もうすこし、ひとりじめ
最近のディアドラには、ある悩みの種があった。
(ああ、またか……)
それは姉であるアナベルに関するもの。
騎士団の予定を調整して、アルドの旅に同行するべく揃って次元戦艦に乗り込んですぐに、早速その悩みが顕在化してしまった。
場所は次元戦艦の会議室。中に入るなりアナベルが、ある人物を見つけてきらきらと瞳を輝かせたのを横目で見てしまい、ディアドラはぎりぎりと歯噛みをしてぐっと拳を握りしめる。
(くっ、そんな可愛い顔をして……!)
ディアドラの悩み。
それはアナベルがアルドの仲間のある男、ベルトランに熱い眼差しを注いでいて、どう見ても特別な感情を抱いているようにしか見えないことである。
アナベルに関する事について、自分が少々過剰に反応しがちな所があると、自覚はあった。だからこれもそんなディアドラの悪い癖が出ただけで、実際は何気なく視線を向けただけの事を、大袈裟に考えすぎているだけなのかもしれない。
そうやってどうにかディアドラの勘違いだと思い込もうとしたのに、アナベルの態度がそれを許してはくれなかった。
アルドに向けるのとも違う、騎士団の者達に向けるのとも違う、ディアドラに向けるものとも違う。ラキシス団長に向けるものとは少し似ている気もするが、それよりも随分と熱量の宿った視線で、アナベルはベルトランを見つめている。
それだけではない。熱心に見つめるくせに積極的に話しかけに行こうとはせず、視線に気づいたベルトランの方からアナベルに声をかければ、恥ずかしそうにもじもじとしてほんのりと頬を赤く染める。はにかんだ表情はまるで少女のように愛らしく、普段のアナベルも戦乙女のように凛々しく美しいと思ってはいるが、そんな恋する乙女のごとき表情をしたアナベルの可愛らしさは格別だった。
何度もそんなアナベルの表情を目撃してしまえば、勘違いで済ませられようはずも無い。血を吐きそうな思いでどうにか現状を受け入れたディアドラだったが、しかしアナベルの相手としてベルトランを認めた訳ではなかった。けっして、絶対に。
(確かにかつてはミグランスの盾と呼ばれていたようだが……でも今は傭兵だぞ?! 傭兵になんてろくなやつはいない! ああ、姉さん、どうして傭兵の男になんか……)
同じく傭兵である自分の立場はすっかり棚に上げて、いかにベルトランがアナベルに相応しくないか、胸の内で連ねてゆく。
さすがにミグランスの盾の名はディアドラも耳にした事はあったが、既にそれは過去のもの、大事なのは今だ。自身も傭兵稼業に身を置いているが故に、傭兵というのは頂けない。日銭を稼いで身をたてる職業はいつ仕事が尽きるかしれず、万が一大怪我でもしようものなら、あっさりと飯の種がなくなる。そんな不安定な職に身を置く男にアナベルを託せる訳が無い。
しかしそれだけでは、あの男はやめておけとアナベルを説得する材料には心もとなかった。稼ぎだけならアナベルだって十分あって、ベルトランを養うくらい訳はないから、いまいち説得力に欠ける。それになによりディアドラも、アナベルの副官としてあるけれど、騎士として国に仕えてはおらず立場は傭兵のままであるから、引き合いに出されれば反論が難しい。もしもアナベルを説得するために具体的な例を挙げて傭兵の不安定さを語ってしまえば、今までの自身の傭兵生活が透けてアナベルを心配させてしまうことが目に見えていた。
だからディアドラは、ベルトランがアナベルに相応しくない理由を見つけるために、アナベルには知られぬようにこっそりとベルトランに接触を試み、仲間たちからも情報を集めることにした。根も葉もない言い方をすれば、少々強引に粗探しをすることにしたのである。
ところが、だ。
直に話をしてベルトランの人となりを知り、仲間たちからも話を聞くうち、事態はディアドラの想定していない方向へ向かってゆく。
