合成人間は笑む


アルドと行動を共にする事になったとはいえ、己の存在が全面的に受け入れられるとは思っていなかった。
元より人間との共生の道がないか探り続け、ようやく見えた希望の光に向けて歩み始めたとはいえ、散っていった同胞たちや、人間が合成人間にした仕打ちについて何もかも全て受け入れられた訳では無い。今もなお叛乱回路に支配され続ける彼らに思いを馳せればぎしりと内側の回路が軋みを覚え、叛乱回路を植え付けた人間のことを考えれば体の真ん中をどろりと粘った黒い油に浸されたような幻を見る。
それは人間達、特にAD1100年に生きてきた者達も同じだろうと考えていた。
この十年の間で量産されたのは、機能を停止した合成人間の亡骸だけではない。多くの人間の命もまた、合成人間たちと同様に無情にも摘み取られてきた。
赦しを請うつもりもなければ、与えるつもりもなかった。そこにどんな理由があろうと、残ったのは夥しい骸。それだけが事実だ。
一応の和解は出来たものの、エイミが時折複雑そうな顔でガリアードとヘレナを見つめ、ぐっと拳を握り込んでいるのを知っている。セティーやレンリ、シャノンやロベーラなどは、あからさまではなくともきっちりと一線を引いていて、こちらの様子見に回っているのを理解している。
まだ学校に通う子供たちは大人たちより警戒の色は薄かったけれど、それでも時々探るような視線を寄越しては少しバツの悪そうな顔をする。
無理もない。つい先日までガリアードは、長年人間と敵対する合成人間たちを纏める立場にあったのだ。あまり前には出さなかったヘレナとは違い、その名は広く人間に知れ渡っていた筈だ。それを考えれば、彼らの反応は当然どころか随分とこちらに歩み寄ってくれているものだと分かる。
戸惑いつつもおずおずとガリアードに声をかけてくる新たな仲間たちの姿を見ていれば、やがてこうして人間と合成人間が分かり合える日が来るのではないかとの希望の光が見えてくる。それが上っ面だけでは意味が無いと考えているからこそ、少しずつガリアードへの警戒が解れてゆく彼らの有り様に悪い気はしない。

しかしそうは言っても、完全に分かり合えるまでには少なくない時間がかかると思っていた。合成人間と直接の因縁のない他の時代の人間達には気さくに話しかけられるようになっていたけれど、同じ時代の人間達からもすぐさま同じ反応が得られるなんて思ってもいなかった。
だからまさか。

「すっげー!」
「かっけー!」

まさしく同じ時代を生きる人間であるはずのルーフスとデューイ、二人に囲まれて何の含みもないキラキラとした眼差しを向けられるなんて事態をちっとも想定していなかったガリアードは、現在、静かに困惑していた。

そもそも今日は廃棄された工業都市の奥で、愛車の手入れをしていた。エルジオンの街中を走り回る事は出来ないけれど、広い工業都市の廃墟の中を移動するには欠かせない、ヘレナとはまた違った相棒、己の手足のような存在だ。人格AIこそ搭載はしていないが彼のことを個として大事にしているガリアードは、誰かに託すのではなく自ら彼の手入れをすることを信条としている。
そうして部品の一つに至るまで念入りに磨いた所で、アルドから連絡が入った。旧KMS本社まで出て来れないかと打診されて、すぐに是と返したのはメンテナンスをしたばかりの相棒の試走にちょうど良いと思ったからだ。もしかしたらどこかには、磨き上げた相棒を誰かに見てもらいたい気持ちもあったのかもしれない。

しかしだからといって。

「うっわー、ぴっかぴかだ! 光ってる!」
「かっこいいな! ヒーロー! って感じがするぜ!」

現場に到着した途端、凄まじい勢いで駆け寄ってきたルーフスとデューイに囲まれて歓声を上げられるなんて予想だにしていなかった。己の中に見せたい気持ちがあった可能性がある事は否定しないが、ここまで過剰に反応されるなんて考えていなかった。
二人の反応に圧倒されバイクから降りるタイミングを見失ったガリアードはシートに跨ったままヘルメットのシールドを上げ、きゃっきゃとはしゃいでバイクの周りをぐるぐると忙しなく移動する二人から視線を外し、離れた場所にいるアルドをじっと見る。どうしてよいものか分からず、アルドにどうにかしてほしかった。しかしアルドは困ったように笑って肩を竦めただけで、近寄ってこようとはしない。
助けは期待できないということか。理解したガリアードは改めて二人を見る。そしてすげーすげーとしつこいくらいに繰り返しながら、いろんな角度からバイクを見つめて頬を紅潮させている二人の輝く瞳をしばらく眺めてから、ふむ、と一つ頷いた。
気の済むまで放っておくのも手だが、今のところ全く冷める様子のない二人の熱心さからして、あまり良い手段であるとは思えない。ならば興味の矛先をずらしてやれば良いのではないか。そう考えたガリアードは、二人に声をかける。

