まだ当分は、兄貴面


夜の帳に包まれた、静かな村にて。
村の中心、窓から柔らかな光の漏れる酒場の分厚い扉を開ければ、外の静けさとはうって変わり、あっという間に中の喧騒に包まれる。まださほど夜も更けていないのに、既にすっかり出来上がっている者もちらほらと見受けられた。
さして広くもない店の中、新たな客が扉を開けて入ってくれば、いくら酔っ払いといえどすぐに気が付く。現にダルニスがまだ体の半分は店の外にあるうちから、目敏く気づいた酔っ払いの一人に、ようダルニスじゃねぇか! と大声で名を呼ばれ、それをきっかけに酒場の中にダルニスの名を口にする声が広がってゆく。
まだダルニスは村の中では若年の方で、酒場に顔を出す頻度もさほど多くない。だからすっかりと年季の入った酔っ払いたちにとって、珍しい顔のダルニスは格好の玩具らしく、酒場にくれば一頻り構われて揶揄われるのが常だった。

そんな、絶好の酒の肴が来たとの顔を隠しもしない彼らに、苦笑いを浮かべつつ手をあげて応えたダルニスはふと、呼ばれる名前が足りない事に気づく。なぜなら今日のダルニスには連れがいて、あまり顔を出さない酒場にやってきたのも、彼を連れてくるのが目的だったから。妙に目敏い酔っ払いたちが、彼を見逃すはずはない。
訝しく思いさっと後ろを振り返ればやはり、そこに居るはずの年下の幼馴染の姿が見つからない。おかしいなと首を傾げてから一度酒場の外に出る。

ダルニスの連れ、年下の幼馴染であるアルドの姿は、外に出て探すまでもなく、すぐに見つかった。酒場の扉から数歩離れた所で、どこか居心地が悪そうにそわそわと視線をうろつかせている。

「どうしたんだ、入らないのか?」
「入るけど、ちょっと緊張しちゃって」
「緊張? ……お前が?」
「お、オレだって、緊張ぐらいするって!」

不審な様子を訝しがれば、なんともアルドらしくない言葉が返ってきたので思わず瞠目してしまう。
普段は見ている方がハラハラするくらい、誰に対しても気負わず接する幼馴染の口からまさか、そんな言葉が聞こえてくるなんて。聞き違いではないかと思ったけれど、間違いではなかったらしい。

「酒場なんて、昔からお前はしょっちゅう入り浸ってただろう?」
「そ、それは、そうだけどさ。……遊びに行くんじゃなくって、ちゃんとした客として行くのは初めてだから」

村の外から旅人が来ているらしいと噂を聞けば、旅の話を聞かせてもらうのだと喜び勇んで酒場に突撃していたし、そうでなくとも普段からマスターの料理を食べに行っている姿を見ている方からすれば、今更何を緊張することがあるのだろうと思ったけれど、アルドなりに思うところがあったらしい。

じゃあ今日はやめとくか、と告げたのは、煽るつもりではなく本心からだった。つい先日十六になったばかりの幼馴染を祝うべく酒場に連れてきたけれど、本人の気が進まないのでは意味がない。明日明後日に店が潰れるでもなし、何が何でも今日でなければならないという理由なんてないのだ。
けれどダルニスのその言葉で逆に、幼馴染の心は決まったようだった。きりりと表情を引き締め、大丈夫だ、行こう、と自ら酒場の扉に手をかけたアルドの、妙に力が入って強張った背中を、苦笑いで見送ってから、ダルニスもその後に続いた。


果たして緊張とは何だったのか。
酒場に入るなり野太い大歓声で迎え入れられ、あっという間に場の中心に据えられ、すぐに慣れた様子で受け答えを始めたアルドの姿を見ながら、ダルニスはこっそりと心の中で思った。

「しっかしアルドもそんな歳か。大きくなったなあ」
「こーんなちっこかったのにな。いやあ、そりゃ俺も歳とる筈だ」
「覚えてるかアルド、お前がこんくらいだった時、酒場で旅の剣士に」
「うわああっ、その話はやめてくれってば!」
「あの時のお前はそりゃあ可愛かったんだぞー」

口々にアルドの成長を喜ぶ酔っ払いたちは挙って思い出話に花を咲かせ始め、慌てたアルドが止めに入ったものの一向に止まる気配がない。むしろアルドが嫌がり恥ずかしがるほど、酔っぱらいたちは喜んであれもこれもとアルドの幼い頃の話を引っ張り出してくる。
方々からさあ飲めと木の杯を押し付けられ、あれも食えこれも食えとつまみを差し出され、アルドが律儀にせっせと口の中に詰め込んでいる間にも、話は更に展開されてゆく。村中が全員知り合いであるが故に、誰も彼もがアルドを小さな頃から知っているため、話が途切れる気配すら見えない。

