サムライといいマクマク
ユニガンの郊外にて。
一見して、敵と相対するがごとき気迫を身に纏い、鋭く尖った目付きした男、シオンはその険しい面持ちとは裏腹に、内心ではひどく戸惑っていた。
彼の困惑の原因は、足元にいる存在のせい。
「マクッマクッ! マクマクー、マークッ!」
切り株のような体の側面から生えた長い枝を腕のようにぶんぶんと振り回しながら、一生懸命にこちらへと何かを語りかけているらしい善き魔物から、何かを伝えたい熱意は感じるものの肝心の内容は何を言っているかさっぱりと分からず、シオンは真剣な顔つきのまま静かに困惑していた。
特に、小さい生き物には好かれない性質だった。
残念ながらその愛らしさに特別に心を掴まれている猫相手には勿論のこと、鳥や鼠、犬に狐等々もシオンが近づきもしないうちから尻尾を巻いて逃げてゆく。彼らよりも体の大きな馬にしたって、心を寄せてくれるものはあれど個体によっては威嚇するように嘶いて前足を振り上げ、けして近寄らせようとはしないことだってままある。
猫ほどではなくても、動物たちに対しては大なり小なり愛らしいと思う気持ちは抱いていて、触れ合えぬ事に寂しさを感じない訳ではなかったが、彼らをいたずらに怖がらせたいとはけして思っていない。逃げてゆくものを追うような真似はしないし、差し出した指に怯えられればそれ以上の接触を試みるのは諦めている。
しかし奇妙なことに、少し前からこの小さな魔物は進んでシオンの後をついて回るようになっていた。
滅多にないことではあるが、猫が自分から近づいてくる事が全くない訳でもない。好奇心の強い個体が、様子を窺うようにシオンにじりじりと寄ってくる事はたまにあるのだ。そんな彼らですらもシオンが手を伸ばせば威嚇するか逃げてしまうことが殆どだと経験から知っていたから、小さな魔物の意図は気にはなったものの、こちらから接触するのは自重していた。アルドの仲間となった今、共に戦う相手を無闇矢鱈と怯えさせる気は毛頭なかった。
それなのに、今のこの状況である。
怯えて逃げるどころか自ら積極的に距離を詰めてきて、マクマクと声を上げてシオンに何かを語りかけている。何を言っているのかは分からないままだったが、よく観察してみれば纏う気配に恐怖の色はなく、どちらかと言えば喜色が滲んでいるように思えた。
魔物とはいえ、シオンの膝丈ほどの小さな生き物だ。そんな生き物から好意に似た感情を向けられるのは滅多にない事だったため、シオンはどうすべきか分からず困惑のまま、気づけば懐に手を差し入れていた。
「……煮干しはいるか?」
「マクーッ!」
「いらんか。そうか……」
腰を落とし目線を合わせ、いつでも猫にやれるようにと常に携帯しているそれを差し出せば、すかさず小さな魔物の枝が頭上で交差してバツ印を作る。これほど近づきはしてもやはり受け取ってはもらえないのかと少し残念に思っていれば、小さな魔物は更にわさわさと枝を動かしてシオンに何かを伝えようとし始める。
「マクマク、マクゥ……マクマク、マクゥ……」
「なに……もしや魚は食べることが出来ぬ、と?」
「マックゥ!」
煮干しと自身とを交互に指し、食べる素振りの後にバツ印つくって小さな目をぎゅっと瞑って、いやいやと人が首を横に振るように体を揺すってみせる様に、もしやと思い尋ねてみれば、すぐに枝で丸を作ったからどうやら正解だったらしい。
食べられぬものなら仕方がない。己を恐れての拒絶ではなかった事にどこかでほっとしながら煮干しを懐にしまいなおし、何であればこの小さな仲間は食べる事が出来るのだろうか、とシオンが考えていれば、じっとこちらをつぶらな目で見つめる彼が、ふいに頭にあった花をぶちりと引き抜いたから驚いてしまう。
よくよく見ればそれは、頭の真ん中に生えている大きな赤い花ではなく、その脇にあった小さな紫の花。それを抜き取って枝先に持った小さな彼は、すっとそれをシオンに向けて差し出した。まるでシオンに受け取れとでも言うように。
「……よもやこれを、私に?」
「マクッ!」
「そうか……有難く頂戴しよう」
まさか、と恐る恐る尋ねてみれば、勢いのよい返事と共にぐいぐいと手に花が押し付けられる。シオンの勘違いではなく、本当にくれるつもりだったようだ。
シオンが花を手にすれば、小さな彼の目がにんまりと細められて微笑みの形になり、その場でぴょんぴょんと跳ねてくるくると回る。変わらず言葉は分からないままだったけれど、とても喜んでいることはひしひしと伝わってきた。
己が花を受け取ったことがそんなに嬉しいのか、と思えばじんわりと胸が暖かくなって、小さな生き物や仲間に対して向ける情とは別に、目の前の彼という一個体に対する情が湧いてくる。
「触れても、構わんだろうか」
「マクマクマクマクゥ?」
