変わらないもの


(……どうしたものかな)

 夕焼けに赤く染まる蛇尾コラベルにて。
 岸壁につけられた次元戦艦より大地へと降り立ったギルドナは、見送りも早々に腰から下げた荷物袋から小さな箱を一つ取り出すと、しばし睨みつけるようにそれをじっと見つめてから、ふうっと大きなため息を吐き出した。
 未来の人の街で売られていたその箱の表面には幼い子供が好みそうな簡略化された愛らしい猫の絵が描かれていて、中には猫の形にくり抜かれたクッキーが詰まっている。同行していたアルドの仲間のシュゼットという少女が、見た目だけでなく味もいいのだと太鼓判を押していたものだ。
 ギルドナ自身は、さして甘いものが好きな方ではない。けれど結局はそれを買い求めることにしたのは、頭の中にギルドナを慕う幼い二人の子供の姿がぽんと浮かんだから。

 何が気に入ったのかは分からないが、コニウムに住まう幼い双子は気がついた時にはすっかりとギルドナに懐いていた。ギルドナがコニウムを訪ねるたびに歓声を上げて駆け寄ってきて、ギルドナ様ギルドナ様と子供特有の高い声で名を呼んで、村のどこへゆくにもちょこちょこと後ろをついてくる。
 村の者たちと外の情勢について話し合ったり情報交換をしている際にはきちんと弁えて離れた場所で大人しく待っているが、それ以外の時間はほぼ四六時中ギルドナについて回っているといっても過言ではない。
 そこまで素直に慕われれば悪い気はせず、コニウムの中では子供たちがついてこられるよう、外を歩く時よりも幾分歩調を緩めるのが習慣となっていた。

 そしてコニウムに訪れる際は双子へと土産を用意するのもまた、日常に溶け込んだ習慣の一つだった。
 人との争いに加え、次期魔獣王の座を巡り魔獣の中ですら不穏の気配が漂い始めた昨今。無暗と災禍に巻き込まぬため、穏やかな気質の者が集まるコニウムを訪れる機会は以前に比べれば随分と減っていたが、それでも彼らへと渡す土産を欠かしたことは無い。
 出先で美しい花があればヴァレスが喜ぶだろうと押し花にして保存して、綺麗な虫の抜け殻があればミュルスが好きそうだと形を損なわぬように慎重に瓶の中にしまいこむ。
 形のいい石、鮮やかな色のリボン、甘い菓子、古今東西の様々な物語の記された書物。二人が好きそうなもの、喜びそうなものを見つけるたびに手に取っていれば、荷物袋はすぐにいっぱいになってしまった。
 そうして集めた土産を双子に渡せば、きらきらと瞳を輝かせてぴょんぴょんとあちこちを飛び跳ねまわる。体いっぱいに喜びを表してはしゃぐ二人の姿を見れば、さすがに飛び跳ねはしないものの、ギルドナの口元にも自然と笑みが浮かぶ。
 ある意味で二人の存在は、外での殺伐とした日々にひと時与えられた癒しのようなもので、故にギルドナの頭の片隅には常に、彼らへと渡す土産を見繕う思考が存在していた。

 だから遠い未来の街でこれを見つけた時、あいつらが喜びそうだなと考えるより前にもう手が伸びていた。少し前にギルドナがやった絵本のうち、猫が出てくる話を二人がいたく気に入っていたことを思い出したから。
 二人とも文字は読めるようになっている筈なのに、村に訪れる度にギルドナに読んでほしいと主張して、気に入りの絵本を差し出してくるのだ。受け取って椅子に座れば、右の腿にはヴァレスが、左の腿にはミュルスがちょこんと腰かけて、両側から期待の滲んだ眼差しを向けてくる。そんな目を向けられて、自分で読めと突き放せるほど薄情にはなれない。
 何度も読んでやった話、既に何も見なくても語れるほどに覚えてしまっていて、それは二人だって同じだろうに、飽きる素振りはまるでない。猫を連れた主人公が危ない目に遭えば悲鳴をあげ、悪者をやっつければ歓声をあげる。
 そして物語の終盤、ニャーニャーゴロニャ?ンとお供の猫が鳴いて主人公を鼓舞する場面に差し掛かれば、読み上げるギルドナの声に加わって小さな猫が二匹、左右から加わるのがお決まりの流れとなっていた。
 蛇骨島には本物の猫がいない。
 だからこそ余計に喜ぶだろうと買い求めたそれを受け取る小さな手が、もう、どこにもないことを思い出したのは。
 買い求めたクッキーの箱を三つ荷物袋に収めて店の外に出てからようやく、だった。

