※一時的な女体化の話

欲しいのは


まだ朝も早い時間に呼び出され、昨夜の酒の余韻が残る重い体を引きずって事務所に出向いたザップは、そこにあった情景にしばし呆けたあと、心の底から笑いに笑った。それはもう、笑いすぎて腹が痛くなるくらいに。

だって、ザップのよく知るレオナルドが。
陰毛頭で、チビで糸目のちんちくりんの少年が。
なんの因果か、女になっていたのだ。
そんなの、笑うしかないだろう。

どうやら朝起きたら既に女になっていたらしいレオナルドは、慌ててライブラの事務所に駆け込んできたらしい。しかし混乱して動揺しつつもこれがライブラ案件と判断して、神々の義眼を使ってその原因についておおよその事は探り当ててきていた。
その辺は案外、図太くてちゃっかりしいる。

原因は呪術で、犯人はレオナルドと同じアパートの住人。今のところ被害者も同じく、レオナルドを含めたアパートの住人に限られていて、目的や動機は不明。
そこまで分かっていれば、後は早い。
昼になる前に犯人の確保は終わり、その裏に何の黒幕も無い事も、そのくだらなすぎる動機も知れた。

犯人曰く、女が増えれば自分もモテるかもしれないと思ったらしい。その一心で、男を女にする呪術を作り上げたのだとか。全く本当に、心底馬鹿馬鹿しくてくだらない理由である。レオナルドたちは不幸にもその、くだらない野望の実験台に選ばれてしまった。
しかしくだらないといっても最終的には、ヘルサレムズ・ロットに住む自分以外の全てのヒューマーの男を女に変えるつもりだったらしいから、初期の段階で気づけたのは幸いだった。
こんな馬鹿馬鹿しい呪いが広範囲で展開されて、くっそどうでもいい動機のために苦労させられるなんぞ、冗談じゃない。しかもその場合、ザップも大事なマグナムとしばしの別れを経験せねばならなかった可能性だって大きい。
それを考えれば、微妙な大惨事の発生を防ぐのに一役買った後輩を褒めてやらないでもないと、ザップにしては珍しく思ったものの。

「くっそ色気ねえな。あ、レオちゃんって呼んでやろうか、なあレオちゃぁん?」
「死ね」

改めて事務所にてレオナルドと向き合ったザップは、その変わりように再び、指をさして笑いまくった。

元々小さかったレオナルドが、更に一回り以上縮んでいて、声も少し高くなっている。胸はささやかにしか膨らんでおらず、尻も小さくて触りたくなるような肉感がない。
男である時も年より下に見えたけれど、女になると更にその傾向が大きくなっていた。胸も尻も出てない上に、当然ながら化粧っけもないから、下手すればローティーンと言われてもおかしくない。

「ふつーよお、こう、もっと色っぽくなるとかあんじゃん? ガキが更にガキになるとか、やっべ、さすがだな陰毛様。あ、まだ生えてねぇか、ワリーワリー」
「うわー最低すぎて言葉もないっすわーさすがシルバーシット先輩呪われろ」
「ばーか呪われてんのはオメーだろ」
「くっそ呪いよザップさんに移れ今すぐに!」

当然胸は触ったし下も覗こうとしたけど、からかう以上の思惑なんざなかった。純粋に、きゃんきゃん騒いで狼狽えて噛み付くレオナルドの反応が面白かったから、つついて遊んだだけ。
ツェッドやスティーブンにはコイツまさか手を出すんじゃと疑いの眼差しを向けられたけれど、ザップだって女であれば誰にでも勃つ訳ではない。抱きたいと思うのは、いつだっていい女に限られている。
そういう意味で、女になったレオナルドは完全に対象外だった。ガキにおったてるほど、不自由もしていない。

だからしばらくの話し合いの後、レオナルドが元に戻るまでの間、犯人が示唆した呪いが解けるまでの約三日。誰かが一緒についてた方がいいとの話になった時、仕方ないから自分が見ててやると名乗り出たのに全くそういう意味なんてなかった。単純に、当面の間遊べる面白い玩具が手に入った、その程度の感覚。
レオナルドはあっさり了承したのに、他の面々はなかなか気が進まないようで、そんな事が起こるはずもないのに間違っても襲いかからないようにだなんて、くどくどと言い聞かされたのには少々腹も立つ。

