かしこいマクマク


「マクゥ……」

もちょろけは困っていた。
次元戦艦の一室、ちょうど人工太陽の光が注ぐ場所、わさわさと茂った草の上に陣取ったもちょろけの、人にとっての手のような役割をする木の枝の先に握られたのは、一冊の台本。

先日、アルドがユニガンの国立劇場の支配人に強引に頼み込まれて、舞台で演劇を披露しなくてはいけない羽目になったらしい。話を聞いた仲間たちは、アルドってば本当にお人好しなんだから、と呆れた顔をしてはいたけれど、みなそれぞれアルドに協力する事を嫌がりはしなかった。
それは勿論、もちょろけだって同じ。旅に一緒に連れて行ってくれたアルドの事が大好きだから困っていたら助けてあげたいし、それだけじゃなく、もちょろけは人間の生活にとても興味があって、人間の真似をするのが好きだった。
だから積極的にぴょんぴょんと飛び跳ねて自分の存在をアピールし、「大丈夫か?」とちょっぴり心配そうにするアルドに「マク!」と元気に返事をして、見事一つの役を獲ってきたところまでは良かった。
しかしながら。

おおよそのあらすじは聞いている。ミグランス城での戦いを再現した舞台で、もちょろけが演じるのは魔獣王だ。それは分かっているのだが。

「マク……? マク、マク……マクゥ……?」

肝心の台本に、何が書いてあるのかさっぱりと分からない。もちょろけは人の言葉はおおよそ分かるけれど、文字はちっとも分からないのだ。特別で楽しい気配にうきうきそわそわと浮かれていたせいで、台本を開くまでうっかりとその事を失念していた。
ずっと眺めていればもしかして、突然字が読めるようにならないかとひたすら台本と睨めっこしているけれど、今のところ閃きが降りてくる気配はない。台本を逆さにして、ひっくり返して、紙を光に透かしてみたりもしたけれど、やっぱり分からない。

このままでは埒が明かない。
最初から最後までページを一通り捲り、それを五度繰り返したところでようやく、もちょろけは自分一株でなんとかする事を諦める。
誰かに台本を読んでもらおうと決めて、人を探しに部屋を出るべく動き出そうとすれば、その前に折り良く扉が開いたのでもちょろけは見えた人影に駆け寄った。

「マク! マクマクッ!」
「おっ、もちょろけじゃねえか。どうしたんだ?」

部屋に入ってきたのは、デニー。もちょろけの姿に気がつくと、腰を落としてもちょろけの枝にぺしんと軽く掌をぶつけると、どうしたのかと尋ねてくれる。

「マク、マクマクマク、マクク、マクゥ……!」
「あー、よく分からねえが、うん? おう、台本だな。……もしかして、字が読めねえってのか?」

残念なことに、もちょろけは人の言葉が分かるけれど、人はもちょろけの言葉が分からない。だから一生懸命話しかけても、なかなかデニーに言いたいことは伝わらなかった。
けれど台本を掲げて、ぱらぱらと捲りながら枝先でぺんぺんと紙を叩いて主張をしていれば、ようやくデニーが察してくれたから、大正解だと示すべくもちょろけはぴょんぴょんと飛び跳ねてくるくる回る。

「マクッ!」
「おおそうかそうか! なら俺と一緒に練習しようぜ! 俺も魔獣王の役をもらったからな、丁度いいだろ?」
「マークーッ! マクマクゥ!」

よし、と頷いたデニーが懐から取り出したのは、もちょろけが持っているのと同じ台本。どうやらデニーも、もちょろけと同じ役を演じるらしい。
嬉しい偶然にもちょろけは一際高くぴょんと跳んで、テーブルの方に歩いてゆくデニーの後を追いかけた。


「『ミグランス王よ。王家の歴史も終わりの時だ。時代の闇に消え去るがいい』……いけるか?」
「マク、マクク……マクゥ?」
「難しいか? あーっと、そうだな、『観念しろ! これで終わりだ!』ってことだ」
「マク! マクマクマク~!」
「おう、いいじゃないか! そうだ、その調子だぜ」
「マクマクマク~!」

