Bitter & Sweet


「そういえば、オレたちの時代だともうすぐ、愛の日ってやつがあるんだ」
「愛の日?」
「そう、好きな人に贈り物をする日なんだよ」
「へえ、未来って面白い日があるのね」

次元の狭間の青い扉の向こう側、境の異なる火山に武器の材料となる素材を探し終えた帰り。それぞれの時代に帰る前、時の忘れ物亭に寄ってお疲れ様と頼んだ飲み物で乾杯をしたあと。ふと思い出したように、デューイが乾杯の相手、シェイネに話しかける。
一緒に青い扉の向こうに潜った他の四人は、用事があったり寝たいからと既に帰ってしまっていて、店の中、テーブルを囲むのはデューイとシェイネの二人だけ。歳も時代も性別も何もかも違う二人だけれど、アルドの旅に同行する際には能力の性質上、一緒に行動することが多くって、こうして二人きりになっても気まずくなったり会話に困ることがない程度には親しい方だ。

「だからさ、お姉さん。せっかくだし、アルドに何か贈ったらいいんじゃない?」
「えっ、わ、私がアルドくんに?!」

いいやもしかしたら思い切って、仲がいいと言っていい間柄かもしれない。多少親しいにしては踏み込みすぎた内容を話すデューイの唇は悪戯っぽい笑みの形を作っていて、動揺するシェイネの方もデューイの言葉に不躾だと眉を顰める様子もなく、ただ照れているだけのように見える。
そんなシェイネの様子に楽しげにくすくすと笑ったデューイは、あのね、と更に言葉を続ける。

「好きな人って言っても、別に恋人とかに限った話じゃないんだ。友達でも、仲間でも、家族でも誰でもいいんだよ。大事な人に、いつもありがとうって伝えて、一緒に贈り物をすればいいんだ」
「あ、そういう日なのね……」

付け加えられた説明に、目に見えてほっとシェイネの顔に安堵が滲む。そしてぱたぱたと手のひらで顔を仰ぎながら、そうね、アルドくんは大事な仲間だもの、と呟くと、でしょ? とデューイがすかさず頷いて、だから贈り物をしたらいいんじゃないかな、と再度促した。


綺麗なお姉さん。
それがデューイがシェイネに抱いた最初の印象だった。綺麗で明るくって、デューイたちの時代の女の人たちに比べたら少し薄着すぎるように見える服にはちょっぴり目のやり場に困ったけれど、よろしくね、と笑いかけてくれた表情がとても優しかったから、うまくやれそうだとほっとした事はよく覚えている。

その印象は、半分くらいは当たっていた。
デューイとシェイネの能力は相性がよく、それぞれ一人で戦う時より、二人で力を合わせれば何倍もうまく立ち回る事ができる。共に戦う回数を重ねるごとにぴったりと息が合うようになって、戦闘後、やったね、と笑うシェイネとハイタッチを交わすのは最高に気分が良かった。

けれど半分は、少しだけ違っていた。
戦闘を通して打ち解けてゆくにつれ、気にかかる所が増えてゆく。
たとえば、仲間と話をする時。
相手の性別が男であれば、話しかける直前僅かにきゅっと拳を握り、向けた笑顔は微かに強ばっている。話をするうちに自然な笑顔に近づいてはゆくけれど、話が終わって相手が去ると、ほっと安心したように息を吐き出して、それから落ち込んだように眉を寄せて小さく肩を落とす。
たとえば、街中で知らぬ男に声をかけられた時。
シェイネはとても綺麗だからそういう事はしょっちゅうあって、よく一緒に行動することの多いデューイも出くわすことが多い。そんな時、シェイネは困ったように笑って、相手を刺激して逆上させないよう穏便にやり過ごそうとするけれど、瞳の奥にはちらちらと恐怖が宿っていて、伏せた睫毛がふるりと震えることを知っている。
それらは明るいひとだと感じた第一印象とは正反対の、暗く沈んだ色をしていた。

そんな姿を見るうち、デューイの中には使命感にも似た気持ちが生まれ始めていた。
戦闘中のシェイネがこの上なく頼もしいことを知っている。それでも不安げに陰るシェイネの曇った表情を下から見上げるうち、守らなきゃ、との気持ちがデューイの中で密やかに育っていっていた。