貰った花はけして落とさぬようにしっかりと握ったまま、つい伸ばしてしまったもう片方の手を、彼は避けようとはしなかった。それどころか撫でてくれとせがむようにあちらからも近づいてきて、伸ばした手にすりすりと体を寄せてくる。
触れたのは、猫のように柔らかくもふわふわもしていない、見た目通りの堅い木の感触だ。ごつごつした肌はまさしく樹皮そのもので、体温もなくひんやりとしていた。
けれどざらついた木肌を撫でるうち、手のひらがほんのりと暖かくなった気がして、目の前の小さな生き物の生命の音が伝わってきた心持ちになってゆく。
無言のまま彼を撫で続けていれば、いつしか自然とシオンの目元からは険しさがとれ、微かに目尻が下がっていた。
アルドは知っている。
もちょろけは爪とぎをされそうになるせいで、猫がちょっと苦手であることを。
シオンの傍にいれば猫があまり近づいてこないことに気づいたもちょろけが、シオンに憧れの視線を向けるようになり、やがてちょこちょことシオンの後ろをついて回るようになったことを。
アルドは、知っている。
そしてアルドは知っている。
シオン本人は大の猫好きで、猫に逃げられる度に悲しそうな顔をしていることを。
猫に怯えるような態度をとられるたびに、僅かに肩を落として瞳を曇らせていることを。
アルドは、知っている。
アルドの視線の先には、ご機嫌のもちょろけとそんな彼を熱心に撫でるシオンの姿。二人とも楽しそうで、周りにはひらひらと花びらが舞っている幻覚が見える。
彼らのやり取りの一部始終を少し離れた場所から見守っていたアルドは、そんな彼らの姿を微笑ましく思う一方で、気まずいような後ろめたいような、微妙な気持ちを抱いていた。
ノポウ族の特性なのか、なぜかもちょろけの言葉を理解している節のあるポポロが、アルドにだけこしょこしょと耳打ちで教えてくれたことによれば、もちょろけはシオンが猫を追い払ってくれていると思っていて、それに対して感謝の贈り物をしたくて花を探していたのだという。人の言葉は分かっているようだけれど、魔物として感覚的に物事を受け止める部分もあるもちょろけからすると、猫に煮干しを差し出しながらも威圧的な雰囲気を纏ったままのシオンの姿は、猫を愛でようとしているというより追い払っているように見えてしまったらしい。
ただでさえ猫が近づいてこないからと懐いていたところに、それでも果敢に近づいてきた猫を追い払ってくれた、少なくとももちょろけの目にはそう見えているシオンに対して、もちょろけの中で好意が一気に膨れ上がって、何かお礼をしたいとあちこちを走り回ってシオンの髪の色と同じ色をしたあの花を見つけてきた。似た色ではなく同じじゃなきゃダメなのだと、アルドたちの時代のみならず古代にも足を運んで探すほどの随分な熱の入れようで、よっぽどシオンの事が好きなのだと分かる。
そんなそれぞれの事情を知っているから、とてもいたたまれない。
もちょろけがシオンが猫を追い払っていると誤解していることも、シオンの方はそれをひどく気にしていることも、二人の間には大きな誤解が存在していることに二人とも気づいていないことも、全部分かってしまうからこそ二人を見ていれば、なんとなしに居心地の悪さを覚えてしまう。
けれど、だからといって。
「マク、マークー、マクク」
「そうか、魚ではなく花なら好むと。承知した」
言葉は通じないながら、身振り手振りによりぽつぽつと会話らしきものをしている二人の間に頼まれもしないのにわざわざ割り込んで、誤解があるんだと告げるなんて真似は出来ない。もちょろけもシオンも、誤解に気づけば少なからずショックを受けてしまうかもしれない。分かりやすくうきうきと跳ねて喜びを表すもちょろけと、無表情に見えて僅かに口角が上がっているシオンの間に、そんな無粋な爆弾を放り込むような事、出来るはずがなかった。
(……秘密にしておこう)
そしてアルドは自分の知る真実をけして二人には伝えないでおこうと密かに決心し、もちょろけの誤解について教えてくれたポポロにも、内緒にしておいてほしいと頼んでおこうと決意した。
なお、後日。
そんなアルドの決意も虚しく、二人の間に存在していた誤解についてあっさり露呈はしてしまうのだが、それで二人の仲が気まずくなることはなかった。
アルドが気を揉んだ通り知った当初はそれぞれショックは受けていたようだったけれど、だからといってお互いを避けるでもなく、猫が苦手な筈のもちょろけが決死の覚悟で自らを囮にし、猫を爪とぎで誘い出してシオンに引き合わせてやろうとしたり、そんなもちょろけをすっと止めに入り、簡単に己を犠牲にしてはならないと静かに諌めるシオンの姿が見られるようになったり。
種族も立場も好みも何もかも違えど、案外仲良くやっていたりする。