※過去にセティーさんに彼女がいた描写があります

恋をしている


仕事上がり、プライベート用の端末を開けばいくつかの連絡が入っていた。そのうち、返事が必要なものにメッセージを返してからもう一度、今度はじっくりとメールとチャットツール、両方の履歴を丹念に確認してゆく。
そして数度同じ事を繰り返したあと、ようやく認めてセティーは長いため息を吐き出しがっくりと肩を落とした。
今日も、アルドからのメッセージは来ていない。
分かっていた事とはいえ、やっぱり落ち込んでしまう。

ある意味では当たり前だ。仲間との連絡用にアルドもこの時代の端末を持ってはいるけれど、それが通じるのはあくまでこの時代においてだけ。普段、時を超えて時代を行き来するアルドが、常にこの時代にいるとは限らない。そんなこと分かっている。
それでも、毎日のように淡い期待を抱いてしまう事もやめられない。
だってセティーとアルドは、一応恋人関係にある。少しくらい、恋人仕様の特別扱いを夢見たって許されるだろう。その夢が実現することは滅多にないとしたって。

頭ではちゃんと分かっている、つもりだ。
毎日のように未来に来ている訳ではない事に加えて、アルドたちの時代にはこの時代と違って、ネットワークを介して一瞬のうちにメッセージを送りあえるような連絡方法が存在してはいない。緊急用に連絡を送れる類の魔道具はあるようだけれど、それを使えるのは貴族や王族といった一部の人間たちに留まり、その一部にアルドは含まれていなかった。
だからつまり、端末を持たされていてもそれを頻繁に活用する習慣がアルドには根付いておらず、日常のちょっとしたことでも気軽にしたためて恋人に送るような発想も当然ない。アルドにとっての主な連絡手段は手紙で、それもある程度の時間をおいて届くもの。だから長い時には半月以上恋人と連絡がとれない現状も、アルドにとってはさして違和感のあるものではないようなのだ。

けれど、セティーは違う。幼い頃から様々なメッセージツールは当たり前のように身近にあって手足のように使えるもので、たとえ物理的に距離が遠く離れた相手であっても、望めば簡単に連絡をつけられるのがデフォルトの環境で生きてきた。スラム街で生きていた期間ですら、打ち捨てられた端末を拾って修理して小金稼ぎに利用していたくらいだ。ある種の生活必需品と言ってもいい。
そんなセティーにとって、半月近くアルドから何の音沙汰もない現状は、正直に言ってものすごくつらい。訳もなく不安が募って落ち着かなくもなる。

こんな筈じゃなかったのに。プライベートの端末をポケットにしまって、背何やら騒がしく言い合いを始めたレトロとクロックの音声を耳にしながら、セティーはのろのろと重い足を運んで家路を歩く。
そもそもセティーは、そういった事には淡白な方だった。大した用もなく連絡を取り合う必要性を感じたことがなく、そのせいで以前付き合っていた相手には、ひどく詰られた事すらある。
もっといつでも繋がっていたいのに、全然返事をくれない。冷たい、薄情だと非難され、別れの原因になったのもそれだった。
セティーとしては、一日に一度か二度、メッセージを入れるだけで十分よくやっている方だと思っていたけれど、付き合っていた彼女は納得してくれなかった。
私のこと、好きじゃないんでしょう。連絡の頻度の少なさを責められながらそう問いつめられて、そんな事はないと否定できるだけの気持ちは、残念ながら持ち合わせてはいなかった。
まだティーンを抜けきらない頃、時折感じる果てのない寂しさ、ぽかりと空いた胸の穴をひと時でも忘れたくって、タイミングよく告白してきた相手の手を請われるがままに取ってはみたけれど、二人で居てさえ寂しさは埋まるどころか広がってゆくばかり。
もしかしたら好きになれるかもしれないと淡い希望を抱き、それなりに誠実であるよう努めてはいたつもりだったものの、優先順位の高いものは別にあって、必然的に彼女に当てられる時間は少なくなってしまう。
最初のうちは理解を示してくれていたけれど、段々と不満を露わにして責められるようになり、そうなれば好きになろうと思う気持ちより先に煩わしさを感じてしまって、そんな胸の内を感じ取られてますます不穏な空気が漂い始める。別れを切り出されれば寂しさよりも安堵が先に来て、ようやく解放されると肩の荷が下りた気分だった。
どうやら自分は、恋人を作るには向かない性質らしい。一度の付き合いでよくよく理解したセティーは、以後、誰の手を取ることもしなかった。それでいいのだと思っていた。

