メッセージフロム
警備隊の仕事の一環、バルオキーからユニガンまで行商人を送り届け、門の中へと入ったのは丁度陽が沈む直前。完全に太陽が見えなくなってしまえば、門の警護が昼間よりも厳重になり中に入るための手続きが面倒になると身に染みて知っていたから、間に合ってよかったとアルドはほっと安堵の息を吐く。
知人の家に泊まるという行商人と大通りで別れ、アルドは比較的大きな宿屋の集まる街の中心へと向かった。バルオキーを出たのは既に日暮れで、いくら通い慣れた道とはいえ夜道は物騒だと、そのままユニガンに泊まってくるようにと元々言い含められていたのだ。
幸いにして一つ目の宿で空き室が見つかり、前金を払ったアルドは部屋を確認することなく、宿屋の主人に一言残して酒場へと向かう。もしかして誰か、知ってる顔があればいいなと、出来ればかつての仲間達と会えるといいなと、密かな期待を抱きながら。
そんなアルドの期待は半分叶って、半分は叶わなかった。
賑わう酒場の中、共に旅した仲間たちの姿は見つけられなかったけれど、幾人か知り合いの兵士たち顔が見える。アルドに気づいた彼らは手をあげて笑いかけてきたから、アルドも同じ動作で彼らに応えつつ近くにいた給仕に何か腹に溜まるものを適当に見繕ってほしいと注文して、手招きされるままに彼らの一団に混ざることにした。
彼らの半分は顔見知りで、半分は初めて会った人達だった。
アルドが名前を告げれば、少し驚いた顔をされる。そして次の瞬間にはら興奮した様子で握手を求められ、アルドは苦笑いを浮かべつつ右手を差し出した。
ミグランス城での魔獣王との戦いや、国立劇場を手伝ったこと、その他頼まれるままにあちこち走り回っているうち、知らない誰かにまで名を知られている事が増えて、こうして初対面の相手に握手を求められる事もたまにある。最初のうちは戸惑ったものだった。今だってちっとも慣れはしないものの、あからさまに動揺することはなくなった、と思う。
彼らは目を輝かせてアルドの話を聞きたがったけれど、ちょうどその時。カウンターの近くでわあっと歓声が上がって、ぱちぱちと拍手の音が鳴り響く。見ればハープを抱えた吟遊詩人が、物語を唄おうと準備をしているところだった。
せっかくだから彼の演奏を聴こうよ、と促せば皆、アルドに向けていた視線を吟遊詩人へと移してくれる。
助かった、とこっそりとため息をついたアルドも、折よく届いた料理をつつきながら、彼の演奏に耳を傾けることにした。
――さあて皆々様方、これより語るは太古の昔、水の都に舞い降りたと言い伝えられし、白の天使とサラマンダーに纏わる伝承にございます。
ポロロン、爪弾かれたハープの柔らかな音色に乗せて、吟遊詩人は朗々と唄い始める。
最初のうちは何気なく聞き流していた。サラマンダーの名に懐かしく目を細め、水の都はもしかしてアクトゥールのことだろうか、記憶に照らし合わせてそうだったら面白いなとぼんやりと思う程度。
けれど語りが進むにつれ、合間に飯に伸びる手が止まり、前のめりでかぶりつくようにアルドは、吟遊詩人の紡ぐ言葉に夢中になっていった。
――天より舞い降りし 白銀の天使 偉大なる両の手に 抱かれん
だってその話に出てくる白の天使はまるで、アルドの仲間のメリナの事のようで。
――熱きサラマンダー 窮す人々の元へ 駆けゆく姿 疾風の如し
サラマンダーは精霊を指すのではなくまるで、プライの事のようだったから。
アルドの旅は、終わった。
時空を超えるための穴は綺麗に塞がり、次元戦艦は二度とバルオキーの空に浮かぶことはない。仲間たちはみんな自分たちの時代へと帰ってしまい、アルドとフィーネ、そしてエデンの存在は、既に現代においても未来においてもイレギュラーとなってしまっていると分かったから、それならと揃ってバルオキーへと戻ることになった。
異なる時代に生きる仲間たちに会えない寂しさはある。次元戦艦も未来へと帰ってしまったから、同じ時代に生きる仲間達ですらすぐには会いにいけない。ひょいとひとっ飛びで越えられた海も、今は何日も何週もかけて渡らねばならず、合成鬼竜たちには随分と世話になっていたなあと改めて感謝した。
一応の折り合いも、心の整理もつけたつもりだ。散々別れを惜しんだし、最後にはみんな笑って手を振った。
それでも。
こんな風に、不意打ちで仲間の息吹をひしひしと感じてしまえば、嬉しくて寂しくて、胸がいっぱいになってしまう。ほんの少しだけ、鼻の奥がツンとしてしまう。
