僕の弟分


全く、アルドってば、僕がいないとダメなんだから!

アルドは僕の弟分で、フィーネは僕の妹分。そりゃあ僕を家に連れってくれたのはアルドとフィーネで、順番からいけば僕が一番の新入りだけど、アルドもフィーネも危なっかしくって見てらんないから、僕が二人の兄貴分になってあげることにしたんだ。
特にアルド、ああほら、今だって。
警備隊の見習いのお仕事で村を見回る筈なのに、おしゃべりのおばさんに捕まってうんうんと話を聞いてやっている。そんなんじゃいつまで経ってもお仕事が終わらないのに、アルドは真面目な顔でおばさんの話に耳を傾けている。
フィーネもたまにびっくりする事をしでかすけど、アルドよりは落ち着いてるししっかりしている。村の外に行く時はちゃんと誰かに頼んで一緒に行ってもらうし、おしゃべりのおばさんに捕まっても忙しい時はさらりと躱すのもアルドより上手だ。
だけどアルドは、そういうのがフィーネより下手くそで、誰かに頼まれたら一人でも外に飛び出してしまう。村の周りはゴブリンくらいしかいないけど不用心だし、あんまり危ないことしないでねってよくフィーネに叱られてるのに、ちっとも懲りやしない。ね、ほら、すごく危なっかしいでしょ。

僕にだって僕の予定があって、今日はマリリンをデートに誘うつもりだったけど、仕方ないから予定を変更して助けてあげることにした。だってあのまんまじゃ、ずっと話に付き合わされてそうだもの。
すりすりとおばさんの足元に擦り寄ると、おばさんはぺらぺらとよく回る口を閉じてしゃがみこみ、嬉しそうに僕の名前を呼んでよしよしと喉を撫でた。このおしゃべりおばさんは僕の事が好きで、よく触りたそうにしているけど普段は簡単に触らせてなんてあげない。でも今日は特別だ、弟分を助けるためだからね。
僕の狙い通り、おばさんは僕に夢中になってすっかりとアルドの存在を忘れたようだった。ほら、アルド、今のうちだよ。にゃあと鳴いてせっついてやれば、困ったことがあったら何でも言ってくれよ、と言ってアルドが村の見回りに戻っていった。
アルドの背中が小さくなるまで待ってから、僕もひょいとおばさんの手から抜け出した。舐めてもらっちゃ困る、僕はアルドと違って逃げるのも得意なんだから。

まだまだご飯まで時間はあったから、マリリンとデートする時間は十分あったけど、心配だからアルドについてくことにした。
村はそんなに広くはないから、僕ならあっという間に見回りを終えられるのに、アルドは行く先々で村の人達に捕まっちゃうからちっとも進まない。僕の心配した通りだ。
足が痛いからヌアル平原から薬草をとってきてほしいとか、見回りのついでに酒場に届けものをしてほしいとか、頼まれごとをほいほい引き受けるアルドを止めるのはもう諦めている。僕がいくらにゃあにゃあ鳴いたって、アルドは聞いちゃくれないから。
その代わり、特に何でもない雑談に付き合わされそうになった時は、すかさず僕が間に入ってアルドを逃がしてやった。アルドも途中から僕の活躍に気づいたのか、ありがとうなと笑うようになる。ほんとだよ、もっと感謝してよ、夜ご飯はバルオキーカマスまるまる一匹くれてもいいんだよ。イソカツオでもいいよ。
ようやく村の見回りを終えたアルドが、頼まれごとのために村の外に出ようとした時には、村の入口にダルニスが待っていた。見回りの途中、ひとっ走りして僕が呼んでおいたんだ。アルドってば、絶対に一人で行こうとすると思ったから。ダルニスもアルドの困ったところには慣れてるから、僕が呼びに行ったらまたアルドが一人で何かしようとしてるってすぐに理解してくれる。
警備隊の仕事だって、村の外の見回りに行く時は最低でも二人で行くんだぞ、とちょっぴり難しい顔で諭すダルニスと、バツが悪そうなアルドを見た僕は、ようやく一仕事終えた気持ちで道の脇に寝そべり、外へと出かける二人を見守った。ダルニスはアルドよりしっかりしてるから、僕が見張ってなくても大丈夫だろう。

まったく、アルドってば世話が焼けるんだから。
ねえ、あんたもそう思うでしょ?

うーんと伸びをしてから、ふぁあ、と欠伸をして、僕はすぐ近くの宙に向かって話しかける。
ひとりごとじゃないよ、ちゃんと相手はいるんだから。
ふわり、ふわり、僕の近くを飛ぶのは、ほんのりと光る真っ白な蝶。彼は喋れないけれど、まるで僕の言葉に同意するように、ちょんと僕の鼻先に止まってから、すーっと光の玉になってアルドたちを追いかけて行った。

この白い蝶は、大抵はアルドがフィーネの近くにいる。僕がアルドたちと出会った時からずっとだ。
なのに不思議なことに、彼、うん、なんだか白い蝶は彼って気がするんだ。その彼は、僕以外には見えていないらしい。人に見えなくて猫には見えるものはたまに存在するけれど、彼はマリリンにもココちゃんにもランジェロにも見えてはいなかった。僕の目にしか、彼はうつらない。
僕にしか見えない彼が最初は不気味で警戒していたけれど、よく見ていれば彼がアルドとフィーネの事をすごく心配している事が分かった。アルドが怪しい行商人のおじさんに声をかけられた時は、慌てたようにバタバタと忙しなく飛び回っていたし、フィーネが意地悪な男の子にからかわれた時は、憤慨したように何度も何度もそいつの顔に飛びついていた。
つまり、彼は僕と似たようなものなのだと判断してからは、不気味に思う代わりに親しみを覚えるようになった。うんうん、分かるよ、二人とも危なっかしいもんね、心配になっちゃうよね。

