ツインソウル


お兄ちゃんのことは大好きで、お爺ちゃんだってもちろん大好き。お父さんもお母さんもいないけど、お兄ちゃんがわたしのお兄ちゃんで、わたしたちを拾ってくれたのがお爺ちゃんで、本当に良かったって思ってる。

だけどわたしを取り囲む人達、誰も彼もみんなのことを好きでいられたわけじゃなくって、村の人たちの中には苦手な人たちもいた。そういう人たちはわたしやお兄ちゃんを見て嫌な顔をしたり、ひどい事を言うから好きじゃない。
でも村にいるのはそんな人ばっかりじゃない。わたしがひどいことを言われてたら庇ってくれる人たちだっていて、あんなの気にするなって慰めてくれて、一緒に遊ぼうって手を引いてくれる子だっている。
わたしが困っている時に駆けつけてくれるのはやっぱりお兄ちゃんが一番多かったけれど、アシュティアお姉ちゃんやダルニスさん、メイちゃんやノマルくんもよくわたしを助けてくれた。
他の村の子たちにいじわるをされても、嫌なことを言われても、外に出るのが怖くならなかったのはそんな優しいみんなのおかげ。わたしよりお兄さんお姉さんのみんなは、わたしよりずっといろんなことを知っていて、知らない遊びをいくつもいくつも教えてくれるから、みんなで遊ぶのはすごくすごく楽しかった。

お兄ちゃんとお爺ちゃんだけじゃなくって、そんなみんなのことも大好きだったけれど。
でもね、きっとどこかに、寂しさと後ろめたさは感じていた気がする。
だってお兄ちゃんが紹介してくれるみんなは、わたしのお友達である前に「お兄ちゃんのお友達」で、わたしはみんなにとって「お兄ちゃんの妹」だったから。
みんなお兄ちゃんのことが好きだから、お兄ちゃんの妹のわたしにも優しくって、お兄ちゃんと遊びたいからわたしとも一緒に遊んでくれるんじゃないかって。
そんな風にちょっぴり拗ねた気持ちを感じることは時々あって、だけどみんなが優しいのも本当で、素直に受け止められない後ろめたさと罪悪感もあって、みんなのことを心の底からわたしのお友達だって言うことがなかなか出来なかった。
みんなはお兄ちゃんのお友達だって、どこかではずっと思ってたの。

だからね。

「あたしは、アルテナ!」
「よろしく、フィーネ!」

月影の森で出会った、わたしと同じくらいの年の魔獣の女の子。
彼女がにっこりと笑ってくれた時、嬉しくってどきどきして、本当に、本当に嬉しくってたまらなかった。

アルテナ。
はじめての、わたしだけのお友達。
お兄ちゃんのお友達でも、お爺ちゃんの知り合いでもない、わたしだけの。
わたしだけの、特別なお友達。

お互いの名前を教えあった時から特別だったアルテナは、二人で話をするほどもっともっと特別になっていった。
アルテナにもお兄ちゃんがいるらしくって、わたしがお兄ちゃんとそのお友達について感じていたちょっぴり複雑な気持ちを口にすれば、すごく分かると何度も何度も頷いてくれて、アルテナも同じだって教えてくれた。
アルテナのお兄ちゃんは、わたしのお兄ちゃんよりもっと年が上で、お爺ちゃんみたいに村長のようなお仕事をしていて、部下の魔獣さんがいっぱいいるみたい。

「みーんなアニキのことすごいって言ってて、あたしはそんなアニキの妹だから大事にしてもらえるんだって思っちゃう」

そうだねって言って欲しい訳じゃない。だけどそんなことないよって言われたら、何にも分かってないくせにってムッとしちゃうし、もしもお兄ちゃんのことや周りのみんなのことを悪く言われれば嫌な気持ちになってしまう。だってお兄ちゃんのことは、大好きだから。どんなに拗ねて膨れて落ち込んでしまっても、それだけは絶対変わらないものだから。

そういう複雑な気持ちをまるごと、分かる分かると頷きあって共感できるのは、とても嬉しくって心強くて、一気に心が近づいて、会ったばかりの目の前の女の子があっという間に大事で大好きで特別になっていった。
そんな風に感じたのは、わたしだけじゃなかったと思う。アルテナも、わたしと一緒。
月影の森の隅っこ、ゴブリンや獣が近づかないトゲトゲの草の近くにしゃがみこんで二人でお話をして、その中でわたしがアルテナに、わたしのはじめての「わたしだけのお友達」だって言ったら、アルテナはすごく嬉しそうな顔で笑ってぎゅって手を握ってくれて、そして。

