愛し子たち


家に帰ったら、ガリユがいる。

「おお、おかえりアルド」

いつも通り、にこにこと笑ってアルドを迎え入れる養い親の後ろ、食卓に座ってガツガツと飯を食べるガリユを見つけたアルドは、またいる、こっそりと小さく呟いた。
ここ最近、バルオキーに帰るとなぜだか家にガリユがいることがある。毎回ではないけれど数回に一度には遭遇して、戸惑うアルドをよそにまるで我が家であるかのように当たり前の顔をしてくつろいでいる。
アルドの仲間たちは大抵、共に旅をしていない間はそれぞれの時代に帰って過ごしているから、ガリユがアルドたちの時代に滞在している事自体にも驚いたし、その過ごす場所がアルドの家だと知れば尚更だった。
どうやら独自に合成鬼竜と交渉をして自らこの時代へとやってきたガリユ、最初は何かアルドに用があるのかと思った。それもわざわざ家に押しかけるくらいだから、他の仲間にはあまり知られたくない類のものかもしれない。ただ顔を合わせるだけなら、バルオキーの家で待つより合成鬼竜で待っている方がよほど早い。
だからもしかして、とそんな予想に基づいて用件を尋ねたアルドに返ってきたのは、同意ではなくはっと鼻で笑い飛ばす息の音。

「この先の森にはなかなか楽しめそうなやつがいるようだからな」

そうして顎でしゃくって指してみせたのは、月影の森の方角。それを見てアルドは、ああ、と納得した。
幼い頃からけして近づいてはいけない、ここより先に踏み入ってはならないと教えられてきた月影の森の奥。まるでそこに封じられるように生息していたローテ・リベレの存在を確認したのはつい最近のこと。なるほど、強敵と戦いたがる節のあるガリユならば、彼の存在に目をつけてもおかしくはないだろう。くれぐれも森を燃やさないでくれよ、と何度も念を押して、その時はそれで納得した。

けれどちょっとおかしくないか、と思い始めたのは、何度目か、自分の家である筈の場所でガリユと顔を合わせた頃。
確かにアルドに言った通り、ローテ・リベレに単身挑みにはいっているらしい。しょっちゅうぼろぼろになって帰ってくるの、あの子、大丈夫かしら。アルドが村に帰るたびにガリユへの心配を口々に告げるのは、噂好きの村の女性たちだ。彼女たちの話によれば、バルオキーに滞在している間は日に一度は森の奥へと向かっているらしい。さすがに一人でローテ・リベレに挑むのは無茶がすぎやしないかとアルドも心配だったけれど、そこは大丈夫だと村長でアルドの養い親でもある爺ちゃんが太鼓判を押してくれた。
爺ちゃんはローテ・リベレのことを村人たちよりもよく知っていて、少々荒っぽいところはあるがきちんと分別はあって、認めた相手にはそれなりに敬意も払ってくれるのだと言う。その気になれば空をどこまでも自在に駆け回ることの出来るあの存在が、月影の森の一部に自らを封じ留まってくれている。それは彼がいたずらに命を摘み取ることを良しとしていない何よりの証左であるとの主張を聞けば、納得できる部分もある。よくぼろぼろになっているというガリユも、致命的な怪我は負っていない。時に月影の森の真ん中、傷を癒す効果のある不思議な湧き水の前に放り出されていることもあるとの話もあって、それを聞けばより一層話の信憑性も増す。

「遊び相手が出来てやつも喜んでおるじゃろう。さすがにもうわしが相手になってやるのは難しくなっておったからな」

更には実際に、村長自身も以前はローテ・リベレの相手をしていた事を仄めかされれば、大好きな養い親の言葉、アルドがそれを信じない理由がない。だからガリユの安否自体は、あんまり無茶しなきゃいいけどな、とは思っていてもさほど心配はしていない。
アルドが気になりだしたのは、ローテ・リベレに関すること以外の部分。彼の存在と戦うためだけにバルオキーに滞在している、にしては、いまいちガリユの行動が奇妙だったのだ。
たとえば村の子供たち。少し前まではなわとびに夢中だった彼らの中で今流行っている遊びは、『焔竜ヴァシュタルと最強の炎使いごっこ』だ。ヴァシュタル役と最強の炎使い役に分かれて、より強そうな台詞を言ったりポーズを取った方が勝ちで、審判は役についてない子供たち。その遊びの内容はおそらく子供たちが独自に考え出したのだろうけれど、その話の出処はどう考えてもガリユだ。ヴァシュタルも炎使いもすごく強くてかっこいいんだよ、とキラキラした目で語る子供たちを見れば、おおよそどんな話をしたのかも見当がつく。
つまりガリユは、子供たち相手にそれなりに時間を割いてヴァシュタルの話をしてやったことになる。しかしガリユはたとえ子供相手だとはいえ、子供というだけで優しく接したりなんてしない。琴線に引っかかれば多少荒っぽい方法で手を貸して背を押してやることもあったとして、彼らにねだられるままに物語を聞かせてやるような柄ではない。それがアルドの知るガリユだった。だからこそ、違和感がある。
そういった類の違和感が、村のそこかしこに存在していた。たとえば警備隊の見回りに同行するガリユ、それだけなら強敵との出会いを求めてのこととも思えるが、他にも消えた火種に火を足してくれるガリユ、荷物を家まで運んでくれるガリユ、なんてものまで存在すれば、それは本当にガリユなのか、話を聞いたアルドの方が混乱してしまった。

