傷痕


思い出なんかに、なりたくはない、けして。

たとえばいつかの彼の未来。少年の気配を脱ぎ捨てて青年と壮年の入り交じる顔をした彼が、警備隊の仕事が終わった後に、あのバルオキーの酒場で。相手はきっと、彼の幼馴染たち。家族でも恋人でもないけれど、彼と毎日のように顔を突き合わせ、共に成長して歳を重ね老いてゆく未来を、当たり前のものとして想定しているであろう彼ら。
あるいはユニガンの街で、昔馴染みの仲間たちと共に。毎日ではなくとも、同じ時代にあれば顔を合わせる機会もあるだろう。きっと誰も、彼との交流を積極的に絶とうとは思わないに違いない。定期的に示し合わせてユニガンに集まって、彼を中心に酒を酌み交わし近況や昔話に花を咲かせる様が目に浮かぶ。
前者であれ後者であれ、狂おしいほど妬ましくて仕方がない。
そんな、彼の日常の先にあるだろう、とある夜の一幕。
僅かに目尻に刻まれた笑い皺を濃く浮かび上がらせて、酒で滑りの良くなった唇から、そういえばあの頃、こんな事があったのだと懐かしげに語られるような、過去の物語になんてなりたくない。終わってしまった物語として、その口から紡がれてほしくない。大事な思い出なのだと、過去形にして区切りをつけてなんてほしくない。優しげな顔で記憶の底から取り出して、宝物を見せびらかすように誰かの目に触れさせてなんてほしくない。

だから、叶うならば。
思い出す度にずきずきと胸が傷んで、取り出して他人に見せるほどに昇華しきれずいつまでも飲みくだせないまま燻り続け、どれほど月日を経てもけして癒やされる事はなく、たった今つけられたもののように、赤い血を生々しく流し続ける傷になりたい。誰とも共有されることなく、密やかに彼を苦しめる、彼だけが存在を知っている、塞がれる事の無い傷になって、その胸の中に居座り続けたい。

――セティーがアルドに向けた恋心は、錆びて歪んだナイフによく似た形をしている。




「どうしたんだセティー、どこか調子が悪いのか?」

もしも、今。
何も告げずに伸ばした手で、その首をじわじわと嬲るように締めてやればそれは、アルドの傷になり得るだろうか。

魔物との戦闘を終え、仲間から離れた場所でぼんやりと佇んでいれば、心配そうな顔をしたアルドが駆け足で近づいてくる。その首筋にちらりと視線をやって、ふと湧きあがった思考には、検討するまでもなく瞬時に否が突きつけられる。
驚きはするだろう。何をするんだと怒るかもしれない。けれどそれはただ一瞬のこと。すぐに怒りを収めて、何かあったのかとセティーの心配をする筈だ。アルドのそういう性分については、セティーだけじゃなく仲間の誰もがよく知っている。
そうして何も理由を告げなければ、セティーの事を気にかけつつも、首を締められたこと自体は些末な事として処理してしまう。かすり傷すら負ってはくれない。

なんでもない、と首を振れば、釈然としない顔のまま、ならいいけど、と一応は引き下がったものの、その視線には気遣わしげな色が宿ったままだった。ちくり、罪悪感で胸が痛むと同時、向けられた優しさが嬉しくて歯痒くて、もどかしくて哀しかった。


アルドの心に癒える事の無い傷として残り続けたいと、ほの暗い欲求を抱いてからもう随分と時間が経っているのに、未だ一つとしてその心に傷をつける方法を見つけられないままだった。
だってアルドはいつだって、真っ直ぐに前を向いてしまう。どれほど絶望的な状況だとしたって諦めること無く立ち向かい、心を折ることなく進んでゆく。落ち込む事があったとして、いつまでもそれに囚われはしない。過去のものは過去として区切りをつけ、今と未来を大切にする。以前敵対した相手だって、和解する余地があれば耳を傾け、一度手を取り合えば因縁はすっぱりと忘れて当たり前のように笑いかける。かつてのオーガベインのように隙あらば寝首を掻こうとしていた相手だって内側に抱え込んでしまい、敵意を向けられてもそれに対象するだけで、同じだけの敵意を返して憎悪を燃やしたりもしない。

