、切り取った姿を見せてやれば、レオナルドがぽかんと口を開けて動きを止める。
焦れったくなって、カメラを自分の顔の横に並べて見せつけてやれば、ようやく動き出したレオナルドが、くしゃりと顔を歪めて笑った。

「……どっちで見ても、アホ面っすわ」
「あああん? 糸目童貞チビの分際でくっそ生意気なこと言ってんじゃねえぞコラ」

泣きそうな顔で笑ってるくせに、口だけは達者に動いて憎まれ口を叩き出す。
ザップが凄んでみせても怯むこと無く、馬鹿にしたように鼻を鳴らして、垣間見えたしおらしさはどこへやら。泣きそうだったくせに、すぐにさっぱりとそんな素振りを消し去って、やれやれとわざとらしく憐れむように首を振る。
そんな生意気な後輩の首に腕を回し、強めに絞めれば痛い痛いとあっさりと音を上げて、最悪だ最低だと喚く言葉の内容とは裏腹に、どこか楽しげに騒ぎ出して。
そのままザップの腕に首を引っ掛けたまま、ずるずると引き摺って歩き出すしたタイミングで。

でも、まあ。
確かにアンタはいつでも、かっけーっすよ。

小さな声で、呟いたレオナルドが、はにかんだように笑ったから。
照れくさそうに、ほんのりと耳を赤く染めたから。

「ったりめーだろ」

一気に機嫌をよくしたザップは、支払いはレオナルドの財布からするとして、店だけは選ばせてやろうと。
鼻歌混じりで、行き先を決める権利をくれてやることにした。