ネコだって狩りをする


「アルド、少しいいか?」

エデンの手がかりを探してリンデ近辺で聞き込みを行い、ついでにと近くの釣り場を巡って冷却箱をいっぱいにしたあと。釣り仙人に会いにゆく前、少し休憩にしようと、しばし時間をとってめいめいに次元戦艦の中で好きに過ごしている間のこと。
アルドが数人の仲間と共に休憩室でのんびりと話をしながらくつろいでいれば、部屋に入ってきたセティーに声をかけられる。
セティーがその手に持つ端末を見た仲間たちは、アルドが反応するよりも先に察したように頷いて、行ってきなよとアルドを促した。それを手にしたセティーがアルドに声をかける時は決まってセティーの仕事の話だと仲間たちは認識していたから。

完全に間違っている訳では無い。
確かにセティーの仕事に手を貸すこともあって、たまに大規模な戦闘が発生する際には仲間たちの手を借りる事もある。
けれど、基本的にセティーは仕事については秘密主義で、アルドだって共有させてもらえるのはほんの一部だけ。当然何から何まで詳らかにしている訳でもないし、もっと頼ってくれたっていいのに、こちらからどうしてもと申し出ない限り、なかなかあちらからは手伝ってくれとは言い出してくれない。あるとすれば余程の時だけで、そう頻繁に発生する事ではなかった。
けれどこうして仲間たちがそれを仕事の話の合図だと認識しているくらいには、端末を手にしたセティーは頻繁にアルドに声をかける。次元戦艦に乗った時は必ずといっていいくらい。

なかなか仕事の上での手を求めてはくれない。
けれどじゃあなぜ、仲間たちはそれを仕事の話だと勘違いしているのか。
それはセティーがわざわざ端末を見せつけてアルドを呼び出して連れてゆくのが、合成鬼竜直々に、防犯用や緊急用の防犯カメラやその他の機器が設置されていない完全なるプライベート空間だと告げられた数ある部屋の中の一つ、いかにも大事な話をするのにうってつけな場所だから。或いはそこにクロックやレトロも連れてゆかず、アルドだけを伴うセティーの顔つきがとても真剣なものだから。と、いったところだろうか。

ならば実際、仕事の話じゃないなら部屋の中で何をしているのかといえば。

長い廊下の突き当たりの部屋、中に入っても扉がぴたりと締まりきるまで、セティーは真面目くさった表情をけして崩さない。アルドだってこれから起こる事を知らなければ、仕事の話だと疑わなかっただろう。そういう顔をしている。
だけど、しゅん、と音がして扉が締まると同時。
きっと引き締まった表情が途端にぐにゃりと苦しげに歪み、アルドがその顔をよく観察する前に、伸びてきた腕がぎゅっとアルドを抱き込んで、肩口に顔を埋めたセティーが長い長いため息をついた。
アルドが小さく身を捩れば、まるで逃がすまいとでもいうように抱きしめる腕の力が強くなったけれど、肘から先を動かして手のひらをセティーの背中に当てれば、アルドの意図を察してくれたか腕の力が弱くなる。
その隙をついて逃げ出す、なんて事はもちろんせず、自由に動くようになった腕でアルドの方からもセティーをやんわりと抱き締め返し、片手でよしよしとセティーの背中を擦りながら、もう片方の手で肩口にある頭を撫でてやる。
ゆるゆると撫でるうちに、セティーの身体を覆っていた強ばりが解けてゆき、もっともっとと甘えるようにぐりぐりと肩に額を押し付けてきたから、アルドは小さく笑ってセティーの髪を指で梳いた。

部屋の中で何をしているのか。
その答えはつまり、こういう事である。

どうしてこんな事になっているか、その説明をするならば、まずアルドとセティーが恋人であるという事から始めなければならない。
と、言っても。仕事の話にかこつけて、暇さえあればこんな風に抱き合っている訳ではない。
むしろ、共に戦う仲間という二人の関係に、恋人という名前が追加されてから、セティーとの時間は以前に比べて目に見えて減った。それはもう、鈍いと周りからよく言われるアルドですら、すぐに気づいたくらいには、分かりやすくあからさまなほどに。

恋人になる前は、もっと話す機会が多かった。仕事の話をすることもあれば、全然関係の無い雑談をすることもあって、アルドの昔の話をすることもあれば、セティーのお気に入りの店の話をすることもあった。仲間を交えて話すこともあったし、二人きりで話すこともしょっちゅうだったのに、今では必要以上に近寄ってきてすらくれない。