(……仕方ないか)

その姿を少し離れた場所から見ていたダルニスは、ある種の諦念と共に現状を受け入れた。
本当は、酔っ払いたちが一通りアルドを構い倒して気が済んだところで、改めて幼馴染と二人、酒を飲みながらじっくりと話が出来ればと思っていたのだけれど、今も尚、揉みくちゃにされているアルドの姿を見るにそれは難しそうだった。
こうなることもある程度予測はしていたから、落ち込みまではしないものの、多少残念に思う気持ちがない訳ではない。

だから。
村の大人達によってたかって昔の失敗談を蒸し返され、ほんのり赤い顔で止めに回るアルドから心底弱ったような視線を向けられたダルニスが。

「そういえば昔、アルドと二人で釣りに行った時」
「だっ、ダルニス?!」

助け舟を出す代わりに、とっておきのエピソードを携えて大人達の輪に加わったのは、そんな残念な気持ちの裏返しでもあった。


「大丈夫か、アルド」
「うーん……うん、だいじょうぶ……」

結局。
絶え間なく酒を注がれ飲め飲めと煽られ、酒の肴にからかわれ続けたアルドが潰れるのは早かった。
ついにゆっくりと二人で話す時間もとれないまま、バタンと酒場のテーブルに突っ伏してしまった幼馴染にようやく、酔っ払いたちが調子に乗って飲ませすぎた事に気がつき、差し出した杯を慌てて引っ込め心配を口にする。酒の代わりにたっぷりと水を飲ませて脇に寝かせ、多少顔色が落ち着いたところで、ダルニスがその身を引き受けて家まで送り届ける事を請け負った。

足元が覚束無かったので肩を貸してやり、外の冷たい空気を胸いっぱいに吸いながら、ゆるりゆるりと歩を進める。
本当なら真っ直ぐ家に連れて行ってやるべきだったのだろうけれど、少し回り道をしたのは酔い覚ましを兼ねて。さすがにこの状態のアルドを連れ帰れば村長とフィーネを心配させてしまうかもしれないと、それらしい言い訳を並べてみたけれど、本当のところは酔っ払いの邪魔が入らない状況で幼馴染と二人、話がしたかったから。或いはその辺りの正常な判断ができない程度には、ダルニスもまた酔っていたのかもしれない。

「初めての酒はどうだった」
「んー……苦くて、あんまり、美味しくなかった……」
「はは、そうか。オレも最初はそうだった」

勧められるままとはいえ、割合勢いよく飲んでいたからてっきり口に合ったかと思えばそうでもなかったらしい。率直すぎる感想に少し笑って、自分もそうだったとダルニスが告げれば、なあんだそっかとアルドも力を抜いて笑った。
そのままぐるりと村の中を回って、なじみの池の近くに差し掛かった辺りで、ふいに脳裏を掠めたものがあったダルニスは足を止めらアルドに語りかけた。

「なあアルド、覚えてるか。昔ここでお前が、池にハマってずぶ濡れになって大泣きして、オレが背負って家まで連れて帰ったこと」
「まぁたダルニスまでおじさんたちみたいな事……」
「悪い、からかうつもりじゃないんだ。ただ、懐かしくなってつい、な。……あの頃は背負ってやれたのに、今はさすがに骨が折れる。本当に、大きくなったな、アルド」

アルドの背がダルニスに追いついたのはここ数年のことで、それまではずっと自分よりも小さな弟分だった。怪我をすればおぶって連れ帰ってやれたし、考えるより先に無鉄砲に飛び出そうとするアルドを引き留めて、背に庇ってやるのだってさほど難しくはなかったのに。
今や肩に回る腕には随分と筋肉がついて、引き留めて背に庇うどころか、走ってゆくその背中に遅れぬよう追いかけ、援護に徹するのが精一杯だ。村の外で魔物に出会った時は勿論のこと、それ以外でもいつだって。

「お前は、本当に……すごいやつだよ」

幼馴染への評価に嘘は混じっていない。普段からアルドに対して抱いている、ダルニスの正直な気持ちだ。
頭を使う事は苦手だけれど、やろうと思えば出来るはずだと心底思っているし、剣の腕だって飛躍的に伸びている。多少危なっかしいところはあるものの、自分の心に素直に行動し困っている相手に躊躇いなく手を差し出す姿は、紛うことなき幼馴染の美点だとも考えている。

だからこそ。
幼馴染への賞賛に微かに苦味が混じったことを自覚してダルニスは、内心で密かに自嘲した。
問題に直面した時、どう動くべきか躊躇い戸惑うダルニスの横をあっさりとすり抜けて、簡単に答えを出してしまうアルドの背中を何度見たかしれない。道端で出会った、顔を曇らせた見知らぬ他人相手に声をかけるべきか迷っていたら、何のてらいもなくアルドが話しかけにゆく事なんてしょっちゅうだ。