「あたしも。フィーネが、初めてのあたしだけのお友達だよ」

握りあった手の色は、全然違う。
白に近いわたしの手と、青いアルテナの手。
ちっとも似てはいないのに、それでも、わたしたちは同じ人間より、同じ魔獣より、誰よりも似ていて近しかった。


それから、毎日のようにアルテナに会うために月影の森へ足を運んだ。
わたしは全然知らなかったけれど、月影の森の奥の奥には魔獣さんたちの隠れ里があって、アルテナはそこに少しの間避難してきてたらしい。
アルテナのお兄ちゃんがすごい人だから、嫉妬した人達が妹のアルテナを人質にしようとしていたみたいで、そんな人達がいなくなるまで月影の森の奥で暮らすことになったのだと教えてくれた。
アルテナが大変な状況にあったことは分かったけれど、そのおかげでわたしはアルテナに出逢えたから、そんなアルテナの苦労を喜んでしまいそうになって慌ててきゅっと表情を引き締めたけど、アルテナも「こんなことになっちゃったけど、フィーネに会えたから良かったのかも」って言ってくれたから、二人で顔を合わせてくすくすと笑い合った。

アルテナの話は大抵アルテナのお兄ちゃんのことで、わたしが話すのも半分以上はお兄ちゃんのこと。
まったく、お兄ちゃんってばちっとも分かってないんだから、なんてお互いにちょっぴり過保護で頭の固いお兄ちゃん達の愚痴を言い合って、ほっぺを膨らませる。
わたしもアルテナも、本当はお兄ちゃんのことが大好きだってお互いに分かってるから、大好きだけど困ったお兄ちゃんの仕方の無い話をしても、過度に咎められたり嫌いなのかと勘違いされることもなく、そこに込めた気持ちをぴったりと汲みあげられるし、分かってもらえる。アルテナの言葉はまるでわたしの心の中を代弁してるみたいで、わたしの言葉にアルテナはしょっちゅう目をきらきらさせてうんうんと何度も頷いてくれた。

わたしは人間で、アルテナは魔獣だけれど、わたしたちは本当によく似ていて、とても気が合った。

「あたしたち、もしかして双子なのかも!」

そんな事を言い出したのは、アルテナだった。
わたしとお兄ちゃんが小さい頃、月影の森で拾われたって話をしたあと、しばらく考え込んだあとにぽんと手を叩いたアルテナは、村の大人達が向けてくるような、かわいそうな子を見る目をわたしに向ける代わりに、心の底から楽しそうに、弾んだ声でそう言ってくれた。
わたしとアルテナはとても気があって、考え方もよく似ていたけれど、見た目はちっとも似ていない。
だけどそれを伝えてみても、アルテナは気にした様子もなく、双子でも見た目が似るとは限らないんだと教えてくれた。アルテナの面倒を見てくれる人の中に、男女の双子が一組いるけれど、その二人もあんまり見た目は似ていないらしい。

「本当の双子じゃなくっても、魂の双子? そういうの、あるってお城の書庫で読んだことあるの」

更にと付け加えられた言葉で、わたしは現実的な事を一度横に置いて、そのことについて想像を巡らせてみることにする。
アルテナとわたしが、双子。
改めて考えてみると、それはとても素敵なことのように思えた。
もちろん、わたしの家族はお兄ちゃんとお爺ちゃんだけで、別のおうちの子になりたいとは思っていないけれど。それとは別に、アルテナが双子の妹だったら、と想像してみたら、うきうきと心が弾んで楽しくなってしまった。
毎日二人で一緒に遊んで、キノコウメを採りに行って、毎晩同じベッドで眠くなるまでお喋りをして、髪型も髪飾りもお揃いにして。二人でお兄ちゃんに頭を撫でてもらって、お兄ちゃんの右手はわたし、左手にはアルテナ。それで三人でお散歩をする。
考えただけで、ほっぺがむずむずして笑うのを止められなかった。
わたしもアルテナも、自分が双子のお姉ちゃんの方だって譲らなかったから、最後はわたしもアルテナもお姉ちゃんってことになって、わたしとアルテナ、それぞれの家族と仲のいい村の人たちみんな、人間も魔獣も関係なく仲良く一緒に暮らす未来を空想して、夢中で語り合った。
わたしのお兄ちゃんは困ったところもあるけどとても素敵なお兄ちゃんで、アルテナのお兄ちゃんも頭が固いところもあるけどすごく頼りになるお兄ちゃんだから、きっとお兄ちゃんたちも仲良くなれるよねって、心の底から信じていた。
アルテナのこと、お兄ちゃんにはいつか紹介しようと思ってたけど、でもわたしだけのお友達でいてほしかったから、まだもう少し秘密のまんま。お兄ちゃんに毎日どこに遊びに行っているのか、怪訝な顔で聞かれる度に、内緒って人差し指を口にあてた。