いっそ残酷なほどに、アルドは過去に拘泥しない。
特にアルド自身に関することについては、その傾向がより顕著だった。
たとえばセティーが故意にアルドを傷つけ、敵意と悪意を向けたとして、一方的にやられて縮こまり傷つく姿はどうしても想像が出来なかった。戸惑いはしても怯える事無く真正面から受け止めて、きっと何か理由があるはずだと信じきって、諌めて宥めて根気強く話を聞こうと耳を傾け、最後には笑って許してしまう。
セティーと付き合うに至った経緯にしたって、そんなアルドの気質に付け込んだようなものだった。
なりふり構わず迫って懇願して泣き落として、強引に、半ばレイプまがいに体を繋げたのに、最後にはアルドは困ったように笑って受け入れてくれた。途中から箍が外れて暴走した自身に動揺し、事後の惨状に慄き震えていたセティーを抱きしめて、宥めるように何度も何度も背を撫でてくれた。すまないと譫言のように繰り返すセティーの、震えが止まって落ち着くまで、ずっと寄り添っていてくれた。
その後、アルドがセティーに怯える素振りを見せる事は一度もない。触れれば照れ臭そうに笑って、恋人の顔を見せてくれる。抱き締めれば同じ強さで抱き締め返してくれて、キスを仕掛ければ楽しげに唇を突き出してくすくすと笑ってくれる。時々、ずんと心が落ち込んで薄暗い気持ちに引き摺られたセティーが、始まりの行為について触れれば、さして気にした様子もなく気に病む必要なんてないよ、嘘のない声で諭されてしまう。

そんなアルドの姿を見てきたからこそ、今更アルドに何をしたって、最後には許されて受け入れられる未来しか想像が出来なかった。もしかして甘い願望が混じっているのかもしれない。けれどあながち間違いだとも思えない。
それにセティーとの一件だけでなく、客観的に見たってアルドは自身に向けられるものについては、恐ろしい程に寛容がすぎる。

ならばアルドではなく、他人を巻き込めばいいのではないか、と考えなかった訳では無い。アルドを理由に誰かを傷つければ、それはアルド自身を傷つけるより余程容易くアルドを苦しめる事が出来るだろう。
けれどそれでは、アルドの傷にセティー以外の誰かが混じってしまう。或いはもしかして、その誰かと傷を共有して慰めあって、通じあってしまう。そんなのは嫌だった。
じゃあ、その誰かをセティー自身にすればいいのではないだろうか。もしもアルドを庇ってセティーが一生消えない傷を負えば、彼の目の前で命を落とせば。アルドの心に深い傷を刻む事が出来るかもしれない。セティーを喪って慟哭するアルドの想像は、ひどく甘美で胸が疼く。
けれどそれも、ダメだった。セティーが大怪我をすれば、万が一、命を落とせば、それはアルドだけでなく他の仲間たちも知る所となってしまう。アルドの心の傷の在処が、セティー以外の仲間たちにも分かりやすく見つかってしまう。アルドの仲間たちは、基本的に善人ばかりだ。悪ぶっているやつもいるけれど、根は悪いやつではない。そんな彼らが、アルドの傷を見過ごす筈がない。寄り添って慰めて共有して、いずれ癒してしまうだろう。自分のために向けられた好意を、アルドが無碍になんて出来る訳がないのだから。
それにセティーだって、まだ終わる訳にはいかない。だからそれは、けして実行されることのない夢物語にしかなり得なかった。
他に気が移ったふりをして、手酷く振ってみせるのもダメだ。そんなのはセティーの方が耐えられない。ただでさえアルドと過ごせる日々は有限なのだ。一分一秒でも長く傍にいたい。万が一その隙間に他の誰かが入り込んでしまったら、なんて想像すらしたくはない。

あれもダメ、これもダメ、一つ思いつく度に却下されてゆく試みは、とうに両手の指の数を越えてしまった。実行に至ったものは一つもなく、想定の時点で空想のアルドにさらりと躱されて受け入れられ許されてしまう。想像上の、主観が大いに混じったアルドを相手にしているとはいえ、本物はいつだってセティーの想像を軽く上回るのだ。頭の中ですら傷をつけられないそれが、本物のアルドに太刀打ち出来る気がしなかった。


