retrospective


次元戦艦の廊下を歩いていると、ふと誰かの声が聞こえたような気がしてアルドは足を止めた。
きょろきょろと辺りを見回しでもどこにも人影は見当たらず、しかし勘違いかと歩みを再開しようとすれば、今度はさっきよりもはっきりと、声らしき音が耳に届いた。
一体何だろうと不思議に思いつつアルドは、音の発生源と思しき方向へと足を進めてゆく。
そして辿り着いた先で、通気口にすっぽりとハマりこんだレトロを発見した。

「何してるんだ、レトロ……」
「ヴァルヲと追いかけっこして遊んでたら、つっかえちゃったのーっ! タスケテーっ!」

そういう遊びなんだろうかと一瞬思ったものの、ぶるぶると振動するレトロの言葉ですぐに違うと分かり、慌てて引っ張り出してやる。あまりにもぴったりとハマっていたせいで少し骨が折れたし、機体には微かな傷がついてしまったけれど、無事脱出したレトロは気にした様子もなく、ぐるぐると勢いよく羽を回しながらぴょんぴょんとアルドの周りを跳ねまわった。

「ふーっ、酷い目にあったよっ! 助けてくれてアリガトーっ!」
「ははは……セティーとクロックはどうしたんだ?」

ヴァルヲと遊んでいた、と言ってはいたけれど、アルドにはレトロがこうなった原因に心当たりがあった。
バルオキーにいた頃の事だ。ヴァルヲは子供たちに構われた時、きちんと相手をしてやることもあったけれど、面倒な時は決まって子供たちが通れないような細い道を潜って逃げる癖があった。レトロもおそらくはそうして撒かれたに違いない。
けれどそんな事情を説明することなくアルドは、誤魔化すように他の二人の所在について尋ねた。

「セティーはお昼寝してるよ、起きるのは二時間後だよ。クロックはデータの整理中。ボクは暇だからヴァルヲと遊んであげてたのーっ!」

レトロの返事にアルドはそうかと頷きつつ、そっと目を逸らす。表情こそ見えないけれどうきうきと弾んだレトロの声に、多分それ、ヴァルヲは遊んでたんじゃなくて逃げてたんだと思うぞ、とはついに言い出せなかった。
次いでレトロが張り切って口にした、じゃあ今度はアルドと遊んであげるね、との申し出を断らなかったのも、差し迫った用事が無かった事もあるけれど、そんな後ろめたさがあったところが大きい。
何して遊ぶ? とアルドの周りを忙しなく飛び回るレトロに、さすがに追いかけっこは勘弁してほしいと告げて、立ち話もなんだからと近くの空き部屋へと移動することにした。

「前も思ったけど、レトロは随分と人間っぽく喋るんだな」

部屋に入ってからもしばらくは忙しなくアルドの周りを飛んでいたレトロだったけれど、アルドが部屋にあった椅子に腰を掛ければ、何も言わないうちに「分かった! ボクとお話したいんだね!」と納得したようにぴょんとアルドの膝に飛び乗った。そんなレトロの様子に、自由なやつだなあと苦笑いしたアルドは、以前も感じた事をそのまま告げる。

「クロックだって、やろうと思えばもっと人間っぽく喋れるんだよ。クロックは何でもできるすごいやつだからね! ボクも特別製だし!」

くるりと機体を半回転させて、まるで胸を張っているような格好でクロックの事を喋るレトロの声は、どことなく誇らしげな響きを帯びていた。仲がいいんだな、と呟けば、まあね、と答えながら膝の上でぎゅるぎゅると羽を回転させ始めたから、ぺちぺちと叩かれる太ももが痛い。しかし嬉しそうなところに水を差すのも気が引けて、そっとレトロの機体を持ち上げて落ち着くのをしばし待つ。
ようやく回転が収まれば、今度はレトロの方から、ボクがどうして特別製なのか知りたい? と問われたから、アルドは特に深く考えることなく、うんと頷いた。
けれど自分から言い出したのに、レトロはすぐに話し出そうとはせず躊躇う様子を見せる。うーんホントは秘密なんだけどな、と悩むレトロに、無理して話さなくてもいいぞとアルドが声をかければ、うん分かったじゃあ話すね! と元気のいい返事が返ってくる。
噛み合っているようで噛み合ってる気がしない会話の流れに、本当に自由だなあとアルドは再度苦笑いを浮かべ、つるりとした機体を撫でてやった。