そうして。
いつまでもいつまでも続くと思っていたアルテナとの時間は、ある日呆気なく終わりを迎える。
いつものように月影の森に行けば、現れたのは村の子供たち。ダルニスさんやメイちゃんたちと違って、わたしやお兄ちゃんに意地悪ばっかりしてくる子たちが、わたしとアルテナを見て嫌な顔をして嗤った。
魔獣だと嘲られ、咄嗟に否定したわたしは、悔しさとひどい罪悪感に襲われた。
だってアルテナはわたしを双子みたいだって、魂の双子だって言ってくれたのに。
いつかアルテナとわたし、お兄ちゃんたち、村の人たちみんな、人間も魔獣も関係なく仲良く出来るといいねって、あんなにいっぱい話してたのに。
いざ自分が人間じゃなく魔獣だとからかわれたら、違うって、魔獣なんかじゃないって否定していた。
わたしは人間だから魔獣じゃないのは本当だけど、意地悪な子達の言い分は魔獣を悪し様に罵り見下すもので、その言葉に応えて自分が魔獣ではないと否定することは、わたしも魔獣のみんなを貶めているような気がして。
そうじゃないのに、そういうことじゃないのに、わたしの気持ちをうまく言い返せなくって、いじめっ子たちに届く言葉が見つからない。違う違う、首を振ることしか出来ないわたしが、アルテナを傷つけているような気がして、悔しくって、情けなくって、どうしたらいいのか分からなくなって、助けてお兄ちゃん、気づけば胸の中で何度も叫んでた。

そんなわたしの心の声が聞こえたみたいに、お兄ちゃんが駆けつけてくれて、いじめっ子たちを追い払ってくれた。
だけどわたしたちを助けてくれたお兄ちゃんでも、起こってしまった事を何もかも元通りには出来なかった。
アルテナにもう、人間の村に近づかない方がいいって言うお兄ちゃんの言葉は、意地悪じゃないって分かってる。いじめっ子たちに見つかってしまった以上、大人達に告げ口されて、武器をもった警備隊のおじさんたちがアルテナを見つけて追いかけるかもしれない。アルテナが傷つくかもしれない。もうこれ以上、アルテナと会うことは出来ない。分かってる。分かってるけど、嫌だった。もっともっとずっと一緒にいたかった。
渋るわたしにお兄ちゃんは難しい顔をして、首を横に振った。分かってる、だってわたしもお兄ちゃんもまだまだ子供で、わたしたちだけで出来ることなんてほんの小さなことだけ。
村の大人達のほとんどは魔獣のことを嫌っているのは知っていて、わたしがいくら訴えたって魔獣を、アルテナを受け入れてはくれないだろう。嫌いなものにはひどく冷たくなれることを、他の誰に諌められたってすぐに変わるものでは無いのだと、わたし自身に向けられる視線と言葉で、十分に理解していたから。

ごめんね、呟いたわたしに、アルテナは何も言わなかった。ぎゅっと唇を強く結んで、ぐっと拳を握りしめて、痛みを堪えるように目を瞑っていた。
きっとこれが最後だから、アルテナの綺麗な金色の瞳を見たかったけれど、アルテナはわたしを見てはくれなかった。
お兄ちゃんに促されるまま、アルテナから離れて村へと帰りながら、どうしても諦めがつかなくって後ろを振り返ったら、もうアルテナの姿はどこにもなくって。
じんと目の奥が熱くなって、ずずっと鼻を啜ったら、お兄ちゃんがぽんぽんと頭を撫でてくれた。ごめんな、と呟いたお兄ちゃんの声も少し湿っていたから、お兄ちゃんのバカって八つ当たりも出来なくって、堪えきれず溢れた涙を拭うこともせず、そのまま村へと帰った。
いじめっ子たちは先に村に帰って、大人達にアルテナの事を教えてしまっていたから、わたしとお兄ちゃんはすごく心配されて、一部の大人達からは眉を顰められてひそひそと嫌味を言われていたけれど、お爺ちゃんとお兄ちゃんが守ってくれた。お兄ちゃんは嘘が苦手なのに、アルテナは魔獣じゃなかったって、行商人の子だって必死で言い募っていて、だから森に魔獣を狩りに行く必要なんてないんだって言ってくれた。
そのおかげで、念のためにってしばらくちょっぴり村の警備が厳重になっただけで、アルテナを探しに森へと警備隊のおじさんたちが押しかけることはなかったけれど、それでも。
お兄ちゃんが嘘をつかなきゃアルテナのことを庇えなかったことが、わたしの大事なお友達のことを誤魔化さなきゃいけないことが、悲しくてやるせなくってしかたなかった。