いつからか。
迷いなく真っ直ぐに駆けてゆく背中を、眩しく見つめるようになっていた。
そんな幼馴染の事が誇らしくもあり、同時に。
少しだけ、いいや、時には、ひどく妬ましくもあった。
剣を捨て弓の道を選んだ時も、そうだ。
虫の息の魔物に残された太刀筋に、アルドに足りないのは剣を叩き込む隙を作るための援護だと判断し、その背を守るために弓を選んだつもりだけれど、もう一つ脳裏を過ぎったもの。アルドと同じ年だった頃の自分にはけして、同じ事は出来なかったろう、と思ってしまったのだ。そこに歴然とした才能の差を見て、怯んだ心がなかったといえば嘘になる。

幼い頃には感じていなかった、薄暗い気持ち。アルドの背がダルニスに追いつくにつれ、膨らんでいった陰り。
どうしてアルドには出来るのに、オレにはできないんだろう。どうしてアルドはああもいとも簡単に、人を助けることが出来るのだろう。どうしてオレは、あんな風に真っ直ぐに笑えないんだろう。
どうして、どうして、考える度に、ぽつぽつと胸の中、虫食いのような黒い染みが広がってゆく。
けれど向ける感情を妬みだけで染め上げてしまうには、アルドはいいやつすぎた。からりと笑う幼馴染を、嫉妬に駆られて嫌うことなんて、どうしたって出来やしない。
だから、アルドと肩を並べるのは、楽しくって、ひどく苦しくて仕方ない。

ふっと思考に差した影を振り払うように大きく息を吐き出した。やはり少し酔いが回っているのかもしれない。二人で話したいと思っていたはずなのに、このままでは余計なことを口にしてしまいそうだった。
そうなってしまう前にさっさと連れて帰ろうと、今度こそ真っ直ぐアルドの家を目指して歩きだそうとしたダルニスの耳元で。ははは、とおかしそうにアルドが笑う声が聞こえたから、ダルニスは後ろめたさを気取られぬよう、どうした、と努めて平静を装って尋ねた。

「ダルニスはオレのこと、すごいって言ってくれるけどさ。ダルニスの方が何だって出来るじゃないか。それにもしもオレがすごいやつに見えるなら、それはダルニスたちのおかげだろ」

そしてアルドが口にしたのは、ダルニスへの称賛だった。ダルニスがつい先ほどまで何を考えていたかも知らず、ごくごく当たり前の事実を告げるように、照れもせず平然と言い放って楽しそうに笑ったアルドは、覚えてるか? と先ほどダルニスが言ったのと同じ台詞を繰り返した。

「昔、あそこの木の陰でさ。オレとフィーネがいじめっ子たちに囲まれてたら、メイがコラーって怒りながら走ってきて、その後ろをノマルが必死で追いかけてきて。それでダルニスがあいつらを諌めてくれて、あとでオレによくフィーネを守ったな偉いぞって言ってくれた」

勿論、覚えている。
今ではすっかりと村に受け入れられ誰からも可愛がられているアルドだけれど、昔はそうでもなかった。今と変わらず村の子供として可愛がっている大人達が大半ではあったけれど、ごく一部。月影の森の奥で拾われたという経緯を不審がり、まだ幼い子供であるアルドとフィーネに冷たい視線を向ける村人たちも、確かに存在した。
村長の手前表立って行動はしないけれど、そんな一部の大人達の雰囲気は子供たちにも伝染したらしい。大人達の陰口を鵜呑みにした子供たちにアルドとフィーネが心無い言葉をかけられることがしばしばあり、そんな現場を見つけてはメイを筆頭にダルニスたちが駆けつけるのが日常茶飯事だった。

「今はアイツらとも笑って話せるけどさ。ダルニスたちがいなかったらオレ、もっとアイツらのこと恨んでたかもしれない。もっと、イヤなやつになってたかもしれない」

成長するにつれ、不審の目は減り好意的な視線が増えていった。その中でいじめっ子たちもアルドたちに絡む事がなくなり、いつの間にか普通の友人のように接するようになっていた。
けれどそれは全て、アルドたちが頑張ったからだ。
いくら悪く言われてもひねて拗ねることも無く、フィーネと二人、村長を慕い健気に生きる兄妹の姿を、いつまでも穿った目で見ている方が難しい。
なのにアルドは、それがダルニスたちのおかげだなんて言う。アルドがイヤなやつになるなんて、到底想像もつかない事を大真面目に口にする。

「でもメイたちがオレの代わりに怒って悲しんでくれたし、それにダルニスが。ダルニス、オレの味方になっても、アイツらのことも悪く言わなかったろ。森の動物の縄張り争いに例えて説明してくれた。オレを慰めてくれても、アイツらを悪者にもしなかった」

