「アルド、お人好しもほどほどにしときなよ」
またアルドが村にやってきた旅人にお節介を焼いたと聞いたメイは、むすりと唇を尖らせてアルドに文句を言う。
アルドが優しい事は知っている。村人の殆どは大なり小なり、アルドのその優しいお人好しに助けられたことがあって、よく一緒にいるメイだって当然何度も手を貸してもらっている。
それはアルドの美点だと思っていて、躊躇いなく誰にでも手を差し出せる幼馴染の事を内心では自慢に思っているのは事実だけれど、それでもやっぱり限度があると思うのだ。
今回は旅人に頼まれて、ヌアル平原に薬草を摘みにいったらしい。それだけならいいけれど、その道中で運悪くゴブリンと出会ってしまったようで、村に帰ってきたアルドはあちこちに傷を作っていた。
なのにアルドがそこまでしたのに、当の本人である旅人は薬草を受け取るとアルドの怪我をいたわる事もなく、礼もそこそこにもうここに用はないとばかりにさっさと村を発ってしまった。あんまりな態度にメイだけでなく村人達も憤慨して、二度と村に入れてやるもんかと息巻いていたけれど、アルドはさして気にした様子も無くちゃんと渡せて良かったなんて呑気な事を言っている。
アルドが気にしてない以上、周りがどうこう言うべき事じゃないのかもしれない。だけどどうしたって、腹の虫がおさまらなくて、見当違いだとは分かっててもアルドに八つ当たりじみた文句をぶつけずにはいられなかった。
「困った時はお互い様だろ?」
「アルドの場合、全然お互い様になってない気がするけど」
「そうかなあ」
「そうだよ」
ぷりぷりと怒るメイをまあまあと宥めながら、アルドが口にした言葉に、唇が余計に不機嫌に歪むのを自覚した。人助けをする時のアルドの口癖のようなそれが、アルドについてはちっとも機能していない気がするからだ。
村の中だけならまだいい。基本的に村人同士助け合いの生活が基本で、困った時はお互い様、まさにその通りだと知っている。
けれどアルドのそれは、誰にでも向けられてしまう。きっともう二度と会わない相手にも、知らない人にも、躊躇いなく差し出されてしまう。
メイだって他の村人達だって、村にやってくる旅人たちを冷たくあしらっている訳ではない、と思う。客人としてそれなりにもてなしてはいるつもりだ。
けれどアルドの親切は、度合いが違った。メイたちを相手にするのと同じような親身さを、初対面の相手にまで躊躇いなく向ける。
或いはこれは、嫉妬なのかもしれない。何年も共に育ってきたメイたちと、初対面の相手に向けられるものが同じことに対する、子供じみた焼きもちなのかもしれない。
だけど。
たとえそうだとしたって、嫉妬の分の色眼鏡を差し引いたって、やっぱりアルドはやりすぎだと思うのだ。その身を削って傷ついてまで尽くすのは、行き過ぎていると思う。
特に今回みたいな、恩知らず相手にアルドが身体を張るのは納得がいかない。あんなの、適当にあしらってしまえば良かったのに。薬草を渡してやらなきゃ良かったのに。思い出すだけでむかむかしてきて、ハンマーを地面に思い切り叩きつけてやりたくなった。
それに。今回みたいなことを続けたら、いつか、取り返しのつかないことになるんじゃないかって、腹も立つのと同じくらい、心配でもあった。
メイがやりすぎだ怒っている間は苦笑いで躱していたアルドだったけれど、そこに心配を滲ませれば真面目な顔になってうんうんと頷いて「次は気をつけるよ」と神妙な顔をする。ちゃんと聞く気になってくれたのは嬉しいけれど、「次は」と言ってるところからして、ちっとも分かっていない。
はあ、と大きなため息をついて一気に脱力したメイは、そりゃあアルドがいいやつなのは分かってるけど、呟いてもう一度ため息を重ねれば、初めてアルドの表情が大きく歪んだ。
困ったような、後ろめたいような、今にも泣き出してしまいそうな。それでいて口元には微笑みを浮かべたアルドは、小さくかぶりを振ってメイの言葉を否定する。
「別にオレ、いいやつって訳じゃないぞ」
「はあぁ?」
珍しいアルドの表情に少しだけどきりとしたけれど、次いでその口から飛び出た言葉にはついつい、胡乱げな声が出てしまった。
アルドがいいやつじゃなかったら、誰がいいやつなのか。謙遜にしても度が過ぎると呆れてみせても、アルドは重ねて自分はいいやつじゃないよとの主張を繰り返す。
「みんなの手伝いするのにも、ちゃんと下心もあるし」
「アルドに、下心?」
「今は特に困ってないけどさ。この先いつか、オレが困った時は手を貸してもらえると嬉しいなあって」
「……それ、下心って言う?」
「見返りを期待してるんだから、言うだろ」
「うーん、そうかなあ……」
下心、なんて大層なことを言い出すから、どんな裏があるかと思えばアルドが語ったのは、あまりにもささやかすぎる期待だった。それくらい誰だって持ってて当たり前なのに、だから自分はいいやつじゃないと言うアルドは、どうしたって底抜けのお人好しで、やっぱりいいやつだと今度は口に出さずに胸の中で思う。
いかに自分がいいやつではないか、力説するアルドにふんふんと適当な相槌を打って聞き流していれば、ふと。