デニーとの練習は、とても分かりやすく楽しいものだった。あまり聞いた事のない言い回しにもちょろけが目をぱちぱちさせると、簡単な言葉に直して教えてくれる。練習を始めてすぐ、台詞を覚えてももちょろけには人の言葉が話せないという新たな壁にぶつかったものの、「大事なのは言葉じゃない、雰囲気だぜ!」とのデニーの励ましを受けて、魔獣王らしい空気で話すことに重点を置けばだんだん、それらしくなっていった、気がする。
特に最初の山場、ミグランス王の技を受けて驚愕するところと、最後の方の王と騎士の二人の技を受けて散る場面は、なかなかに迫力のある演技が出来るようになったと思う。デニーも「いいやられっぷりじゃねえか」と褒めてくれたので、嬉しくなって何度も何度もそこを繰り返し練習した。
デニーも最初は台本に書かれた通りの台詞で練習していたようなのに、回を重ねるうちに段々と台詞が違うものへと変わっていく。 もちょろけは人の言葉が話せないからマクマクの言葉で押し通しているけれど、デニーはきちんと話すことが出来る。それなのに台本に従わなくていいのか、台本とデニーを交互に指して身振り枝振りで尋ねれば、言わんとすることを分かってくれたらしいデニーが、「言っただろ? 大事なのは俺こそが魔獣王だって雰囲気だって。細かいこたぁいいんだよ」と茶目っ気たっぷりにウインクを一つ寄越して笑ったので、そういうものなのかと納得する。
本当は少しだけ、台本通りに喋れないことに不安はあったものの、デニーだって同じなら心強い。そして一層自信をつけたもちょろけは、また最初からだとデニーに催促して練習を再開した。


「よし、完璧だな!」
「マクゥッ!」

交代で別の役もやりながら、通しで練習することそれぞれ十回。
台詞のタイミングだけでなく、舞台上での立ち回りや動きもしっかりと覚えた。もちょろけなりにとても魔獣王らしい役作りが出来たと思う。
デニーと視線を合わせて、さっと差し出された掌にぺしんと枝をぶつけ、目を細めて笑い合う。
「せっかくだ、本番の前祝いに食堂に寄ってジンジャーエールでも飲むか」とのデニーの誘いに、すかさず頷いたもちょろけは、そうだ、と思いついてぱらぱらと台本を捲る。

「どうしたんだ? ん? ……で、に、い……デニー? そうか、俺の事か!」
「マクッ!」

まだきちんと文字が読めるようにはなってはいなかったけれど、読み上げるデニーの声を聞きながら台本を追ううちに、いくつか覚えた文字がある。それを一つずつ枝先で指してゆけば、視線で追っていたデニーの口からもちょろけが意図した通りの言葉が出てくる。成功だ、間違っていなかった。ちゃんと通じたようだ。
嬉しくって舞い上がり踊りだしそうになる心を抑えて、次の文字を指してゆく。

「あ、り、が、そ……もしかしてありがとうって言いたいのか?」
「マクッ!」
「ああ、良いってことよ! ……と、はこっちの文字だな。これはそ、だ……うん、そうだそれで合ってるぞ。にしてもすげえじゃねえか、もちょろけ!」
「マク、マク~!」

残念ながら一文字、間違っていたみたいだけれど、言いたいことは伝わったらしい。興奮した様子でもちょろけを持ち上げたデニーが、すげえぞと褒めてくれるから、楽しくなって台本をぽんぽんと両枝で放り投げて受け止める。
そのままもちょろけをぽん、と頭の上に乗せたデニーは、「それで他の言葉も分かるのか?」と尋ねてきたから、少し考えてからデニーの目の前に台本を差し出し、あ、る、ど、と文字を指してみる。

「あ、ら、で……?」
「マクゥ……?」
「すまねえ、分からん……ちょっと待てよ、こっからここまで読んでやるからな。伝えたい音が聞こえたらそこで止めてくれよ」
「マクッ!」

そうして、食堂までの道行で見事、アルドを示す文字を覚えたもちょろけは、ちょうど食堂に居たアルド相手に早速台本を見せて文字を示し、アルドと伝える事に成功する。デニーとアルド、二人がかりですごいすごいと大いに喜ばれ褒められて、むふんと株を反らして枝を腰に当てた。
まだ少ししか読めないけれど、頑張ってもっと覚えればもしかしていつか、アルドやデニーと話すことだって出来るようになるかもしれない。みんなと話す先の未来を想像すれば、それだけでまた嬉しくなって、たまらずぐるぐると食堂を駆け回り、喜びの舞を披露することとなった。
なお、祝いだとデニーが頼んでくれたジンジャーエールは、ぱちぱちしててちょっぴり痛かったので、勧めてくれたデニーには気づかれないよう、こっそりアルドに飲んでもらった。最高にうまい飲み物だと主張するデニーには悪いけれど、やっぱりもちょろけの頭の花の蜜が一番おいしいものだと思う。


後日、ユニガンの国立劇場にて。
披露された演目、『ミグランス城の戦い』にてもちょろけが演じる魔獣王の姿に、観客は当初「あれは人間でも魔獣でもない……何なんだ?」と困惑していたものの、回数を重ねるにつれ「何を言ってるか分からないけど一生懸命でかわいい」と、特に若い女性たちを中心に、微笑ましく受け止められることとなった。