ラビナ


コニウムを歩いている最中のことだ。アルドに同行していたラビナがふと足を止めると、興味深そうにぴくぴくと耳を動かした。
どうしたんだ、何か気になる事でもあるのか、尋ねようとしたアルドだったけれど、それを口にする前に小走りでラビナがどこかへと駆けてゆく。

「ラビナ?! 何かあったのか?」
「あっち!」

慌てて後を追いかけてその意図を聞いてみるも、答えは要領を得ない。さっぱり訳が分からなかったけれど放っておく訳にもいかず、その背を追っていればやがて村の酒場が見えてきて、ラビナは躊躇いなくその中に飛び込んだからアルドもそれに続く。
まだ昼間だったけれど、酒場には何人かの魔獣たちがいた。そして彼らは各々手に楽器を持って、何やら演奏を続けている。
ようやく動きを止めたラビナに、改めてどうしたのかと問おうとしたアルドだったけれど、それは再び叶わない。なぜなら彼らを見て耳をぴんと立てて尻尾をふるりと振ったラビナが、彼らの真ん中に立って朗々と歌い始めてしまったからだ。
突然の彼女の行動に、呆気にとられたのはアルドだけではなかった。魔獣たちもぽかんとしてラビナを見つめ、演奏の手をしばし止めてしまう。
けれどそれはほんの一瞬のこと。すぐにラビナの歌に合わせて誰かの弦がかき鳴らされると、呼応するように重なる旋律が増えてゆく。戸惑いを浮かべていた魔獣たちの表情が興味と好奇心に塗り替えられ、とても楽しそうな顔でドンドコと太鼓を叩き、爪弾く楽器から紡がれる音は一層厚みを増していった。
ラビナをコニウムに連れてきたのは、これが初めてだった筈だ。この時代よりずっと昔に生きるラビナが、これ以前に彼らと面識があったとも考えにくい。
それなのに、まるで打ち合わせでもしたかのよう、ラビナの歌声も楽器の音も寸分の齟齬もなくぴったりと噛み合っていた。最初からそうであったかのよう、一つの音楽をラビナと魔獣たちが紡ぎだしてゆく。魔獣たちよりも状況を把握するのに時間がかかってしまったアルドだったけれど、彼らを前にして一体どういうことだと大声を張り上げるような真似をする気持ちはちっとも起きない。まだよく訳は分かってはいないけれど、ひとまずはこの、気持ちがよくってどこか懐かしい調べに身を浸し堪能することにした。


「ああ、最高! 楽しかった!」

やがて一つの曲が終わり、ぽろろん、爪弾かれた弦の音が余韻を残して消えたあと、一瞬の静寂が酒場の中を支配する。その直後、わあっと方々から歓声があがり、中心にいたラビナは天を仰いで気持ちよさそうに笑っていた。

「すごかったよ。今の、有名な曲なのか?」
「ううん、即興だよ」

ぱちぱちと拍手をしながらラビナに近づいたアルドが率直な気持ちと疑問を口にすれば、帰ってきた言葉に驚いてしまった。それほど音楽に詳しい訳ではないけれど、バルオキーでも祭りの時には村人たちが楽器を演奏するし、ユニガンの酒場で吟遊詩人の演奏を聴いたこともある。だから即興で奏でられる演奏も何度か耳にしたことがあったけれど、これほどの完成度のものは聴いたことがなかった。それほどに、ラビナと魔獣たちの演奏は何もかもがぴったりと嵌まっていた。まるで最初からそれがあるべき姿だったみたいに。
すごいな、さすがラビナだな、アルドが感心していると、演奏していた魔獣の一人が近づいてきて、興奮冷めやらぬ様子で頬を紅潮させてラビナの手を握るとぶんぶんと大きく上下させる。

「あんた! すごいな! まるで魔獣みたいだった!」
「あはは、ありがとう。あたしも初めての演奏でこんな気持ちよくなれたの、初めてだよ」

最初は魔獣の様子に少しびっくりしていたラビナだったけれど、すぐににこりと表情を綻ばせると尻尾をゆるゆると振る。

「この村にも何度か、人間の吟遊詩人が来たことはあるんだが、あんたほど魔獣らしく魔獣好みの歌を歌ったやつはいなかった。人間……人間だよな?」
「うーん、一応そのつもりだよ?」

勢いのままに喋り立てていた魔獣は、そこでラビナの耳に気づいたらしい。どこか戸惑ったように尋ねる言葉に、ラビナは気を悪くした風もなく笑ってあっさりと答える。

「もしかしたらさ、魔獣の先祖にラビナがいるのかもしれないな。ラビナの歌が、魔獣の中に残ってるのかもって思えちゃったよ」
「先祖?」

ふと、思いついたことアルドが口にすれば、魔獣は訝し気に首を傾げた。当然だろう、彼はラビナが遠い昔に生きていることを知らない。
けれどラビナには、アルドが言いたい事が伝わったようだ。先祖、小さな声で呟くと、へにゃりと頬を緩めて笑った。

「あはは、だったら嬉しいな。あたしの音楽が、時を超えてこの時代まで続いてるってことでしょ? ふふ、だったらすっごく素敵だな」

心の底から嬉しそうにしみじみと呟くラビナに、つられてアルドの顔にも笑みが浮かぶ。
二万年、なんてとんでもない時間の中で、何があったかなんて正確に把握するなんてとても出来やしないし、本当のことなんて何も分からない。
けれど、コニウムの酒場に置かれた楽器の数々、彼らの日常の隣にある旋律。そういえば、魔獣は音楽が好きなのだとギルドナも言っていた気がする。そんな魔獣たちの音楽の中に、ラビナが息づいていると想像してみれば、なるほど、それはとびっきり素敵なことのように思える。なんとなく思いついて言葉にしたことだけれど、考えれば考えるほど、そうだったらいいな、そんな風に思えてしまう。

「あんたらの言ってる事はよく分からんが……まあいい、まだいけるだろ? ほら、あいつらも待ちきれないって顔してる」

そんなアルドとラビナを交互に見た魔獣はしばらくは腑に落ちない顔をしていたけれど、気持ちを切り替えたようで明るい顔で楽器を掲げて後ろを振り向いた。そこには、既に新たに演奏を始める気満々の魔獣たちがいて、期待に満ちた眼差しでラビナを見つめている。
これは、しばらく帰れそうにないな。苦笑いを浮かべたアルドだったけれど、彼らの期待を裏切るような真似はしない。そっとラビナの背を押してやると、彼女はにこりと笑ってすうっと息を吸い込むと、喉を震わせ美しい音をその唇から紡ぎだす。
重なってゆく旋律、膨らんでゆく音、何もかもが噛み合った心地よい音楽。
この後の予定もいくつかあったけれど、今だけはそんなことは全て忘れることにして。ラビナと、もしかしたら彼女の系譜であるかもしれない魔獣たち。彼らが生み出す音楽に、どっぷりと浸ってしまうことにしたアルドは、静かに目を閉じてその旋律に身を委ねた。