かちり、かちり、時計の秒針が響く真っ暗な部屋の中、ベッドの上に丸まって傷ついた顔をするアルドを夢想する。眠気はなかなかやってこないまま、幻のアルドは仕方ないなとセティーに向けて笑いかけた。これも、ダメだ。
かちり、かちり、一秒一秒を刻む秒針の音は、アルドとの別れまでのカウントダウン。それが恐ろしくて大嫌いで、けれど音のしない時計に変えてしまう気にはならない。知らず知らず意識もしないうちに、ただただ時が過ぎ去ってしまう方がずっと怖かったから。
かちり、かちり、かちり、かちり。
眠れぬ夜の中、終わりに近づく合図が無常にも鳴り響き、丸めた体をますますぎゅっと縮こめて、耐えるように歯を食いしばった。
今日も、アルドを傷つける方法が、見つからない。



「なあセティー、最近ちょっと変だぞ。クロックとレトロも心配してる」

心配の滲む声で、アルドに言われたのは、久しぶりに二人きりで過ごす部屋の中で。すぐさま気の所為だと誤魔化そうとしたけれどうまく笑えず、そうだろうなとどこか冷静な部分で思考した。
もう随分とろくに眠れていなくて、目の下の隈をコンシーラーで覆い隠し、栄養剤をがぶ飲みしてどうにか体を動かしている状況だった。おかげで神経が冴え渡り仕事においてはむしろ以前よりも好調だったものの、このままではいずれ遠くないうちに身体にガタがくるのは目に見えている。分かっているのに、考える事が止められない。だからうまく眠ることも出来ない。クロックとレトロには散々コンディションの不調を心配されていたけれど、最早自分ではどうにも出来ないところまで来ていた。

それでも作り損ねた笑顔を強引に作り直し、何でもない、と言葉を重ねて取り繕おうとする。
けれどアルドは誤魔化されてはくれなかった。無理矢理に作った笑みを目にした途端、むっと眉間に皺を寄せて怒った顔をして、何でもなくはないだろ、と不貞腐れたように吐き捨ててから、そっとセティーの頭を抱え込んで胸に押し当て、親指で隠した隈を労るようにゆるりと撫でた。

「こんなもんまで作って、何でもないなんてよく言えるな」

ぶっきらぼうな言葉とは裏腹に、その声音はひどく柔らかい。慈しむような音に、ぐらり、心が揺れて、止める間もなくぶわりと涙が湧き上がり瞬きもしないうちに、ぼろりと頬を伝って転がり落ちてゆく。

「……っ、俺の事を、置いてくくせに……っ!」

縋るようにアルドを掻き抱き、食いしばった奥歯の間から漏れたのは、どろどろと恨みの混じった言葉たち。
一度口をついて飛び出してしまえば、あとはなし崩しだった。

いつか俺を置いて元の時代に戻ってしまうくせに。
俺の事なんて忘れて、誰かと笑い合うくせに。
俺の事は全て思い出にして、過去のことにしてしまうくせに。
だからせめてずっとアルドの中に残る傷になりたかったのに、傷つけさせてすらくれない。セティーのどんな言葉も、行動も、受け止めて昇華してしまう。ひどい、ずるい、俺ばっかり、ひどい、ひどい、ひどい。

最後にはただひたすら詰るばかりになったセティーの言葉を、アルドは黙って聞いていた。ゆるゆると頭を撫でる手はずっと優しげなままで、アルドを傷つけるためにどんな事を考えていたか次々と連ねていっても、動揺の欠片すら覗かせてはくれなかった。それが悔しくて悲しくて、ひどい男だ、と詰る言葉に熱が篭って目頭の熱が膨れ上がる。
やがて言葉を紡ぐ事も出来ずぐずぐずと鼻を啜るだけになったセティーに、アルドは穏やかな声で語りかける。