シェイネにかけられた呪いの話を聞いたのは、戦闘後にハイタッチをするようになってしばらく経ってから。最初のうちはデューイ相手にもどこか緊張をしていたシェイネが、ようやく肩の力を抜いてくれるようになってから。何があったのかは分からなかったけれど、男が怖いんだろうな、となんとなく感じ取って、なるべくシェイネの前では子供っぽく振舞っていた努力の賜物だ。
そんなデューイの気遣いを多分、シェイネも感じ取ってはいたのだろう。いつもありがとう、との礼の言葉と共に、呪いの話を教えてくれた。
なんてひどい話だろうと思った。だってシェイネは何も悪くないのに、あんまりに理不尽すぎる話だ。腹が立って仕方なくて、悔しくてたまらなくて、シェイネを苦しめた何もかもを殴りつけてやりたかった。
けれど同時に、納得もした。
たとえ仲間であっても男が相手だとどこか緊張して見えるシェイネが、アルドに対してだけはすっかりと心を許しているように見えたから。アルドを見ると安心したように笑って、嬉しそうに頬を染めていたから。
呪いの話の中でも、アルドがシェイネのために心を砕いてくれたことを幸せそうに語るその表情を見て、デューイはすとんと納得して、決意する。
傍から見てもわかりやすくシェイネはアルドを想っているように見えたから、その気持ちを応援しようと決めて、そして。シェイネと過ごすうち胸の中に育ちつつあった淡い気持ちには蓋をすることにした。
オレの憧れのお姉さんたちは、見る目があってホント困っちゃうなあ、とわざとらしくおどけて嘆いてみせて、それを初恋のひとへの気持ちを仕舞った場所に収めて鍵をかけることにした。
そうしてシェイネが、一番安心出来るひとの隣で笑っていられるように、協力しようと思ったのだ。


普段、アルドに対するシェイネのアプローチは、見てる方が焦れったくなるくらい消極的だった。話すだけで嬉しそうにするくせに、もっと一緒にいたいと二人きりでどこかに出かけようと誘ったりすることはない。ほんの些細な接触で満足してしまっているように見えて、デューイにはそれが歯がゆかった。
仲間の中にはシェイネ以外にもアルドを特別に想っているように見えるひとたちがいて、うかうかなんてしていられないのに、シェイネはちっとも距離を詰めようとはしない。
他の人たちの想いが叶わなければいいと願っている訳では無いけれど、デューイはシェイネを応援すると決めている。シェイネにずっと、心からの笑顔を浮かべていてほしいと思っている。
アルドはちょっと、いやものすごく、鈍いところがあるけれど、シェイネが積極的に近づいてゆけばきっと、心が揺れる筈だとデューイは信じていた。
だってみんな綺麗で可愛いけれど、デューイの目にはシェイネが一番、とびきり綺麗で可愛いひとに見えていたから。そんなとびきりの美しいひとに、好きだって言われたらきっと、いいや絶対、アルドだってシェイネの事が好きになってしまう筈だ。そう、信じ切っていた。

だからシェイネに足りないのは押しの強さだと確信していたデューイは、迷うシェイネを強引に説得して、愛の日にアルドに贈り物をする約束を取り付ける。何度も何度もちゃんと贈るように念を押してようやく満足したデューイに、シェイネは苦笑いを浮かべながら、どうしてデューイくんがそんなに張り切ってるの、と疑問を口にした。

「だってお姉さんは、オレの……」

そこまで言いかけて、デューイは一旦口を噤む。心の中に閉じ込めた筈の想いの欠片が、するりと零れそうになったことに直前で気がついたから。
息を吸えばすぐにひゅんと引っ込んだ気持ちを、悟られぬように殊更明るく笑ってみせる。

「オレの、とびっきりの相棒だからね! オレたちのコンビネーション、ばっちり決まってるでしょ?」

これだって嘘のない本当の気持ちだ。戦闘中に限って言えば、デューイだってアルドに負けないくらい、シェイネと息がぴったりだと思っている。
シェイネはデューイの言葉に少し驚いたように目を見はってから、ふわり、嬉しそうに笑った。
そうだ、そんな風にずっと笑っていて欲しい。
しばしその微笑みに見蕩れてから、贈り物は何がいいかをアドバイスするべく、張り切って話を仕切り直した。



