ぴよぴよ


次元戦艦の甲板にて、合成鬼竜と次の目的地について話し合っていたアルドはふと、吹き付ける冷たい風にふるりと催した。
だから合成鬼竜に断って途中で話を切り上げて中に引き返し、次元戦艦内に設置されたトイレへと向かおうとする。
しかしその前に。

「シュゼット、ちょっと離れてくれるか?」
「……いやですわ」
「……セヴェン」
「嫌だ」

上着の裾、左右それぞれを握る手の主に離れてくれるよう頼んだけれど、効果はない。むしろ掴む手に、ますますきゅっと力が入った気すらする。
仕方なくそのまま二人を引き連れてしばらく戦艦内を歩き、目的地が近くなったところでもう一度。視線でちらりとトイレを指して、手を離してくれるようお願いする。
すると渋々、難しい顔でセヴェンは掴んだ手を緩めてくれたけれど、依然としてシュゼットは離れようとはしない。

「シュゼット……」
「い、いや……だって、また消えたらいやだもん……」

少しばかり硬い声で促せば、びくりとシュゼットの肩が跳ねたけれど、やっぱり離れてはくれない。消え入りそうな声でぽつりと呟かれた声に滲む切実さは、逆にアルドの罪悪感をちくちくと刺激して、それ以上強く言うのも躊躇われてしまう。
本当にどうしようかなあ、と大きくため息をついたアルドは、目の前の目的地と裾を掴む手を交互に見比べ、こめかみを押さえて小さく項垂れた。


エデンとの邂逅を終え、時間をおいてバルオキーに戻ったアルドの周りは、しばらくざわざわと騒がしいままだった。
フィーネをはじめいろんな仲間たちにわんわんと泣かれてしがみつかれ、本当に帰ってきて良かったと祝福される。
けれど、それだけじゃない。一部のメンバーからは、帰還を喜ばれる以上にあれやこれやと世話を焼かれた。

イスカとロベーラ、そしてリィカからはそれぞれ中に機械の部品のようなものが入った小さなお守りの袋を渡され、常に持ち歩くように言われた。中身についてリィカが説明してくれたことによれば、それを持っていれば未来においては確実に居場所が分かり、未来以外においてもおおよそどこの時代にいるかは分かるものらしい。仕組みはさっぱりわからないけれど、すごいものだって事は分かる。落としたら困るので、フィーネにまとめて服に縫い付けてもらった。
トゥーヴァからは手のひらサイズの頭蓋骨を貰った。ただの頭蓋骨でなく暗い場所で目の部分が赤く光る。これもイスカたちから渡されたものと同じように、離れていてもある程度トゥーヴァには場所が把握出来る類のものだと聞かされたけれど、手のひらに乗る大きさとはいえさすがに頭蓋骨を持ち歩くのは抵抗があったので、あとでもう少し小さな骨片と交換してもらった。
フォランはしばらくおっかなびっくり、一定の距離を保ってそれ以上はけしてアルドに近づこうとしなかったけれど、完全に視界の外に出てしまうこともなく、離れた場所からぱしゃりぱしゃり、手にした機械で写真とやらを沢山撮ってみんなに配っていた。間の抜けた顔が切り取られて配られるのは恥ずかしかったけれど、手配書の代わりだと言われれば納得せざるを得ない。アルドがいなくなった間、みんな各々いろんな場所でアルドの姿を見かけなかったか、訊ねて回ったと聞かされていたから余計に。せめてまともな顔を撮ってもらおうと、フォランから機械を向けられたらシエルに教えてもらったポーズをとることにしている。
ロキドとベネディトにはなぜかふんふんとものすごく匂いを嗅がれた。ロキドの鼻がいいのは知っていたけれど、ベネディトにそんな印象はなかったので首を捻れば、普通の木こりなら匂いで判断できると自信満々に断言される。普通の木こりには出来ないんじゃないだろうかと思ったけれど、不思議とベネディトには出来そうな気がしたので黙っておいた。
マリエルにレレ、シオンにオトハ、ビヴェットからはやたらとキロスの事について尋ねられた。特にシオンには、好きにキロスの姿をとることが出来るのか聞かれて、無理だと答えればほっとしたような残念そうな微妙な顔をされた。しまいにはゼノ・ドメインでみつけたキロスの映像を元に、それぞれキロスの絵姿やぬいぐるみを制作して、それを手に次元戦艦の一室でレレから猫と話せる魔法について習っている。万が一キロスの姿から戻れなくなっても探せるようにということらしいけれど、並々ならぬ熱意からしてそれだけが目的ではない気もしている。
一見していつも通りに見えたダルニスとメイ、ノマルも何かにつけて家を訪ねてきて、村人たちからだと渡された手土産は消費しきれずに台所の隅に積み重なって山を作っていた。
その他にも。ポムとクレルヴォからは、一粒で一日の食事が賄えるという未来の携帯食料を渡されて、マイティからは夢の中で迷子にならないための目印を。デニーとミランダからは海賊のお守りを、キュカからは山賊のまじないを、ガリユからは火の加護を。メリナとプライと共に教えられるまま聖句を唱え、サモラには美味しい魔獣の調理法を教えられ、シーラたちからは海の加護を。
他にも、数え切れぬほどの祝福と祈りを。

