糖分過多
次元戦艦の一角には、各種マシーンが揃えられたトレーニングルームが設置されている。
最初、合成鬼竜がアルドの仲間になった時は確か、そんな部屋はなかった筈だと記憶しているが、気づいた時にはいつの間にか増えていた。トレーニングルーム以外にもそんな風に新しく出来た部屋はいくつも存在していて、アルドが教えてくれたことによると、合成鬼竜と戦艦クルーたちがアルドたちが快適に過ごせるようにとメンテナンスの度に改築してくれているのだという。それを聞いたセヴェンが何かの折に合成鬼竜に礼を言えば、大したことではないと言いつつぴかぴかと胸がいつもより光っていたので、案外満更でもなかったのではないかと思う。
それはさておき、トレーニングルームだ。直接魔物に殴りかかって戦いはしないシャーマンとはいえ、肉体を鍛える事も疎かにしてはいけないと常々思っているセヴェンは早々に通いつめるようになり、同じく空いた時間にトレーニングルームに通う面子もおおよそ把握するようになった。
一番よく顔を合わせるのはレンリで、シャノンやセティー、イスカもよく見かける。その他にも、セヴェンと同じ時代の仲間たちは、ちょくちょく利用しているようだった。
けれど逆に、過去の時代から来た仲間達がトレーニングルームに顔を出すことはほとんど無い。トレーニング用のマシーンを使って身体を鍛えるという事にあまり馴染みがないせいか、彼らは滅多に寄り付かない。
そもそもセヴェンたちの時代より、過去での生活は日常の中で自然と身体を使う機会が多いようで、ランニングマシンの上で走るよりも警備隊の見回りがてら森を走った方がいい気がする、と、一度顔を見せたアルドが微妙な顔で呟いていたのはよく覚えている。一緒にトレーニング出来れば楽しいだろうと思っていたから、残念だったけれど確かにそうかもな、と納得もした。どこもかしこも舗装されているエルジオンの街を歩くより、アルドたちの時代ででこぼこの獣道を歩く方が、よほど疲れた記憶もあったから。
だからこそ、彼が顔を見せたのは意外だった。
アブドミナルで腹筋を鍛えて休憩をしている時、しゅっと部屋の扉が開いて、入ってきたのはダルニスだった。
興味深そうに部屋の中のトレーニング器具を眺めていたかと思うと、セヴェンに気づいて近づいてくる。ちょうど利用者はセヴェンしかいなかったから、何か聞きたいことでもあるのだろうと、さして驚くこともなく水分を補給しながらダルニスが近づくのを待った。
「腕の力、重量のあるものを持ち上げる力を鍛えるのに適当なものはあるか? 知っていたら教えて欲しい」
「もちろんあるぞ。えっと、そうだな、あれが一番使いやすいかな。ああ、でもその前に、着替えてきた方がいいぞ。あっちに貸出用のトレーニングウェアがあるから案内するよ」
「そうか、助かる。ありがとう」
もしかして暇つぶしに部屋を眺めに来ただけかもなと思っていたけれど、ダルニスの口ぶりからしてしっかりと鍛えるつもりでやって来たらしい。必要だと思うからしている事とはいえ、セヴェンは割と自分を鍛える事自体が好きな方だ。トレーニングは趣味の一つといってもいい。
だからトレーニング仲間が増えるのはセヴェンにとってても嬉しい事で、これを機にダルニスもトレーニングにハマってくれるといいなと淡い期待を抱きつつ、併設の更衣室へとダルニスを案内した。
着替えを終えたダルニスを連れていったのは、AIパーソナルトレーナーのコンソールの所。セヴェンが一から教えてやろうかとも思ったけれど、素人の生兵法はよくないと思い直した。機械音声のガイドに従って、腕力を鍛えたいのだと告げるダルニスの声に、瞬く間にトレーニングメニューが組まれてゆく。
それを横から眺めながら、でもやっぱり不思議だな、とセヴェンは首を傾げた。
