天の導き


ずっと昔から、お兄ちゃんを見つけるのが一番上手なのは、ヴァルヲだって決まってるの。

かくれんぼの一番はダルニスさん。
どんなに見つかりにくい場所に隠れたって、まるで全部見えてるみたいにすいすい見つけちゃう。ダルニスさんが鬼になったら、かくれんぼはすぐに終わっちゃうから少しつまらなかったくらい。
でもそれにはちゃあんと、理由があったの。
だってお兄ちゃんたちにかくれんぼのコツを教えてくれたのはダルニスさんで、隠れるのにぴったりの場所を教えてくれたのだってダルニスさんだったから。わたしより、お兄ちゃんたちより、ちょっぴりお兄さんのダルニスさんは、歳の数だけわたしたちより村のことに詳しくって、そんなダルニスさんに見つからないように隠れるのはすごく大変な事だった。

かくれんぼの一番はダルニスさん。
だけどそれ以外の時、お兄ちゃんを一番に見つけるのは、いつだって必ず、ヴァルヲだった。
たとえばお兄ちゃんが月影の森で迷子になった時。ヌアル平原の崖の下に滑り落ちて一人じゃ登れなくなってた時。村の井戸に潜ってそのまま眠りこけてしまった時。
ご飯の時間になってもお兄ちゃんが帰ってこなくて、ダルニスさんやメイお姉ちゃんたちもお兄ちゃんと一緒にいなくって、誰もお兄ちゃんの行き先に心当たりがなくって、みんながおろおろとし始めた時。
慌てる大人達の足元を潜り抜けて、駆けてゆくのは決まってヴァルヲだった。
ヴァルヲは最初からお兄ちゃんがどこにいるか分かってたみたいに、お兄ちゃんのいる場所まで一直線に走っていった。
森の奥、崖の下、井戸の底、木の上、洞窟の中。
毎回お兄ちゃんのいる場所は違ったのに、ヴァルヲが間違えたことは一度もない。ヴァルヲが向かう先には絶対にお兄ちゃんがいた。
わたしは危ないからって止められて、お兄ちゃんを探しについて行けたことは殆どなかったけど、お兄ちゃんを連れて帰ってきたみんながまた今回もヴァルヲのお手柄だって噂してたから、直接見たことはなくってもヴァルヲの活躍はようく知っていた。

最初からヴァルヲもお兄ちゃんと一緒にいたんじゃないか、だからお兄ちゃんの場所が分かってたんじゃないか、そんな声が聞こえてきそうだけど。
うん、そうだね、勿論そういう時もあった。
でもね、そういう時はわたしたちが探しに行く前に、ヴァルヲがきちんとお兄ちゃんを連れて帰ってきてくれるの。
ぴんと尻尾を立ててお兄ちゃんの前を歩くヴァルヲは、時々ちらりと後ろを振り返ってきちんとお兄ちゃんが着いてきてるか確認していて、それを見た村のみんながまるでヴァルヲがアルドの兄貴みたいだなってよく笑ってた。
お兄ちゃんが自分の力だけで帰って来れなくなっちゃった時は、どこからか現れたヴァルヲが、お爺ちゃんのズボンの裾をくわえて引っ張るから、お兄ちゃんに何かあったんだなってすぐに分かっちゃう。普段のヴァルヲはそういうこと、絶対にしなかったから。
だけどね、そうじゃない事もいっぱいあったの。
その前までずっとわたしと一緒にいたのに、絶対にお兄ちゃんと一緒にいたはずがない時にだって、ヴァルヲはちゃんとお兄ちゃんを見つけてきて、連れて帰ってきてくれた。

お兄ちゃんの仲間のみんなに話したら意外だって顔をされたけど、村にいた頃は、ヴァルヲはいつでもお兄ちゃんと一緒にいた訳じゃなかった。
ガールフレンドとデートしたり、友達のランジェロと喧嘩したり、なじみの池でばしゃばしゃと水面を叩いて魚を驚かせて遊んだり。ご飯の時には帰ってきたけど、食べ終わったらまたふらりとどこかへ遊びに行ってしまう。
だからわたしはみんなの話を聞いて、ヴァルヲがずうっとお兄ちゃんについて旅をしてきたって知って、すごくびっくりして、だけど、そうだったのね、って納得もしたの。
狭い村の中とは違って広い世界で、時空すら超える旅の間。
お兄ちゃんが迷子にならないように、お兄ちゃんがきちんと辿り着けるように、お兄ちゃんがちゃんと帰って来れるように、ずっとヴァルヲが導いてくれてたんだって。
だってヴァルヲは、お兄ちゃんを見つけるのが一番上手で、お兄ちゃんがどこにいたって必ず連れて帰ってきてくれるから。

だからね、だから、だから。



「いやー、今日もフィーネちゃんのご飯は最高やな」
「洗い物はオイラ達に任せてネ!」
「ふふふ、ありがとう。お爺ちゃん、約束の時間は大丈夫?」
「おお、少し急がねばならんのう。ありがとう、フィーネ」

