アルドくんはお兄ちゃん


「頑張ろうねっ、お兄ちゃん!」
「うん、そうだな、頑張ろう」

シエルと二人、顔を合わせて笑いあったアルドはふと、部屋の中の空気が何だかおかしい事に気がつく。
次元戦艦の一室、集まったのはアルドとシエルに加えてレレとベネディト、セヴェンにシュゼットの六人。この後に向かうダンジョンへ乗り込む予定のメンバーで、ちょうど連携の確認と打ち合わせを終えた所だった。
まだ何か確認していない事や気になる点があったのだろうかと、首を傾げて部屋の中のみんなの様子を窺うと、アルドとシエル以外の四人の目線がアルドたち二人に集まっている事に気づく。レレとベネディトは不思議そうにきょとんとした様子で、セヴェンとシュゼットはぎょっとしたように大きく目を見開いて。

(なんだろう?)

ぱっと自分の服装を見直してみたものの、変な所は見つからない。シエルの方を見ても、やっぱりいつもと違う所は見えない。
みんな一体何を気にしているんだろうと再度首を傾げたアルドの疑問を解消してくれたのは、同じくこてんと首を傾げたレレからの質問だった。

「アルドくんは、シエルくんのお兄さんなの?」
「え? ううん、違うけど」
「じゃあどうして、シエルくんはアルドくんの事、お兄ちゃんって呼んでるの?」
「それはね、ボクがアルドさんがお兄ちゃんならいいなあって思ったからだよ。それでこの間からお兄ちゃんって呼ばせてもらってるんだ」

そういえば、とレレとシエルの会話を聞いてようやく、アルドはつい先日から変化したことについて思い出す。シエルから、お兄ちゃんと呼ばれるようになったこと。
村ではフィーネ以外にも、年が下の子供たちからアルド兄ちゃんと呼ばれる機会が多かったから、シエルに呼ばれてもさほど違和感がなかったけれど。特に未来では街の規模が大きくて、同じ場所に住んでいても名前すら知らない間柄である事も珍しくないようだった。
だからもしかして、家族以外を兄と呼ぶのは奇妙に映ったのかもしれないなと、セヴェンとシュゼットの反応についてアルドなりに解釈する。
シエルも同じく未来の住人だけれど、姉がいると言っていたからその辺は二人より慣れているのかな、とも。

「じゃあレレもアルドくんのこと、にぃにって呼ぶのー! レレもアルドくんがお兄さんなら嬉しいの!」
「わあ、にぃにって可愛い呼び方だね」
「じぃじがね、お兄さんのことはそう呼ぶものだって言ってたの」
「ふふっ、ボクもにぃにって呼んじゃおうかな」

シエルが説明する形で話しているうちに、レレもアルドの事を兄と呼ぶことにしたらしい。にぃに、という呼ばれ方はした事がなかったけれど、レレのいた場所ではそういうものだったのかもしれない。
断られるなんてちっとも思っていない様子で、揃ってアルドを見つめた二人にいいよと頷けば、きゃあっと嬉しそうに手を叩いてはしゃぎだす。
たったそれっぽっちのことで、そこまで喜んでくれるなら良かったとアルドもつられて笑ったのだが。

「オニイチャン、そろそろ行かないのか」
「ベネディト?! ……ベネディトは違うだろ……」

なぜだか。
当たり前の顔をしてベネディトまでアルドの事をお兄ちゃんと、それもどこかぎこちない発音で呼んできたから、さすがに驚いてしまった。

「普通にアルドの事を呼んだだけだが」
「うーん、普通ではないかな……ベネディトって、多分オレと同じくらいか幾つか上だろう? お兄ちゃんってのは、普通は年下の子が上のやつに向かって言うものじゃないか?」
「……当然だ。普通はアルドが俺の事をオニイチャンと呼ぶんだったな」
「えええ……えっと、それも普通ではないんじゃないかな……」

普通普通と主張する割に、ちっとも普通ではない突飛な行動に出がちな青年の主張に、アルドなりの普通を交えて控えめに反論すればすぐ、前言は撤回される。されたけれどまたすぐにおかしな事を言い出したから、うーんと首を捻ってさてどう説明しようかと考えたタイミングで。

「わわわ、わたくしもっ! どうしてもって言うなら特別に、アルドの事をお兄様って呼んで差し上げてもよろしくってよ!」
「ええっ、シュゼットまで? 別にどうしてもって事はないぞ?」

