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大切にするには

 
「こらアルド、ちゃんと髪を乾かせっていつも言ってるだろ」

風呂から上がってすぐ、先に出たアルドがソファーに座ってくつろぐ後ろ姿を見つけたセティーは、遠目にもまだ湿っていると分かる髪に気づいて、ちゃんと聞こえるようにわざとらしく大きなため息を響かせた。
ぱっとこちらを振り向いたアルドはへにょりと眉を下げバツの悪そうな顔をしてみせてから、セティーとソファーの前にあるローデスクの上にあるドライヤーを交互に見やる。今から乾かすつもりだったんだ、ともごもごと小さな声で呟いてはいたけれど、ちら、と窺うように寄越した視線を無言でじっと見返せば、観念したようにがくりと肩を落とした。
だってうまく乾かせないし、熱いし、息苦しいし、ぼそぼそと続けるアルドがあまりにもしょんぼりと落ち込んでいるように見えたから、セティーは苦笑いを浮かべて仕方ないな、呟いてからソファーまでの距離を一気に詰めてアルドの隣に座る。

「ほら、あっちを向いて。すぐ終わるから顔はタオルで押さえておけ」

コードレスのドライヤーを手にしてアルドに指示を与えれば、大人しく従ってくれる。
風呂上り、ドライヤーからの熱風が顔に当たるのがどうにも苦手らしいアルドの、濡れた髪をセティーが乾かしてやるのはいつもの事で、さっきまでのやり取りだって毎回似たようなものを繰り返しているのだから、省略したって何ら支障はない。
けれど濡れた髪を咎めた時のアルドの、しまった、と分かりやすく書いてある顔を見たくてつい、毎回それを口にしてしまう。本当にアルドがセティーの言い分に従って自分で髪を綺麗に乾かしてしまっていたら、それはそれで寂しいくせに。

そんな胸のうちを一筋だって滲ませない澄ました顔でドライヤーのスイッチを入れたセティーは、アルドの顔に当たらない角度から風を吹きかけ、もう片方の手で髪を梳きながら含んだ水分を飛ばしてゆく。
最初のうちはぎゅっと身体を強張らせているアルドだけれど、しばらくするとふっと肩から力が抜けてゆき、ぴっちりと顔を覆っていたタオルも下ろしてしまう。そしてセティーに体重を預けてもたれかかり、甘えるようにぐりぐりと数度後頭部を胸に擦り付けてから、さあ続きをどうぞと言わんばかりに俯いて項を晒す。
おそらくはさして意識もしてない一連の行動、けれど全幅の信頼を形に表したようなそれだって、初めてではなく毎回の事なのに、その度に呆れるほどに胸が高鳴って口元が綻んでしまうのを止められない。
幸いにしてセティーに背を預けているアルドにだらしなく緩んだ表情を見られることはないし、いつもなら傍にいるレトロとクロックは別室で待機しているから目撃者は存在していない。
アルドがセティーの部屋を訪れる時はいつも、緊急の連絡でもない限り二体は別室から出てこようとはしない。けしてセティーが閉じ込めている訳ではない。二体が自主的に、アルドとセティーの二人きりの状況を作り出すべく動いてくれた結果だ。

 アルドとの距離が仲間を超えて近くなり始めた当初、レトロもクロックもあまり良い反応をみせてはいなかった。近づいた距離の先にあるもの、いつかは来る別れが容易に予測出来たせいだろう。
彼らにはセティーのフィジカルだけでなくメンタルの健康管理の権限もある程度預けているから、それはある意味では当然の反応だった。セティー自身、近くなったアルドとの距離をくすぐったく思う一方で、ぼんやりと形にならない危機感も抱いていたから、彼らの反応に反発も違和感も抱くことなくそりゃあそうだろうなと納得してしまった。