少し時間は経って、愛の日の当日。
デューイは落ち着かない様子でそわそわと次元戦艦の廊下をうろついていた。
今日はアルドの旅に付き合う予定はなかったけれど、シェイネがどうなったか気になって仕方なくって、たまらず次元戦艦に乗り込んだ。アルドたちは今日はユニガンの近辺で活動していると聞いていて、その中にはシェイネもいたから、ここで待っていればいずれ会える可能性が高い。
そんなデューイの予想は当たった。次元戦艦の内部に響くモーター音の回転数が上がって、時代を飛び越える気配があったあと。賑やかな声と共に甲板から中へとアルドたちが降りてくる。
いつも他の人にアルドの隣を譲りがちなシェイネが、今日はアルドのすぐ横でにこにこと笑っていて、離れた場所からも纏う雰囲気が楽しげなのが見て取れて、うまくいったんだ、とデューイはほっと安堵の息を吐き出した。
それが分かればもう用はない。本当はシェイネに直接、どうだったか聞こうと思っていたけれど、せっかくあんな嬉しそうな顔でアルドと話しているのだ。わざわざ割り込んで邪魔をする気はない。
だから、気づかれる前にその辺の部屋に飛び込んでやり過ごし、頃合をみて帰ろうと思っていたのに。

デューイが隠れる前に、シェイネの視線がこちらへと向いた。そして止める間もなくぱたぱたと駆け寄ってきたから、デューイはひどく慌てて動揺した。
だってあんなに楽しそうにアルドと話してたのに、邪魔をする気だってなかったのに、向かってくるシェイネの顔はちっとも残念そうではなくって、むしろ一層輝く笑みを浮かべながら、アルドじゃなくデューイの方へと駆けてくるから。
気付かぬふりで逃げてしまうことも出来ず、半ば呆然とシェイネの笑顔に見蕩れているうち、あっという間に二人の間にあった距離は縮まって、目の前にきらきらと笑うシェイネが現れる。
どうだったの、うまくいった? とか、やったじゃん、とか、いつもみたいに軽い調子で声をかけようと思うのに、シェイネの笑顔に縫い止められた視線が、開く唇を僅かに重くする。
そんなほんの少しのデューイの沈黙と逡巡の間にシェイネがしたことは、聞いて聞いてとアルドの話をすることではなかった。

「良かった、デューイくんに今日会えて。はい、これ、受け取ってくれたら嬉しいな」
「え……ええええっ、お、オレに?!」

ぽん、とその綺麗な手が差し出したのは、小さな袋と添えられた一輪の花。多分、袋の中身はクッキーで、花はコリンダの原に咲いている暗いところで光るものだ。知っている、だってそれはデューイがシェイネにアドバイスしたもの。お菓子と花が贈り物の定番だよって教えて、手作りのクッキーなんてどうかな、と二人で話したから、よく分かっている。
アルドにあげるためだった筈のそれが、自分に向けて差し出されている意味がすぐには飲み込めなくって、狼狽えた声を出すと、シェイネは少し照れたように目尻を細めて微笑む。

「いつもありがとう。これからもよろしくね、私の素敵な相棒くん」

だって今日は、大事な人にありがとうって伝える日なんでしょう? と、デューイよりも年上の女の人が、恥ずかしそうにもじもじとしながら差し出したそれを、受け取らない事なんて出来る筈がなかった。

ありがとう、嬉しいよ。
そう告げるべきだと分かっているのに、ぱくぱくと開いた口から言葉は出てきてくれなくて、代わりに、ぷしゅう、と蒸気が噴き出る音がする。
だってシェイネに告げたのは本当のことで、だけどまるきり本当って訳じゃない。
確かにこの日に、友達や家族に贈り物をすることも珍しくはないけれど、一番多いのは恋人や好きな人に贈ることだ。告白の日だなんても言われていて、これをきっかけにと片想いの相手に想いを告げることだって少なくない。
だからデューイは、わざとそれを隠してシェイネに勧めたのだ。デューイと同じ時代に生きる仲間たちも多いアルドがそのうち、愛の日に流行る慣習を耳にして、シェイネからの贈り物を特別に意識をするようになればいいとの隠した思惑があったから。