けれどそんな結論をあっさりと翻し、紆余曲折を経てアルドの恋人の位置に収まった今。改めてセティーは、当時の彼女の気持ちが痛いほど分かってしまった。
だってものすごく、アルドからの連絡がほしい。もっといつでも繋がっていたい。四六時中はさすがにセティーだって無理だけれど、せめて一日の始まりと終わりくらいはコンタクトをとりたいし、それが無理でもせめて三日に一度は声が聴きたい。おはよう、おやすみ、たった一言でいいからメッセージを送ってほしい。くだらなくていい、大した用がなくてもいい、何でもいいからセティーに、セティーだけにあてた言葉がほしい。だってそれを綴っている時間は、アルドがセティーの事を考えている時間だから。もっと、もっと、セティーの事を考えて欲しい。
そんな気持ちが分かりすぎるほど分かるが故に、過去の自分の態度が今更ながら申し訳なくなって、床に頭をつけて彼女に謝罪したい気分だった。我ながらあれはひどい。同じことをアルドにされたら、たとえば面倒くささを隠しもせずうんざりとしたため息をつかれたら、なんて想像しただけで軽く心が致命傷を負う。何なんだその感じの悪いスカした男は。俺か、俺なのか、俺だった。……本当に、本当に、悪いことをしたと思っている。

直接言えばいい、分かっている。
ただでさえこういう方面には恐ろしく鈍いアルドのこと、彼の日常に組み込まれてはいない端末を使って恋人のセティーと積極的にコンタクトをとろうだなんて、待っていても自発的に思いついてくれる可能性は極めて低い。
だからこちらから言うしかない、分かっている。
大抵は願えば何でもほいほいと聞き入れてしまうアルドのこと、もっと頻繁に連絡をくれと一言頼めば、それなりに実行しようと努力はしてくれるだろう。
けれどそれが言えないのは、過去の自分のせいであるところが大きい。
だって万が一にも、面倒だと思われたら。なぜなら過去のセティーは、日に一度か二度のメッセージを送るのでさえ、面倒だなと思っていたから。送った直後、すぐさま返ってきた返信にうんざりとして、寝たフリでやり過ごして翌日まで目を通しすらしていなかったから。本当に、何なんだその横っ面をぶん殴ってやりたくなるようなムカつく男は。……俺です。つくづく申し訳ない。

勿論、アルドがそんな男でない事は分かっている。分かってはいるけれど、あらゆる事に対して面倒くささを感じないタイプかといえば、案外そうでない事も知っている。本心から面倒だと思うことは素直に顔に出して面倒くさそうな顔をするし、頼み込めばなんとか引き受けてくれるけれど渋々といった空気を隠すこともしない。
それが、セティーの頼みにも向けられてしまったら。かつてセティーが思っていたように、メッセージアプリを立ちあげる事すら面倒だと思っていたら。嫌々を何度も繰り返しているうちに、やがて付き合っている事実にすら面倒を感じるようになってしまったら。
実例はある。他ならぬ己自身だ。どういう事が面倒だったか、どんな時に特に煩わしさを感じたか、詳細な解説付きで説明出来てしまう。アルドはそんなやつではないと思っているけれど、実例があまりにも豊富にあるせいで、絶対にないと言いきれる自信が持てなかった。少しでも嫌がられる可能性を想像してしまえば、どうしたって踏み切れなかった。本当に、何なんだそのレトロを全力で投げつけてやりたくなるような男は。……俺なんだよなあ。過去の俺がひどい。思い出す度、黒歴史を突きつけられた心持ちになって、穴があったら掘り進めたくなる勢いだ。

鬱々と思い悩むうち、いつしか自宅にたどり着いていたらしい。玄関をあけた途端、ご飯ご飯とレトロがしゅんと部屋の中に勢いよく飛び込んで、クロックも後に続く。揃って充電しにいったようだ。
完全に聞き流してBGM代わりにしてはいたけれど、後ろで話す二体の声がなくなればいよいよ物寂しくてずぶずぶと真っ逆さまに落ち込んでしまいそうになる。
せめて、今までのアルドからのメッセージを見返して元気を出そうと、一度はしまった端末を再び取り出した瞬間、ふるりと小さな機械が震えた。アルド専用に設定した振動、通知を知らせる青と赤の光をぴかぴかと点滅させながら。