四人で囲んだ食卓、準備したお昼ご飯は、五人分。
最初は無意識で一人分、多く作ってしまったご飯を、ペポリとモベチャがぺろりと平らげてくれてからは、開き直ってご飯は多めに作ることにしてる。
いつお兄ちゃんが帰ってきてもいいように、だけどお爺ちゃんとわたしの二人だけなら食べきれなくって余らせてしまって、一人分の不在をくっきりと浮かび上がらせて寂しくなっただろうものを、ペポリとモベチャが何も言わずに美味しい美味しいと食べてくれるから、必要以上に寂しがらずに済んでいる、気がする。ご飯のことだけじゃなくって、いつだって明るい二人の存在にはわたしもお爺ちゃんも随分助けられていて、一緒に来てくれたことに感謝してもしきれない。
昼過ぎから会合があるって言ってたお爺ちゃんに声をかけたら、はっとしたように啜っていたお茶をテーブルに置いて、忙しなく家を出ていった。
わたしたちが村に帰ってきてから、前よりもずっと村の集まりの回数が増えていて、それが村のみんなのお爺ちゃんへの気遣いだってことはわたしもお爺ちゃんもよく分かっていた。
ずっと家にいたら余計なことを考えて塞ぎ込んでしまうだろうから、と気を回してくれているのがひしひしと伝わってくるから、それがすごくありがたくって、少しだけ寂しい。日常が変わった分、気を遣われた分だけ、お兄ちゃんがいないってことをまざまざと突きつけられた気になってしまうから。

ペポリとモベチャの言葉に甘えて、後のことは任せて、一人、二階に上がる。
見慣れた部屋の中、わたしとお兄ちゃんのベッドの間には、丸くなって眠る一匹の猫、ヴァルヲの姿。
そっと足音を殺してヴァルヲに近づくと、ぴくぴくと耳が動いたのが分かる。真正面まで行ってしゃがみ込めば、のろのろとヴァルヲの顔がわたしの方を向いて、気だるげに目を開けるとちろりとわたしの顔を見た。
けれどそれは一瞬のこと。すぐに興味を失ったようにふいと顔を背け、前足に頭を預けるとすうっと目を閉じてしまう。

「お兄ちゃん、帰ってくるよね」

話しかけた言葉に、答えが返ってこないのは知っている。それでも口に出して、問いかけなきゃ気が済まなかった。

「……お兄ちゃんは、帰ってくるもん」

だってヴァルヲがここにいるんだから。

ヴァルヲはけして大人しい猫じゃない。ガールフレンドとデートもするし、友達のランジェロと喧嘩もするし、なじみの池で水面を叩いて魚を驚かせて遊んだりする。ご飯の時には帰ってくるけど、大抵はどこかで外で遊んでいて、家にいる事は滅多になかった。
だけどわたしたちが村に帰ってきてから、ヴァルヲはずっと二階で眠っている。ご飯の時だけ一階に降りてくるけど、それ以外の時間はずっとお兄ちゃんのベッドの隣で丸くなっている。

ヴァルヲはお兄ちゃんを見つけるのが一番上手で、お兄ちゃんがどこにいたって必ず連れて帰ってきてくれるから。
お兄ちゃんが迷子になったら、お兄ちゃんのいるところまで真っ直ぐに駆けてゆくから。
そんなヴァルヲがお兄ちゃんの所へ向かわず、日がな部屋で寝て過ごしてるってことはきっと、お兄ちゃんはヴァルヲがすぐに行けない場所にいて、それで。
ヴァルヲがずっとここにいるってことは、いつかお兄ちゃんが帰ってくるってことだって、信じている。

でも。
信じているけど、不安にならない訳じゃない。
たとえば村の人たちから、気遣わしげな視線を向けられる時。
ダルニスさんやメイお姉ちゃん、ノマルくんやアシュティアお姉ちゃんから向けられるのは、お兄ちゃんが帰ってくることを前提とした細々と気遣いだと分かるから、ちっともそんな気にはならないけれど、たまにある、それ以外の。
お兄ちゃんは戻ってこない事を前提とした気遣いは、善意であるからこそずうんと心を深く抉ってきて、ひどく打ちのめされてしまう。信じているのに、もしかして、で始まる不安を、具体的に脳裏に描いてしまいそうになる。

小さなヴァルヲの背中に、手を伸ばす。
そっと触れれば柔らかな毛の下、温かな熱が指先に伝わってきた。幻じゃなく確かにここにヴァルヲが存在してるのだと実感出来て、ようやくほっと安堵の息を吐き出すことが出来る。

もしも本当にお兄ちゃんが世界から消えてしまったその時は、きっと。
ヴァルヲも、姿を消してしまう。二度と、わたしの前に姿を見せてはくれない。
わたしの中には漠然とそんな予感があったから、決まった場所から動かないヴァルヲを見つけるたびに安心して、信じる気持ちがぐらりと揺れるたび、その姿を確認せずにはいられなかった。

「帰ってくるよね、……ね、エデンお兄ちゃん」

何度かヴァルヲの背を撫でてから、気まぐれに小さく呟いてみた。
昔からヴァルヲにはどこか懐かしいものを感じていて、時の暗闇でエデンお兄ちゃんと出会ってからは、その懐かしさがエデンお兄ちゃんに抱いたものとよく似ている気がしていたから。
同じじゃないけどすごく似ていて、たとえばそう、まるでエデンお兄ちゃんの一部が、ヴァルヲの中に入ってるみたいな、そんな感覚が捨てきれなかったから。

そうしたら。
背を撫でられても知らんふりで寝たふりを続けていたヴァルヲが、仕方が無いなあと言わんばかりにのろのろと瞼を上げて、ニャー、と小さく鳴いたと同時に。

――もうすぐだよ

泣きたくなるくらい、柔らかな優しさを湛えた声が。
ふわり、耳の奥を擽って通り抜けていった気がした。