秘密の猫さん


「アルドさん? あの、も、もしかして、きちんと回復出来ていませんでしたか?」

戦闘後、労いの言葉と共に仲間たちに回復魔法をかけたマリエルは、アルドの様子がおかしい事に気づいて駆け寄った。
仲間の中には傷を負ってもなかなか教えてくれない者や、どう見ても重症にしか見えないのにかすり傷だと称してけろりとした顔で放っておく者だっている。
ただのお節介かもしれないけれど、どれだけ平気だと言われてもそんな彼らに痛みに慣れてほしくなくって、痛いままでいてほしくなくって、魔法の練習だと言い張って、戦闘が終わる度に皆にこまめに回復魔法をかけるのがすっかり習慣となっていた。
練習、というのは建前ではあったけれど、嘘にもなってはいない。実際魔法を使う度に扱い方に慣れてゆき、直接傷を確かめなくても綺麗に治せるようになってきて、それなりに自信もついてきたところだった。

だから脇腹を擦りながら、どこか浮かない顔をしたアルドに気づいたマリエルの胸中に真っ先に浮かんだのは、不安と自責の念だった。
前に比べたら魔法の扱いも上手くなって、アルドたちの役に立てているのではと自信をつけるうち、どこかに慢心が生まれてしまっていたのではないか、自分でも気づかないうちに手を抜いて、きちんと回復出来ていないのではないか。
急に足元がおぼつかなくなった気がして、不安に駆られたマリエルは、たまらずアルドに問うた。

「えっ? いや、ちゃんと回復出来てるよ。マリエルの魔法はすごいな、いつだって助けられてるよ」

マリエルの言葉を聞いたアルドは、きょとんと目を丸くしてから、穏やかに笑ってマリエルの不安を取り去ってくれる。
その表情に嘘があるようには思えない。けれど、依然としてアルドの手は脇腹に添えられたままで、拭いきれない焦燥と共に視線をそちらにやれば、アルドがちょっぴり気まずそうな声を出した。

「あー、これは、えーと……そうだ、マリエルって、猫が好きだよな」
「はい、大好きです!」

そして突然、猫の事を聞かれたから内心では訝しく思いつつ、即答する。
猫はかわいい。猫の事を考えるだけで、嬉しくなって胸の中の不安が少し薄れた気がした。

「たとえば、だけどさ。猫と遊んでてじゃれつかれて、引っ掻かれたり噛みつかれたりして、軽い傷が残るとするだろ? 大した傷じゃないし、すぐ治るものだって分かってるけど、でもなくなるとちょっと寂しくならないか?」
「それは……とてもよく分かりますね……」
「そうか、良かった。これは、そういうものだったんだ。どうせ明日か明後日には消えるものだったし、マリエルは何にも気にすることなんてないよ」
「なるほど……」

アルドの説明は、すとんと腑に落ちた。
マリエルもその気持ちはよくわかる。神殿の外に出てずっと憧れてた猫と触れ合えるようになって、ついつい構いすぎて引っ掻かれたり噛みつかれたことは何度かあった。それでも猫を嫌いになることなんてなく、やりすぎを反省はしつつも、つけられた爪のあとや歯型がかわいくてたまらなくって、記念にとっておきたいくらいだった。
もちろんそんな事が出来る筈もなく、小さな傷でも下手をしたらそこから悪いものが入ってしまうことがあるとよく知っているから、回復魔法の担い手としてもけして放っておくことは出来ないけれど、アルドの気持ちはようく分かった。

「それで、その猫さんはどんな猫さんなんですか?」
「えっ? ああ、猫、猫だもんな……そうだな」

アルドの説明で不安が綺麗に払拭されたマリエルは、きらきらと目を輝かせて尋ねた。実際の猫が一番かわいいけれど、猫の話を聞くのだって大好きだ。知らない猫の話なら、是非とも聞かせて欲しい。そもそもがたとえ話だった事もすっかり忘れて、マリエルはアルドに猫の話をねだる。
その勢いに少し気圧された様子のアルドだったけれど、猫、猫か、と何度か呟いたあと、ふっと笑って、そうだな、と優しい声で語りだす。

「金色の毛並みで、綺麗な青い目をしてる。毛並みはさらさらしてて、撫でるとすごく気持ちがいいんだ」
「すごく美人さんですね」
「そうなんだ」

想像する。さらさらとした金の毛並みで青い目の猫。頭の中に描いた猫は、想像ながらとても美しかったから、マリエルが素直にそれを口にすればアルドが嬉しそうにうんうんと何度も頷いた。想像に違わず実物も美猫らしい。

「かっこつけで気位の高いやつで一人で平気だって顔してて何でも器用にこなしちゃうけど、案外寂しがり屋で、人前ではちっとも甘えてこないけど、二人きりのときは擦り寄ってきて甘えてくれて、構ってやらないと拗ねて噛み付いてきたりもするな」
「ふああ、かわいいです……!」
「だろ?」

その猫の事を思い浮かべているのだろう。アルドは目を細めて、慈愛の滲む眼差しで愛おしそうに微笑んでいる。
そんなアルドの表情につられて目を細めたマリエルは、アルドの言葉をそのまま、頭の中に展開させた。
想像の中の猫は、つんと顔を上げてけして人に寄り付かず、ぴんと尻尾をたてて人の手の届かない屋根の上を歩いているのに、人気のない場所でアルドの姿を見つけるとするすると屋根を降りてきて、そのさらさらの毛並みを押し付けてさあ撫でろと催促している。
想像だけでもたまらなく可愛くって、感嘆のため息をほうっと吐き出せば、アルドが少し得意げに笑った。