まあ、それでも。
最終的にはザップが面倒を見ることで決着がついたので、差し引きすればザップの機嫌はプラスに保たれたままだった。
あちこち連れ回して、存分にからかって遊んでやろう。
その度にレオナルドが、嫌そうに言い返す様を想像するだけで楽しくて仕方なくて、さぞ愉快な三日間になると思っていたのに。


(なんっか、ちげーんだよな)

わざと顔見知りのいる店に連れて行っては、いかにもこのクソッタレな街らしいレオナルドの身に起きた不幸をお披露目して、不貞腐れる様を笑ってからかって弄ってを数度繰り返したあと。
隣を並んで歩くレオナルドに、ふと。
違和感を覚えてからは、その遊びを、ちっとも楽しめなくなってしまった。

遊びが半分で、仕事が半分。
クラウスとK・Kは仕事でしばらく事務所を離れていて、哀れにも呪いの餌食となったレオナルドを有効な活用するには丁度いい機会。
わざとレオナルドが女になった事を言いふらして、神々の義眼狙いの不穏分子をつついて炙って目印もつけて、ついでに弱みの一つ二つ、貸しの三つ四つ握っておこうというのが、スティーブンから密かに与えられた任務。
だから楽しめなくなっても、最低限指定されたノルマはこなさなければいけない。

あら、可哀想に。お気の毒なこと。
いつ戻るか分からないんだって? そりゃあ大変だ。
何か困ったことがあれば力になるよ。
ほんとにレオってば、ついてないんだから。
ザップ、ちゃんと守ってやれよ。

フェイクも交えたレオナルドの現状に、行く先々でかけられる言葉は、総じて同情的で好意的で、ザップには多少厳しい。
別にその対応の差に不満を抱いた訳ではなかった。なぜならそれはいつものことで、今更そこを変えられても気持ち悪い。
けれどそれらの同情や気遣いを耳にする度、己の機嫌が下降してゆくのを、ザップは自覚していた。

(んなあっさり、コイツがレオって認めんなよ)

ある意味では、理不尽とも言える八つ当たり。
レオナルドが女になったという事実を伝えて回っているのはザップたちで、聞いた相手はそれを素直に受け入れただけ。信じてもらえなきゃ困るのに、しかし簡単に納得されるのが気に食わない。

だって、違う。
なにもかもが、レオナルドと。
肘置きにちょうどいい高さだった頭は、小さくなったせいで触れる前に一瞬、目測を誤ってしまう。
歩幅がザップより小さいのはいつものことだけれど、せかせかと動かす足を交互に出すテンポが、いつもよりも少し速い。
陰毛頭と呼ぶその髪は見た目はさほど変わらないくせに、触れれば若干柔らかくて細い事が分かり、ザップさんと告げる音に混じる息の量が幾分か少ない。
手のひらも小さくて、かさついた肌は若干湿り気を帯びていて、歩く時に見下ろす旋毛の形も違う。
髪の跳ね方も、肩の揺れ方も、呼吸のタイミングも、足音も、唾を飲み込んだ時の喉の動きも、頭のてっぺんからつま先まで、なにもかも、全部が。
ザップの知るレオナルドと、全く違っているというのに。

理性で考えれば、当然の事だと分かるのだ。
やたらと凝った呪いの効果は、棒の代わりに胸と穴をつけるだけでなく、もっと根本的な所、例えば骨格とか筋肉の付き方や内臓の形まで作り替えてしまっているらしい。
だから男であった時と同じように動いたとしても、それを実行する身体が違っているのだから、差が生まれなければそちらの方がおかしい。

けれど頭で考える前に動いた身体が、違和感を勝手に察知して怯む。
納得する前に、これは誰だと無意識が訝しがる。
差異を見つけるたび、本当にこれはレオナルドなのか、確信が持てなくなってゆく。

なのに誰も彼も、これはレオナルドが女になった姿だと簡単に認めてしまうのが、面白くない。
こんなに違うのに、小さくなっただけであまり変わらないな、なんて見当違いに笑って受け入れるのが、気持ち悪い。

