モブは見た


(あれ、珍しい)

シータ区画の一角。
区画移動用のエレベーターから、エルジオンの入口とは反対方向に向かって歩いて二十分少しのところにある、ちょっぴりレトロな外観の喫茶店。大通りからは外れていて、林立する住居に囲まれひっそりと隠れるように存在しているせいか、ランチの時間帯ですら席が埋まりきる事は滅多にない。だけどマスターの珈琲が絶品だから、それなりに常連さんはいて、なんだかんだ開店から閉店まで客足が途絶える事もない。
そんな喫茶店でバイトとして働く私は、扉が開くと同時にちりりんと鳴る鈴の音と共に店に入ってきた新たなお客さんの姿を見て、気づかれないようにこっそりと胸の中で呟いた。

そのお客さんは月に一度か二度の割合で来店していて、常連というには利用頻度が低いけれど、すっかりと顔は覚えてしまっている。それはけして私の記憶力が良いからではない。お客さんの顔が良すぎるせいだ。
彼を初めて見た時は、初めて見るイケメンの威力に圧倒されて、尻すぼみのいらっしゃいませをどうにか絞り出す事しか出来なかった。
だってとにかく顔がいい。吸い込まれそうな深い青の瞳、すっと通った鼻筋、形のいい唇、それが完璧なバランスで小さな顔の中に配置されている。しかもいいのは顔だけじゃない。手も足もすらりと長くて、きゅっと引き締まったお尻の形もいい。首の太さも顔とのバランスがぴったりで、肩幅や腰つきはやや細めではあったけれど、ひょろりとしている訳ではなくきちんと鍛えられた形をしている。
つまり、頭のてっぺんから足の先まで、文句のつけようのないイケメンなのだ。あんまりにも文句がつけられなくって、ほうっと見蕩れたあとになんだか一方的にしてやられた気がして悔しくなってしまう、そういうタイプのイケメンだ。

心の中でこっそりとイケメンとそのまんまのあだ名をつけている彼は、いつもざっくりとしたラフな格好をして店にやってくる。大抵はシンプルな色と形のシャツとズボンで、装飾品の類は一切つけていない。素材が良くないと着こなせないタイプの服を、さも適当にその辺にあったものを着てきたという風情で、あっさりと着こなして現れる。
頼むのは決まって、マスターのオリジナルブレンド珈琲とクラブハウスサンドイッチ。いつもの、とは言わずに、毎回きちんとオリジナルブレンドとクラブハウスサンドイッチ、と注文する、そのクラブハウスサンドイッチの発音までイケメンなので、注文をとる時にうええと微妙な顔をしてしまいそうになる。怒涛のイケメンラッシュでイケメンがゲシュタルト崩壊してお腹いっぱいになってしまうからだ。

イケメンが飽和しているせいで妙に構えた気持ちになって、目の保養にならないタイプのイケメンであるイケメンが来店する度、私はこっそりと彼を観察するようになった。イケメンの過剰摂取で胸焼けをしてうんざりしてしまうけれど、それでも気づけばどうしても目が行ってしまうのだ。視線を外していても、ちらりと視界の隅に入っただけで、知らず知らず意識がそちらに向いてしまう。イケメンの視線吸引力が凄い。このイケメンめ。
何の仕事をしているかは分からないけれど、きっと仕事は出来ると思う。黙っていても出来るオーラが立ち上っている気がするし、珈琲を飲みながら読んでいる本が頭が良さそうだし、たまに持ち込んでいるパソコンの投影型キーボードに、打ち込む指のスピードが尋常じゃない。あれで仕事が出来ない訳が無い。