僕はアルドたちを見守りつつ、ココちゃんとちょっと距離が出来たり、マリリンと仲良くなったり、ランジェロと喧嘩をしたり、僕の生活も大事にしていたけれど、彼はずっとアルドたちについている。朝から夜まで一日中だ。さすがに飽きないのかなと思って、たまには僕と一緒に遊びに行かないかと聞いてみたことはあるけれど、彼はふるふると羽を震わせるだけで、けしてアルドたちから離れようとはしなかった。

僕が彼に親しみを覚えるようになったきっかけは、僕と同じようにアルドたちを気にかけていてるからだったけど、今はそれだけじゃない。
喋れもしないし表情すらも読み取れないけれど、不思議と彼の纏う気配はアルドとフィーネによく似ていると気づいたのだ。一緒にいるとほっとして、気が抜けてしまう。どちらかといえば気配そのものはアルドに似ていて、ふんわりとした柔らかな雰囲気はフィーネの方に似ている。まるで二人の仲間みたいな空気は、ひどく心地よかった。優しい気配が彼はけして悪いものではないのだと教えてくれるから、言葉は交わせなくても、アルドとフィーネ、そしてお爺ちゃんと同じくらい、信頼している。

だから、彼がいつもと違う行動をとった時。
疑うよりも先に、何か理由があると思った。

アルドが警備隊の見習いの仕事に慣れてきた頃。
こっそりとついて回った村の見回りのあと、フィーネと一緒にお爺ちゃんの杖の材料を集めに行ったアルドから離れて、ランジェロと喧嘩をしてた時だった。取っ組み合いの末に引き分けに持ち込んで、池の近くですっかりと乱れてしまった毛を繕っていると、彼が一匹でふらふらと飛んできた。
ほんとうに極々稀に、彼はアルドたちから離れる事があって、そういう時は決まってアルドたちが危ない目にあってる時で、僕を通じて誰かに助けを求めたいのたと知っていたから、すぐにでも走り出せるように立ち上がって後ろ足に力を入れたけれど、どうにも様子かおかしい。いつもなら慌てた様子で忙しなく僕の周りを飛び回って、アルドたちの所まで連れてゆこうとするのに、ちっともそんな素振りがない。池の近くの草むらに止まり、何かを待っているようにゆらゆらと羽をはためかせていた。
長い付き合いで、言葉は通じなくってもなんとなく彼の言いたいことが分かるようになってきたと思っていたのに、彼が何をしたいのか全然分からなくって、困惑のまま彼の様子を見つめていた。
すると、遠くからアルドが僕を呼ぶ声が聞こえて、段々と近づいてくる。
ここだよ、アルド、僕がそう応えようとした時。
彼がぴかりと強く光ったかと思うと、次の瞬間には不可思議な空間の裂け目が出来ていた。
驚く僕をよそに、彼はその手前でゆらゆらと誘うように揺れて、なだらかな坂を上がってくるアルドの姿が見えると、す、とその裂け目の中に入っていってしまう。
急に現れた裂け目はとても怪しくって、僕一匹だけなら決して飛び込もうなんて思わなかったに違いない。
でも彼がそこに入っていったのを見た僕は、彼がそこにアルドを連れて行きたいのだと直感的に悟る。猫の勘ってやつだ。
それがもし怪しい行商人のおじさんの誘いだったら、絶対にアルドを近づけようとは思わない。だけどそれは、彼だったから。僕と同じくらい、ううん、悔しいけれど僕以上に、彼がアルドとフィーネのことを大事に想っているのだと、知っていたから。

アルド、アルド、こっちだよ、僕についてきて。

彼と、彼が見えないアルドのために、僕が代わりに道案内をしてあげることにした。それがきっと、アルドとフィーネに必要なことだって思ったから。

そうして、僕達の旅は始まりを告げる。


ほんとは、旅になんて出ずに村にいたかった。だって魔物は怖いし、マリリンと会えないのは嫌だし、僕のいない間にランジェロとマリリンが仲良くなっちゃったらって考えるだけで嫌な気持ちになる。
だけどそれでも結局は、僕は白い蝶、彼の導きに従って、アルドを連れてってあげることにした。
だってアルドには彼が見えていないから、とんでもないとこに行って迷子になっちゃうかもしれないし、フィーネは僕の妹分だから、助けに行ってあげなきゃ。
なんたって僕は、二人の兄貴分だから。

土とは違う奇妙な地面、変な建物ばっかりの街の中、アルドはふらふらと彼から離れて知らない人の話を聞いている。
ちょっとアルド、知らない人の頼みを聞いてる場合じゃないでしょ、あっ、また安請け合いして! こうなったらアルドってば頼まれごとを放り出すって事を絶対しないんだから、もう、仕方ないなあ。
彼も分かってるのか、行き先をふらりと変えてアルドの頼まれごとのために動き始める。僕はそんな彼の導きを教えてあげるべく、アルドの前を走り始めた。
こっちだよアルド、こっちだってば、ああああ、また知らない人に捕まってる! ちょっとアルド、知らない人についてっちゃダメだって、お爺ちゃんにもフィーネにもダルニスにもメイにもノマルにもアシュティアにも、散々言われたでしょ! うわあ、また何か頼まれてる……もう、仕方ないから付き合ってあげるよ。彼も協力してくれるから、さっさと終わらせちゃおう。

ね、ほうら、やっぱり。
アルドってば、僕がいないとダメなんだから!