率直に言って、ベルトランは悪いやつではない。それどころか、実直でとてもいいやつだった。気に食わないと思っているディアドラからしても、認めざるを得ないほどには。
傭兵として身を立てるうち、同じ傭兵の男達から、女であるというだけで侮られた事は数えきれないくらいあったし、下世話なからかいや誘いに嫌悪に眉を顰めた事だって少なくはない。しかしそんな過去に接してきた傭兵の男たちとは違って、ベルトランはディアドラを侮りはしなかった。下品な軽口を投げてくることもないし、むしろ非常に紳士的に接してくれる。
ディアドラがわざと煽るような物言いをしても苦笑いで受け止めて終わり、少々行き過ぎても頭ごなしに叱りつけるのではなく穏やかな口調で諌められる。分かっていてやったとはいえ、さすがに少しばかり申し訳なくてバツが悪くなった。
もしもそれが、ディアドラに対するものだけだったなら、アナベルに気があって妹であるディアドラを懐柔しようとしているのでは、と邪推も出来たのに、他の仲間たちの口から聞くベルトランの姿も、ディアドラから見たものと同じだった。むしろディアドラたちより幼いものにはより当たりが柔らかいようで、戦闘中には仲間を庇って積極的に前線に出て敵の刃を受け止める。一緒に戦っているととても頼りになって、安心出来るという仲間たちの顔には、ベルトランへの確かな信頼が浮かんでいた。正直に告白すれば、戦闘中、その背を頼もしく思ったことはディアドラもあって、仲間たちの言葉には同意せざるを得なかった。
知れば知るほど、話を聞けば聞くほど、ベルトランがアナベルに相応しくない理由がなくなってゆく。もしかして悪い相手ではないのかも、と迷いそうになる。
それでも、どうしてもディアドラは認められなかった。
(悪い男ではないのは分かったが……いいやでもやはり姉さんとは歳が離れすぎているだろう……顔立ちは悪くは無いが、おっさんじゃないか……待てよ、姉さんがやつと結婚したら私はやつを義兄さんと呼ばなければならないのか?)
どうにか理由を絞り出して、やっぱりアナベルの相手には相応しくないと自身に言い聞かせる。歳だけはどうにもならない現実で、実際親ほどに歳の離れた男を義兄と呼ぶ未来は、ちっとも面白くなくて居心地が悪い。
だけど、じゃあ、もし。
ベルトランが若ければ、認められたのだろうか。
歳のことがなければ、いよいよ理由がなくなってしまう。傭兵であることを差し引いても、十分によい男であるように思えた。
なのに、それでもどうしても嫌だと騒ぐ自身の心に、ディアドラはようやく、理由がベルトランではなく、自分自身にあることを認めた。
だって。
(せっかく、取り戻せたのに。……また、姉妹になれたのに)
失った記憶を取り戻して、長く離れていた姉妹の形を取り戻せた。まだ照れたり戸惑う事も多いけれど、姉さん、とアナベルに呼びかけるたび、幸せな気持ちになれる。休みの日には二人で、街に出かけて買い物をして、お互いの気に入りの店で食事をして、おいしいと笑い合う。そんな姉妹の時間を、ようやく持てるようになったばかりなのに。
アナベルによい人が出来てしまえば、そんな二人きりの時間が奪われてしまう。アナベルはけしてディアドラを蔑ろにはしないだろうけれど、それでも今までディアドラと過ごしていた時間のうちのいくらかは、恋人と過ごすために割かれてしまうだろう。
いずれは姉離れをしなければいけないと分かっている。それでもまだしばらくの間は、姉を独り占めしていたかった。他の男になんて、やりたくなかった。長く離れていた分、姉妹の時間を大事にしたかった。
(全部、私の、我儘だ……)
自覚しても尚、嫌だった。
まだちょっとぐらいの間いいじゃないか、と甘える心が顔を出して、素直に応援できない自分に嫌気が差す。
