そしていつかはハッピーエンド


(また、上手くいかなかった……)

一人ぼっちの部屋の中。
ベッドに横になり、お気に入りのぬいぐるみを抱きしめたシュゼットは、小さなため息を吐き出した。

(夜中じゃなくって、昼だったから? 生き血の代わりに赤い絵の具を使ったから? それとも、供物にサファギンの肝じゃなくってラヴィアンローズのアマンディーヌを捧げたからかしら)

ため息の原因は、昼間に試した使い魔召喚の儀式。
とある子供向けの物語が巧妙にカモフラージュされた魔導書だと気づいて、そこにある儀式を参考にシュゼットなりにアレンジして挑戦してみたけれど、何も来てはくれなかった。
けれど手順を変えたのにだってちゃんと、意味はあった。夜中まで待てば眠くなって呪文を間違えてしまうかもしれないし、生き血なんて手に入れる方法が思いつかないし何より物騒だし、サファギンなんてお伽噺の中にしか出てこない魔物の肝なんかより、ラヴィアンローズのアマンディーヌの方がよっぽど、シュゼットの所に来てくれる筈の使い魔も喜んでくれると思ったから。使い魔は主人に似た気質の魔物が現れるのだと魔導書に書いてあったので、シュゼットの大好きなものが一番相応しいと思ったのに。

なのに、結果は失敗。
床いっぱいに広げた大きな紙に赤い絵の具で書いた魔法陣からは何も現れてくれず、何度挑戦してみてもそれらしい光すら出してはくれなかった。
やっぱり少しアレンジしすぎたかしらと反省して、すぐにいいえと首を振る。

(だってわたくしは、堕天した精霊の転生体、闇のプリンセスですもの。少しくらい方法が違ったって、魔界の住人なら応えてくれる筈ですわ!)

幼い頃から強く心に根付く自らの由来を繰り返して、今日はちょっと調子が悪かっただけだと自分を慰める。
そう、だって闇のプリンセスであるシュゼット直々に呼びかけているのだ。手順が間違っていたって、供物が違っていたって、届いていれば我先にと使い魔の希望が殺到する筈だ。その手応えが感じられなかったということはきっと、今日は魔界と人間界の距離が遠く離れている日で、だからシュゼットの声も届きにくかった。そうに違いない。

(再び二つの世界が交わるその日を待たなければ)

やっと失敗した理由を見つけられてほっとしたシュゼットは、ぬいぐるみを抱きしめる手を少しだけ緩めて、ふふっと小さく笑う。

(そう、そうですわ。だからそれまでにたっぷりと魔力を溜めておかなくっちゃ)

そのためにはラヴィアンローズのタルトを、片っ端から制覇しなくてはいけない。あのお店のスイーツには、魔力を高める力があるのだ。じゃなければ口に入れた瞬間、あんなにもふわふわと心が浮き上がるような幸せを感じる訳がないのだから。


気づいた時には何にも覚えていなくって、けれど一つだけはっきりと分かっていたのは、自分が太古に堕天した精霊の転生体で、闇のプリンセスだという事実。
小さかったシュゼットを保護してくれた施設の大人も、同じく保護されていた子供たちも誰も、シュゼットの話を信じてはくれなかったけれど、シュゼット自身がそれを疑ったことは一度もない。
学校は苦手な子達がいるから通信教育を選択して、十二の歳には条件付きではあったけれど施設を出て一人で暮らし始めた。
その頃にようやく見つかったシュゼット名義で登録されていた口座に、沢山のお金が入っていて一人で暮らすには何の問題もないと分かったから。ヘルパー用のアンドロイドの訪問を許して、画面越しの定期的な面談と通信教育を続ければ、一人で暮らしてもいいと言われたシュゼットは迷わず施設を出る事を決断した。
だって、誰も信じてくれない。
それ自体はまあ、普通の人間には理解できない話だから仕方ないことだけれど。
馬鹿にされて嗤われて、変なやつだと無視をされて、いないものとして扱われるのが。
辛くて辛くて、仕方なかったから。

(わたくしは、本当に闇のプリンセスですもの……)

幼い頃に覚えていたのは、たったそれだけ。
けれど成長するにつれ、シュゼットはその出自に疑心を抱くどころか確信を深めるようになっていった。
施設で保護をされていたのは、親を亡くしたり、或いは何らかの理由で親と一緒に住めなくなったり、そんな子たちばかりだったけれど、シュゼットだけは事情が違うと知ってしまったから。
施設の職員たちが交わす話の中には、シュゼットの話もあった。
シチズンナンバーに照会しても、何の登録もされていなかった子供。親の情報も一切不明で、どこの誰だかさっぱりと分からない。
ひそひそと内緒話をしているつもりの大人の話は、案外子供の耳にも聞こえている。それが原因で周りの子にはますます遠巻きにされてしまったけれど、シュゼットはむしろ己の自覚がけして間違ってはいないと自信を持つようになった。
闇のプリンセスで、何らかの事情で魔界から人間界へと堕ちてきてしまった子供。だからシチズンナンバーが登録されてなくって、両親の情報も見つからない。
そう考えれば何もかも筋が通っている。