服を着ている時は細身に見えていたけれど、運動用の薄手のウェアに着替えたダルニスの身体は、恐ろしく鍛えられて引き締まっている。悔しいけれど腹筋だって、週四で鍛えているセヴェンよりも綺麗に割れている。わざわざ鍛える必要もないように見えるのに、けれどAIの音声と具体的に、どれくらいの重量のものを持ち上げられるようになりたいのか話すダルニスの横顔は、至って真剣だ。
弓を射るのにそんなに腕力が必要なんだろうか、しばらく考えてセヴェンが思いついた理由はそれくらい。
以前、シエルに弓を引かせてもらった事があるけれど、確かに思ったよりも力のいる動作で、難なくこなしているシエルにも驚いたし、どちらかといえば儚げに見えるパリサが戦闘中にひゅんひゅんと矢を連射する様にも、以前にも増して頼もしさを感じるようになったのは事実だ。
けれどいくらある程度の力が必要だといって、80キロ近いものを持ち上げる力がいるものだとは思えない。AIとの話を詰めるうち、具体的に飛び交いだした数値にますます謎が深まる。
「よし。悪いが、この機械の場所まで案内してもらえないか? ついでに、使い方を簡単に教えて貰えると嬉しい」
「あ、ああ、いいぞ。こっちだ」
そうしてセヴェンが理由を考えているうち、メニューの最終調整まで終わったらしい。画面に表示されている器具を指すダルニスの言葉に慌てて頷いたセヴェンは、示された場所まで連れてゆき、ダルニスが使う前に軽くデモンストレーションをして使い方を教えてやる。
さして複雑な動作ではない。すぐに飲み込んだらしいダルニスと交代して、姿勢や動作にいくつかアドバイスをすれば、それでセヴェンの役割は終わりだ。
「なあ、何で急に鍛えようと思ったんだ?」
「ああ、まあ、少し思うところがあってな」
「ふぅん?」
けれどすぐに自分のトレーニングメニューに戻る気にはなれなくって、気になっていた疑問を問いかけてみた。
返ってきたのは曖昧ではっきりとした答えではなかったけれど、ダルニスはそれ以上続けようとはせず、ぎしぎしと音を立てるマシーンの合間に、微かに上がった息が混じり始める。
その思うところが何なのか気にはなるけれど、トレーニングの邪魔をするつもりはない。まあ目的は何であれ、鍛えるのは悪い事じゃないだろう、と無理やりに自分を納得させたセヴェンは、また分からない事があったら聞いてくれと言い残して、自分のメニューに戻った。
結局、理由は分からないままだったけれど、その日以来ダルニスとトレーニングルームで顔を合わせる機会が増えて、言葉を交わす頻度だって前より多くなった。話す内容はおおよそ鍛える事についてだったけれど、トレーニング仲間が増えたのが嬉しいセヴェンとしては大満足である。
それにダルニスが常連になったなら、彼につられてアルドたちもトレーニングに目覚めるかもしれない。わいわいと仲間たちで賑わうトレーニングルームを夢想して楽しくなってしまったセヴェンは、メニューの負荷を一段上げて今まで使った事のないマシンにもチャレンジすることにした。
そうして、ダルニスとトレーニング仲間になってから、およそ一月経過した頃のこと。
「あれ、アルド? おい、こんなとこで寝ると風邪ひくぞ」
たまたま同じ時間帯にかち合ったダルニスと共に、トレーニングルームから出て、それぞれの時代に帰るべく合成鬼竜の元へと向かおうかとしていた時。
廊下の途中にある開けた場所、簡易休憩所のようになっているスペースに置かれたソファに座って、かくんかくんと舟を漕ぐアルドを見つけた。
すぐに駆け寄ったセヴェンが軽く肩を揺すったけれど、ううんと小さく唸るだけで起きる素振りがない。
いくら次元戦艦の中とはいえ、廊下の途中という場所柄、部屋の中に比べて少しだけひんやりとしている。さすがにここで寝入るのはまずいだろうと、ちっとも起きないアルドに、焦ったセヴェンがどうにか起こそうと肩を揺する手に力を込めようとしたら。
「アルド」
セヴェンより遅れて近づいてきたダルニスが一言、アルドの名前を呼んだ。