 ほんの瞬きの間に、世界は大きくその姿を変えていた。 
 赤子は少女へと、少年と少女は青年へと育っていた。
 何一つ変わらぬのは、ギルドナただ独りだけ。
 まるで次元戦艦で一人だけ未来へと跳んだように、自分以外の時間が十六年分進んでいた。

 自身に起こったことを、理解していない訳では無い。あまりに荒唐無稽で信じられずとも、現状を教える手がかりは数多存在していて、それを目にして何もかもを夢物語の嘘だと断じるほどに固い頭はしていないつもりだ。
 けれど理解はしても、納得して飲み込めないものがいくつか残っているのも真実で、ヴァレスとミュルスの二人についてはその最たるものだった。
 つい先日、ギルドナの記憶ではふた月ほど前に会ったばかりの二人はまだ十にもならない子供だったのに、今やギルドナの歳を追い越して大きく育っている。

 そんな二人のことをギルドナの知る二人の姿に結びつけることが、実はまだうまく出来てはいない。アルテナはまだ言葉も喋れぬ赤子だったため、却って今の姿をすんなりと受け入れることが出来たが、二人については未だ幼い頃の印象が強くて、今の姿に違和感を覚えてしまう。
 ヴァレスは歳だけでなく背までギルドナより大きくなってしまって、軽やかな鈴の音のようだった愛らしい声は、低く太いものに様変わりしていた。その声で魔王様と呼びかけられても、その呼称自体にも慣れていないこともあって、一瞬、誰が誰を呼んでいるのか分からず混乱しそうになる。昔はギルドナ様と呼んでくれていたのにな、思わずそんな言葉が喉元までせり上がりかける。
 ミュルスの声は多少落ち着いたくらいでさして変わらなかったし、ギルドナ様と幼い頃の呼び名のままに呼んではくれるが、それが良いかといえばこちらも微妙だ。なにせ声でミュルスだと判断して振り返った際、無意識のうちに幼い彼女の顔があった高さに目をやってしまうのだが、ヴァレスほどでなくともミュルスもまた背が伸びて成長している。だから今はその、幼いミュルスの頭の位置だった場所にはふくよかな胸があって、……けして、けっして意図した訳ではないが、彼女を見る時にまず胸に目をやってしまう状況になっているのが、少し、……かなり、気まずくていたたまれない。
 いっそ面影もないほどに様変わりしていれば、幼い二人とは別人だと割り切って接することも出来ただろうに、違う者として扱うには幼い頃の面影がありすぎた。ギルドナに向ける親愛の滲んだ瞳の色は同じで、よく見れば顔つきも幼い頃の二人とよく似ていた。けれど全体的に大人びて落ち着いた振る舞いが手伝って、どれほど似ていたとしてもやはりまるで違うようにも見える。
 同じだと判断するには違いすぎて、違うと断じるには同じところがありすぎる。
 だからギルドナは未だに、二人とどう付き合ってゆくべきか、答えを見つけられないままでいる。

 ぼんやりと物思いに耽りつつ、寄ってくる魔物を適当に威嚇して散らしながらコニウムまでの道を歩く。歩調は速い。
 村の入口に差し掛かれば、ギルドナに気づいた村人たちが口々に帰還を喜ぶ声をかけてきた。おかえりなさいギルドナ様、大声を張り上げる子供たちもいて、表情を緩めて手をあげて応えはしたが、違和感と物寂しさは心に棲みついたまま。
 ギルドナにとってはつい最近まで、村に足を踏み入れるとすぐに聞きつけて全速力で走ってきて、勢いのまま腰に飛びついて歓迎してくれる二人の子供の姿があるのが当たり前だったから。今だって家路を歩きながら、ギルドナを慕う小さな子供たちが記憶のままの姿でどこかから駆け寄ってくるんじゃないか、そんな幻想を捨てることが出来ない。
 けれど結局、ギルドナの夢想は現実となることなく家まで辿り着いてしまう。当たり前だ、唇を歪めて自嘲したギルドナは、大きく深呼吸をしてから家の戸に手をかけた。

