そんな二人


(あれ、今……)

アクトゥールの宿の近くの食堂にて。
仲間たちと共に少し早い夕食をとっていたフォランは、大きなテーブルを挟んで向かい側、座ったアルドの奇妙な行動を目に留めてシチューをすくう匙の動きを止めた。

まだ日が沈み切ってはいないものの、店の中にはフォランたち以外の客の姿もあって、がやがやと賑やかな人々の声に包まれている。
注文をすれば少し時間がかかると念押しされて、実際頼んだ品が出てくるまでしばらく待つ事になったから、フォランたちも周りの喧騒に混じってお喋りをして時間を潰すことにした。一緒にいたメンバーには、レレやオトハ、ビヴェット、そしてフォランも含めお喋りが好きな仲間が揃っていたから、すっかりと話が盛り上がってしまって、ようやく店員が食事を運んできてくれても、アルドに言われるまで気が付かなかったほどだ。

そう、勿論アルドも一緒で、他にはダルニスもいたけれど、古代のスイーツや露店で見かけたかわいい小物のことなんかで盛り上がっていたフォランたちに話の中に、混じる気はなかったらしい。フォランたちに向けて時々微笑ましげな顔つきで相槌をくれるくらいで、あとは基本的にこちらの話に参加することなく、隣同士に並んで座った二人で、ぽつぽつと何かを喋っていたけれど、口数はそう多くなかったように思う。

食事が運ばれてきてからも少しの間、お喋りにちっとも区切りがつかなくって、四人ではしゃいでいるうち、アルドたちは先に食べ始めていた。
出てきたのは大きめの木皿に入った具がたっぷりのシチューと、固めのパン。未来の食事に慣れたフォランからすれば、少し品数が物足りない気がするけれど、この時代ではこれが普通らしい。パンはシチューに浸して食べると美味しいとレレに教えてもらい、端末で何枚も写真を撮ってからようやくフォランが匙に手をつけて食事を始めようとしたところで、それを目撃して目を丸くした。

だってアルドがいきなり、シチューの中の具材をぽいぽいとダルニスの皿の中に放り込み始めたのだ。確かあれは、シーラスの肉。綺麗にそれだけを寄り分けて、ごっそりとダルニスの皿に移動させている。

フォランも初めてシーラスの肉を出された時は、元々の姿を思い出してあまり食べる気になれなかったけれど、思い切って食べてみれば白身魚と鶏肉を足して二で割ったようなさっぱりとした味がして、なかなか美味しかった。美味しいものだと分かってしまえば忌避感も次第に薄れてゆき、今では普通に食べているものだ。
アルドが案外、好き嫌いが多いのは知っている。それもアレルギーとかではなく食わず嫌いの類が多くって、特に魔物が食材だとあまり食が進まないらしい。
そういう苦手な食材が料理に入っている時アルドは、いつもならパーティーのメンバーに、ちょっぴり申し訳なさそうな顔をしながら「これも食わないか?」と食べかけではなく、料理一品まるごと勧めている。ナギが一緒にいればナギに、彼女がいなければ他の、食欲旺盛な仲間の誰かに。仲間が受け取ればほっと表情を緩めて嬉しそうに礼を言うし、断られれば残念そうにしゅんと眉を下げつつも、残すことはせずきちんと自分で食べている。だから好きではないものでも、どうしても食べられないという訳では無いようだ。
そんな場面を何度も見てきたから、アルドの好き嫌いの多さを知っていたし、更にシーラスの肉はそんなに苦手ではないものだとフォランは記憶していた。

けれどフォランが目撃したアルドは、いつもとは全く違う行動をとっている。
全く申し訳なさそうな顔はしておらず、しれっと当たり前の顔をして、シチューまるまるではなく食べかけの、それもシーラスの肉だけをダルニスの皿に移している。最初から一部始終見ていた訳ではないけれど、おそらく、ダルニスの許可もとってはいない。
だってダルニスはちょうど横を向いて何かを見ていて、アルドはその隙を狙って行動に出たように見えたし、視線を戻して手元の皿に目をやったダルニスが明らかに増えたシーラスの肉に、ぐっと眉を寄せてじろりとアルドを横目で睨みつけたから。
アルドはそんなダルニスの視線に気づかない様子でシーラスの肉抜きシチューを口に運んでいる。どこかすっとぼけて見える表情は、本当に気づいていないというよりはダルニスの視線に気づいて素知らぬふりをしているように見えた。
ダルニスはしばらくじっとアルドを見ていたけれど、ちっとも視線が合わないと知ると難しい顔をして、手元に視線を落とす。そうしておもむろに匙を動かしてアルドが移動したシーラスの肉のうち、三分の一ほどをアルドの皿へと戻した。
途端にアルドの表情が変わる。げえっ、と声が聞こえてきそうな嫌そうな顔で、動きを止めて戻ってきたシーラスの肉を睨みつけてから、また。懲りずにそれを、再びダルニスの皿に放り込んだ。
そうして始まった、シーラスの肉のラリー。最初は三分の一だった肉の量は、ダルニスの手元を経る度に段々と減ってゆき、終いには三つ、二つ、一つまでに絞られてゆく。
攻防の間、二人は一言も言葉を交わさなかったのに、「せめてこれくらいは食べろ」「いやだ」「二つくらいは食え」「ダルニスが食べて」「じゃあ一つでいいから」「嫌だ、食べたくない」との副音声が聞こえてくるようだった。
そうしてとうとう、たった一つにまで減らしたシーラスの肉すら、アルドに投げ返されてしまったダルニスは、呆れたような大きなため息をついてから。もう一度アルドの皿にそれを戻そうとはせず、無言のままぱくぱくと口の中に放り込み始めた。
するとアルドの表情に、分かりやすく喜色が滲む。それもいつものアルドの笑顔とは少し違う、どこなく誇らしげで達成感に満ちたような、ふふんと得意げに鼻を鳴らしていそうな。