「この旅が終わったら、オレは自分の時代に帰るよ。セティーのいない、バルオキーに」

声音は優しげなのに、語る言葉は無情で残酷だった。確定した未来を突きつけて、ごめんの一言すらつけてはくれない。ひどい、と涙で滲んで掠れた声で薄情だと詰れば、困ったようにアルドが笑う気配があった。

「もしもオレがこの時代に残ったら、セティーは俺に失望するくせに」

そうして、告げられた言葉に、ひくりとセティーの喉が引き攣れて、ぐう、とひしゃげて潰れた音を絞り出す。
そんな事はない、と否定は出来なかった。
いくつもいくつも考えた、アルドに傷を残す方法。その中であえて避けていた、アルドを無理にこの時代に留めること。誰も見えないところに閉じ込めて、セティーだけのものにする。そうすれば迫り来る別れを気にせず、ずっとアルドと一緒にいられる。
けれどそれは、セティーにとってのタブーに等しい。
だってそれは、アルドから家族を奪う事だったから。アルドにどんな酷いことをしようとしたって、それだけはどうしても出来なかった。考えることすら、躊躇われた。
もしもアルドがそれを受け入れてセティーを許してしまったら、二度と家族と会えない事を受け止めてセティーに笑いかけてしまったら、歓喜と同時に失望するだろう。アルドが家族とセティーを天秤にかけて、セティーを選んでも同じ。セティーを形作った絶望を、二度と取り戻せない聖域を、もしもアルドが自ら手放してしまえば、一時は喜びに身を浸しても、いずれ彼を許せなくなるだろう。アルドに向ける好意と幸福の中にそれはじりじりと染み込んで行き、いつか全てを破綻させるだろう。

「オレも、セティーはセティーのままでいてほしいし。オレを選んでほしくない」

更にアルドはセティーに釘を刺す。セティーの根幹にあるものを、未だ途上にある目的を理解して、手放さぬようにと背中を押す。アルドにばかり求めて、けれど自身はアルドだけを選べない葛藤を、分かっているかのようにそれでいいのだと後押しをする。

アルドの言葉に内側を全て見透かされ、返す言葉が見つからず抱きつく腕に力を込めれば、頭を撫でる手が、さらさらとセティーの髪を梳く。

「ばかだなあ、セティーは」

物分りの悪い幼子を諭すように、穏やかに笑ったアルドが摘み上げた毛先に、ちゅ、と唇をつけた。

「オレを傷つける方法、だっけ。さっき、セティーが言ってたこと。もしもオレがセティーに同じことしたら、セティーは傷ついてオレの事許せなくなるのか?」
「そんな訳ないだろ!」

そして問われた事には、考えるより先にするりと否定の言葉が口をついて飛び出した。
たとえ殴られてもひどい言葉をかけられても、それがアルドから向けられたものなら、きっと最後は受け入れてしまう。傷つきはするだろう。けれどアルドがアルドである限り、結局は許してしまう筈だ。

「だろ? オレだって同じだよ」

くすくす、とおかしそうに笑い声を漏らしたアルドは、セティーはばかだなあ、ともう一度繰り返す。セティーがそれに何かを言い返す前に、そうだなあ、とのんびりと呟いたアルドは、噛み締めるように一つ一つ、言葉を連ねて行った。

「今だって宿で一人で寝る時、隣にセティーがいないのが寂しくってたまらないよ」
「美味しいものを食べた時、セティーにも食べさせてやりたくなるのに、それがもう出来なくなったらすごく寂しい」
「綺麗なものを見たら、セティーと一緒に見たかったなって思うよ」
「面白い事があったら、一緒に笑いたいたかったなってセティーの事を思い浮かべるだろうな」

多分それは、思い出になんか出来そうにない。
セティーの体温も、匂いも、オレにだけ見せてくれる表情も、もったいなくて誰とも分かち合おうとは思わない。何もかも全部、オレだけのものだ。
今更傷をつけようとしなくったって、もうとっくに、優しい傷はいくつも残ってるのにさ。思い出す度に幸せで寂しくなって、甘く疼いて切なくなる、特別なものがオレの中には沢山刻まれてしまっているのに。

