その胸に揺れるもの


「アルド、少しいいだろうか……」

ロキドから声をかけられたのは、アナザーダンジョンから次元戦艦に戻ってきたタイミングで。
どことなく申し訳なさそうに大きな体を縮めるロキドに、勿論だと答えるとほっとしたように肩の力が抜ける。

「これを、長く保存する方法がないか知らないか?」

どこか部屋に入ろうかと提案すればそこまで時間は取らせないと首を振られたので、廊下の隅に寄って改めて話を聞くと、ロキドが懐から取り出したのは、少し萎れた花の冠。見覚えのあるそれに、アルドはゆるりと目尻を下げて微笑んだ。
少し前にそわそわと落ち着かない様子のロキドに見せられた花の冠は、ユニガンに住む少女がロキドに贈ってくれたものらしい。彼女とロキドの間にあった一連の流れについては、思い出せば胸が痛くなる事も多いけれど、少なくとも二人の間に残ったものについては本当に良かったなとロキドの肩を叩いてやりたくなる。
以来しょっちゅう花冠を取り出しては眺めているロキドの姿を見ていたアルドとしては、それを長く保存したいと望む気持ちがよく分かった。だから出来る限り希望を叶えてやりたくて、腕を組んで考え込む。

「うーん、保存、長持ちさせる……押し花にする、とか?」
「押し花……」
「あとは吊るして乾燥させるとか……いや、でも待てよ。そうだ、他のみんなにも聞いてみよう! ほら、未来ならもっといい方法があるかもしれないだろ?」

しかし、生憎とそこまで花に関する知識がある訳ではない。フィーネや村の人達がやっていた方法を思い出して口にする途中、はっと別の方法を思いついてぱっと顔を輝かせた。
折しも場所は次元戦艦。アルドたちよりずっと未来に生きる仲間たちも、何人か滞在している所だ。未来にはアルドの知らないものがいっぱいあったから、きっと押し花よりもいい方法が存在しているに違いない。
早速駆け出そうとしたアルドとは対照的に、ロキドはそんな迷惑をかける訳にはいかないと恐縮しきっていたから、無理矢理に背を押して仲間の姿を探しに行くことにした。

「あ、シュゼット!」

まず初めに見つけたのは、シュゼット。
小走りに駆け寄ると不思議そうな顔をしていたけれど、花冠を見せて事情を説明すれば、ふふんと鼻を鳴らして得意気に胸を張る。

「勿論ありますわ! わたくしたちの時代では、花や木を保存液に浸してケースに入れて飾る事がありますの。あれならきっと、ずうっと綺麗なまま置いておけますわ!」
「へえ、すごそうだな。それで、その保存液とケースってのはどうすれば手に入るんだ?」
「え? ええと、それは、それは……ま、魔界の……」
「魔界の?」
「魔界の使徒が、その、えっと、えっと……」

しかし途中までは勢いの良かったシュゼットだったが、具体的な方法を尋ねると途端に雲行きが怪しくなる。アルドの経験上、しどろもどろに魔界の事を引き合いに出し始めたシュゼットは、わからない事を誤魔化している事が多い。
そしてついには小さな声で「だって、最初からケースに入って売られてるのしか見たことないもん」と呟いたのを聞いてしまったので、それ以上尋ねるのをやめた。
そっか、ありがとう、とだけ告げて、詳しい方法を別の誰かに聞こうとまた歩き始めれば、「わ、わたくしも行きますわ!」とアルドたちの後ろをシュゼットがついてくる。
そうして三人でまた次元戦艦の中を彷徨いていれば、今度はクレルヴォの姿を見つけた。
先ほどと同じように声をかけて事情を説明すれば、ひどく嬉しげに笑ったクレルヴォが感じ入ったようにうんうんと頷いた。

「容器や保存液の質によっては保存状態に差が出る。君たちさえ良ければ僕が最高のものを用意しよう。……良ければ、それを手に取って見せてもらっても?」

あっさりとアルドたちの疑問を解消したクレルヴォは、キラキラと目を輝かせて花冠を見つめている。アルドが視線でロキドに確認を取れば、黙って頷いたロキドはクレルヴォに向けてそれを差し出した。
ありがとう、と一層笑みを濃くしたクレルヴォは、ポケットから手袋を取り出して手にはめると、まるで壊れ物を扱うような慎重さで花冠を受け取り、両手に掲げ持ってしげしげと眺めてほうとため息をつく。

「これは、素晴らしいな。文献で見たことはあるが、実物を目にするのは初めてだ。自然が当たり前に身の回りにあるからこそ根付いている文化だね、本当に素晴らしい」

落ち着いた口調とは裏腹に、うっすらと頬を染めて興奮した様子のクレルヴォに、ロキドが戸惑ったようにアルドを見る。苦笑いでそれを受け取ったアルドは、もう少しだけ好きにさせてやってくれと小声で囁いて、様々な角度から花冠を眺めては感嘆の息を漏らすクレルヴォを見守ることにした。