けれどセティーがその危機感をうまく処理して飲み込んでしまう前に、現状に適応してみせたのもレトロとクロックだった。セティーよりも先にアルドに積極的に声をかけるようになったのだ。レトロは幼い子供のような無邪気さを前面に出してセティーのテリトリーのアルドを誘い込むようになり、クロックもそんなレトロの行動を咎めることなく好きなようにさせている。
まるでアルドとの距離を縮めようとする彼らの、以前とは正反対の行動に最初はひどく動揺した。反対され遠ざけられるのなら理解出来ても、その逆の動きにある意図にはまるで見当がつかなかったから。
あまりに理解しかねて、もしかして何か重大なバグが発生してるか第三者からの介入があるのではと疑い、定期検査を装って細かくチェックしてはみたものの、結果はオールグリーン。外部から接触があった痕跡も一切見つからない。
しかし何の不具合もないはずなのに、彼らの行動は変わらず隙あらばアルドとセティーの接触の機会を増やそうとする。ついには一日の予定を終えて次元戦艦に乗ってバルオキーに帰ろうとするアルドを引き留め、一緒に食事でもどうかなんてセティーを差し置いて家に招待するなんて暴挙に出た。
さすがに看過出来すにどういうつもりだと二体を問い詰めたけれど、のらりくらりと躱されて誤魔化されたからそのまま精密検査送りにしてやったけれど、やはり異常は見つからないまま。

ようやくその真意が明かされたのは、更にアルドの訪問が重なってより二人の距離が近くなり、いよいよ後戻りが出来なくなったあと。

 「だってアルドと一緒だと、セティーがいつもより自分のこと大事にしてくれるからね!」

妙に自信たっぷりに告げるレトロの言葉に、何のことだ、と素知らぬ顔ですっとぼけられるほど、心当たりがない訳じゃなかった。既に何度かアルドと一緒に過ごした時間の中で、セティー自身がそれを証明してしまっていた。

セティーひとりきりだったら、髪を丁寧にドライヤーで乾かすことなんてしない。身体を冷やさない程度にタオルで水気をぬぐったらそれで終わり。そのままベッドに潜りこめば朝には寝ぐせがついてしまうこともよくあったけれど、整髪料で適当に撫でつければそれで事足りるから、わざわざ面倒な手間をかけるほどのことじゃない。
食事だってそう。いつもなら手の込んだ料理の代わりに、口に放り込むのは栄養バランスの取れた完全食。手のひらサイズの長方形に固められたそれは軍でも採用されているもので、味はいまいちだが手っ取り早く必要な栄養を摂取するには一番効率がいい。毎回の食事にかける時間は平均して五分以下。それを目撃したレンリには信じられないと眉を顰められたけれど、さして気にもしてはいなかった。
ベッドだって寝られればそれでいい。スラムで過ごした時期を思い出せば、まともに寝られる場所があるだけで十分だ。毎回いちいちシーツを洗濯なんてしないし、面倒な時はソファーで眠ることも珍しくない。
風呂だってバスタブに湯を張ることはなく、いつだってシャワーのみ。コックをひねった直後、温まりきらない水の温度が上がる時間を待つのも億劫で、まだ冷たい水を頭からかぶるのだってよくあることだ。コンディショナーを使うのは翌日に身綺麗にする必要がある任務が入っている時だけで、普段はシャンプーだけで済ませてしまうこともざらにあった。

しかし。
そんないつもの自分に対する扱いを、そのままアルドに適用するにはひどく躊躇いがある。拒否反応と言い換えてもいい。
育ってきた環境からして、アルドの方がセティーよりよほど頑丈で健康な身体を持っていると分かっていてもなお、万が一の可能性を排除するために髪は丁寧に乾かしてやりたいし、翌朝に寝ぐせが残っていたらたっぷりの椿油を滲み込ませた櫛で撫でつけて綺麗に整えてやりたい。
味気ない完全食でなくアルドの好きなものを腹いっぱい食べさせて、食事を楽しむ様を眺めていたい。あるいは食べたことのない未知の味を口にして、びっくりした顔をするアルドの顔を堪能したい。その過程でアルドの好きな味が増えれば、想像するだけで自然と口の端が緩む。
ソファーでなんて当然寝かせられないし、シーツからはいつもいい匂いがするようにさせていたい。太陽の匂いがする、が売り文句の洗剤がアルドは大層お気に入りだったから、洗面台の下には買い込んだ洗剤がたっぷりとストックされている。
長風呂や熱い湯船は苦手のようだけれど、花の匂いのする入浴剤を溶かしたぬるま湯に浸かるのは好きなようだから、毎回準備する。泡の出る入浴剤や湯船に浮かべたあひるの玩具も喜んでいたから、殺風景だった風呂場はすっかりと賑やかになってしまった。シャンプーもコンディショナーも少し太めでくせ毛のアルドの髪質にあったものを用意して、時間がある時はセティーが髪を洗ってやっている。