好きだと告げたのはセティーからで、その気にさせたのもセティーだったから、あんまりに様変わりしてしまった態度に、もしかしてこれが釣った魚に餌をやらないってことか、と、初めのうちアルドは考えていた。言葉だけは知っていたものの実感としてよく分かってはいなかったものが、妙にしっくりと現状に馴染む気がして、落ち込むよりも先に、なるほど昔の人はうまいこと言うもんだなあと感心したのだけれど、どうやら違うらしいという事も比較的すぐ知れた。

一番最初、セティーを二人きりになれる場所に連れ込んだのはアルドの方だ。
なぜだかアルドを避けるようになったセティーの態度があまりにも不可解で、もしもアルドと恋人同士になったことをセティーが後悔しているのなら、元の関係に戻る未来も視野に入れて。
けれどアルドがそれを告げれば、セティーはほっとして同意してくれるどころか、みるみるうちに表情をなくして動揺を露わにし、違うんだ、とアルドにしがみついて避けていた理由をぽつぽつと話し始めた。

COAという立場上、そして少々強引な捜査方法も手伝って、セティーは犯罪者やその関係者、さらには味方である筈の一部の存在からも、恨みを買いやすいらしい。
今まではそれらは全てセティーに向けられていて、周りに害が及ぶことはなかったから適当に放置して、逆に自身を囮として更なる犯罪や腐敗の証拠を釣り上げるために利用していたのだけれど、アルドと付き合うようになってから、はたと気づいたらしい。
恨みがセティーの周りに害を及ぼさなかったのは、セティーに分かりやすく大事な存在がなかったからだ。
不正に手を染めていない仲間たちのことはそれなりに尊重していて、善良な市民のことは守るべきものだと認識している。酒を酌み交わしながら情報のやり取りをする相手もいたし、信頼のおける何人かとの関係も築いてある。
けれど、たとえば。
家族だったり、恋人だったり、友人だったり。
その存在を狙えばセティー本人に報復を行うより、確実にセティーに傷を負わせられると周りから認識されるような誰かを、持たなかったが故に直接狙われていたセティーが。分かりやすくアルドと親しげに接していれば、いつかアルドが狙われるようになるのではないかと。
一気に不安を覚えたセティーは、アルドとどのように接すれば良いのかわからなくなったらしい。

「他のやつなら、まだ上手くできるんだ。特別なんかじゃない、たまたま言葉を交わしただけ、目的があって近づいたたけ。そんな風に振舞うことができる。実際、それなりに親しく付き合ってる相手でも、今までは悟られて狙われたことはなかった。ちゃんと、うまくやれてたんだ」

でも、アルドはだめだ、とセティーは彼らしからぬ弱々しい声で呟いた。
うまくやってるつもりでも、アルドに関しては自分が思う通りになってはくれないのだとセティーは言う。
アルドと付き合う前、想いを自覚してからも、アルドには他の仲間に接するのと同じように接しようと注意を払っていたつもりだったのに、ある仲間には「アルドと話してる時、すごく嬉しそう」だと微笑まれた。ある仲間には「ほんっとセティーって、アルドのこと好きだね」と呆れられた。
そんな類の言葉を仲間たちからかけられて、愕然としつつも自覚したらしい。幸いにして全員ではなく、人の機微に聡そうな面々だけだったのがまだ救いではあったけれど、ことアルドに関してはどうやら、自身を律しきれずに、どういう訳か何かしら気持ちがダダ漏れているのだと。
だから恋人になる前だって、セティーの時代では外でアルドに声をかけるのは極力控えていたらしい。どこで誰が何を見ているか分からないから。
それで、アルドと恋人になってから。浮かれた気持ちが落ち着いてから、セティーは悩みに悩んだ。このままアルドと今まで通り接していれば、いずれ仲間たちにも二人の関係がバレるのは時間の問題の気がしていた。付き合っていない時ですら、なぜか気持ちが漏れていたのだ。想いが通じて浮かれた気持ちが、意識しただけで抑えられるとは思わず、今まで気づいてはいなかった仲間にまで察せられるかもしれない。
そうしていずれ広がった秘密が、何かの折にセティーを狙う誰かに知られてしまうかもしれない。仲間たちを疑う訳では無いけれど、秘密を抱えるのに向かないタイプがいるのは事実だったから。