「うわ、なにそれ、かわいいー!」

すると。
いつの間に近づいてきていたのか、アルドたちの背後からひょこりと顔を出したフォランが、花冠に視線をやって歓声を上げる。
シュゼットやクレルヴォにしたのと同様に事情を話せば、へえ、と頷いたフォランがちょっと考え込んでから、でもさあ、と口を開く。

「ケースに保存すんのもいいけどさー、あれって持ち歩けないじゃん? 合成クリスタルに入れたらいいんじゃない?」
「合成くりすたる?」
「そ、今うちの学校で流行ってんだー、ほらコレコレ!」

新たに提示された方法と知らない言葉に、アルドとロキドが揃って首を傾げれば、ごそごそとポケットを漁ったフォランが何かを取り出して見せてくれた。
それは透明のガラスのようなものの中に、鳥の羽らしきものが閉じ込められた小さな塊だった。こんなものもあるんだな、と受け取ってしげしげと眺めていると、花冠を観察していたクレルヴォから待ったがかかる。

「しかしあれもそれなりに重さがあるし、持ち運ぶには少々不便ではないだろうか。耐久性も心配だ」
「んー、じゃあ花の冠自体どっかに保存しとくとして、花びら一枚だけ合成クリスタルに入れてチャームにするのは? かわいいしさ、持ち歩きやすいよ」
「一理あるが、そのために花びらを毟るのには抵抗があるな」
「あ、そっか。このままで綺麗だしかわいいから、ちょっともったいないよね」

ちゃーむ、とまた飛び出した知らない言葉をアルドは口の中で繰り返したものの、二人の会話を遮って聞くことはしなかった。よくわからないけどしばらく二人のやり取りを見守っていようと傍観に徹していると、隣にいたロキドが懐を探って小さな袋を取り出して、二人に向けて差し出してみせた。

「それなら、落ちた花弁がここにある。……既に落ちてしまったものとはいえ、捨てる気にならなくてな」

ロキドが手の上で袋を逆さにして振れば、中からひらひらと数枚の花びらが落ちてくる。少しばかり色はくすんでいたけれど、形は綺麗なままだ。
花びらを目にしたクレルヴォとフォランは目を輝かせて、うんうんと何度も首を縦に振った。

「おおっ! ばっちりじゃん!」
「ふむ、これなら。確かに戦闘では何が起こるか分からないから、保存用と携帯用に分けるのは良い案だね」
「でしょでしょ? かわいいしさー」
「ち、チャームにするならわたくしが良いお店を知ってますわ! ホワイトデビルというお店が仕上がりも丁寧でお勧めです」
「あーっ! 知ってる! 予約待ちすごいんだよねそこ! クラスの子が言ってた!」

ロキドの手の中の花びらと花冠を見比べながら話を進めてゆく二人に、ずっとアルドの後ろに隠れていたシュゼットが恐る恐る近づいて、深呼吸をしてから思い切った様子で話しかける。するとフォランがぽんと手を打ってシュゼットの言葉に応えて、ますます三人での話が盛り上がってゆく。
ぽんぽんと知らない単語が飛び交い、いよいよ話についていけなくなったアルドは、この三人に任せておけば大丈夫そうだと安心して、すっかりと任せてしまうことにする。クレルヴォやフォランは勿論のこと、シュゼットも楽しそうにしている様子に少しほっとして、黙って三人のやり取りを眺めていた。
すると、アルドの隣、取り出した花びらを一枚ずつ袋にしまったロキドが、穏やかな表情で三人を見やってから。
身体ごとアルドに向き合うと、軽く頭を下げてみせた。

「ありがとう、アルド」
「うん? オレは何にもしてないぞ? 礼を言うならクレルヴォたちに」
「ああ、彼らにも勿論感謝を伝えるつもりだ。だが、お前にも言っておきたかった」

結局の所、ロキドの相談に乗っているのは話し合っている三人で、アルドは何も出来ていない。だから礼を言われるべきは自分ではないと告げれば、首を振ってそんな事を言う。
そして、少しの躊躇いの後。
どこか遠くを見る目になったロキドが、ぽつりぽつりと話し出した。

「……以前は、分からない事があっても誰かに聞くことは出来なかった。仮に聞いたとして、答えが返ってくることはなかった。何もかも全て、自分で考えて、答えを出すしか方法がなかった」

その内容に、アルドは思わずむっと眉を寄せる。
ロキドの置かれている状況は理解しているつもりとはいえ、改めて言葉にされるとどうしたって胸が痛む。ロキドはこんなにいいやつなのに、どうしてそんな環境に身を置かなければならなかったのだろうと悔しくてたまらなくなって、ひどくやるせない。
けれど悲観する様子もなく淡々と語ったロキドは、憤慨するどころかどこか照れくさそうに唇の端を緩めて、先を続けた。

「今は、違う。俺が疑問を投げかければ、答えを返してくれる存在がある。それだけじゃない。もっといい答えがあるかもしれんと考えてもくれる。自分のことではないのに、まるで自分のことのように」

その、ロキドの言葉に。
いつの間にかきつく握っていたアルドの手の力が抜けて、じわじわと心に暖かなものが広がってゆく。
ちらりとロキドが視線を向けた先には、未だ話し合いを続ける三人の姿があって、すっかりと嬉しくなってしまう。
もうロキドは一人で悩まなくていいのだ。また困ったことがあればこうやって相談すれば、絶対に誰かが答えてくれる。あの三人のように。
アルド自身はあんまり、役に立たないかもしれないけれど。でも、話を聞くことは出来る。