急いで端末を立ち上げてメッセージアプリを開く。アルドだ。一番上に、アルドを示す文字が表示されている。

『せてい、おれ、いま、じげんせんかん、にるば』
『すぐ行く』
『まてる』

未だ端末を扱い慣れてはいないアルドからのメッセージは、ひどくたどたどしい。けれど意味はちゃんと分かる。既に家に入ってしまったレトロとクロックに、少しニルヴァまで出てくると告げて、駆け足でバスカーゴ乗り場を目指す。短くない距離、多少息は上がりかけたけれど、速度を緩める気はない。
幸い、乗り場にちょうど出発する直前のニルヴァ行きのバスカーゴがあった。勢いよく飛び乗ったセティーは乱れた息を整えながら、すぐに降りられるように入り口付近に立ったまま、アルドからのメッセージを見て薄く微笑んだ。
アルドだ、アルドからのメッセージ、アルドからの誘いの言葉。単語を連ねただけのそれを受け取っただけで、現金なもので直前までの憂鬱は陰もなく吹っ飛び、うきうきと心が弾む。心臓の鼓動がなかなか落ち着かないのは、けして全速力で駆けたせいだけではない。

『今日はもう予定はないのか?』
『ん』
『こっちに泊まっていけるのか?』
『ん、あした、ひるから』
『前に言ってた予定はどうした?』
『ちゆうし』

ニルヴァに着くまでの時間もずっとアルドと繋がっていたくって、せっせとメッセージを送れば少し間をおいてアルドからの返事が来る。片言のメッセージからは覚束無い指で慎重に画面をタップするアルドの姿が浮かんで、目じりが下がる。ふと見上げたドアのガラスにはだらしなくにやついた男の顔が写っていて、慌てて唇を引き結ぼうとしたけれどなかなかうまく行かず、誤魔化すように片手で口元を押さえた。

『でも珍しいな、アルドから誘ってくれるなんて』

ついつい、そんな事まで送ってしまったのはすっかりと舞い上がっていたせい。いつもなら何を送るか事前に十分に練って推敲するのだけれど、リアルタイムでアルドとやり取りができるのが楽しくって、打ち込んですぐ送ってしまった。
送信した直後、少し嫌味っぽくなかっただろうか、不安になる。二人きりで会う時は大抵はセティーが誘うばかりで、アルドから誘われる事はあまりない。それはアルドの予定を聞いてすぐセティーが脳内で自分の予定を可能な限り調整して誘いをかけるせいだと分かっているけれど、理解とは別にアルドからもっと二人で会いたいと請われたい気持ちがあるのが本心だ。
珍しいな、なんてつけずに、アルドが誘ってくれて嬉しいと送るべきだった、と後悔を始めるも、既に送り出した文字を撤回する事は出来ない。ただでさえ間が空くアルドからの返事、それの後に新たにメッセージが送られてくるまでの時間は一際長く感じられて、じわじわと不安が嫌な風に胸の中に広がってゆく。
そんな不安は、ごくりと唾を飲み込んだと同時、表示された文字列ですぐさま払拭はされたけれど。

『ダルニスがせていさそたらどうだて』

不安が吹き飛んだ代わりに、ダルニスの文字を見たセティーの目が死んだ。
セティーの名前はきちんと打てないくせに、ダルニスはしっかり打てているのがまず納得がいかない。無駄に回る自身の頭が頼んでもいないのに、他の仲間とのやり取りでダルニスの名前が出てくる頻度が高いからきちんと打てるようになったのだろう、との予想を導き出してしまって、ますますセティーの目が光を失ってゆく。実際、アルドと二人きりで過ごしている時間も、ダルニスの名前が出てくる事は多い。くそう、ダルニスめ。

ダルニスに対しては、セティーはとても複雑な気持ちを抱いている。アルドの幼馴染という立場は羨ましくてたまらないし、アルドが一等信頼を寄せている様を見るとどうしたって嫉妬するし、その口からダルニスの名前を聞くと一気に気分が下がる自分がいることも自覚している。
けれど素直にあの野郎、と嫌うことが出来ないのはダルニスが、アルドとセティーの関係にとても、下手したら、いや下手をしなくてもアルド以上に、ものすごく気を遣ってくれている事が分かるからだ。
今みたいにアルドの背を押して二人きりの時間を持たせようとしてくれたり、仲間といる時にセティーがちらちらとアルドに視線を送っていれば、アルドより先に気づいてアルドをこちらに寄越してくれる。セティーが送る熱のこもった視線や言葉を、アルドが無邪気に無神経に無慈悲に、綺麗さっぱりスルーしてしまった場に居合わせた時は、なんかもうほんとコイツがすまんな、という顔をしていたたまれなさそうにしている。それがまたアルドのことをよく分かってる身内の空気があってムカつく事はムカつくのだけれど、しかし全く悪意がなく純粋に二人の仲を見守ってくれていると分かるので、嫌いだと切り捨てられない。良いやつなのだ、さすがアルドの幼馴染だけあって。