「……乗るか?」
「えっいいの?!」
「マジか!」
「さすがに運転をさせる訳にはいかない。だがシートに座るくらいなら構わん」
「やったー!」
「うおー! サンキュー!」

ただ眺めているよりは実際に触れた方が満足して区切りもつけやすいだろう、そして何よりそろそろバイクから降りるきっかけが欲しい。そう思って提案してみれば一際大きな歓声が上がり、二人揃って拳を突き上げてぴょんぴょんと飛び跳ね、やったやったとパンと手を合わせてはしゃいでいる。
提案が受け入れられた事に安堵しつつ、ひらりと勢いをつけて片足を蹴りあげてシートを跨ぎひょいとバイクから降りてその流れのままスタンドを立てれば、また「かっけー!」「すげー!」と歓声が上がりぱちぱちと拍手までされてしまったから、どうにもやりにくい。
しかしそれを表情に出すことはしないまま、ガリアードはまずデューイに近づいて腰を掴んで持ち上げると、そのままぽんとシートに座らせてやる。

「うわー! うわー! すごい、すごいよ! でもこれ足! あははっ、手も! 全っ然、届かない!」
「わははは、かっこいいぞデューイ!」
「あっ、ねえねえ写真撮って!」
「よし任せとけ!」

バイクに跨ったデューイはハンドルに手を伸ばそうとしたが、アルドの仲間の中でも小さい方の彼にはガリアードの体格に合わせて造られたバイクは大きすぎたらしい。それでも彼はがっかりした様子もなく、上機嫌のままにこにこと笑ってルーフスに写真をねだる。そのまま足もつかないのにもぞもぞとシートの上で身を捩ってポーズを決めようとしているのが危なっかしくて、ガリアードは無言のまま彼が落ちないようにそっと背中を支えてやった。
極力気配は消していたつもりだったが、デューイは興奮しつつもそんなガリアードの行動に気づいていたらしい。何枚も写真を撮ったあと、自ら交代を言い出した彼を持ち上げて降ろしてやれば、「乗せてくれてありがと! あっ、支えてくれたのも! おじさん、優しいね!」とガリアードに笑いかける。昔助けた少女と同じ、信頼の滲んだ瞳で。
懐かしさに気づけばつい手が伸びていて、わしゃわしゃと彼の頭を撫でていた。まさか自分がそのような行動に出るなんて、とすぐさま我に返り動揺しかけたガリアードだったが、デューイは少し照れくさそうにへへへと笑っただけで嫌がる素振りはなく、大人しく撫でられている。

「なあ、俺も俺も!」
「……お前はもう子供ではないだろう」
「分っっっかってないなー! 渋いおっさんに頭を撫でられるのはヒーロー物だといい感じのシーンなんだよ! だから俺も撫でてほしい!」
「……さっぱり分からん」

するとなぜかルーフスも近づいてきて、ずいっと頭を差し出して撫でてくれとねだってくる。
ガリアードの中にある人間に関する知識によれば、頭を撫でられて喜ぶのは幼子だけだとされている。相手が大人になればなるほどそれは、失礼だと怒らせる可能性の高いものだとあったから、既に成人しているようにも見えるルーフスに請われるとは思ってもみなくて、すぐには了承をするのは躊躇われた。
しかしルーフスは諦めるどころかますます頭を近づけてきてさあ撫でろとねだるから、仕方なく撫でてやればまるで陽が射したようにぱあっと表情が輝いた。

頭を撫でられて喜ぶ二人のあまりに屈託のない様を見ている内に、次第にガリアードの中に複雑な思いが込み上げてくる。
好んでしていた事ではないとはいえ、彼らの頭を撫でる手はかつて数多の人間の命を刈り取ってきたものだ。それはけして消えることも変わることも無い事実だ。

「お前たちは、俺が恐ろしくないのか。……お前たちとて、人間の中に蔓延る俺の名は聞いた事があるだろう」

だからだろうか。つい、そんな事を言ってしまったのは。
もちろん、今のガリアードに人間と敵対するつもりはない。無闇に誤解を与えるような行動に出るつもりだってなかったし、アルドたちと同じ方向に歩んでいきたいと考えている。
だから常ならばそのような、ある種の脅しめいた事は極力口にしないようにと気をつけていたのに、彼らがあんまりにも無邪気だったから。問わずにはいられなかった。