「私もその猫さんに会って撫でてみたいです」

だからマリエルがそれを口にしたのも、当然の流れだった。だって想像の中の金色の猫はとても愛らしくって、本の中の猫よりも実物の猫の方がずっとずっとかわいいと知った今となっては、その猫に会ってみたいと思わずにいられる訳が無い。

「それはダメ」

けれど、マリエルの希望は即座にアルドによって却下されてしまう。少しの猶予も挟まないきっぱりとした拒絶。まさかアルドからそんな言葉が出てくるなんて思わなくって、まじまじと見返せば、アルドもマリエルと同じように驚いた顔をしていた。もしかしたらアルド自身、そんな強い口調で断るつもりはなかったのに、けれど無意識にぽろりと零れてしまったのかもしれない。そういう顔をしていた。
すぐに申し訳なさそうな表情になったアルドは、ごめん、でも、意地悪したいんじゃなくて、その、と言い訳めいた言葉をごにょごにょと呟いてから、諦めたようにため息を吐き出して、眉を下げてへにゃりと笑った。

「オレが独り占めしたいから」

だからマリエルには撫でさせてあげられない、ごめんな、と困ったように頭を下げたアルドに、慌ててマリエルは顔を上げてくれるように頼む。
想像の中の猫はとても可愛くって、会わせてもらえないのは確かに残念だけれど、でも、アルドのその気持ちもちょっと分かってしまうから。
基本的にかわいい猫がいれば、仲間たちに教えてみんなで眺めて愛でているけれど、そんなマリエルにだって、自分だけの秘密の猫がいる。週に一度か二度、ユニガンの南の井戸の近くに現れて、そっとマリエルの足首に擦り寄ってくる猫のことは、猫好きの仲間たちにも教えてない。他の人の気配がするとさっと草むらに飛び込んでしまうあの猫の居場所は、まだ当分はマリエルだけの秘密にしておくつもりだ。
どこにいるかは内緒ですよ、と前置きをして、マリエルの秘密の猫の話をして気持ちは分かると力強く頷けば、アルドの表情がほっと緩んで肩の力が抜ける。
会わせるつもりはないけれど、それでも秘密の猫のかわいいところは話したい。それはマリエルだけでなくアルドも同じ気持ちだったようで、まだ少し強ばったままの空気を変えようとマリエルが更に詳しく秘密の猫の話をすれば、アルドもぽつぽつと秘密の猫の話をしだして、かわいい猫たちの話ににこにこと笑い合ううち、気づけば先程までの空気は綺麗に取り払われていた。
そうして二人で盛り上がっていれば、何事かといつの間にか仲間たちも周りにやってきたから、ここぞとばかりにアルドと二人、自分たちの秘密の猫のかわいいところを大いに語って聞かせたのだった。

そういえば。
アルドとマリエルの話を聞く仲間のうち、どうしてだかデニーとユーインは、最初はひどく楽しげに笑っていたのに、途中からは苦笑いを浮かべてアルドを見つめ、互いに目配せをして疲れたようなしょっぱいものを食べたような顔で笑っていたけれど、その理由はマリエルにはちっとも分からないままだった。



「……って、アルドさんが言ってて……あれ、どうしたんですか?! ぽ、ポムさんを……!」
「いや、大丈夫だ、呼ばなくていい、頼むから呼ばないでくれ……」

後日。
戦闘後、セティーが胸元を押さえてアルドと同じ顔をしていたから、駆け寄ったマリエルがもしかして、とアルドの話をすれば、なぜだかセティーが片手で顔を覆って呻き声をあげた。その手からはみ出た部分、頬から耳にかけてが赤く染まっていたから、急に気分が悪くなったのかと心配になり慌ててポムを呼ぼうとすれば、それだけはやめてくれと念入りに制される。
本当に大丈夫なのかと重ねて聞けば、顔から手を外したセティーが少し暑くて、と呟いてぱたぱたと顔を扇いだ。マリエル自身はそれほど暑い気はしなかったけれど、戦闘中、セティーはマリエルよりよく動いていたから、そうかもしれないと納得して安堵する。

「ええと、それで。だからもしかして、セティーさんにも秘密の猫さんがいるんじゃないかって思ったんです」
「……ああ、そうだな」
「やっぱり! どんな猫さんなんですか?」

そうして最初の話に戻ってマリエルの予想を告げれば、セティーがむず痒そうな顔でこくりと頷いた。あまりきちんと話をしたことがなかったけれど、セティーにも秘密の猫がいると分かれば一気に親近感が沸く。
会わせてほしいとは言わない。けれどせめて、その見ためだけは教えて欲しい。勢い込んでマリエルが尋ねれば、セティーはふっと笑って、そうだな、と優しい声で語り出す。

「くせのある黒い毛並みの、やんちゃでかわいい俺の猫だよ」

アルドと同じ。
嬉しそうに、愛おしそうに、得意げに、慈しむように。
柔らかで暖かな光の宿る瞳で。



「そうだ、今度アルドさんと三人で、秘密の猫さんのお話しませんか?」
「それは勘弁してくれ」