「ボクは元々、子供の遊び相手として作られたアンドロイドだったんだ。名前もレトロじゃなかったんだよ。話し方が人間に近いのは、そのせいかもーっ」
「……どういうことだ?」
「聞いてれば分かるのーっ! まずは聞いてっ! きーいーてー!」
「あ、ああ、悪い……続けてくれ」

そうして飛び出したのは、アルドが予想もしてなかった事実。思わず聞き返せば、ぺしりと羽で膝を叩かれてしまう。話の腰を折るつもりではなかったから、すぐに謝って改めてレトロの話に耳を傾けた。


ボクの遊び相手の子供はね、パパの事が大好きで世界で一番尊敬している、とっても可愛い男の子だったんだ。
いつも寝る前にはボクにパパのお話をしてくれて、いつかパパみたいにすごい人になるんだっていうのが口癖だった。その子のパパは忙しくってなかなかおうちには帰ってこられなかったけど、ママもすごく優しくって、うん、ボクもみんなが大好きだった。
だけどある日、パパが悪いことしたって連れてかれちゃったんだ。何もわからないまま、証拠だっていろんなものをいっぱい持ってかれた。それだけじゃない、ママと男の子が呆然としてる間に、紛れ込んだ悪い人たちが残ったものも全部むしりとっていって、あっという間にボクたちのおうちは空っぽになっちゃった。


初めのうちはふんふんと相槌を打っていたけれど、だんだんと内容がアルドが聞いたことのある話に近づいてゆくにつれ、そんな余裕もなくなってゆく。
だってそれは、名前こそ出てはこなかったけれど、セティーから聞いた話に酷似していたから。

「それで、ボクの体もなくなっちゃったんだ。なんとか持ち出せたのは、ボクの中身のデータだけ」

レトロの語り口は、いつもの彼に比べれば随分と淡々としたものだった。セティーの口からも聞いた時もいろいろと思うところはあったけれど、レトロによって途切れることなく紡がれてゆく話はどこか幼げな口調も手伝って、以前に聞いた時にも増してぐっと胸を締め付ける。

「データだけだった間の事は、何にも知らない。きちんとした容れ物に移されて再起動された時には、小さかったあの子もパパもママも誰もいなくなってて、大きくなったセティーだけがいた」

もしかして、と既に頭の中でレトロの話とセティーのことが結び付いてはいたけれど、いよいよ確信したのはレトロの口からセティーの名前が飛び出してからだった。
まさか、とぽろり、口から飛び出した言葉はけしてレトロの話を否定するつもりじゃなくて、消化しきれない思いがついつい零れてしまっただけだったけれど。

「うん、まさかまさか! 世の中って何が起こるか分からないよねー!」

それまでとは一転していつも通りの口調に戻ったレトロは、アルドの呟きを重ねはしても、作り話だと笑い飛ばしはしない。
そんなレトロの態度が、間違いなくそれは真実であるのだと告げていた。
すぐにはかける言葉が見つからなくて、何と言っていいものかアルドが躊躇っていれば、あのね、とすりすりとアルドの膝に機体を擦り付けて注意を引いたレトロが話を続ける。

「ホントはね、ボクみたいな自爆要員の機体って、人格を持たないように設定される事が多いんだ。割り切ってるつもりでも、情が湧いちゃうと躊躇っちゃう人も多いからね。だからボクもね、最初はお家で待ってるアンドロイドになるはずだったんだよ」

だけどボクがお願いしたんだ、セティーと一緒に行きたいって。ずっとセティーと一緒にいたいって。もう置いてかれるのは嫌だって。知らないうちにセティーがいなくなっちゃうのは嫌だって。今度こそボクも、セティーを守りたいって。