お兄ちゃんのことは大好きで、お爺ちゃんも大好きで、アシュティアお姉ちゃんやダルニスさん、メイちゃんにノマルくんにトッカちゃん、他にわたしたちに優しい村の人たちは、みんな好きだけれど。
魔獣というだけでアルテナが嫌われるのが納得がいかないのと同じくらい、人間というだけで好きにはなれない人もいるのだと、幼心に強く思ったのは、時間が経っても薄れることなく心の底にひっそりと根付いていた。



人は間違っていると、身の内から囁く声が全て、わたしの本心ではないと知っている。わたしの中にある、わたしじゃない何かの意思。星の未来を継ぐのに相応しいのは魔獣だと告げる声は、魔獣と人間が手を取り合う未来を、アルテナと手を繋いで笑い合う未来を望むわたしの願いとは、違うものだったけれど。
きっぱりと拒絶出来なかった理由の一端はきっと、心の奥底に眠る幼い頃の思い出。優しいものだけではなかった、村の人たちの眼差し。アルテナとわたしを引き裂いた、いじめっ子たちの嘲笑。
お兄ちゃんのことは大好きで、お爺ちゃんも大好きだけれど。
アルテナも大好きで、アルテナはわたしのはじめてのお友達だから。大事で大切で特別な、わたしだけのお友達だから。

ごめんね、お兄ちゃん。
わたし、お兄ちゃんもアルテナも選べないの。二人とも大好きで、二人とも特別だから。
だけど、きっとお兄ちゃんならわたしのこと、止めてくれるって信じてるから。
わたしがこの力に溺れてしまっても、お兄ちゃんならきっと、魔獣だけじゃなくって人間も一緒に笑える未来を導いてくれるって、信じてるから。
それにあの時、月影の森で。わたしはアルテナを一人、森の中に置いて背を向けてしまったから。あの時わたしは、幼さを言い訳にして、アルテナを選ぶことが出来なかったから。かたく引き結ばれた小さなアルテナの唇の形を、ずっと覚えていたから。
だから今度こそわたしは、アルテナと最期まで一緒にいることにしたの。
お兄ちゃんのこと、信じてるから、アルテナと一緒に、二人で終わらせてもらおうって思ったの。
ワガママな妹でごめんね。

「フィーネ! 来て!」

アルテナの声を合図に、ふわりと体が溶けてゆき、少ししてから温かなもので包まれる気配があった。
小さな頃に会ったきり、過ごした時間もほんの僅かな間だけだった、はじめてのわたしだけのお友達の想い出は、長い時を経ても色褪せることなく心の中に残っていて、それはアルテナも同じだった。
ピリピリとした魔獣城の空気の中、わたしに笑いかけてくれたアルテナの笑顔は記憶の中のものと同じで、言葉を交わせば長く会っていなかったのが嘘みたいに、次から次へと話が尽きなくって、あっという間にわたしたちは再び親しくなっていった。
今だってそう。一つになったわたしとアルテナは、まるでそれが最初から正しい形だったみたいにぴったりとくっついていて、わたしがアルテナでアルテナがわたしであることに、何の違和感もない。
やっぱりわたしたち、本当に魂の双子なのかもしれないね、とぼんやりと思えば、わたしの内側と外側で同時にアルテナが、そうかも、と微笑む気配がした。

そうしてわたしは、お兄ちゃんへと爪を向ける。
苦しそうな顔をしたお兄ちゃんに、わたしだった部分がぎゅうと締め付けられたように息苦しくなったから、振り切るようにわたしの意志を薄めて、ジオ・アンギラスになってゆく。

一番最後、わたしがわたしでなくなる前。

ごめんね、お兄ちゃん。
大好きよ。

ありったけの気持ちを込めて呟いた直後。
わたしはわたしを見失い、わたしたちは完全なるジオ・アンギラスへと変貌した。