「アルドくん、小さい子みたいね」
「それ! 子供みたい!」

その時、隣に座ったレレからひそひそと囁かれて、フォランはぽんと膝を打った。そう、いつもの、たまに頼りない時もあるけれど基本的には、人が良さそうで安心感を覚える優しげな笑みを浮かべるアルドとは違って、何から何までまるで小さな子供みたいだった。小さな子供が、お兄ちゃんに甘えているみたいだったのだ。
どうやらアルドとダルニスのやり取りを見ていたのはフォランだけでなく、レレもだったらしい。オトハとビヴェットは二人で夢中で話して気づいた素振りはなかったから、なんとなく、フォランは二人には聞こえないようにレレに倣って小さな声で囁き返す。

「ちょっとびっくりしちゃった。アルドもああいうことするんだね」
「うふふ、アルドくんかわいかったの」

くすくすと楽しげに笑うレレと一緒に、フォランもぷっと噴き出した。
フォランの中でアルドは気の置けない仲間で、同時に頼りになる歳上の男の子だった。難しい問題に直面しても、アルドが大丈夫だって背中を押してくれれば、それだけでほっと安心してしまうような。
それが今しがた見たアルドには、そんないつもの面影が欠片もなかった。受け入れられるのが分かっているような当然の顔でダルニスに甘えてみせて、無邪気な顔で笑う。
そんなアルドの、フォランたちには向けられない気の抜けた顔は、ちょっぴり寂しい気もしたけれど、それ以上に安心もした。
アルドがフォランたちへ信頼を向けてくれていることを疑ってはいない。むしろこちらが向ける以上のものを惜しげも無く向けてくれていると思っている。
でも、そうじゃなくて、そういうのとは違って。
あんな風に、言葉に出さずとも無条件に甘えられる相手がちゃんとアルドにもいる事が、ダルニスにはそんな風に甘えられるんだって事が、目に見えて分かってほっとしてしまったのだ。
多分レレも同じ気持ちなのだろう。普段より大人びた顔で笑って、良かったの、と嬉しそうに呟き、密やかな眼差しをアルドとダルニスに向けている。

それにしても。
いつもは誰かに食べてもらおうと試みる事すらせず、きちんと自分で平らげていて、今日の今日までそれが苦手だと思ってもみなかったシーラスの肉を全てダルニスに押し付けたアルドもアルドだけれど、ダルニスもダルニスだ。
一応少しは食べさせようとしていたけれど、結局最後はアルドに押し切られて全て代わりに食べてやってしまった。
そういえば、以前何かの話の折にメイが。「なんだかんだ、アタシたちの中でアルドに一番甘いのはダルニスだよ」と言っていたのを思い出す。
その時はちょっと意外だと感じた気がするけれど、なるほどあれは甘いわ、とフォランは改めて納得した。
そうして納得すると同時、視線の先、むすっとした顔でシーラスの肉を黙々と口に運んでいたダルニスが、ちらりと横目でアルドを見て、一呼吸の後、しょうがないなとでも言うようにふっと苦笑いを浮かべたから。それがとても、柔らかくて優しげで、まさにメイが甘いと言った全てを詰め込んだような表情だったから。
ちらり、同じように横目でダルニスをみたアルドは、そんな表情を向けられていることに気づいても、軽く肩をすくめて悪戯っぽく笑うだけで済ませてしまったから。それはけして特別なものでなく、いつも見ている当たり前の表情だとでも言わんばかりの、ごく自然な動作で受け止めてしまったから。
それが二人のいつものことなのだと、会話すらしていない二人の態度が全てを物語っていたから。

そんなアルドとダルニスの姿を見ているのが、なんだか段々と気恥ずかしくなり始めていたフォランは、そっと視線を逸らし、そして。
むずむずと擽ったくなった心を誤魔化すように、たっぷりと匙ですくったシチューを、ろくに咀嚼もせず、ごくんと飲み込んだ。