「だからボクは、レトロになれた」

一つも嘘の混じっていない声で、きっぱりとレトロは言い切った。
機体の真ん中、ぐるりと刻まれた円は目の役割をしているのではないと聞いていたけれど、ひたりとアルドの視線に合った円の中心に、真正面から見据えられている気がした。
いつも爆発の度に戻ってきたレトロはわあわあと文句を言っていたし、出来るなら自爆は避けたい素振りをしているように見えたのに、それは自分が望んだことなのだと小さな彼は言う。
他に方法はなかったのか、思わず聞いてしまったのは、機体は変わってもレトロであることは変わりないと分かっても、未来の技術にさっぱりと馴染みのないアルドにとっては、レトロが爆発する瞬間は未だ慣れないものだったから。
そうまでしてセティーと一緒にいる事を望んだレトロに、もっと穏便な方法は残されていなかったのかと、思わずにはいられなかったから。
けれどアルドの言葉はすぐさま、レトロによって否定される。これが一番の方法だったと、少しも間を置かずして即答する。

「ボクのAIは数世代前の旧型のシステムで作られてるから、新しいシステムをインストールするのは難しかったんだよねー。それにそういうのは、クロックがいるからボクの出番はないんだよ」

クロックのことを引き合いに出して、自分の出番はないと言うレトロの言葉には、自然とアルドの顔が渋いものになってしまう。
けれどそれはけして、クロックと比べて自分を卑下する意味合いではないとすぐに分かった。

「クロックにはね、セティーの願いが詰まってるんだ。悪いやつらが隠してるものを全部暴き立てて、妨害するものを排除して、捏造された証拠を蹴散らして、司法の場に連れて出して、被害者たちを、冤罪をかけられた人たちを、守るために必要なもの。あの頃のあの子が欲しかった力が、全部入ってるの。ね、すごいでしょ、クロックって! だからそういうのは、クロックに任せておけば間違いないんだ!」

ボクはそれ以外を頑張るの、テキザイテキショってやつだよね、と続けたレトロの声に陰った部分は一つもなく、ひどくはしゃいでいるようにしか聞こえない。
表情は分からずとも心底クロックの事が誇らしくてたまらないとの気持ちがひしひしと滲んだレトロの様子に、アルドは一瞬でも彼らの間柄を邪推したことを内心で恥じる。
レトロもクロックもすごいな、と機体を撫でれば、でしょでしょーっ、と嬉しげにレトロが膝の上でゆらゆらと左右に揺れる。

「余計な事言っちゃったかな。ごめん」
「うん、いいよー。自爆はね、セティーが時々隠れてこっそり辛そうな顔するから、ちょっと早まっちゃったかなーって思わないでもなかったりしちゃうんだけど。でもそれでセティーが守れるなら、ボンバーするしかないよねっ!」
「……もしかして自爆を嫌がってるのって、わざとか?」
「ふふふん、ボクはムードメーカーだもん!」

謝ったのは、つい先程別の方法が無かったのかと安易に聞いてしまったこと。小さな彼の決意に対して失礼だったかもしれないと思い当たり、謝罪すればあっさりと受け入れられる。
そして自爆技について語るレトロの話を聞いているうちに、ふっと浮かんだ思いつきを口にすれば、はっきりと肯定はされなかったものの得意げに機体を反らしたから、やっとアルドの中で引っかかっていたものがすとんと腑に落ちた。
本人達が納得しているものに口を突っ込むのはやり過ぎだと分かっていても、それでも無理強いはよくないんじゃないだろうかとレトロが爆発するたびに思っていなかったと言えば嘘になる。
けれどレトロが望んでその役目を負っていると知った今、改めて考えればそれは、軽口を叩くことでセティーの心の負担を軽くしようとしているように思えてならなかった。
短い間ではあるけれどアルドの見てきたセティーなら、粛々と従うレトロを見れば逆に罪悪感を募らせてしまいそうな気がする。冗談交じりにでもひどいひどいと責められた方が、気持ちが楽になる事もあるだろう。

「あっ、この話をアルドにしたのがセティーとクロックにバレたら絶対に怒られちゃうから、ボクとアルドの秘密ね!」
「おいおい、駄目じゃないか……」
「ダメじゃないのーっ! でもセティーたちに言うのはダメー!」
「駄目なのか駄目じゃないのかどっちなんだ……」
「セティーたちにバレちゃうのはダメっ! でもボクが話したのはダメなことじゃないのーっ!」