「おかえりなさい、兄さん」

 すぐに気づいて迎え入れるアルテナの声に続いて、おかえりなさい魔王様、おかえりなさいギルドナ様、と、ヴァレスとミュルスの声がしたが、勿論二人とも飛びついてはこない。
 それに対する落胆と寂しさはあったものの、努めて表情に出さずに頷くことで声に応える。二人との付き合い方はまだ模索している最中ではあるけれど、過去の面影ばかりを追って今の二人をないがしろにして傷つけるつもりはなかった。
 マントを脱ぐと同時にすすすと近寄ってきたヴァレスに手渡せば、慣れた手つきで衣装掛けに引っ掛けて壁に吊るす。軽くなった肩をぐるりと回して首をこきりと鳴らしてから、ああそうだ、とたった今思い出した風を装って、荷物袋から土産を取り出してアルテナへと差し出した。

「わあ! これって、ニャーニャーゴロニャ?ンの猫よね? フィーネが好きな猫!」
「ああ、そうだ。ニャーニャーゴロニャ?ンのやつだ」
「嬉しい、ありがとう兄さん!」

 土産の箱を見てすぐにぱっと表情を輝かせたアルテナもまた、どうやらあの猫が出てくる絵本を読んで育ったらしい。ギルドナとアルテナ、ヴァレスとミュルスにとっては、猫といえばニャーニャーゴロニャ?ンが共通認識となっている。
 喜ぶアルテナを前に満足して頷いたギルドナは、少し離れた場所でにこにこと笑いながらこちらを見守っていたヴァレスとミュルスにも声をかける。緊張していることを悟られぬよう、少しばかり素っ気ない物言いで。

「お前たちにも土産だ」

 もしもこれが、玩具の類なら差し出すのを躊躇っただろう。幼い二人を思い浮かべて買ったそれらは、既に大人になってしまった二人にはあまりにも子供じみていると判断して、全てアルテナへの土産として扱ってしまったかもしれない。実際、何度かそうして二人に買った分の土産まで、アルテナに渡してしまった事はある。
 けれど今回は菓子だったから構わないかと思ったのだ。外装は多少可愛らしすぎるところもあるが、腹に収めてしまえば同じ。形なんて関係ない。二人とも甘いものは特に嫌いではなかった筈で、大喜びとまでは行かずとも嫌がられたり苦笑いを浮かべられる事はないだろうと判断してのことだった。
 そんなギルドナの予想は、大きく裏切られる事になる。それこそ全く、想像もしていなかった方向へと。
 くるり、体ごとギルドナの方を向いて手に乗せた箱を見た二人は、揃ってこれ以上ないくらいに目を見開くと、だだだだだっと勢いよく駆け寄ってきたのだ。

「おみやげですかっ!」
「わぁい、ギルドナ様のおみやげ!」

 ふわふわと花びらが舞う幻覚が見えるような笑顔を浮かべ、キラキラと瞳を輝かせた二人は両脇から、ヴァレスは右側から、ミュルスは左側からギルドナを挟むと、期待で上擦った声でお土産、おみやげだと弾んだ声で繰り返す。
 予想もしていなかった反応にギルドナが呆気にとられていると、ぴったり同じタイミングではっとしてみせた二人が、一歩ギルドナから距離を取って後ずさり、取り繕うように表情をきりりと引き締めた。けれど繕いきれない感情はあからさまに漏れ出ていて、そわそわと落ち着かない様子で体を動かしてはギルドナと土産、交互にちらちらと視線をやっている。
 その仕草が二人ともそっくり同じで、体つきも振る舞いも何もかも大人になってしまったと思っていたのに、記憶の中の幼い二人とまるで変わらない。