けして悪いやつではない。悪いやつではないけれど、アルドの知るガリユは自分から積極的にそういうことをするやつでもない。力を認めた相手に対しては多少話に耳を傾けるようになるものの、誰かれ構わず向けられるものではないし、困った誰かがいても興味のそそられる案件でないと分かれば、以降は視線の一つも寄越しはせず、完全に意識の範疇の外側に置いてしまう。ガリユのそういう部分は、人間よりも精霊たちのそれによく似ている。
なのに村人たちから聞くガリユの話はみな「何でもかんでもすぐに燃やそうとするのはちょっと困るけど」との前置きはつけられつつも、まるでらしくないものばかりで占められていた。

一体どうしちゃったんだろう。そりゃあアルドだって、やたらめったら何でも燃やそうとするよりも大人しく村に馴染んでくれた方が助かるし嬉しいけれど、一方で何とも言えないもやもやが残る。大人しくはしていてほしいけれど、無理に自分を曲げて押し殺して欲しい訳でもないのだ。何より自制の中身だけでなくその行為自体がまた、あまりにらしくない。
もしかして何か変なものでも食べたんじゃないか、まさかポムの開発中の薬でも間違えて飲んでしまったんだろうか。
ついにはローテ・リベレに相対するガリユよりも様子のおかしいガリユの方がよほど心配になってしまい、故にアルドはちょうど森から帰ってきたばかりのガリユを村の入口の手前で捕まえ、その場で改めて問うた。一体何のためにバルオキーに訪れているのだと。
至極面倒そうな様子で前回と同じくローテ・リベレの事を口にしたガリユに一旦頷いてみせてから、でもそれだけじゃないだろ、と続ければ、その眉間に僅かに皺が刻まれ忌々しげな舌打ちをされる。どうやらアルドの思い違いではなく、やはり別の目的もあったらしい。
一体それは何なのかと尋ねれば、眉間に刻まれた皺が一段と濃くなったから、答えてはもらえないかもしれないと思ったけれど、もう一度大きな舌打ちをしたガリユはゆっくりと口を開いた。

「……確かめるために必要だっただけだ。燃やして奪ってやっても良かったが、それではオレ様の望むものが得られる可能性は低かった。故に対価をくれてやったまで」
「確かめる? 何を?」

そして得られた答え、燃やして奪うだなんてちょっぴり物騒な言葉に慌てるより先に、アルドは安堵する。とても、アルドのよく知るガリユらしかったからだ。それにすぐに実力行使に出たがる所はあるけれど、考え無しに暴れ回る訳でもない。燃え上がる炎とは対照的に、案外冷静に物事を見極める部分もある。だから何かの目的があってらしからぬ行動をとっていると言われれば、違和感が落ち着いてすとんと腑に落ちる。

「お前とお前の妹の話だ。……ふん、どいつもこいつも、オレ様がわざわざ水を向けずともぼろぼろと話しやがる」
「オレたちの話を……? ……なんで?」

しかしその目的の中身を尋ねた言葉に返ってきた答えに、アルドは再び困惑した。また、あまりにらしくない事を言い出したから。
他の仲間たちの中には、アルドやフィーネのことをもっと知りたいと言ってくれたり、昔の話を聞きたがる者もいたけれど、ガリユはそういう事に興味がある質ではない。アルドの力を認めてくれはしても、その興味が向けられている大半はアルドの振るう剣の実力とその旅の先に存在するまだ見ぬ強敵たちだろう。多少はガリユなりの気遣いらしいものを向けられている気がする事はあるけれど、間違ってもアルドやフィーネの村での話に興味を持つ方じゃない。そんな話を聞きたがる姿よりも、くだらんと一蹴する姿の方がよほど想像しやすかった。