まるで知らないうちにレオナルドが、全く違うものと入れ替えられて、それが本物にすり変わってゆくような錯覚を覚える。
本当のレオナルドはどこか別の所にそっくりそのまま保存されていて、複製された偽物と交換されてしまったような、疑念がむくむくと膨らんでゆく。
女であるレオナルドがレオナルドと認められるたび、本物のレオナルドが遠い場所で薄れて消えてゆくような、幻が浮かぶ。

最低限のお披露目を終えた所で、いよいよ気持ち悪さに耐えかねたザップは、早々に引き返してライブラの事務所にレオナルドを放り込んだ。予定より早い帰還について、スティーブンに何か言われた気がしたけれど、聞こえないフリをして真っ直ぐに酒場へと向かう。浴びるようにアルコールを飲んで、ぐるぐると渦巻く胸糞の悪さを、少しでも忘れてしまいたかったから。
酒を飲んで酔っ払ったあと、近くの愛人のうちに押しかければ、身体は多少軽くなったけれど胸の重しは取れてくれない。
いっそこのまま、レオナルドの呪いがとけるまで引きこもってようか。
ぼんやりとそんな事を考えつつ、続きを強請る女の胸に顔を埋めた。


だらだらとベッドの上で過ごす時間に強制的に終止符を打たれたのは、二日目の昼も大幅に過ぎてから。
朝から何度も入っていた連絡にようやく応えれば、かなり怒りを堪えた様子のスティーブンにさっさと出てくるよう言われ、渋々事務所に顔を出す。
本当ならば昨日の続きをする予定だったけれど、ザップが素直に出てこなかったせいでレオナルドの付き添いはツェッドに変わったらしい。
今日もあの、薄気味の悪い気持ち悪さを感じなくていいことにほっとしつつ、ツェッドが出てきたのは少し面白くなかった。
代わりに与えられたのは、ツェッドがやるはずだった調査がいくつか。
ザップ向きの案件ではなかったけれど、ただでさえ機嫌の悪いスティーブンをこれ以上刺激する気もおきなくて、表面上は大人しく従った。

半日かけて調べ上げた結果は、微妙なもの。
悪い知らせもなかった代わりに、これといって良い知らせもなかった。
可もなく不可もなく、というのはある意味では立派な調査結果ではあるものの、分かりやすいものが好きなザップとしてはどうにもすっきりしないものだった。

報告のために戻った事務所のソファには、レオナルドが座っていて一瞬ぎくりとしたザップは、何事も無かったようにスティーブンへと結果を告げにゆく。
めぼしいものは特に何もなかった事を告げれば、後でちゃんと報告書にして上げるように言われてしまい、思わずげぇっと顔が歪んだ。何もなかったんだし、どうせそれほど大したことのない案件なんだから、必要ねえんじゃねと拒否してしまいたかった。
けれど、頭の隅には先ほど見た、レオナルドの姿があったから。
何だか落ち着かず、さっさと事務所を辞してしまいたくて、大人しく頷いて去ろうとしたのに。

「待て、ザップ」
「……なんすか」
「明日はもう少し派手に少年を連れまわしてお披露目する予定だ。お前には少年についてもらう」

だから、任務に支障の出そうな問題は、今日のうちに解消しておけ、と。
まるで見透かしたようなスティーブンの言葉に、思わず舌打ちをして、別に何にも、と吐き捨てる。
だって本当に、何にもないのだ。解消出来るようなものは、何にも。
ただザップが、レオナルドの形が変わったことに慣れないだけ。その行動にいちいち、違和感を覚えるだけ。
どうせ明後日がくれば元に戻っていて、あと少し目をつぶっていれば終わるもの。

しかしそれで納得してくれなかったらしい。
ザップを引き止めたままレオナルドを呼びつけたスティーブンは、これ何とかしてくれ、とレオナルドに告げて、ダメ押しのように優しげな微笑みを浮かべる。
その笑みを受けて揃ってぎしりと身体を強ばらせたザップとレオナルドのうち、先に動いたのはレオナルドの方だった。
ザップさん、ちょっとこっち、と小さな声で囁いて、ザップの手首を掴むとずんずんと歩いてゆく。
その、手首に触れた手のひらが小さくて、柔らかかったから。
また一つ、見つけた違和感で胸を重くしたザップは、抵抗する前にさっさと仮眠室へと連れ込まれてしまった。