二人きりの時にはせめて、他のやつの名前を出さないでほしいと言えればどんなに良いことか。しかし言えないのは、やっぱり過去の自分のせいだ。こちらの話す内容やプライベートまでずかずかと介入してきてああしてほしいこうしてほしいと請われるのは、苦痛で面倒でしかなかった。一体何の権利があって口を出すのだと冷ややかな眼差しを投げつけすらした記憶がある。
今のセティーはむしろアルドに些細なことでも良いから何かしら請われたくて介入されたくてたまらないのだけれど、アルドはそうじゃないかもしれない。昔の自分みたいに、鬱陶しいと思うかもしれない。
マジで本当に、何なんだその何様のつもりだと胸ぐら掴んでぶん殴ってエアポートの端から蹴飛ばしてやりたくなる男は。……お・れ! 過去の自分があんまりにあんまりすぎて、諸々の仕打ちを思い出す度に現在の彼女が幸せであることを願わずにはいられない。もしも彼女に再会することがあれば、謝罪とともに菓子折の一つでも送りたい。心よりお詫び申し上げます。

『もうすぐ着く。酒場で待っていてくれ』
『わかる』
『先に何か食べてていいぞ』
『まつ』

結局、ダルニスの事には触れられぬまま、待ち合わせの場所を指定する。ニルヴァまではあと五分ほど。端末は手にしたまま、ガラスに写った姿を見て前髪を直す。
一秒でも早くアルドに会いたい。酒場までは走って行きたいけれど、ぜえぜえと息が切れたまま店に入るのは格好悪くないだろうか。もっと余裕を持って行くべきだろうか。悩むうちにカーゴの速度が緩やかになってゆき、決めきらないのに止まって扉が開いてしまった。
まだ完全に開ききらぬうち、扉の隙間を縫うように飛び出したセティーは、結局は全力で駆けて行く事にする。逸る気持ちを抑えられず、呑気に歩いてゆくなんてとても出来そうにない。

恋をしている。
セティーはアルドに、恋をしている。
形振りなんて構っていられず、些細な事一つにいちいちうじうじと悩んで振り回されて嫉妬をしてしまうような、恋をしている。
みっともなくてどうしようもないくらいの、恋をしてしまっている。

一度も速度を緩める事無く走りきった酒場の前、足を止めた途端ぶわりと全身に汗が噴き出した。まずい、このままじゃアルドに会えない。汗臭いだなんて思われたくない。走り出す前、少し考えれば分かった筈なのに、すっかりと失念していた。アルドに関することは、いつだってうまくやれない。

操縦不能の恋をしている。
理性よりも先に感情が体をつき動すような、恋をしている。
何もかもに臆病になって、嫌われたくないと必要以上に怯えて、何もかもが空回りしてしまうような、恋をしている。
昔の自分に頭を殴られて、自業自得の冷水を浴びせられて、頭を抱えてのたうち回りたくなって、けれど。
昔の自分を省みて落ち込んだあとに、かつての恋人の幸せを心から願えるような、恋をしている。
全然スマートじゃなくて、格好悪くて情けない自分を見せつけられるばかりなのに、それでも昔の自分より今の自分の方が多少はマシだと思えるような、そんな恋をしている。

ハンカチで汗を拭き取り、くんくんと自身の嗅いで確かめているセティーの横を通り過ぎ、先に酒場へと入った客には奇妙なものを見る目で見られてしまった。ああほらまた、格好がつかない。あまり長々と店の前にいるのもよくないだろう。酒場で話のネタにされてアルドの耳に入ったら困る。格好が悪い。
ハンカチをしまって、よし、と一つ頷いてから酒場の扉を押して中に入ったセティーの後ろ姿。全力で走っている最中、いつの間にか破れていたズボンの尻、酒場を出てからアルドに指摘されるなんて最高に格好悪いシチュエーションを経験し、赤面して崩れ落ちる羽目になることを、恋する男はまだ知らない。