認識の相違
急いでシャワーを浴びて戻ったホテルの部屋の中にて。ベッドの上ですやすやと規則正しい寝息を立てて眠るアルドの姿を見つけたセティーは、がくりと脱力した。
恋という言葉は知っていても初恋さえしたことのなさそうなアルドに、強引に自分へと意識を向けさせてどうにか恋人の座に収まってからおおよそ二ヶ月。
二人きりで過ごすのはこれで四度目の夜になるものの、未だキスより先の事はしたことがない。
セティーの方としては、二人きりで夜を過ごすとなった最初からそういうつもりでしかなかったけれど、一度目の夜は雰囲気を作る間もなくアルドにベッドに放り込まれ、幼子でもあやすかのように優しくぽんぽんと胸を叩かれ子守唄まで歌われて、しっかりと寝かしつけられてしまった。互いになかなか多忙の身の上、アルドとの時間を作り出すために少々無理をしたのが顔に出ていたらしい。翌日、たっぷりと寝てすっきり目覚めたセティーを見て、顔色が良くなったなとほっとした顔で微笑んだアルドを見て、けして無理はしない、とは言えないものの、傍目にそれと分かるような無茶の仕方だけはやめておこうと心に固く誓った。
次いで二回目の夜。
前回の反省を踏まえて万全の体調で臨んだおかげか、すぐに寝かしつけられるようなことはなく、予め頼んでおいたルームサービスを食べながら二人でとりとめもない話をするまでは良かった。アルドはずっと楽しそうに笑っていて、セティー自身もアルドと二人で過ごす時間を楽しんでいて、非常にいい雰囲気で進んでいたと思う。
けれど、食事も終わりさあそろそろ、とセティーが思い始めた頃、アルドがあっさりと言ったのだ。「じゃあ寝ようか」と。
あんまりにも何の含みもなく告げられた言葉に、セティーは混乱しつつも勢い込んで頷いた。至極いつも通りの態度で、恥じらう素振りも照れる色もちっとも含んではいなかったけれど、それがアルドなりの誘いなのかもしれないと都合よく期待してしまったから。
なのに下心を膨らませつつそわそわと落ち着かない心で従ってみれば、特に何か起きるわけでもなくベッドに二人で並んだ途端、「おやすみ」と微笑んだアルドがそのまま眠ってしまったから、セティーはしばし呆気にとられた。寝ようかというのは誘い文句ではなく言葉の通り、睡眠をとろうという意味でしかなかったらしい。
嘘だろ、生殺しか、とすぐにでもアルドを揺すぶって起こしてやりたい衝動に駆られたものの、すぐ隣で眠るアルドがあんまりに平和な寝顔をしていたから、起こすのが躊躇われてしまった。普段、多くの仲間たちの前に立つ時のきりりとした表情とは違う、年相応のそれよりも随分と幼く見える、子供のようなあどけない顔で眠るアルドに、性欲を抱くことすら罪悪感を覚えてしまうような無垢な形を見出してしまったから。
そのままアルドの寝顔を眺めているうち、いつの間にかセティーも眠ってしまっていて、二度目の夜も失敗に終わる。
三度目は一度目と二度目の失敗を踏まえて、多少強引に事を運ぼうとした。
部屋に入ってすぐアルドをベッドへ連れ込んで、性急にキスを仕掛ければ少々面食らいながらも応えてくれたから、これはいけると思ったのに。
キスの合間、アルドがくすくすと楽しげに笑ったのだ。「セティーもはしゃいだりするんだな」と、邪気のない顔で言ったあと、「そういえば昔、ダルニスたちととっくみあってくすぐりあいっこ、よくしててさ」なんて懐かしげに目を細めて昔話を始めてしまったから、続きをするどころではなくなってしまった。
聞きたくない、と口を塞いで先を続ける選択だって出来たのだけれど、セティーは大人しくアルドの話に耳を傾ける事を選びとった。アルドとずっと一緒にいたという幼馴染たち、特によくアルドが名前を口にするダルニスに対しては複雑な気持ちもあるものの、アルドが話して聞かせてくれる昔の話がけして嫌いではなかった。セティーがどれほど望んでも介入することの出来ないアルドの昔の記憶を共有させてもらえる気がして、幼いアルドの姿をまたひとつ知れるようで、嫌いではないどころかアルドが語る話の中でも一等好きなものだった。
結局、その日は夜遅くまで、ベッドの中で二人で昔の話をして穏やかに笑い合うだけに留まった。
そして、四度目の今日。
お互いまず風呂に入れば多少そちらを意識するんじゃと淡い期待を抱いて先にアルドにシャワーを勧めてみれば、これである。
がくりと項垂れつつも、何もかけず濡れた頭で眠るアルドをまじまじと見つめたセティーは、ため息をついたあと軽く髪を拭いてやって、かけ布を体に掛けてやる。
二度目と同様、無理に起こすような真似はしない。アドの寝顔があんまりに平和だったからも勿論あるけれど、それじゃあ意味が無いからだ。
恋人という立場を強引にもぎ取って以来、それなりに特別な好意を向けられるようにもなった実感はあった。手を繋げばくすぐったそうに唇をむずむずさせて、抱き締めれば抱き締め返してくれて、キスをすれば照れくさそうに小さく笑う。
けれどそれだけじゃまだまだ足りない。
もっと、もっと、もっと、セティーがアルドを求めるように、アルドにもセティーを求めてほしい。
セティーがアルドと身体を繋げたいと願うのと同様に、アルドにもそう思ってほしい。アルド自らセティーとしたいと思った上で、抱かせて欲しい。
多少そうなるように誘導や小細工はしても、最後はアルドの意思でセティーを受け入れてほしい。