そうして結局、応援することも止めることもできないまま、もやもやとした気持ちを胸の内に抱え、ベルトランを見つめるアナベルの眼差しに気付かぬふりで、日々を過ごしていたのだったが。
「最近アナベルって、ベルトランの事よく見てるよな」
そんなディアドラのすっきりしない日々に、終止符を打ったのはアルドの言葉だった。次元戦艦の一室にて、アルドとアナベルとディアドラの三人で次の予定について話あっていた時、ふと思いだしたというような軽さでひょいとそれを口にしたアルドに、おいふざけるなと反射的に悪態をつきそうになったが、アナベルの手前どうにか飲み込んだ。
ずっと聞きたくて、聞けなかったこと。それを簡単に口にしてしまったアルドが憎らしくて、けれどどこかほっとしてもいた。しかしやっぱりこんな、乙女の恋心にずけずけと踏み込むような真似は不躾すぎやしないか。よし後でぶん殴ろう。
そんな風にアルドへと八つ当たりめいた思考をちらちらと向けていたディアドラだったが、アナベルの反応は想像していたものと少し違った。
ちょっぴり気まずそうに、ええ、と頷いてから、特に頬も染める様子もなく、恥ずかしがるでもなく、すらすらと理由を述べる。
「ベルトラン様は、ミグランスの盾として名を馳せたお方でしょう? 私が騎士団に入った時には既に騎士を辞されていたけれど、そのお話は騎士団の仲間から聞いていて、騎士のあるべき姿として、護るものの在り方として、ずっと憧れていたのです」
かっこいいだとか好きだとか、ディアドラが恐れていた言葉とは違って、その口ぶりはあくまで騎士としてのベルトランを讃えるものでしかない。
ああ、ベルトランって有名な騎士だったんだよな、とアルドが頷くと、そうなの、と弾んだ声のアナベルが、ベルトランの逸話を語り出すが、やっぱりそれはあくまでベルトランの騎士としての姿に限定されているように思える。
「本当は昔の話を色々お聞きしたり、教えを受けたいのだけれど、あまり詮索するような事をしてはご迷惑かと思って……せめて立ち振る舞いの一つでも参考に出来ないかしらと思ったら、ついつい目が向かってしまうの。やっぱり失礼だったかしら……」
「ベルトランはそんなこと気にするやつじゃないよ。アナベルの事、凄いって褒めてたし。そうだ、今度一緒に訓練すればいいんじゃないか? オレが伝えておこうか?」
「まあ、本当に? お願いしようかしら……いいえ、だめ、やっぱりきちんと自分でお願いします。ありがとうアルド、背中を押してくれて」
「はは、どういたしまして」
アルドと話をするうち吹っ切れた表情になったアナベルが、にこやかに微笑んで礼を言うと、アルドも笑って頷くと、それじゃあ、と部屋を出てゆく。
残されたのは、アナベルとディアドラの二人。
アルドとの話を聞くうち、もしかして、と思い始めたディアドラは、恐る恐る口を開く。
「ね、姉さんは、あの男が、す、すすす、好きなんじゃないのか……?」
「ベルトラン様のこと? ええ、勿論尊敬しているわ」
「そうじゃなくって、ええと、恋人になりたい、ような、そういう……」
ベルトランの事を語るアナベルの口振りは、恋い慕う相手の事を話すというより、憧れの騎士について話しているようだった。もしかして全てディアドラの勘違いで、ただの憧れなんじゃないだろうか、そう思ったら現金なもので、直接アナベルに聞いて確信を得ずにはいられなかった。
緊張で口ごもりながらたどたどしく尋ねるディアドラの言葉を聞き終えたアナベルは、目を丸くしたあと、うふふふと面白そうに声をあげて笑う。
「憧れているし素晴らしいお方だとは思っているけれど、そんな気持ちとは違うわ。そうね、英雄譚の主人公に憧れるような気持ちかしら」
そしてころころと笑いながら教えてくれたのは、まさにディアドラが望んでいた言葉。
安堵でほっと力が抜けてその場にへたりこみそうになりながら、良かった、とディアドラは呟いた。