そうやってアルドに差し出したもの、アルドの与えたいものの全てを、アルドだけに注ぐことは難しい。
髪をきちんと乾かすように言い含めるセティーの髪が濡れたまま放置されていればちっとも説得力がないし、アルドが食事する隣でセティーが素っ気ない完全食を齧っていれば気にして食事を楽しむことが出来ないだろう。アルドをベッドで寝かせてセティーがソファーで寝ようとすれば自分がソファーで寝ると主張して譲らないだろうし、共に入ることもある風呂、セティーがシャワーだけで済ませてしまえばアルドも真似してゆっくりと湯船に浸かろうとしないだろう。
だからアルドを大事にしようとすれば、自ずと自分自身も丁寧に扱わざるを得ない。アルドが自分よりも他人を優先しがちな性格であるからなおのこと。意識せずとも当然のように差し出されるそれはあまりにも自然に為されてしまうから、ともすればセティーがしたい以上にアルドに大事にされていると後になって気が付くことだってしょっちゅうある。

セティーが己をないがしろにして雑に扱えばその分だけ、アルドが自分のことを後回しにしてセティーを大切にしようとする。
だからアルドのことを大切にしたいなら、同じくらい自分のことも大切にしなければならないのだ。

なるほど、レトロの言い分は腹立たしいくらい図星を突いていた。
明かすタイミングも、おそらくは最適だった。もう少し前であれば、それを認められず自身で証明する前に突き放してしまったかもしれない。

なぜなら、自分自身を大事にする事への戸惑いと躊躇いはセティーの中にずっと存在していたから。
心のどこかには己の無力さや不甲斐なさ対する怒りが、父を失ったあの日から燃え続けていて、昔よりも力を得た今になっても消えてしまうことはない。むしろ日々の任務においてあらゆる理不尽による被害者に出会うたび、放り込まれた新たな火種がちらちらと揺れる炎をどす黒く染める。
セティー自身を雑に扱って痛めつけても、過去が変わる訳でも彼らを襲った不幸が消える訳でもないと理性では分かっているのに、それとこれとは別のものだと割り切ってしまうことも出来なかった。

けれどアルドを大切にするために自分にも手をかけるようになれば、その分だけ結果も伴うようになった。完全食で済ませていた時より、ゆっくりと時間をかけて咀嚼して食事をした後の方が心なしか身体の動きがいい。いい匂いのするベッドで眠った朝は、すっきりと目覚められる。風呂につかった日の翌日は、疲れが残りにくい。

少し考えれば分かる当たり前のこと、しかし自罰的な思考で頑なに遠ざけて見ないふりをしていたものたち。
しかしながら、どちらかと言えば感情よりも理性に則って思考する方であると自覚しているし、そうあろうと努めてもいる。
だから明らかな結果が伴ってしまえば、それ以上頑なであり続けるのは難しかった。

量が多く癖はあるけれど、大して長くもないアルドの髪の毛、告げた通りさして時間もかからず綺麗に乾いてしまった。最後に仕上げとばかりに手櫛で数度アルドの髪を梳いてから、ドライヤーのスイッチは切らぬまま自身の髪へと風を当てる。
自身にかかる風圧が消えたと分かった途端、俯いていた顔を上げてぐいぐいとセティーの胸に後頭部を擦りつけたアルドは、床につけていた足をひょいとソファーに上げる。そのままぴたりとセティーに後頭部はくっつけたまま、ずりずりと頭の位置を下げてゆきセティーの太ももに収まると、こちらを見上げて嬉しそうににこりと微笑んだ。ドライヤーは己の髪に当てたまま、片手ですりすりと喉元を撫でてやれば気持ちよさそうにうっとりと目を細め、やがてとろんと瞼が下りて瞳を隠してしまう。
このままゆけばさしてもしないうち、呑気な寝息が響いてくることだろう。せっかくの二人きりの時間、早々に寝かせてしまうのは惜しいけれど、急所と言っても差し支えない喉を無防備にセティーの手に預けて安心したように眠る姿をもう少しだけ見ていたい気もする。

起こしてしまうか、止めておくか。
決めきれないまま、緩やかに時間だけは過ぎてゆく。
せめて髪を乾かす間だけ、この姿を堪能してその後のことはそれから決めようか。
決断を僅かに先送りにしたセティーは、一等優し気な手つきでアルドの喉元をくすぐる。

髪が乾くまで、あと少し。
ささやかで贅沢な時間を堪能する男は、陽だまりのように穏やかな笑みを浮かべていた。


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