セティーがしたいならいいよ、と頷くのではなくて、オレもしたい、とアルドからも手を伸ばしてほしい。
何も分からないまま流されるんじゃなくて、何もかもかった上で一緒に波に呑まれてほしい。
だからこそ、今日も、今までだって。
強引に仕掛けはしても、アルドの気持ちが伴わないままに無理矢理ことを進めるつもりはなかった。
もしかしてアルドがセティーに向けてくれている好意は、まだそこまで追いついていないのかもしれない。他のことには聡いのに恋愛に関しては極端に鈍いアルドに強引に意識をさせてこじ開けて植え付けた恋心は、まだ咲いたばかりの蕾のような、軽い接触だけで満足出来てしまうような、可愛らしく未熟なものなのかもしれない。
(だったら、育てるまでだ)
ベッドの上でキスを仕掛けても、じゃれついて遊んでいるだけだとしか思わない幼い恋人の心を、いつか指が触れるだけで誘われていると思うくらい、徹底的に育て上げてやる。
こと恋愛に関してはほぼ零に等しかったアルドの情緒を、ここまで無理矢理に育て上げたのは自身であるとの自負もある。零を一にするよりも、一を十にする方が素地がある分容易いことだ、と思いたい。
「覚悟してろよ」
据わった目でぼそりと呟いたセティーは、すやすやと呑気に眠るアルドの頬をつんつんとつついて、めり込んだ柔らかな肉の感触をしばし楽しんでから、ふっと唇の端を緩めた。
(もしかして、付き合うってそういうことじゃなかったのかな)
何度目かの誘いが失敗したあと。
アルドは密かに、恋人であるセティーとの関係に頭を悩ませていた。
付き合う、となった以上、そこには体の関係も含まれていると思っていて、アルドとしてもセティーとそういうことをしたいと考えていたのだけれど、セティーの方にはそういうつもりが無かったのかもしれない。性欲が極端に薄い人間も世の中にはいるらしいと聞いたことがあったから、もしかしてセティーはそうなのかもしれないとすらアルドは考え始めていた。
(無理強いはしたくないけど、でも、やっぱり出来るもんならしたいな……無理かな……)
誘いを断られて項垂れたアルドは、深いため息をつく。断った当の本人、セティーは特に何か意識をした風もなく自然体で仲間と話しているから、本当に性的なものに興味がないのかもと自身の予想が真実味を帯びてくる。
『なあセティー。二人で、ヌアル平原の奥に行かないか』
『何かほしい素材があるのか?』
『いや、そういう訳じゃ……』
『外に出るなら一応、他のやつらにも声をかけた方がいいんじゃないか。魔物も出てくるからな』
『……うん、そうだな』
つい先程、セティーと交わした会話を思い出して、アルドは再び重々しいため息を吐き出した。全く、上手く躱されてしまった。昼間、二人で外に出かけようなんて、誘い文句以外である筈がないのに、あんな風に綺麗に流されてしまったらそれ以上しつこく誘いをかけることも出来ない。
アルドたちの時代、特にバルオキーにおいて、恋人や夫婦が交合うのは昼間の野外であるのが常識である。家だと他の家族がいるし、村はさほど大きくないから物陰でいちゃつけば村人に見つかる可能性が高くなるし、仮に誰もいない屋内だとして、さほど厚くはない壁、声が漏れて誰かに聞かれでもしたらお互いに気まずいし、夜の外だと魔物たちの動きが活発になるから、必然的にそれは昼の野外でするものであるというのが、暗黙の了解として村人達の中にあった。アルド自身はまだそれを体験したことはなかったけれど、それとなく様々な事を教えられる日々の中、そういうものだと思うのが自然な環境で育ってきた。
ユニガンほどの大きな街になれば連れ込み宿のようなものもあるけれど、外でするのが常識であるという中で育ったアルドからすれば、部屋の中でするというのはひどく背徳的なことのように思えてしまう。
だからアルドの中からそこに誘う選択肢は端から除外されていて、アルドの常識に則ってセティーを外へと誘ってみるものの、いつもいつもはぐらかされて躱されてしまっている。
(もう何回か誘ってみて、ダメならその時はダルニスに相談しよう)
断られる度にちくりと胸が痛んで悲しくなるけれど、それでも簡単に諦められるものでもない。はっきり嫌だと突きつけられたらさすがに引き下がるつもりもあるけれど、やんわりと躱されている間はまだ希望が残されているようにも思える。そう思いたい。
それでも上手くいかない時はダルニスに、セティーと付き合うことになったと告げた時は微妙な顔をしていたけれど、翌々日にはわざわざユニガンまで出向いて花街の馴染みの姐さんに男同士の交合のやり方を聞いてきてくれて、基本的なやり方の大よその流れに始まり、挿入する場合と挿入される場合、それぞれの立場において注意すべき点まで細々と書かれた紙を寄越し、上手くやれよと苦笑いで祝福してくれたダルニスに、相談してみよう。脳内で死んだ目のダルニスが勘弁してくれと嘆いたような気はしたけれど、それでもと拝み込めば仕方ないなと肩を竦めてくれる気がした。
昼の野外でするという発想のないセティーと、夜の屋内でするという発想のないアルド。
二人の間に存在する時代を超えた価値観の相違が発覚するまで、今しばらくの間、恋人たちは頭を悩ませるのであった。
なお、巻き込まれたダルニスがアルドの脳内ではなく現実において、死んだ目で「勘弁してくれ」と嘆くのは、確定事項である。