そんな風に帰ってきてしばらくはみんなからいろんなものを渡されたり、やたらと構われたり、落ち着かない毎日を過ごしていたけれど、月が満ちて欠け、再び満ちる頃合には、表面上は元通り前と同じに戻ったように見えた。
それでも幾人かは、依然としてアルドから離れようとはせず常に視界に収めていないと不安になるようで、その中でも特にシュゼットとセヴェンにその傾向が強い。

アルドが帰ってきた時、合成鬼竜から連絡を受けてバルオキーに駆けつけたシュゼットの様子は他の仲間たちに較べて飛びぬけてひどいものだった。
頬がげっそりこけて、目は真っ赤に充血していて、瞼は痛々しく腫れ上がっている。顔色も一目みて異常だと分かるほどに悪い。そうしてアルドを見つけるとふらふらと覚束無い足取りで近づいてきて、いつものよく分からない魔界だなんだと口にすることなく、アルドにしがみついて小さな子供みたいに泣き続けた。ようやく泣き疲れてアルドに抱きついたまま眠ってしまったシュゼットを、フィーネのベッドに運ぼうと持ち上げれば、その身はぞっとするくらい軽かった。
そんなシュゼットを一人で未来に帰すのが心配で、しばらくの間バルオキーのアルドの家に留めてせっせとフィーネがご飯を作って食べさせていたけれど、こけた頬が元に戻るにはしばしの時間がかかった。
セヴェンはさすがにそこまででは無かったけれど、目の下にくっきりと刻まれた隈はちっとも隠せていなかったことはよく覚えている。

そんな二人の様子を知っているから、あまり強く咎めることも出来ずについつい好きにさせてしまっている。
まるで生まれたての雛のように、アルドの服の裾を握ってぴょこぴょこと後をついて回る二人に、困りつつも突き放せない。少し前までは、二人の他にアザミやユナ、ルイナやルーフスやシエルも混ざっていて、アルドが移動するだけでちょっとした大行進状態だった。その頃に比べればまだ、随分と落ち着いた方だ。
いずれ二人も他の仲間のように、アルドのいる状況に慣れて始終くっついて回らずとも平気になるだろうと、普段は止めるように煩くは言ってはいない。
けれどやっぱり、ついて来られると困る場所はある。風呂やトイレはさすがに勘弁して欲しい。

離してくれ、離さない、頼む、いや。
何往復も繰り返すうち、尿意に限界がきて仕方なくアルドの方から譲歩を言い出した。オーガベインを結ぶ腰の紐を外して、壁に立てかけたオーガベインをセヴェンに見ていてくれるように頼み、紐の一端をシュゼットに預ける。もう一端はアルドの手首に巻き付けて、戸の間に挟んで紐で繋がっている状態でどうにか納得してもらった。
ようやく入った個室の中、紐を挟んで閉まりきらない戸が少し落ち着かなくて、早速くいくいとひかれる紐に思わず苦笑いが漏れる。

それで安心できるなら、いくらでも傍にいようとは思っている。一日中じっと背中に視線を受け続けるのは落ち着かないけれど、気の済むまで好きなようにしてくれればいいとも思っているのも本当だ。
だけどやっぱり、せめてトイレくらいは落ち着いて行きたいなあとも思っているので。

(どうしたらいいんだろうな)

くいくい、くいくい、断続的に引かれる紐を同じように引いて反応を返しながら、扉の外の二人を納得させる方法を考えるアルドの脳裏に、これといって良いアイディアは残念ながら思い浮かばない。

だから当面はこのまま。
大きな雛を二人、連れ歩く日々が続きそうだった。