パタン、と閉まった扉の音と同時に、離れていった手にほっと一息ついたのも束の間。
突然レオナルドが、上着を脱ぎ始めたのでさすがのザップもぎょっとする。

「テメ、いきなり何してんだっての! ああくそっ、貧相な身体しやがって! ぜってー無理! 勃たねえからな!」
「はあ? なんか勘違いしてません?」

まさかコイツ、俺がヤリたいと思ってるとか、考えてんじゃねーか。

いくら中身が暫定レオナルドとはいえ、二人きりの部屋で唐突に脱ぎ出されれば、そんな風に思ってしまっても致し方ない。
しかし。
いつの間に調達してきたか、一応スポーツタイプのブラジャーらしきものはしているようだけれど、それって必要なのかと疑問に思うくらい、レオナルドの胸は小さかった。触って確かめた時に分かっていた筈なのに、改めて同情してしまうくらい、ささやかすぎた。
よくてローティーン、体型だけならもしかしてプレティーンでも通じそうだ。
ザップにロリコンの気はない。だから凹凸のない身体で誘惑されても、とても勃つ気がしない。

しかしどうやらそれは、ザップの早とちりだったようだ。
馬鹿言わんでください、と冷たい声で吐き捨てたレオナルドは、ここ、と剥き出しになった肌の一部をトントンと指さした。

「ほら、これ。四日前にカツアゲされた時、殴られたやつです。アンタが途中で来て、ダッセーって笑いやがった時の」

脇腹にあった青痣は、だいぶ薄くなっていたけれど、確かにレオナルドに絡んでいたやつらの手の形によく似ている。
それを皮切りに、レオナルドは身体中に残る様々な傷痕や痣について、いちいち丁寧に説明しはじめた。
基本的にライブラ関係で負った傷はライゼズ預りになるので、跡もなく綺麗に治るけれど、それ以外はそうもいかない。

これはカツアゲ、これはザップさんの修羅場のとばっちり、これはザップさんがふざけたせいで火傷したやつ。

一つ一つ指さすそれはどれも、ザップの記憶にあるレオナルドの行動と一致していて、こんだけボロボロでよく生きてこられたなと感心するくらい、古いものにも新しいものにも事欠かない。
目立つ傷を一通り説明し終えたレオナルドは、納得しましたか、と首を傾げてザップの反応を待つ。

「納得って、何がだよ」
「だってアンタ、まるで知らない生き物見るような目で俺のこと見て、なんかすげー警戒してるし」

だからてっとりばやく、俺は俺だって理解してもらおうと思って、とあっさりとザップの挙動不審を言い当てたレオナルドは、納得しましたか、ともう一度、念を押してから一瞬、薄目を開ける。隙間から薄く漏れた青を嫌っているくせして、それすらもザップを納得させる材料と割り切って利用したようだ。

「コレで納得してくりゃいーんすけど。まあ無理ならしゃーないっす。アンタのテリトリーに知らないもんがあるの、もうちょいだけ、我慢してください」

危害は加えないんで、と一人で納得したように勝手な事を言って、さっさと服を着ようとするレオナルドの腕を、気づけばザップの手が掴んでいた。
驚いたように動きを止めて、何するんですかと口を尖らせたレオナルドの言葉を無視して、するりと指先で肌をなぞってゆく。

痣で変色した皮膚、引き攣れた傷跡、治りかけの瘡蓋。
レオナルドが説明してみせたものをもう一度、順番に、確かめてゆく。
最初は身をよじって抵抗する素振りを見せていたレオナルドも、途中からザップの意図を悟ったか、大人しくされるがままになっていた。

骨は細くなっていて、ただでさえ薄い筋肉はさらに減っている。柔らかい腹を少し強めに押せば、指先に感じた内臓の配置も若干、違っているような気がした。
腰から尻にかけての曲線は明らかに丸くなっていて、首から肩にかけてのラインもひどく頼りない。
何もかも、ザップの知っているレオナルドとは違う。

