オトハ
(おろ?)
昼間のリンデの酒場、昼食を食べにやってきたオトハは店にいた一人の男に目をやって、はて、と首を傾げる。
オトハと同じ東方から来たというシオンという男、アルドの仲間として既に顔は合わせてはいたが、店の中、難しい顔で何やら手元をじっと見つめる彼にふと既視感を覚えたのだ。
(どっかで会ったことなかったかの……ほれ、あの顔じゃあの顔、どっかで……)
眉間によった皺、鋭すぎる眼光。なんとなく体から尋常でない闘気が漏れ出しているようにも見えて、そこそこ客のいる店の中、彼の周辺だけぽっかりと空いている。その光景に、ひどく憶えがあるような気がする。
うーん、腕を組んで首を傾げながら近づいてゆけば、シオンが顔を上げてオトハを見る。その表情には僅かに困惑が滲んでいた気もしたが、構わずオトハは距離を詰めて至近距離からじろじろと男を観察した。
「そうじゃ! お主、猫神神社に来ておった侍であろう!」
「……確かに、何度か参ったことはあるが……」
「ニャハハッ、そうかそうか、なーんじゃ妾の信者であったか!」
そしてちかりと閃いたのは、神社に時々姿を見せていた妙な気迫に満ちた侍のこと。猫神神社の猫たちは人懐っこい猫が多いが、その猫たちも男の気迫に押されてけして近づこうとはせず、警戒しつつ遠巻きに眺めていた。そんな猫と男の姿が、今の酒場の客と男の姿に重なったのだ。
思い出してすっきりとしたオトハは、そのままシオンのいるテーブルにつくと切り出した。
「で?」
「……で、とは」
「もう、鈍いのう! 難しい顔をして、何ぞ悩んでおったんじゃろ? 全知全能の猫神オトハが、特別にお主の悩みを解決してやろうっちゅーとるんじゃ。感謝せい!」
東方より離れた地で出会った猫神を信奉する者にすっかりと気をよくしたオトハは、鷹揚と告げる。神とは心が広くすごいものなのだ。悩みの一つや二つ、ちょいちょいと解決してやろう。
しかしシオンはすぐに悩みを打ち明けようとはせず、先ほどよりも困惑を強くした顔でオトハを見つめるばかり。すぐに痺れを切らしたオトハは、強引にその手元を覗き込んだ。
「なんじゃ、連絡用の板か。そんなものを見つめて、何をしておったのじゃ」
「……これで、猫を見ることが出来るのだと聞いたのでな」
「ふむ?」
シオンが持っていたのはアルドから渡された連絡用の板で、オトハも持っているものだ。次元戦艦がこの時代に現れると、恐らくは神通力のような力でぶるぶると震える仕組みになっていて、なんでも居場所まで分かるらしく用があればアルドたちが迎えに来てくれる便利なものだ。
それで猫が見れるとはどういうことか。さっぱりと分からない。
「そう聞いたはいいが、如何せん操り方が分からん」
「ふふん、妾に任せておくのじゃ!」
けれどオトハは全知全能の猫神であると大見得を切った手前、分からないなんて言えない。
(まあ、なんとかなるじゃろ)
シオンから板を受け取ったオトハは、まずは念を送ってみる。しかし猫は出てこない。ぶんぶんと振ってみる。けれど猫は出てこない。気合いを入れてはあっと叫び手のひらを翳してみる。それでも猫は出てこない。
「駄目じゃの」
「やはり、分からぬか」
「ちっがーう! えーと、あの、そうじゃ、その板は猫が出てこない板なのじゃ!」
うんともすんとも言わない板にすぐに飽きてしまったオトハがぽいと板を投げれば、心なしかシオンががっかりとした気配を察して慌てて言い訳をする。本当かどうかは知らないけれど、オトハがここまでして何もならなかったのだから、きっとそうだ、その筈だ、と強引に自分自身をも納得させる。
しかし、どうしたものか。このままでは猫神の威光が薄れてしまうかもしれない。それは良くない。オトハはむうっと考え込む。
(猫神神社にやってきて、板に猫を写したいと望んでおるということは……はっ、そうかこの男、猫が好きじゃな?)
そうして浮かんだ名推理には、とっておきの解決法が存在していた。
「ニャッフッフ、妾は猫神オトハ。つまり猫の中の猫じゃ! 故、猫を愛でたいのならば、妾を愛でるがよいぞ!」
「……気持ちだけ、頂いておこう」
しかしオトハのせっかくの申し出は、さしても間を置かず丁重に突き返されてしまった。
「遠慮せんでもええんじゃぞ? ささ、たーんと愛でるがよい! そうじゃ、報酬にはマタタビ酒を頼むぞ!」
「謹んでお断り申し上げる……っ!」
愛でろ、断る、愛でろ、断る。何度も押し問答を繰り返すうち、頑なな男にちょっぴりむっとして少々強引に手を伸ばせば、すいと避けられてますますむっとする。ある程度は分かっていたが、この男、出来る。ひょい、すい、ひょい、すい、躱され続けるうちに胸の中、メラメラと闘争心が燃え上がってゆく。
「ええい、まどろっこしい! 表へ出ろ! 勝負じゃ!」
ついには痺れを切らし、びしっと指を突き付けて宣戦布告をする。シオンはあまり気乗りのしない様子だったが、二人のやり取りを見ていた酒場の客たちに囃し立てられ、渋々と頷いて促されるままに店の外に出た。
「いやー、いい汗かいたの!」
そしてリンデの外れにて。一通り手合わせを終えてすっきりとしたオトハは汗を拭ってにっこりと笑う。既に頭の中から、発端の出来事は綺麗さっぱりと消え去っていた。
仕方がない。猫というものは気まぐれで飽きっぽい生き物なのだから、猫神であるオトハにおいてはいわんや、である。
なお、例の板、連絡用の端末については、後にリィカが猫の画像や動画をたっぷりと入れて操作方法も教えてくれたため、時折懐から取り出しては幸せそうに眺める侍の姿が見られるようになったらしい。