「セティーと同じだよ。オレは、セティーの事が好きだから」

語り終えたアルドの言葉に、また目頭が熱くなってふるふると喉仏が震えた。
だって、アルドの言う通りだったから。
旅が終われば、きっといつまでもいつまでも、何を見てもアルドを思い出して、じくじくと胸の痛む日々を過ごす事になる。アルドがいたらこう言ったのに、アルドが見たら喜ぶだろうに、アルドはこういうの嫌いだろうな、そんな風にアルドのことを思い出しては、二度と会えない彼を恋しがって胸が真新しい血を噴き出す。癒える気はしない、いや、癒すつもりがない。ずっと傷を抱えて、アルドの存在を抱えたまま生きてゆくつもりだった。
だからこそ、アルドを傷つけたかった。消えない傷を残して、セティーと同じように傷を抱えて生きていってほしかった。そのためには、錆びて歪んだナイフを無理矢理に捩じ込んだような、おぞましくて痛ましい傷をつけるしかないのだと、思い込んでいた。
だって付き合い始めたのはセティーが強引に迫ったからで、アルドは流されて受け入れただけだと思っていたから。仕方なくセティーに付き合ってくれているだけのアルドは、いずれセティーを思い出にして昇華してしまう筈だと決めつけていたから。セティー以外の大勢と同じ、数多の思い出に沈んで同化して、その中の一つに溶け込んでしまうものだと考えていたから。
なのにアルドは、セティーと同じなのだと言う。まるでセティーと同じように、セティーの事が好きで、セティーと同じように、喪失に胸を痛めるのだと言う。

もしも、仮に。
アルドに暗い傷を負わせる事に成功したとしたって、けしてセティーは信じなかっただろう。どれほどの負を押し付けたとして、バルオキーに帰ったアルドがそれを癒して昇華してしまう想像を、捨てきる事が出来なかっただろう。何をしたって安心することなんて出来ず、もしもアルドを壊しきる事が出来たとしたって、アルドならそれを受け入れて飲み込んで、いずれはまた立ち上がって前を向いてしまうに違いないと、どこかでは思っていた。

それは、今しがた告げられた言葉だって、同じである筈だった。違う時代に帰った彼がどう過ごすのかなんて、確認する術はない。
けれど不思議とセティーの心は満たされていた。
嘘でもいい、この場限りの言葉でもいい、本当にならなくったって構わない。
アルドがセティーと同じ気持ちを抱いてるのだと教えられただけで、胸の内で燻りとぐろを巻いて牙を剥き出していた気持ちが、ほろほろと解れてゆく。
今までは、好きだ、とアルドから何度告げられようと、頭のどこかでは常に、セティーからの一方通行の独りよがりの関係じゃないかと疑っていた。セティーの言葉に流されて、セティーの望みを叶えるために相手をしてくれているだけで、誰彼構わず振りまく親切の延長線上にあるものじゃないのかと、考えずにはいられなかった。

だけどアルドがセティーに語ってくれた言葉が、疑いで凝り固まった心を溶かしてくれる。一つ、一つ、挙げた傷の形が、セティーと同じ形をしていたから。セティーが先に語った訳でもないのに、セティーが抱えた痛みと驚く程にぴたりと同じ形のものを、アルドが口にしてくれたから。
それでようやく、アルドの気持ちを信じる事が出来た。本当にアルドは、自分のことを好きでいてくれるのだと、理解して受け止める事が出来た。
それでもう、十分だった。

(敵わないな)

いつだって本物のアルドは、セティーの想像を軽く上回る。それを改めて思い知らされて、涙でくしゃくしゃに濡れた顔で、笑ってぐりぐりとアルドに頭を押し付ける。

「好きだよ」

くすぐったそうにセティーの頭を受け入れたアルドは、そっと囁くように四文字を口にした。言い聞かせるような、柔らかな声が耳の奥に染み入るようにじんわりと響く。耳にする度に嬉しさと共に疑心を抱いていた言葉が、初めてすんなりと胸の奥に届き、じわりと心を暖めてくれる。ひどく幸せな気持ちで、セティーはうっとりと目を閉じて、甘やかな余韻に身を浸す。

ああ、この声も、二度と聞けなくなる日が来るのか。
そしてセティーの胸の中、また一つ、新しい傷が優しく刻みつけられる。