「ふ、はは……ははははは」

 そんな二人を見るうち、気づけば笑い声が飛び出していた。

 何もかも変わってしまったのだと思っていた。
 ギルドナだけを置いて、世界の全てが知らぬ形になってしまったのだと思っていた。
 独りだけ、十六年分、取り残されたようにすら思っていた。
 頭では事象を理解していても未だ心は追いついておらず、可愛がっていた双子の成長した姿を同じものだと理性では受け入れようとしていたつもりで、感情は拒絶を続けていた。 
 きっとどこかには、お前たちは違うと頑なに忌避する想いが横たわり続けていた。
 けれど、まるで幼い子供のように土産を喜ぶ二人が、記憶の中の二人と何一つ変わってはいなかったから。うまく結ぶことの出来なかった幼い弟分と妹分の姿が、今の二人にぴたりと重なったから。
 ここはけして見知らぬ世界などではなくちゃんとギルドナの記憶と地続きの世界なのだと、ようやく本当の意味で受け止める事が出来た。

 突然笑いだしたギルドナをきょとんとした顔で見つめるヴァレスもミュルスも、やはり記憶の中の幼い姿と同じ。確かに姿形は随分と成長してしまって振る舞いも年相応に大人びはしているけれど、どうして今まで気づかなかったのだろうと思うほど、本質は何も変わってはいやしない。

「ち、違うんですギルドナ様っ!」
「そうです! その、久しぶりだったので……嬉しくて、みっともないところをお見せしてしまいました」

 少し、笑いすぎてしまっただろうか。徐々に表情に焦りを滲ませた二人があわあわと弁解をしようとしたが、それがまた悪戯がバレて慌てる幼い二人の姿に重なって、笑い止むどころか追加で腹の底から愉快な気持ちがこみあげてくる。
 なんだ、一緒じゃないか。ギルドナは思う。
 ギルドナが現状にどこかでは戸惑っていたように、二人もそんなギルドナに戸惑っていたのではないだろうか。ギルドナの無意識の警戒が、二人に殊更大人びた顔をさせていたのではないだろうか。ギルドナが笑えば笑うほど、二人が焦れば焦るほど、するすると解けてゆく空気になんとなしに思う。
 緩んだ空気の中から見えたのは、よくよく馴染んだ懐かしい気配。それに気づいた瞬間、知らずギルドナが二人に向けて作っていた薄い壁が、ほろほろと崩れてゆくような気がした。

「良かったわね、二人とも」

 笑い止まぬギルドナと慌てる双子の間に入ってきたのはアルテナだった。にこりと笑って二人にぱちりと片目を瞑ってみせてから、どこか悪戯めいてにっと唇の端を吊り上げた。

「二人とも、兄さんが素っ気ないから、嫌われたのかもしれないって落ち込んでたのよ」
「アルテナ……!」
「それは内緒にしてくださいとあれほど……!」
「ふふふ、いいじゃない。ね、兄さん」

 アルテナの言葉に、びくりと大きく体を震わせた双子は、悲鳴のような抗議の声を上げる。けれど悪びれることなく肩をすくめたアルテナは、今度はギルドナに向けてぱちりと片目を瞑ってみせた。
 その、どこか確信めいた表情に、もしかして一番よく分かっていたのはアルテナだったのではないかと気がつく。
 どうやらお互いを気にしてぎこちなくなっていたギルドナたちのことを一歩離れた場所から見ていたこの妹には、全てがよく見えていたのだろう。だからこそ今、この機会にわだかまりを綺麗に消し去ってしまうべく、二人もまたギルドナの態度を気にしていたことを教えてくれたのかもしれない。
 自身の予想が当たっているか確かめるためにアルテナの方を見れば、しっかりね兄さん、と口の形だけで告げられる。

「悪かったな」

 改めて謝罪の言葉を告げれば、また二人が大いに慌てはじめる。その中で魔王様とヴァレスに呼ばれても、もう取り違えない。そうだ、ヴァレスは絵本の中の魔王も好きだったじゃないか。ミュルスの頭の位置だって、もう間違えない。そうだ、ミュルスはもっと大きくなるのだと言っていたじゃないか。
 何もおかしくなんかない。何も違っていやしない。何も変わってなんていない。何も、何も、何もかも。

「……次は、もっといいものを持ってきてやろう」

 記憶の二人の姿と、目の前の二人の姿を、頭の中でぱちんぱちんと結びつけながら告げてやれば、瞬時にきらりと輝いた二対の瞳はまさしく、ギルドナの可愛い弟分と妹分のもの。
 それ以外の、何者でもなかった。