白の天使とサラマンダーの話は、おとぎ話の筋としてはよくあるものだった。困った人を助け、悪いやつをやっつけ、めでたしめでたしで終わる話。
けれどそんなよくある話でも、先に進んでゆけばゆくほど、いよいよメリナとプライの話にしか思えなくなってきて、瞼の裏に二人の姿が浮かぶようだった。
冷静に行動する白の天使と、すぐに飛び出してゆくサラマンダー。性質の違う二人は物語の中でもよいコンビで、力を合わせて難題に立ち向かってゆく。ただでさえ聴衆を引き込む吟遊詩人の語り、主人公二人への肩入れも加算され、アルドは一言も聞き漏らすまいと全神経を耳へと集中させた。
やがて物語の佳境、サラマンダーの決め台詞の「昇天せよ」はあまりにも馴染んだかつての彼の言葉そのまんまで、プライの声が脳内で再生されてしまったものだから、思わず噴き出してしまう。当然、けして笑いを誘うような場面ではなかったから、周りの客からは怪訝な目を向けられてしまった。なんでもないよ、と窺うような視線を曖昧に笑って誤魔化しながら、やっぱりプライだ、と胸の内で呟けば、謀ったように吟遊詩人が「神罰」と唄うから、堪えきれず俯いて肩を震わせる。
そうして、物語の終わり。白の天使とサラマンダーが天から注ぐ光に包まれいずこかと消え去ったところで話は結ばれて。
「この物語が二万と千百年の先まで語り継がれる事を願って」
一番最後。
添えるように紡がれ、拍手と歓声で余韻もなく掻き消えてしまったその言葉に、どくんとアルドの心臓が大きく跳ねる。
だってそれは、それを知っているのは、アルドの仲間達だけの筈で。
すぐにでも吟遊詩人に駆け寄って詳しい話を聞きたかったけれど、次はあれを唄ってくれと飛び交う要望の中、吟遊詩人と二人で話すのは難しそうだったから、ぐっと堪えて機を窺う。
請われるまま吟遊詩人が新しい物語をいくつも奏でるうち、途中でアルドの存在がバレてしまって、なし崩しに吟遊詩人の隣に引き出され、魔獣城での戦いについて隣で唄われたのはひどく居心地が悪くて仕方がなかった。
けれどそれはある意味では好機でもあった。運良く吟遊詩人の隣に陣取れたおかげで、いくつかの物語を語り終えた彼が今日はここまでと締めくくったあと、わざわざ近寄る隙を見つけずとも自然と彼と二人で話をする時間を持つことが出来たのだから。
物語の感想もそこそこに、早速件の結びの言葉について切り出したものの、吟遊詩人は気を悪くした風もなく、むしろ目を輝かせて生き生きと語り出す。
「面白い締めくくりだろう? いつの話なのかは正確には分かっていないが、私たち吟遊詩人の間で語り継がれるものにこの言葉で終わる話がいくつかあってね。それだけじゃない、世界を巡っていろんな街や村に伝わるその地独特の伝承やおとぎ話を集めていくとね、この文句で締めくくられるものが見つかる事があるんだ。私たちはそれを、天冥の語り手の伝承と呼んでいる」
「天冥の語り手?」
「ああ、どうやら二万と千百年の言葉で終わる話は、おそらく二人の語り手によって紡がれたものだと伝えられているんだ。明るく溌剌とした話は天の語り手、しっとりと落ち着いた話は冥の語り手のものだって言われてる。今回の話は天の語り手のものだよ」
二人の語り手、と言われてすぐさまアルドの頭に浮かんだのは、ラビナとパリサのこと。周りを鼓舞するように朗らかに歌うラビナと、心に寄り添うように優しく歌うパリサの思い出は、吟遊詩人の言う天と冥の語り手像にしっくりと馴染む。
(そうか、あの二人が)
はっきりとした確証がある訳ではないけれど、確信を持ってアルドは頷いた。全く違う人間が作ったものだと考えるには、物語の内容も結びの文句も、あまりにもアルドたちの内情に通じすぎている。
天冥の語り手の伝承には他にどんなものがあるんだ? と水を向ければ、吟遊詩人は楽しげにいくつもの話のあらすじを挙げてゆく。
雨の巫女の話、世界を巡る女冒険家の話、猫を引き連れた魔法使いの話、炎の魔王の話。哀しき王の話、ゴーレムの姉妹の話、酒好きの魔物の話。
どの話を聞いても、ああ彼女のことだ、あの出来事のことだ、と心当たりしかなくて、吟遊詩人の口から新しいあらすじが飛び出す度に、じわりと胸が暖かくなる。
「実は私は、天冥の語り手の伝承を集めていてね。君もどこかで聞いたことはないかい?」