続いたアルドの言葉には、ダルニスは少しだけバツの悪い思いをした。
確かに殊更にいじめっ子たちを責めるような事はしなかったけれどそれは、彼らを思いやっての事ではけしてなかった。あちらを変に刺激して責め立ててしまえば、強い反発がきて余計にアルドたちの状況が悪くなるかもしれないと思ったから。子供だけでなく後ろにいる大人まで出てくるかもしれないから。
それに。まさしく森の獣や魔獣たちとの付き合い方をなぞった対処法は、結局のところアルドたちにも忍耐を強いるものでしかなかった。
果たしてそれで良かったのか、メイのように真っ先に飛び出してアルドたちの味方になっていれば良かったのではないかと、今でも何が本当の正解だったのか断言することなんて出来ない。
けれど。

「そういうの、すごいなあって思ってた。オレもそんな風になりたいなあって。……初めの頃は僕、何もかも全部、どうしたらいいかよくわかんなくって、周りの人の真似してたんだ。そしたらちょっとずつ分かってきて、僕にも出来ることが増えてった。いいなって思うことを真似したら、みんなが笑ってくれるから、僕も嬉しくなってもっといっぱい真似するようになった」

話の途中、アルドの口調がどこか幼いものに変化する。
己の事を僕と呼ぶその声に、そういえばと思い出す事があった。
気づけば元気いっぱいに走り回る幼馴染の姿が当たり前になっていたけれど、もっと昔、アルドたちが村にやってきたばかりの頃。歳も近いからと村長に引き合わされた時のアルドは、今では考えられないほどに表情が乏しく、口数も少なかったように思う。
ダルニスも随分と幼かったとはいえ、周りの大人の話からおおよその事情は察していたから、暗い森にフィーネと二人きりで置いていかれたのがショックだったのだろうと思っていた。その後徐々に明るくなってゆき村に溶け込んでいった姿に、本来の調子を取り戻したのだろうと思っていた。
けれど。

「今の僕を……オレを作ったのは、村のみんななんだ。特にダルニスの真似なんて、どれだけしたか分かんないよ。笑い方も、走り方も、釣りも、いろんな遊びも、全部ダルニスを見て覚えたんだ。……だから、もしもオレがすごいやつに見えるならさ。それは、ダルニスが、ダルニスたちが、すごいからだよ」

アルドの口ぶりはまるで、取り戻したのではなく全てを一から作り上げたのだと告げるようだった。まるで親の真似をする子供のように、何も分からないところから飲み込んで取り入れて、育てていったのだと懐かしそうに目を細めて主張する。

嫉妬、を。
この気のいい幼馴染に、妬ましさを。
感じた事が一度もなかったなんて、取り繕った嘘でもけして言えやしない。真っ直ぐすぎる気性が眩しくて、直視するのが苦しくて、己と比較して悩んだ事は数えきれないほどあって、幼馴染と並ぶのが苦しくって、今だって胸の隅に黒い塊を抱え込んだまま。

けれど。
そんな暗い泥のような思考の中からすくい上げてくれるのもいつだってまた、他ならぬ幼馴染だった。
今だって、そう。
あの頃より成長した今でさえ最善だったと自信を持って断言出来ないダルニスの行動を、簡単にすごいだなんて言ってのけて肯定する。
眩しく見つめるその背中を作り上げたのが、アルド自身ではなくダルニスを初めとした周りの人間だと謙遜でなく本心から口にする。
ついさっきダルニスの告げた苦味の混じったそれとは違う、心よりの賞賛をへらりと笑って真っ直ぐに差し出してくる。
そんなものを向けられて、屈託を抱え続けられるほどまだ、捻くれてはいないつもりだ。差し出された好意を素直に嬉しいと思えるくらいには、この幼馴染のことをダルニスもまた、好ましく思ってもいるのも紛れもない本当のことだから。
照れくささを隠した苦笑いでそれを受け取ったダルニスは、肩にかけた幼馴染の腕を抱え直して、再び歩き出した。

嫉妬は、これからもするだろう。きっと、数えきれないくらい。何度も何度も、自分が嫌になるくらい。
いずれその背中に追いつけなくなって、外の世界へと羽ばたく姿を見送る事になるかもしれない。
けれど。
当の幼馴染は未だダルニスの事をすごいと思ってくれているらしいから。お世辞でも嘘でもなく、本心からそう思っているようだから。

まだ当分の間は、頼れる兄貴分の顔をさせてもらおうと心に決めてダルニスは。
彼が慕うに足る背中を作るべく、意識してぴんと背筋を伸ばし、幼馴染と二人。
夜道をゆっくりと進んでいくのだった。