けれど。
右腕の肘の少し下あたり、変色した火傷の痕は、ザップが手当てしてやったものと同じ形をしている。
確かあれはザップが酔っ払ってレオナルドの部屋へ行ったとき、ふざけてついうっかり燃やしたアパート近くのゴミ捨て場の火を消そうと、慌てて薄着のまま部屋から飛び出したレオナルドが、間抜けにも飛んできた大きめの火の粉で負傷したもの。手当した時に散々文句を言われただけでなく、次の日にはクラウスとスティーブンに告げ口をされて二人からもこってり絞られた。
他の傷が出来たきっかけも、覚えがあるものが殆どだった。
傷だけではなく、腹の横や襟足の脇、耳の後ろにぽつぽつと点在する黒子も。
ボロボロになったレオナルドを仕方なく手当てしてやった時、ふざけて服の裾を捲った時、隣に歩くレオナルドを見下ろした時。見つけたいくつかと、位置も数もそっくり同じ。
一つずつ数えていって、記憶と同じ場所にある黒子の数が五つに達した時、ザップはようやく納得する。
全然違うけれど、これはレオナルドだと。

「も、いーっすか?」
「んにゃ、あともう一個」

寒かったのか、ぶるりと体を震わせて上着を掴む手に力を入れたレオナルドの動きを制して、ぐっと顔を抱き寄せ耳の裏に鼻を寄せる。
うぎゃ、と色気のない声をあげて、腕の中で暴れるレオナルドをどうどうと宥めつつ、思い切り息を吸ってその匂いを嗅ぐ。
安っぽい石鹸の匂いに交じる、汗の匂い。女を虜にするには色っぽさが足りないけれど、子供みたいに害がなくて、薄いレオナルドの匂い。側にあると、とても落ち着くもの。

けれど今はそこに、余計なものが加わっているのだ。
微かに混じる見知らぬ女のそれ。
おそらく女に変化してレオナルドの体が作っている、ザップの知らない匂い。
元々のレオナルドの匂いと違和感なく溶け合っていて、過不足なく混じりあっている。

その匂いは、レオナルドが誰かと深く繋がって生まれたもののような。
まるでそれは、ザップの知らない女との、情事の痕跡のような。

(んだよ、そーいうことかよ)

己に違和感を覚えさせた一番の原因にようやく気付いたザップは、レオナルドの耳元でくつくつと笑い声をたてた。
形が変わってしまって、まるで知らないもののようで、落ち着かなかった。
それがレオナルドによく似た別のものみたいで、気に入らなかった。

けれど、傷跡を確かめて、その存在が確かにレオナルドだとすとんと納得してもなお、どこかで気に食わない思いを消し去る事が出来ないのは。

(生意気じゃん、陰毛君のくせに)

つまりはレオナルドが、ややこしい匂いをさせているのが悪い。
ついさっきまで、女とヤッてましたみたいな匂いをぷんぷんさせているレオナルドが。

「なあ、レオ。とっとと戻れよ」
「明日の夜には戻ってますよ、たぶん」
「そこはオメー、気合で今日中にどうにかしろよ」
「無理言わんでください」

耳元に顔を埋めたまま喋れば、レオナルドが擽ったそうに身を捩り、ふてくされた声で返事をする。
その声はいつもより高くって、もう、ちょっとそこで喋んなと騒ぐそれに、色気なんて欠片もない。
正体が分かっても依然として匂いは気に食わないままで、嗅いでいるとイラッとする。
宥めるふりをして触った体のどこもかしこも、薄っぺらくて食い甲斐がない。
やっぱこれに勃つのは無理だわ、と、口にすれば殴られそうな事を改めて思ったザップは、ふと。
思ってしまったのだ。
もし、もしも。

この不愉快な匂いが、見知らぬ女とレオナルドのものが混じったような錯覚を抱く類のではなくて。
もし、ザップの匂いと混ざったものだったら、なんて、そんな事を。

馬鹿馬鹿しすぎる思い付き。
ちょっと想像してみたら、今以上に萎えて、告げることなく終わる筈だったのに。
なぜだかそれは、ちっとも悪くなくて、むしろじっくりと嗅いでみたい気すらして。
うっすらと女の匂いをさせたレオナルドにはさっぱり勃つ気がしないのに、ザップの匂いと混じったレオナルドの匂いには、興奮する予感しかしない。