「うーん、残念だけど心当たりはないかな……でも、まだまだ見つかってない話はあるよ、いっぱい」
知っている天冥の語り手の伝承を全て話し終えた吟遊詩人に、問われたアルドは静かに首を振ってから、小さな声で付け加えた。
だって彼の口にした話の中には、見当たらない仲間の姿がまだまだ沢山あったから。
アルドの囁きをしっかりと拾い上げたらしい吟遊詩人は、どうしてそんな事が言えるんだい、と不思議そうな顔をしていたけれど、アルドが微笑んで、理由は言えないけど絶対あるよ、と重ねて断言すれば、彼は納得したように頷いた。
「なぜだかは分からないけれど、君に言われると本当にそんな気がしてくる。もしかして今日、私がここに来たのは、君に物語を聞かせるためだったのかもしれないね」
感にいったようにしみじみと吐き出された吟遊詩人の言葉に、そうかもしれないなとアルドは静かに頷いた。
二万年の千百年の先、それが意味するところを正確に理解できるのは、アルドと仲間達だけの筈だから。その言葉はきっと、時代を超えてアルドたちへと贈られたもので、今日ここでそれを受け取れたのは、何かの導きのように思えてならなかったから。
(確かに、受け取ったよ)
胸の中で呟けば、目頭がぐっと熱くなる。
あっという間に時代を超えられる次元戦艦は、もうアルドたちの元にはない。次元の穴は塞がれて、異なる時代へと跳ぶ手段は消え失せてしまった。
それでも。
長い長い、気が遠くなるような時間を超えて、それは確かに届いた。
もしかしていくつかは、継がれることなく途中で失われてしまったのかもしれない。人から人へと伝わるうち、原型も無く変わり果ててしまった話もあるかもしれない。
それでも。
ちゃんと、届いた。はるか昔、確かにアルドの仲間達が生きていたという証が、共に旅したという事実が、それを忘れることなく大事にしてくれていた想いが。
過去からの手紙が今、アルドの手元に届けられた。
仲間のこと、そして彼らの言葉が渡った数多の人の存在に想いを馳せれば、熱くなった目頭の奥から滾々と温かな水が流れ出てしまいそうだったから、誤魔化すように手元にあった果実水を一気に飲み干すと、アルドは殊更に明るい声を出してしんみりとした気持ちを切り替える。
「なあ、良かったらいつか、バルオキーにも来てくれないかな。天冥の語り手の伝承を聴きたがりそうなやつがいっぱいいるんだ。もちろんオレも、もっと聴かせてもらいたい」
本当は今すぐにでも、知っている伝承を全て聴かせてもらいたかったけれど、既に数曲唄ったあと、無理強いは出来ない。
それに独り占めするよりも、みんなで聴きたかったから。かつての仲間のことをよく知っているフィーネやダルニス、メイにノマルは勿論、村のみんなにも。育ての親である村長、爺ちゃんにも、エデンにも、ペポリとモベチャにも、アシュティアにも、みんなに聴いてもらいたかったから。
吟遊詩人はアルドの頼みを二つ返事で快く引き受けてから、その代わりに、と交換条件を持ちかけてきた。
ミグランス城の戦いの物語について、感想をきかせてほしいと言った吟遊詩人は、「せっかくミグランスの英雄殿に出会えたのだからね」と茶目っ気を含ませてアルドに笑いかける。
自分が出てくる物語を耳にするのは気恥ずかしいものがあって、客観的に見つめるのは少し難しかったけれど、戦いに参加していたのに話には欠けていた仲間の幾人かの話を追加して、彼らがいかに活躍したのかを語った。アルドの名前ばかりが目立たないように、ちょっぴり大げさに語ったのは許してほしい。
そうして一通り語ってから。
少し考えこんだアルドは、物語の最後に一文、付け加えてほしいと頼んだ。
吟遊詩人はそれを聞いて不思議そうな顔をしていたけれど、彼の目をじっと見つめて重ねて頼み込めば、アルドが酒場の熱気にあてられて冗談を言っているのではなく、真面目に頼んでいるのだと理解してくれた。
分かった、と頷いた吟遊詩人は、脇に置いていたハープを手にすると、ポロン、弦を爪弾いて、アルドだけに聞こえる小さな声で囁くように唄う。
それを聴いたアルドが目を細めて笑えば、吟遊詩人も微笑んで不思議だね、と独り言のように呟いた。「この物語に足りていなかったのは、これだったような気がする」と。
そんな彼の言葉を、アルドは肯定も否定もすることなく、浮かべた笑みをただ深めて。
心の中で、吟遊詩人が唄った言葉を、ひっそりと繰り返した。
――この物語が八百年の先まで語り継がれる事を願って。