ちっともいいやつじゃない説明になってない話の合間、言葉を区切ったアルドが、じっとメイを見つめておずおずと口を開いた。
「メイも。いつか、オレに困った事があった時はさ。手伝ってくれる?」
「当ったり前でしょ!」
間髪をいれずに何度も頷けば、アルドは嬉しそうに笑った。
それくらい聞かなくても分かるでしょ、見損なわないでよね、怒鳴るように畳み掛ければますますアルドの笑顔が深くなった。
「頼りにしてるよ」
まるで信じてないような物言いには腹が立ったけれど、心底嬉しげに笑って、メイにはいつも助けられてるもんな、と何の含みもない声で続けるから、怒りは持続せずふしゅりと抜けてしまう。
当たり前でしょ。
もう一度、小さな声で呟く。
アルドが困っていたら、ううん、困っていなくても。
いつだってメイは、アルドの力になるつもりだ。
アルドが自分を後回しにするなら、メイたち周りがアルドをよく見てればいい。変なところで抜けているアルドが、危ないことをしないように気をつければいい。
だってアルドは。
危なっかしくて底抜けのお人好しの、メイの大事な幼馴染なのだから。
*
大抵の人は、優しくしたら優しくしてくれる。
笑いかけたら笑い返してくれるし、その人のために動けばこちらのために便宜を図ってくれやすくなる。勿論そうじゃないこともあるけれど、差し出した好意は好意で返ってくることが多い。
それは何も自分だけに留まった話じゃない。
アルドが笑えば、フィーネにも笑顔が返ってくる。
アルドがいい子にしていれば、村長も褒められる。
アルドが手を貸せば、村の人たちの力になってもらえる。
人が誰かに抱く印象は、その人の周りにまで影響しやすい。
二つ足になって、人の中で生きるうちにアルドが学んだこと。
四つ足から二つ足になったのは勿論驚いたし、気づいたら元いた場所に戻ってきていたのにもびっくりした。セシルが泣いているのに、クロノス博士もマドカさんもエデンも誰も来ないのが不安でたまらなくて、青い人の後に来た白い髭の人にセシルを抱き上げられた時にはすごく慌てた。
けれどその中でも一番驚いたのは。
白い髭の人、じいちゃんに家に連れて帰ってもらって、鏡に写る僕の姿を見た時。そこに写るのが僕じゃなくって、エデンの姿だって知った時。
エデン。鏡の向こうに思わず喉を震わせて呼びかけたら、口から出たのは人には通じない僕の鳴き声じゃなくって、エデンの声、そのまんまだった。
鏡の中にはエデンがいて、エデンの声もするのに、エデンがいない。いるのはエデンの形をした僕。
その事実を事実として呑み込むのには、ちょっぴり時間がかかった。
だってエデンの姿は見えるのに、エデンの声も聞こえるのに、キロス、舌っ足らずに僕を呼んで優しく背中を撫でてくれる小さな手のひらがどこにも見つからない。
もしかしてどこかに隠れてるんじゃないかな、それとも森の中で迷子になってるのかもしれない。鏡の後ろを何度も確認して、家を抜け出して森まで探しにも行った。その度にじいちゃんに連れ戻されては叱られた。
それでも僕は、エデンを探すのをやめられなかった。
エデン、君に会いたかったから。
君に撫でてもらいたかったから。
キロス、おいで、広げた君の腕に飛び込みたかったから。
二つ足は四つ足より速く動けなくって、鼻も耳もちっともきかなくなった。ぎゅっと身を縮めて集中しても、エデンの気配を掴む事すらできない。だから僕は慣れない二つ足で、村のあちこちを探し回ることしか出来なくって、村の人達には随分と変な目で見られたのは覚えている。
木の後ろ、井戸の中、池のそば、草むらの中。タンスの中も探したし、お鍋や壺の中も一つ一つ確認した。だってエデンは僕よりは大きかったけれど、人の中ではとても小さい方だったから、どこかにすっぽりとはまりこんでてもおかしくない。
なのに見つからない。どこにも、エデンがいない。僕の大好きなご主人様が、いない。
探しても探してもエデンの姿を見つけられなくなって、セシルがフィーネと呼ばれて返事をするようになった頃。
ようやく僕は探すのを諦めて決心した。
どうやらエデンは僕達の近くには、いないらしい。
けれど絶対、どこかにはいるって信じてるから、だから。
君が帰ってくるまで、君が見つかるまで、僕達の妹は僕がちゃんと守るよ。
そうしていつでも君が帰ってきていいように、僕の周りを優しいもので埋めてゆくんだ。
だって僕の姿はエデンのものと同じで、僕がみんなに優しくすればきっと、みんなエデンにも優しくしてくれる筈だから。
僕がいい子にしてれば、みんなエデンのことを大事にしてくれる筈だから。
知ってる人にも、知らない人にも、みんなになるべく親切にしていればもしかして、旅人がどこか遠い地で僕と同じ顔をしたエデンを見つけて、村のことを伝えてくれるかもしれないから。
好意の種を撒く。無作為に、無差別に、いつか育ったそれが君を柔らかく包んでくれるように。
君が帰ってくるその日まで。
君の場所は、僕が守るんだ。
―――いつかオレが困った時は手を貸してもらえると嬉しいなあって