それは何も、匂いだけではなかった。
小さな思いつきは、胸の奥底に隠れていたザップの無意識を炙り出して自覚させる。

胸がなくて子供にしか見えないけれど、部分的には柔らかな曲線を描く女の体のレオナルドを抱く事より、多少なりとも角ばっていて、胸もなくて、抱き心地もさほどよさそうじゃない元のレオナルドを抱く事を想像した方が、よほど興奮することを。

ささやかな膨らみに手を伸ばすより、貧相で平らなものを撫で回したい。
つるりと起伏のない喉に口付けるより、小さく膨らんだそこに噛み付いてしまいたい。
なだらかな肩を指でなぞるより、骨ばった輪郭を舌で辿って輪郭を浮き上がらせたい。
微かに括れた腰に手を回すより、直線を描く面白みのない形に頬を寄せてしまいたい。
少女じみた高い声で喘がせるより、低く掠れた声で名前を呼ばせたい。
全身を可愛がれば勝手に濡れて受け入れる準備をしてくれるそこより、手間をかけなければいけない固く閉じた場所に手ずから時間をかけてほぐしてトロトロにしてから突っ込みたい。

一度胸の奥にあったものを自覚してしまえば、溢れた欲求はもっともっとと形になってゆく。
再び無意識の型に押し込めて、忘れ去る事なんてとても出来そうにない。

体のあちこちに残る傷跡に唇をつけて、強く吸って、噛んで、傷よりも目立つ痕をその全てにつけて。
跡形も残らないくらい、上から下まで全部、丸ごと食べてしまって。
体の中からも外からも、ザップの匂いをさせたレオナルドが、再び女に変えられてしまったら。
古い傷ではなくザップがつけた痕で、二つが同じレオナルドだと証明出来たならば。
その身のどこを嗅いでも、ザップの匂いが染み付いていたならば。
その時になって初めて、ちっともそそらない身体に興奮して、忌々しい匂いをレオナルドのものだと認めて、抱いてしまえる気がする。
今はまだ、無理だけれど。


レオナルドを、抱く。
軽く想像しただけで、腰が重くなる。
まるでバラバラのパズルがぱちぱちと正しい場所にはまってゆくような、それが一番正しい事のような、天啓にもにた錯覚を覚える。
その幻想はひどく甘く、想像だけで終わらせるにはあまりにも惜しい、極上の蜜の味がした。

「なあ、戻ったらさ」

だからザップは、思ったままを音にする。

「ファックしようぜ」
「はああああっ? ばっ、アンッタ、何言って!」

それでも、口にした時点では、冗談が八割、本気が二割。
レオナルドが本気で嫌がって、ちらりとでも嫌悪を滲ませたら、多少名残惜しくも当面の間はそれを引っ込めておいただろう。
あまりに呆気なくザップの求めるものが形を変える事を知ってしまった以上、それなりに慎重にならざるを得ない。
無理に事を進めて、見た目以上にレオナルドが変質してしまったら、きっと後悔する。

なのに。
慌てたように反応したレオナルドの匂いが一瞬強くなって、唇に触れた耳が熱を持ったから。
驚いてはいるけれど、嫌だとは思ってないと言われたような気がしたから。
くるり。
一瞬にして、冗談と本気の割合が反転する。

必死でザップから逃げようとするレオナルドの頭を無理やり抑え込み、耳の裏、一番濃い匂いのする場所に唇をつけて、じゅっと音を立てて吸い上げる。
ひゃあっと情けない声げてぴたりと動きを止めたレオナルドの反応に気をよくしたザップは、一段と熱量を増した耳たぶを軽く舐めて、その中心に向けてとろりと蕩けた声を流し込む。

「さっさと戻れよ、レェオ、なあ?」

俺はレオくんとやりてーんだよ。

あ、う、と固まったまま、壊れた機械のように単音しか発しないレオナルドが、正気に戻って注いだ言葉の意味を理解して、遅い抵抗を始めても、やめてやる気はない。
だってもう、目印はつけてしまった。

色素の薄い耳の裏、そこに残った赤い痕。
気に入らない匂いの上から、ザップの匂いをつけた予約の印。
綺麗に咲いたその花に、念を押すよう柔らかなキスを一つ落として、ザップはひそりと笑った。