こういう人って、どんな人と付き合うんだろう。
当然それは私が彼女に立候補したいなんて大それた思惑ではなく、たとえば芸能人の私生活にちょっぴり興味があるような、そういう野次馬めいた気持ちに似ている。
あの顔だから、やっぱり隣に並ぶのはゴージャスな美人で、おっぱいが大きくって腰はくびれてて、ハイヒールが似合う大人の女の人じゃないと気後れしそうな気がする。化粧はちょっぴり派手めで、だけど目鼻立ちがくっきりしててパッと見て元の造りがいいって分かるような、そういう女の人。そんな人が彼と腕を組んで歩く様を想像してみたら、あまりにぴったりで自分の想像ながら感心してしまった。
だけどそういうゴージャスな美人にも、彼は舞い上がる事無くクールに接しそうな気がする。べたべたされたら面倒くさそうな顔をして、つれなくあしらうような、そんな素振りがよく似合ってしまう。
あっ、もしかしてそういう相手、一人じゃなくって何人もいたっておかしくないかも。付き合ってるんじゃなくって、大人の付き合い、みたいな。そんな相手が何人もいて、相手が誘ってきたら気が向けば相手をするけれど、彼女にはしてくれない。うわあ、ひどい男だ。でもあのイケメンだもんな、仕方ない、イケメンだもの。

もちろん私は、彼の人となりなんてちっとも知らない。知っているのは見た目と、注文の時のオリジナルブレンドとクラブサンドイッチの発音と、食べ終わった後の皿が綺麗なこと、支払いの時に差し出す電子マネー入りのカードを扱う手が案外丁寧なこと、知っているのはそれくらい。
だから彼に纏わる全ては私の完全な空想の産物でしかなくって、イケメンに対する偏見がかなり混じりすぎているきらいはあるけれど、誰かに告げる話でもなし。とびきりのイケメンだから、私生活もとびきりぶっ飛んでる方が面白い、なんて下世話な思惑も絡めたせいで、私の頭の中にはすっかりと、爛れまくった生活を送るイケメンの想像図が出来上がってしまっていた。


そんなイケメンの様子が、今日はどこかおかしい。
いつもはそれなりに着慣れた風合いのシャツとズボンで、割合リラックスした格好をしているのに、今日のイケメンは細身のジャケットを羽織って、ぴしっとノリのきいたシャツを着て、髪型もきっちりとセットされている。なんとなく、全身に気合いが漲っているように見えた。
異変は服装だけではなかった。いつもならオリジナルブレンドとクラブハウスサンドイッチを頼むのに、今日に限ってはアイスコーヒーだけ。しかもコーヒーを出す前から、落ち着かない様子で何度もお冷を口に運んでいる。
そして極めつけは、イケメンの行動だ。近くのガラスの反射を利用していそいそと髪の毛を直したかと思えば、何度もシャツの襟を指で摘んで形を整えている。ジャケットの皺を撫で付けてなくそうとして、またちらちらとガラスに映る自分の顔を確認しては髪に手をやっている。そんなことしなくてもちゃんとイケメンなのに、微妙に前髪の位置を変えては、首を捻ってまた元に戻して、その繰り返し。

(もしかして、デート、とか?)

今まで店で見てきたイケメンらしからぬ、まるでハイスクールの初心な男の子みたいな行動に、思いついたのは一つの理由。私の想像上のイケメンは、デートなんて飽きるほど繰り返していて、今更それくらいで浮かれたりしなかったけれど、あんまりに浮ついた様子からして他の理由があるとも考えにくい。
意外だな、と思いつつも、すぐさまイケメンの想像の私生活に修正と訂正を入れて微調整をしながら、私もイケメンの相手がやってくるのを、わくわくと期待し始めていた。
だって美人を取っかえ引っ変えしてそうなイケメンが、あんなに挙動不審な様子で待っているらしき相手だ。やっぱりゴージャスな美人なんだろうか、それとももしかして、すごく清楚で大人しそうなお嬢様なのかもしれない。

「いらっしゃいませー」

頭の中に描いていたのは、正反対のタイプの美女の姿。
だからちりりんと鳴る鈴の音と共に新たに入ってきたお客さんは、初めはイケメンとは無関係だと思っていた。
初めて見るそのお客さんは、不思議な雰囲気を持つ男の人だった。まるでコスプレみたいな格好をしているのに、コスプレにしては妙にしっくりと馴染んでいて、普段から着慣れているようにも見える。ぱっと目を引くものすごいイケメンって訳じゃないけれど、よく見たら結構格好良くって、人の良さそうな顔をした優しそうな男の人だ。
そういえばこの間見た、バトルオブミグランスの主人公の服にちょっと似てるな、なんて思いながら、席に案内しようとすると。