アナベルに恋人が出来るのが嫌で、応援出来ない自分も嫌だった。いつかはそんな日が来るのだとしても、いつかがずっと先であればいいと望んでいて、アナベルの口からその日が来たことを告げられるのが恐ろしくて、見ないふりで確かめる事すら出来なかった。
けれどそんな事実は最初からなかったのだと、ディアドラの杞憂だったのだと告げられて、まだ当分姉を独り占め出来ると喜ぶ心がぴょんぴょんと跳ね回る。
もしかしてアルドは、分かっていたのかもしれない。鈍いようで妙に鋭いところもあるから、アナベルがベルトランに向けた気持ちが恋ではないと気づいていて、あんな風にあっさりと聞いたのかもしれない。だとしたら殴ってやるだなんて思って悪かった。後で謝っておこう。
それに、ベルトランにも。
全てはディアドラの勘違いと思い込みで、随分と失礼な事をしてしまった。アナベルの想い人かもしれないと疑っていた時分でさえ、良いやつだと思った相手だ。誤解が解けた今となっては、穿った目で見て粗探しをしようとしていたことについて、ただただ申し訳ない気持ちしかない。
しっかりと詫びを入れておこう、と心に決めてディアドラは、良かった、と大きく息を吐き出してしみじみと呟いた。
(良かった……)
アナベルは、心の中で呟いた。
本当に、心配だったのだ。
それほど積極的に仲間に関わろうとはしないディアドラが、ベルトランには自分から話しかけに行っている姿を目撃するようになって、仲間にもベルトランの話を聞き回っていたから、もしかしてベルトランに恋をしたんじゃないかと密かに思っていた。
ベルトランの事は騎士として尊敬していて、憧れてもいる。同じく守る事に主軸を置いた戦い方をする身、学ぶべき所は沢山あって、人格的にも素晴らしい人だと思っている。
けれど、ディアドラの交際相手となると話は別だった。
(ベルトラン様は素晴らしいお方だけれど、ディアドラの相手には少し歳が離れすぎていないかしら……もしもディアドラと結婚なんて事になれば、ベルトラン様が私の義弟に?! ど、どうしましょう、ベルトラン様に義姉さんなんて呼ばれたら……)
姉妹らしくディアドラと似たような事で頭を悩ませ、応援も反対も出来ずどうしたものかと思っていた。
ベルトランに憧れているのは本当だ。けれどその姿を追う眼差しに、妹の想い人を見定める色が混じっていなかったかといえば、嘘になってしまう。
だって、せっかく思い出せたのだ。ようやく取り戻せた可愛い妹と、したいことはまだまだ沢山ある。
連れて行っていないアナベルのお気に入りの店にも一緒に行きたいし、姉妹でお揃いのリボンをつけて街を歩いてもみたいし、夜通し二人で話もしてみたい。
二人でしたいことをするには時間が足りなくって、たとえベルトランが相手とはいえ、妹との時間を譲るのは嫌だった。いずれ妹離れをしなければならないと分かってはいるけれど、まだしばらくの間は可愛い妹を独り占めしていたかった。姉妹の時間を大事にしたかった。
しかし、アナベルの目の前でほっと安堵の息を吐くディアドラの様子を見るに、全てはアナベルの誤解だったようだ。どうやらディアドラもアナベルと同じように勘違いして、そのためにベルトランへの接触を増やしていたらしい。
全く、とんだ勘違いで巻き込んでしまったベルトランにはとても申し訳ないことだけれど、照れくさそうに頬を染めて目を伏せて、「姉さんとの時間をとられるのが嫌だったんだ」と告白するかわいらしい妹を、もう少しだけ独り占めできるのは素直に嬉しい。
「本当に良かったわ」
後でベルトランには謝罪をしておこう。
そう心に決めてアナベルは、もう一度小さく呟いて微笑んだ。
後日、全く預かり知らぬ所で姉妹の悩みの種になっていたベルトランに宛てて二人からお詫びの品が届き、改めて謝罪もされたのだが、ちっとも心当たりのない彼は、理由が分からず首を捻っていたという。