シェイネはそんなこと、知らない筈だ。デューイが告げた通りの意味で受け止めて、大事な人だからとデューイにまで贈り物をくれた。それだけでも十分に嬉しい。
けれどAD1100年に生きるデューイにとって、小さな頃から馴染んできたこの日の意味はやっぱり特別で、意図がないと分かっていても、憧れのお姉さん、……好きな人から手作りのクッキーと花を渡されてしまえば、どうしたって速くなる心臓の音を宥めることなんて出来ない。

綺麗で可愛くて強くて美しくて、けれどどこか儚いこの人を、心から笑わせてあげたいとずっと思っていた。
他の仲間たちは名前で呼ぶのに、シェイネだけは頑なにお姉さんと呼び続けているのは、弟みたいに思って欲しくて、怖がって欲しくなくって、少しでも安心できればいいと思って。街で知らない男達にからまれた時は、ことさら子供っぽく振舞って本当に弟のふりをして追い払ったことだって何度もあって、ありがとう、と申し訳なさそうに眉を下げて微笑むシェイネに、だって大事な相棒でお姉さんみたいな人だから、と秘めた気持ちは封じてずっと伝えてきた。
戦闘の時はあんなに頼もしいのに、絡んできた男達には怯えを隠して浮かべる愛想笑いの中に、まとわりつく陰は自責の色を強く宿していた。そもそも最初からシェイネは何にも悪くなかったとデューイは思っているけれど、シェイネはどこかで自分が悪いと思っていて、呪いから抜け出した今だってその鎖に縛られ続けている。

だから、アルドじゃなきゃと思った。頑なに強ばったシェイネの心を溶かして、笑わせてあげられたアルドじゃなきゃと思った。アルドならきっと、今もなお縛られ続けるシェイネの心を癒していって、ずっと笑わせてあげられると思った。だって今だってシェイネはアルドに一等信頼を寄せていて、アルドがいれば不安が和らいでいるように見えたから。アルドに向けて笑うシェイネの笑顔が、一番綺麗で可愛かったから。

けれど。

(オレじゃだめかな……ううん、だめだ、アルドじゃなきゃ……だって、お姉さんは、シェイネは、アルドが好きなんだもん。……困った顔で笑って欲しくない)

受け取った袋と一輪の花に、じわり、閉じ込めた筈の想いが漏れ出てくる。
本当は、アルドじゃなくって自分がシェイネを一番に笑わせたい。さっき、デューイを見つけて駆け寄ってきた時のようなきらきらとした笑顔を、一番に向けてもらいたい。
一瞬にして膨れ上がり心を占めた気持ちが囁く思考は、慌てて首を振って打ち消して、戒めるように言い聞かせ、一方的な好意を向けられた時のシェイネの困った微笑みを思い出せば、どうにか封じて鍵をかけ直すことには成功したけれど。
滲んだ想いの残滓まで、すぐさま振り切る事は出来なかった。

しゅうしゅうと、自分の体から噴き出る蒸気は未だ止められないまま。どうしよう、落ち着かなきゃと思えば思うほど、視界が白く曇るほどにますます蒸気が濃くなってゆき、そのいくつかがハートの形を作るのを見てぽっとデューイの頬が赤く染まる。
そんなに喜んでくれるなんて嬉しいな、と蒸気の向こう、笑うシェイネの声に戸惑いは浮かんでおらず、まずはそれがシェイネを困らせなかったことにほっとした。そして、くすくすと笑う鈴の音のような声につられて、少しだけ、仄かな願望が胸に宿る。

(ちょっと、だけ)

シェイネを困らせるつもりなんてない。だけど、少しだけならシェイネは困らないみたいだと分かったから。下心を含まない純粋な相棒への好意だと受けとめてくれるようだから。

だから、蒸気が収まるまでの間、袋の中のクッキーを食べてしまうまでの間、花が萎れてしまうまでの間、ほんの短い間だけ。
閉じ込めた想いを少しだけ心の表面に宿らせて、憧れのお姉さんだけに留まらないシェイネへの気持ち、好きだと想うことを、自分に許してやることにした。