「アルド、お前が言ったのだろう」
「オレが?」

けれど、そうだ。
アルドは既に知っている。その炎の魔法使いの心を、大きく占める存在のことを。

「ジジイどもがオレ様に向けたものが、お前のジジイがお前たちに向けたものと同じだと。……それを、確かめに来ただけだ」

ジジイども、憎まれ口のようでどこか気安い親愛も滲む呼称を口にしてぷいと横を向いてしまったガリユを見た途端、アルドが抱いた疑問や違和感は綺麗さっぱり霧散してしまった。
あれほど奇妙に思えたガリユの行動の全てに、ヴァシュタルの一言を添えるだけで、みるみるうちに点と点が線で繋がって急速に理解が深まってゆく。
確かに言った。ヴァシュタルの最期に立ち会った時、そういった旨の言葉を口にした。思いもよらぬ事実を聞かされ動揺を露わにし、困惑と期待と疑念を混ぜ込んだ葛藤で迷い子のように瞳を揺らす彼に知って欲しくて、アルドの目から見えていたものを伝えた。
彼はそれを、確かめに来たのだという。
ああ、ガリユの目にはどんな風に見えただろうか。アルドの唇に自然と笑みが浮かぶ。彼の焔竜と自身の養い親に同じ色を見出した己の見解を、まるで疑ってはいない。たとえ血は繋がっていなくとも、家族として大切に育ててくれたことを知っている。そして少し照れくさくなるくらい、養い親が、爺ちゃんが、アルドとフィーネに惜しみなく言葉で愛情を伝えてくれる人だとも、よく知っている。
だから。ヴァシュタルがガリユに向けていたのと同じ温度の瞳で、アルドとフィーネの事を語る養い親の姿を見れば、ガリユも、きっと。

「それで、どうだった」
「お前のことを話すお前のジジイも、この村のやつらも。……忌々しいほど似ていやがる」

アルドの言葉に淡々と答えつつ、何かに耐えるように目を瞑ってしまった彼の眉間、刻まれていた皺は先程よりも薄くなっている。ほんの僅か寂寥を滲ませた拳をぎゅっと握りしめ、吐き捨てた声音には静謐が満ちていた。
歓喜と後悔がないまぜになり、愛と憎悪が交互に顔を出し、幸福でも不幸でも足りない。喜怒哀楽の全てがそこにはあって、そのうちのどれとも断言することは出来ない。やがてゆるりと上げられた瞼の下から現れたのは、ちらちらと揺れる炎の燻る瞳。葛藤で繋がれた感情の全て、内に抱えた何もかもを一瞬のうちに詰め込んで赤を揺らめかせてから、もう一度。瞬いた後に見えた赤い瞳に既に諸々の名残は存在せず、何もかもを糧として呑み込み大きく燃え上がる闘志だけが浮かんでいる。
せっかちなやつだな。文字通り瞬きの間に湧き上がった感情を飲み下してしまったガリユに苦笑いを浮かべたアルドは、そうだ、蒸し返すことなくいつもの調子で話しかける。

「今日は泊まってくだろ?」
「ああ、次元戦艦は今日はもう捕まらんからな。……夜に出ていけばお前のジジイが煩くて面倒だ」
「うん、賑やかで爺ちゃんも喜ぶよ」
「……ふん、やつを倒すまでの拠点としてせいぜい利用してやるまでだ。まだ話を聞いていないやつもいることだしな」
「ははは、そうしてくれ」

すっかりとふてぶてしさを取り戻したガリユの声色は、欠片も動揺を乗せてはいない。背を押して促せば迷いのない足取りで真っ直ぐにアルドの家を目指す様は、通い慣れた風を醸している。
少し遅れて歩くアルドの視界に写るその背中は、いつもより心なしか大きく見えた。きっとこの村でのことに区切りがついたら、新たに得た経験と感情を糧に、彼の炎はより激しく強く燃え上がるのだろう。その背を見つめるうち、漠然とした予感がぽんと心に浮かぶ。
まるで全てを呑み込み大きく育ちゆく炎をそのまま人の形にしたような有様に、くすり、アルドは笑う。

(ほら、やっぱり家族じゃないか)

人の形を模したヴァシュタルがアルドたちの前に現れる時、燃え上がった炎と同じ形をその背中にみて無性に嬉しくなったアルドは、駆け足で近づいて軽くガリユの背を叩くと勢いのまま追い抜いた。「おい待て」後ろから声をかけられたけれど、速度は緩めない。そのまま養い親の待つ家へと向かって走ってゆく。
だって、ヴァシュタルとガリユに同じ色が見えたのが嬉しくって、少し羨ましかったから。
なんだかどうしようもなく、すぐにでも養い親の顔が見たくってたまらなかった。