「あっ、セティー!」

きょろきょろと店の中を見回していた彼は、イケメンに気づくと、片手を上げて嬉しそうに破顔した。そのままイケメンの席に近づくと、親しげに言葉を交わして、すとんとイケメンの前に腰を下ろす。そしてメニューを見るでもなく、セティーと同じものを、とのイケメンの名前らしきものと共に注文を口にしながら、私に向けてにこっと感じのいい微笑みを浮かべてみせた。ものすごいイケメンではないけど愛嬌があって、つられてこっちも笑顔になってしまう、そういう空気をしている。
自然と口元に浮かんだ笑みのまま、カウンターまで引き返しマスターに注文を告げた私は、勘違いだったのかな、とイケメンの予想外の待ち合わせ相手に、想像に再び訂正を入れようとして、振り返りざま硬直した。

(うっわ、すごい、あんな顔初めて見た……)

だっていつもなら、せいぜい浮かべるとしても会計の時、うっすらと愛想笑いを口の端に乗せるだけだったイケメンが、心底嬉しそうな笑みを口元に湛え、眩しいものでも見つめるようにうっとり目を細めて、コスプレの彼を見つめていたから。
それは私の予想が、けして勘違いではなく大当たりだったのだと告げていた。
相手はゴージャスな美人でも、清楚なお嬢様でもなかったけれど、イケメンの表情は傍から見ていてもとても分かりやすい。きらきらと輝いていて、全身から好き好きオーラが滲んでいて、目の前のコスプレの彼に恋してるのだとあからさまに告げている。イケメンが輝くイケメンに進化していて、遠目から見ても圧倒されて目が潰れそうだった。
だがしかし、コスプレの彼はそんな分かりやすい眼差しを向けられても、動揺した様子はない。にこにこと笑ってはいるけれど、それはさっき私に向けた笑みと同じ種類のもので、殊更目の前のイケメンを意識している素振りがなかった。あんな距離でイケメンのキラキラ恋するオーラを浴びているのに、いっそ鈍感なほどに自然な様子で寛いでいる。

(これは、片想いの匂い……ま、まさかの一途……?)

女をとっかえひっかえしているひどい男、それが許されるイケメンだと思っていたのに、今、視線の先にいるイケメンは私が空想の中で作り上げていた人物像と正反対だった。
ティーンの男の子みたいに全身全霊で恋をしていて、恋する相手がおかしそうに笑い声を漏らしただけで、幸せそうに薄く頬を染める。熱い眼差しを注いで、同じ熱量が返ってこなくても、翳ることなく一層瞳に宿る熱が膨れ上がってゆく。焦れったいくらいにいじらしくって、とても可愛らしい男の人しかそこにはいない。

(何だか、悪いことしちゃったな……)

そんなイケメンの姿を見ているうち、私の中にむくむくと罪悪感が膨れ上がってゆく。だってあんなに真っ直ぐに恋をしている男の人相手に、とっかえひっかえだの、ひどい男だの、誰に告げることも無い私の頭の中だけの話だとはいえ、随分と失礼な事を考えてしまっていた。相手は異性とはいえどこかには、顔のいい人間に対する嫉妬と羨望めいた気持ちがあったのも否定はできなくって、自省の念でますます心がずんと落ち込んでしまう。
まさか本人に馬鹿正直に全てを告げて謝るなんて事は出来ないけれど、ちくちくと胸を苛む罪悪感は見なかったふりでやり過ごせそうもない。

だから私は、お詫びに自腹を切ってこっそりと、レジ横で売っているクッキーを、アイスコーヒーと一緒にサービスでつけることにした。
わざと選んだハートの形のクッキーには、イケメンの恋が上手く行きますように、だなんて余計なお節介混じりの、心ばかりのエールを添えて。