「お前と出会って、世界が変わった。……あんな、花冠まで貰えるようになった」

ロキドはそれをまるで、アルドがしたことみたいに言うから、アルドは笑って首を横に振った。

「やっぱり、オレは何にもしてないよ。みんながああやって考えてるのもさ、ロキドがいいやつだからだよ。だからロキドが困ってたら、力になりたいって思うし、花冠だって」

そりゃあ、仲間たちは多少クセの強いやつも多いけれど、なんだかんだいいやつばっかりで。ロキドも勿論、とびきりのいいやつだから、困っていたら何か出来る事がないかと考えるのは当たり前の事だ。

「あの子、ちゃんと見てただろう? オレじゃなくて、ロキドに感謝してたろ? 全部、ロキドが頑張ったからだよ」

それに、件の少女だって。
アルドが花を渡しに行っても受け取ろうとしなかった少女は、きちんとロキドの事を見てくれた。周りから聞いた話ではなくロキドの行動から、ロキドがどんなやつか判断して、自分を助けたのはロキドだと分かってくれた。だから、花冠まで贈ってくれるようになった。
アルドは何もしていない。
全部、全部。ロキドのした事が、正当な評価としてロキドに返ってきただけのこと。
けれどいくらアルドが首を横に振っても、ロキドは主張を変えようとはしない。

「アルド、お前がくれたんだ。お前との出会いが、俺に仲間を作ってくれた」

至極真面目な顔つきで、重ねてそんな事を言うものだから、とうとうアルドは否定することをやめる。そっかと一つ頷いて、ロキドの言葉を受け取ることにした。
アルドが何もしなくったって、ロキドはすごくいいやつだから、いつかは見ていた誰かがいずれ寄り添って、その輪が広がっていったに違いないと信じているけれど。
でも、アルドとの出会いがきっかけの一つになって、その時が早まったなら良かったなと思う。
アルドと出会った事で、いつかまでの時間の分、ロキドが独りでいる時間が短くなったなら、とても嬉しい。

「お前に、お前たちに出会えて、本当に良かった……ありがとう、アルド」

ふっと顔を背けて、再度の礼を述べたロキドの声は、少しだけ湿っている。気づかないふりをしたアルドは、努めて明るい声色を作ってたんたんと大きな背中を叩いた。

「オレも、ロキドに出会えて本当に良かったよ。ありがとう、ロキド」

そして、眩しいくらいに真っ直ぐで、少し不器用で、とても優しい彼に、こちらこそ、と心からの気持ちを告げた。


結局、三人の話し合いの結果、花びらは合成クリスタルのチャームとやらにすることになって、花冠そのものは一先ず保存液の入ったケースに保存して次元戦艦に飾ることになり、今後の状況に応じて合成クリスタルに閉じ込めれば良いという方針に決まったらしい。ロキドもその結果を目を細めて受け入れた。
花冠の方はクレルヴォに任せることにして、ロキドと二人で教えられた店にチャームとやらを作りに行く事になって、そして。
気恥ずかしげなロキドからおずおずと申し出られたのは、今回の礼にとクレルヴォたちにも花びらを閉じ込めたチャームとやらを作りたいとの希望。
自分から言い出したくせに、直前にやはり自分と揃いのものなど喜ばれないのではと悩み始めたロキドの背中を強引にせっついて、作ったのは透明な合成クリスタルに花びらを閉じ込めた五つの飾り。

ロキドの心配とは裏腹に、みんな大喜びで受け取ってくれた。
クレルヴォはいつもの冷静さとは似つかわしくなく、少々上擦った声で「ありがとう、素晴らしい、本当にありがとう」と何度も繰り返して、感極まったようにロキドの手を両手で握りしめていたし。
フォランは一目みるなり「わー、かわいい!」とはしゃいだ声を上げて、ぱしゃぱしゃと機械で写真を何枚もとってから、鼻歌混じりで腰の飾りに追加して満足そうにしていたし。
シュゼットは両手でそっと受け取ってぎゅっと胸に抱いたあと、「お、お揃い、みんなとおそろい……えへへ」と頬を赤く染めて呟いて、「あ、あとで返せって言っても駄目ですからね! わ、わたくしが貰ったんだもん!」と謎の威嚇をしてきて、それからも暇さえあれば眺めて嬉しそうにしているし。
アルドも、勿論。貰ったその日のうちにリィカに頼んで、肩飾りに縫い付けてもらった。ふとした瞬間、視界の端に花びらが目に入るたび、じわりと心が暖かくなる。


そうして、今日も。

「受けて立つ! かかって来い!」

力強く叫ぶロキドの胸元には、エイミとザオルが作ってくれた合成人間でも引きちぎれない頑丈な鎖の先。
淡い色の花びらが、優しげに揺れている。
まるで彼の心の色を写しているかのように、とても柔らかな風合いで、ゆらゆらと、ひらひらと。