すごいやつだなあレトロは、とアルドが感心していれば、唐突にレトロが大きな声を張り上げてぶるりと機体を震わせた。勿論アルドだって、今の話を誰彼構わず話すつもりなんてなかったけど、セティーたちにまで怒られるとなると話が変わる。本人が秘密にしたがっていることを、好んで暴き立てる趣味はない。本人の了承なく第三者の口から語られるとなれば、尚のこと良くない。
聞いてしまった以上無かったことには出来ないけれど、そういうのは良くないとレトロを窘めれば、パタパタと羽を動かしてダメだけどダメじゃないとレトロは繰り返して主張する。アルドに口止めを要求しながらも、話した事への後悔も反省の色もちっとも見えない。
これはきちんと言い聞かせた方がいいかもしれない、とアルドが表情を引き締めて、口を開こうとすれば。

「だってアルドは、COAも枢機院も関係なしにセティーの味方になってくれるでしょ? 面倒なシガラミもないしさ、危なくなったら他の時代に逃げられるから、セティーの弱みにもなりにくいし。セティーには一人くらいそういう誰かがいてもいいと思うんだよね、ボクは。そういう誰かに、セティーの事をもっといっぱい知ってもらいたかったんだ。それにアルドってば、もうセティーの秘密いくつも知っちゃってるもん。今更だよ!」

先に喋り始めたレトロの言葉で、あっさりと気が削がれてしまった。そんな風に言われてしまえば、アルドも納得せざるを得ない。考えなしにレトロがアルドに打ち明けた訳ではないと分かったし、現に少しだけ彼らの関係について誤解していた部分が、レトロの話でするりと解けたから、彼の思惑は成功していると言えるだろう。

最初から最後までレトロの手の内で転がされていた気持ちになって、かなわないなあ、と思わずため息を吐き出せば、だってボクは特別製だからね、とレトロが得意げに応えて、撫でて撫でてと甘えるようにごろごろとアルドの腹に擦り寄ってきたから、はいはいと指でこちょこちょと擽ってやる。もっと上、もうちょい右、やっぱり下、と細かく注文をつけてくる言葉に従って撫でてやればしばらくして、もういいよアリガト! と満足そうな声を出したレトロが、短い沈黙の後に小さな声で呟いた。
ねえアルド、と名前を呼んだその声は先程までとは打って変わって頼りなげで、ふっと息を吹きかければ消えてしまいそうなほどか細い。

「COAも枢機院も、EGPDも他の組織もぜんぶ、何もかもみんな。セティーの敵になっても、アルドはセティーの味方でいてくれる?」
「当たり前だろ、セティーはオレの仲間だ」
「えっへへへ! アルドならそう言ってくれると思ってたーっ!」

そんなレトロの言葉に間を置かず即答すれば、途端にはしゃいだ笑い声をあげたレトロが、勢いよくぐるぐると羽を回す。先程よりも密着していた分、べちべちと叩かれるのは太ももだけじゃなく腹にまで及んでいて、ついには痛い痛いと声をあげて止めようとしたけれど、羽は止まるどころかますます回転速度を上げるばかり。
仕方ないなあと笑ったアルドは今度こそ、機体を持ち上げて遠ざける事もせず、レトロの好きにさせることにした。

やがてようやく、羽の動きが鈍ってから。
アルドの腹にぴたりとくっついたレトロは、あのね、ともう一つ、話を切り出した。

ボク、長い間データのままで保存状態もあんまり良くなかったから、壊れたり欠けてる所も結構あったんだ。
それでね、記録の方の修復には、ちょっぴりセティーの記憶と同期してる部分もあるんだよ。もちろん基本的にはボクはボクのままだけど、小さかったあの子の影響を受けてるとこも少しだけあるんだ。
たとえば。あの子はね、パパに褒められるとすごく嬉しくなって、一日中にこにこしてるような子だった。
だからボクも、褒められるの、すごーく大好き。だからアルドももっといっぱいボクのこと、褒めていいんだよ! ほら、遠慮せずに! 褒めて褒めてーっ!
えへへ、アリガトー! ってそうじゃないや、うん、ええと、だからね、アルド。

「セティーもいっぱい頑張ってるから、いっぱい褒めてあげてね!」

いつも通りの明るい声、けれどぴたりと動きを止めてぐるりと機体を回転させ、刻まれた円の中心をアルドへと向けて、どこか切実さの滲んだ色を帯びた言葉を発したレトロに、アルドは。
心優しい小さな彼の、大切な相棒に対する願いを感じ取って、ふんわりと笑ってから。
約束するよ、と囁いて、指切りの代わり、硬い羽をそっと握った。