ガリアードの言葉を聞いた二人は、揃ってきょとんとした顔になると、同じタイミングでぱちりと瞬きをした。けれどガリアードを恐れて距離を取ることなく、同じ角度でうーんと首を捻ってから互いに顔を見合わせて、だってなあ、だってね、と呟いてうんうんと頷きあった。
そうして先に口を開いたのは、デューイの方。

「だっておじさんはもう仲間だし……あっ、あとさ、ヘレナさんのピンチに駆けつけたおじさんの話、すっげーかっこよかったし!」
「それに敵だったやつが仲間になるっての、ヒーロー物だと王道だよな! 俺の心のバイブルでも敵だったおっさんがヒーローを認めて頭を撫でるシーンがあるんだぜ! それでヒーローが言うんだ、『ガキ扱いすんなよ』ってな! ……あっ、そうか忘れてた、ガキ扱いすんなよガリアード!」
「……撫でろと言ったのはお前だろう……」
「まあまあ、こういうのってお決まりだからさ」

そして続いたルーフスが、びしっとガリアードに指を突きつけてヒーローとやらの台詞を口にした瞬間、身体中のネジが一気に緩んだ錯覚を抱いてしまった。
不具合が生じた訳では無い。ヒーローに過敏に反応した訳でもない。一部の合成人間の中ではヒーローについて妙な誤解が広がっていたが、ガリアードはそれがどういうものか正確に理解していた。ヒーローと聞いて身構えることも無く、それが人の紡ぐ物語の中の存在だと知っている。
だからつまり。あまりにもマイペースな彼らの言葉に、すっかりと気が削がれてしまったのだ。
重ねて問い直す気も起きず、そうか、と頷いてガリアードは二人の頭をわしゃわしゃと撫でる。先ほどより幾分、力を込めて。

もしかしたら、と思う。
かつて少女の中に見た光を再びアルドたちの中にも見つけ、それの指し示す方へと歩む、つもりだった。
けれどどこかでは、それがとても稀少で限られたものだと思い込んでいたかもしれない。いつかの未来に人間と合成人間が共に歩む世界をと考えているのに、それは今はごくごく限られた者の中にしかない光なのだと知らぬうちに決めつけていたのかもしれない。

しかし。
もしかしたらそれは、案外と他にも存在していたのかもしれない。ガリアードの手の下で、楽しげにヒーローについて語り合う二人の姿を見ていると、そんな事を思ってしまうのだ。
彼らだけではない。一線を引かれていると感じていた仲間たちのそれは、もしかしたら彼らではなくガリアードの方から引いた一線だったのかもしれない。彼らを戸惑わせているのは過去の仕打ちだけでなく、今のガリアードの態度だったのかもしれない。
当然、何もかもが己に甘いだけではないと分かってはいる。ガリアードが想定していた通り、合成人間への懸念を抱く者はいるだろう。
それでも、もしかして。思わずにはいられない。
到底受け入れられるはずが無いとどこかで決めつけて見過ごしてきた光がまだ、そこかしこに存在しているのかもしれないと。
二人を見ていればそれは、荒唐無稽な夢物語ではけしてないように思えた。

「おーい! そろそろ行くぞー!」
「えええっ?! う、嘘だろ……俺、まだ乗ってないのに……」
「……また今度乗せてやろう」
「ホントか?! 絶対だからな! よーっし、行くぞデューイ、ヒーローの出番だぜ!」
「わっ、待ってよ! ほらおじさんも!」

さすがに長く留まりすぎたか、アルドから声をかけられる。それを聞いた瞬間、あからさまにルーフスの表情がしゅんと萎れたものに変わり、がくりと肩を落として名残惜しげにバイクへと視線を向けた。
あまりにも悄然とした姿に思わず次を約束してやれば、落ち込んでいたのが嘘のようにあっさりと勢いを取り戻し、勢いよくアルドたちの方へとかけてゆく。全く、忙しない男だ。
その後に続いたデューイに急かされたものの走ることなく歩いてゆけば、迎えるようにあちらからヘレナがすーっと近づいてきた。
そしてガリアードの前で止まると、あら、と小さく呟いた彼女の唇が美しい弧の形を描く。

「ねえガリアード、気づいている? あなたね、今、とても素敵な顔をしているわ」
「……素敵? どんな顔なんだ、それは」
「ふふふ、待ってて、今送るわね」

そして開かれた専用回線を通じて送られてきた、ヘレナの視界に写る世界を切り取ったもの、そこには。
穏やかに微笑む、男の顔があった。