それに。
とっておきの証拠だって、見つけてしまった。
施設で手にした、子供向けの物語。そこに出てきた主人公はシュゼットと同じ、精霊の転生体で魔界のお姫様。一人ぼっちから始まるお姫様のお話は、まるでシュゼットの事を描いているようだったから、きっとこれは人間界に取り残されてしまったシュゼットを勇気づけるために、魔界の住人が届けてくれたのだと思った。
記憶を失う以前に読んだとは思えなかった。
だってそれは、八つになったシュゼットがようやく読めるようになったお話だったから。
読んだことのないお話なのに妙に懐かしいのはきっと、シュゼットが主人公のお話だから。
だからシュゼットは、物語と同じ。
太古に堕天した精霊の転生体で、闇のプリンセスに間違いないのだ。

随分と成長してからようやく見つかったシュゼット名義の不自然な口座も、一時期職員たちの間で話題となり様々な憶測が交わされていたけれど、シュゼットからしてみればちっともおかしなことじゃ無かった。
きっと。魔界に暮らす両親が、使い魔を通じてシュゼットにプレゼントしてくれたのだ。闇のプリンセスであるシュゼットの両親なら当然、魔界の王様と王妃様だから、人間界のお金なんて簡単に用意出来てしまうはず。
特例で早々に施設を出る許可が出たのは、不明瞭なバックグラウンドを持つシュゼットを、厄介払いする意味があったことには薄々気づいていたけれど、話すら聞かずに否定されるよりは一人でいる方がよほどマシだった。
それに、シュゼットは闇のプリンセスだから。
他の子よりも少々早い独り立ちは、当然のことだとも胸を張って受け入れた。


以来、シュゼットは闇のプリンセスとして恥ずかしくないよう、日々自分を磨いて生きている。
いつ迎えが来てもいいように。
魔界への扉が開いた時、プリンセスに相応しい姿であちらへと行けるように。
なかなか迎えが来てくれないのは、きっと魔界でも何か大変な事が起こっているから。
シュゼットが人間界に堕ちたのは、捨てられたのじゃなくって安全な場所に逃がされたから。
一つ一つに理由を見つけて、自分を納得させて安心させて、確信を深めてゆく。
いつか、きっと。
大きくって強くってカッコいいお父様と、綺麗で美しくて優しいお母様が、シュゼットを迎えに来てくれる。
長いこと待たせてしまってごめんなさいね、と柔らかくシュゼット抱きしめて頬にキスをして、三人で手を繋いで魔界のお城へと帰る。もちろん、シュゼットが真ん中で。
さながら、そう。いつかの街角で見た、仲睦まじい親子の姿みたいに。
お城に帰ったら、今まで離れていた時間を埋めるように、いっぱい甘えて、いっぱい撫でてもらって、いっぱい抱きしめてもらう。
そうして、いつまでもいつまでも。
家族三人、仲良く暮らすのだ。
ハッピーエンドで終わったあの、大好きなお話のように。


(お父様、お母様……)

まだ見ぬ両親に想いを馳せたシュゼットは、再び腕の中のぬいぐるみを強く抱きしめて、静かに目を閉じる。
辛くなんてない。いつかきっと、迎えに来てくれるって、信じてるから。
けれど全然寂しくないと言ったら、嘘になってしまう。

十三になっても、十四になっても、迎えどころか使いの影も見えない。
暗い部屋の中、シュゼットは一人ぼっちのまま。
十五になっても、十六になっても、何にも変わってはくれない。
暗い部屋の中、シュゼットは一人ぼっちのまんま。

もしかしてシュゼットが闇のプリンセスの名に相応しくないから迎えが来ないのかと不安になって、魔法陣を描いてみたり呪文を唱えてみたりしているけれど、なかなかうまくいかない。
その度に少しだけ落ち込んで、それでもわたくしは闇のプリンセスだからと繰り返して、自身を慰める。

(きっと、もうすぐですわ……)

今日もまた。
大丈夫、もうすぐ、だってわたくしは闇のプリンセスだから、と繰り返して己を鼓舞するうち、とろとろと瞼が重くなってゆく。
もしかして。現実ではなく夢の世界に魔界からの遣いが現れるかもしれないと、淡い期待を抱きながらシュゼットは、寄せる眠りの波にそっと身を委ねた。

そうして。
その日、シュゼットの夢に現れたのは。
とても魔界からの遣いには見えない、変な格好をした男の子。
角も尻尾も羽も生えてない、どこからどう見たってただの人間にしか見えない、その男の子は。
夢の中のシュゼットを見つけると、目尻を下げて穏やかに笑った。
柔らかくて、暖かくて、泣きたくなるような。
シュゼットの欲しいものを全部、詰め込んだような。
とてもとても、優しい顔で。