どちらかといえばぎょっとした、怪訝な顔をしていた筈のシュゼットまでそんな事を言い出したからいよいよ、アルドは頭を抱えたくなった。

「え……だ、ダメなの……?」
「い、いや、ダメって訳でもないけど」
「じ、じゃあっ! かまいませんわよね! ……お、お兄様?」
「はいはい、シュゼット?」
「お兄様……えへへ、アルドがわたくしのお兄様……」

しかし。
シュゼットからの申し出に困ったように眉を寄せれば、途端にしゅんと肩を落として心細そうな声を出したから、慌てて首を振ってダメじゃないよと付け加えた。
途端にぱっと顔を明るくしたシュゼットにお兄様とおずおずとした声で呼ばれて、応えればはにかみながらも綻ぶような笑顔が返ってくる。そんなに嬉しそうにされてしまえば、アルドだって仕方ないなあと笑って受け入れるしかない。
この短時間で妹分が随分増えてしまったなと頭を掻きつつも、村の子供たちの事を思い出して少し懐かしさに目を細めていたら、再び。

「それでだな、オニイチャン」
「だからベネディトは違うって……」
「知っている、当然だ。だがアルドを除いた五人のうち、三人がアルドの事を兄と呼んでいる。ならば今は俺もアルドの事をオニイチャンと呼ぶのが普通の流れだろう」
「……う、うーん、そうなのか? なんか違うような……いや、違わないのかな……分からなくなってきたぞ……」

年下の子ならいざしらず、そうでない相手にまでお兄ちゃんと呼ばれるのは違和感があるけれど、ベネディトの主張を聞けばうっかり、確かにそうかもと頷いてしまいそうになる。それに村に居た頃だってフィーネと一緒にいる時は、随分と上の相手からもフィーネのお兄ちゃんとの意を込めてお兄ちゃんと呼ばれる事があったから、ベネディトがアルドを兄と呼ぶのもおかしな事でもないような気がしてくる。
けれどやっぱりおかしい気もして、徐々に混乱し始めたアルドは助けを求めるべくセヴェンへと視線を向けたのだが。

「オレは呼ばないからなっ!」
「……呼んで欲しくて見てた訳じゃないぞ?」

どうやら視線の意味を勘違いされたようで、ばちりと目が合った瞬間勢いよくぶんぶんと首を振られる。一応、そんなつもりでは無いことを伝えたつもりだったが、脱力して小声になってしまったために、セヴェンまできちんと届いてはくれなかったらしい。
「そりゃアルドが兄貴なら……」だとか、「……悪くはないけど」だとか、俯いて一人でぶつぶつと呟いたあと、顔を上げたセヴェンは、再びアルドと目があうとぷいとそっぽを向いて言った。

「やっぱり、アルドはアルドだし。オレの連れで、仲間だから。兄貴とは呼んでやらない」
「……う、うん、ありがとう?」

別に呼んでほしい訳じゃないんだけど、と先ほど言ったつもりの言葉をもう一度胸の中で繰り返しつつ、セヴェンの言い分が嬉しくなかった訳でもないので、一応お礼は言っておいた。
しかしそれからちっともアルドの方を見てはくれないので、ベネディトの主張を変える手伝いをしてくれそうな気配はない。

「では行くか、オニイチャン」
「……うん、まあ、いっか」

そして、再度。
自信たっぷりにベネディトにオニイチャンと呼ばれたアルドは、説得を諦めて受け入れることにした。
そこまで呼ばれ方に拘りがある訳でもないし、おそらくは一時的なものだろう。普通に固執するベネディトの言い分に則れば、他の仲間が合流すればアルドと呼ぶメンバーが増えて元に戻る筈だ。
なら少しの間くらいなら、まあいいか、と。それで納得することにした。
けして面倒になった訳ではない。たぶん。


そうして、仕切り直して出掛けた先。
お兄ちゃんにぃにお兄様オニイチャンと、絶えず飛び交う声にいつしかつられたのか、セヴェンにも度々「兄貴」と呼ばれる回数が増えていったが、本人が言った直後にしまったと顔を顰めて恥ずかしそうにしていたので、気づかないフリで流すことにした。

尚、アルドの予想とは裏腹に、無事帰還した次元戦艦にて鉢合わせた別のメンバーにも、なぜだか兄呼びが感染してゆき。
年下の仲間たちからは親しみを込めて、年上の仲間からもからかい混じりに、お兄ちゃん兄さん兄者兄様と様々な呼び方で兄と呼ばれる事となってしまい。
当分の間、ベネディトのオニイチャン呼びが続いてしまう状況となるのだった。