だからアルドに不用意近づく訳にはいかない、と。
そんなセティーの主張を一通り聞いたアルドは、腹を括って準備した別れの言葉をすっかりと引っ込めて、死にそうな顔色でアルドに縋るような視線を向けるセティーを抱きしめて背中を擦ってやりながら、別れないから、オレの事考えてくれてたんだな、ありがとう、とセティーが落ち着くまで何度も繰り返した。
そうしたらそれ以来、セティーにたまにこうして部屋で二人きりになれるように仕向けられ、ぎゅうっと抱き着かれるようになった。

最初のうちは、それだけで良かったらしい。アルドと二人っきりになったセティーはひどく幸福そうに微笑んで、アルドに抱き着いたその背中に同じように腕を回せば、くすくすと堪えきれないように笑い声を漏らしていた。
けれど、日が経つにつれ、段々とセティーは追い詰められたような目をするようになってきた。
部屋の外では、相変わらずだ。
セティーはけして必要以上にアルドに声をかけてこようとはしないし、アルドから雑談に誘ってもやんわりと躱して逃げてしまうし、ろくに視線すら合わせてはくれない。
そうすると決めたのはセティーの方なのに、自分の決めたことに縛りつけられて追い込まれていっているように見える。

(オレは平気なのになあ)

抱き締めるというよりはしがみつくというのがぴったりの抱擁を受けながら、アルドは梳いたセティーの髪をさらりと指から流す。深い呼吸に変わったセティーはおそらく、どうやらアルドの匂いを嗅いでいるようで、微妙な気持ちになりつつも好きなようにさせたままアルドは考える。

セティーの心配が的外れだとは思わないけれど、アルドだってそこまで弱くないし、ただ護られるよりセティーに向けられた悪意に共に立ち向かう方が性に合っている。実際、セティーはアルドをそういう風に認めてくれていると、並んで戦うに値する存在だと感じてくれたと思っていたから、セティーの心配は少々寂しくもあった。
けれど一先ずセティーの好きなようにさせているのは、まるで仔猫を産んだ後の親猫のようにセティーが近づくもの全てに毛を逆立てているように見えたから、少し落ち着くまで待とうと思ったのと、セティーの境遇が思いやられたから。家族を失ったセティーが、再び失うことをひどく恐れているように見えたから。
セティーはアルドより余程頭がよくって状況判断能力に優れているから、そのうち落ち着いて周りが見えるようになれば、極端な行動はなりを潜めるだろうと思っていたから。

だけど落ち着く前に、このままでは先にセティーに限界がしてしまいそうだ。
すうはあと息の音が聞こえるくらい、大きく呼吸を繰り返してはアルドの匂いを吸い込んで、うっとりしているらしいセティーの旋毛を見つめてアルドは、うん、と微かに頷いた。

「セティー」

彼の名を呼び、それに反応して上がったセティーの顎をぐいとつかみ、有無を言わさずぶちゅりと口付ける。恋人になってからそれなりに時間は経っているけれど、実は口付けを交わすのは初めてだったりする。そちらもセティーの希望により、大事にゆっくり進めることになっていたからだ。
突然のアルドの行動にセティーは目を丸くしたあと、慌ててアルドの肩を掴んで離そうとしていたけれど、アルドは構うことなく唇を押し付けた。確か舌を絡めるんだっけ、といつかどこかで仕入れた知識を思い出し、舌先でセティーの唇をこじ開けて侵入すれば、ようやく肩を押すセティーの手の力が緩む。そのまま本能の赴くまま、ぴちゃぴちゃとセティーの口の中を舐めて、咥内の溜まった唾液の処理の仕方に困ったのをきっかけにようやく唇を離せば、顔を真っ赤に染めたセティーが潤んだ瞳でアルドを見つめていた。その唇はてらてらと光っていて、拭うこともせずに薄く口を開いたセティーの様子が、ひどく稚く見えてアルドはふふ、と満足してぺろりと自身の唇を舐める。

「ア、ルド、何を……」
「全部、セティーのしたいようにさせてやりたかったけど、そうしたらセティー、ダメになっちゃいそうだからさ」

だからちょっとは、オレのしたいようにすることにしたよ、アルドは未だ呆然とするセティーの手を優しく握って微笑みかける。アルドの笑みを受けて、セティーの頬はますます赤く染まった。

そんなアルドの頭の中では、今。
釣り仙人に会いに行ったあと、合成鬼竜にユニガンの近くで降ろしてもらい、クロックとレトロには合成鬼竜で待機してもらうように言い含めてから、セティーとユニガンの連れ込み宿へしけこむための算段が、着々と組み立てられていた。