それほど大きな声ではなかった。アルドの耳にも届くほどの音量はあったけれど、肩を揺するよりも大きな衝撃を与えるほどのものではなかった筈だ。
しかし。
「ん、ダル……?」
その声を聞いた途端、むにゃむにゃとアルドの口が動いてダルニスの名前を呟きかける。相変わらず目は瞑ったままで、目覚めたとは言い難い。けれどうんうんとむずがるような唸り声を上げたアルドは、何かを探すようにのろのろと両腕を上げてぐっぐっと両手を開いては閉じてを繰り返す。
一体どういうことだ、とセヴェンが首を捻るより先にそれは起こった。
当たり前のようにアルドに近づいて、伸びた両手を自身の首に回させたダルニスがそのまま、アルドを自然な動作で抱えあげる。横抱き、所謂お姫様抱っこというやつだ。
抱き上げられた途端、アルドはダルニスの肩に顔を埋めるようにぎゅっと手に力を込めて、ダルニスにしがみつく格好になる。しかし起きた訳ではなさそうで、んんんんん、とまるで子供がぐずるように喉を鳴らすと、ぐりぐりとダルニスの肩に額を擦りつけている。
「いい、そのまま寝てろ。ちゃあんと、オレが、連れて帰ってやるからな」
「ん……」
そんなアルドにそっと囁いたダルニスの声を聞いてしまったセヴェンは、思わずびくりと震えて、反射的にばっと二人から顔を反らしてしまった。
だってアルドに話しかけるダルニスの声は、戦闘中に聞いた事のあるものとも、トレーニングルームで話した声とも、普段アルドやメイたちと話している時の、少しだけリラックスしたものとも全然違う。
ふわふわの羽のように柔らかくって、煮詰めたジャムのように甘くって、直接向けられた訳でもないセヴェンがうっかりと赤面してしまいそうなほど、優しげで暖かかった。
アルドはそのダルニスの声を聞くと、ぴたりと動きを止めてから、すっと力を抜く。まるで世界で一番安全な場所にいるかのように、全身をダルニスに預け切って、穏やかな寝息を響かせている。そろそろと怖いもの見たさで視線を戻してみれば、丁度ダルニスがアルドを抱え直したところで、その瞬間ちらりと見えたアルドの寝顔は、さっきソファーで寝こけていた時よりもずっと安らかで、僅かに微笑んでいるようにさえ思えた。
(ああ、そういうこと……)
視線を戻した事を後悔しつつ、すっかりと二人の世界の蚊帳の外に置かれたセヴェンの頭の中で、目の前の光景と、ひと月前耳にしたダルニスのトレーニングメニューの事が結びつく。やけに拘っていた重量のあるもの、80キロ近い何かの正体が目の前に提示されているように思えて、なんだかどっと疲労感が全身に押し寄せた気がした。
「じゃあ、行くか。先にエルジオンに寄ってもらう事にしよう」
「あ、ああ……その、重くないのか?」
「うん? ああ、平気だ。いくらでも抱えていられそうだ。……鍛えたからな」
そうしてアルドを抱えたまま、いつも通りの顔でダルニス話しかけられて、たじろいだセヴェンは思わず尋ねてしまった。突っ込んでも絶対に、疲労感が増すだけだと分かっていたのに、咄嗟にうまい言葉が見つからなくて、ついつい触れてしまった。
ダルニスは特に照れるでもなく、ちらりと腕の中のアルドを見て笑う。どこか得意げで自信ありげな笑みとともに、ゆさりゆさり、数度アルドを揺すってみせたダルニスに、セヴェンは導きだした答えが間違っていなかった事を確信する。
別にどうこう言うつもりはないけれど、親しい、つもりのアルドと、割と親しくなった、つもりのダルニスの、ただの幼馴染というにはあまりに近すぎる姿を間近で見せつけられて、ひどく複雑な気分だった。嫌ではないけれど、たとえるならば、そう。口の中に無理やりに砂糖を詰め込まれた気分で、胸焼けがしそうでお腹がいっぱいだった。セヴェンは古来から使われてきた言い回しが実に的確な表現であった事をしみじみと実感する。そんな事、知りたくはなかったけれど。
気持ち早足で合成鬼竜の元まで向かったセヴェンは、ダルニスたちを見て何事か言いかけた合成鬼竜の言葉を遮って、エルジオンに向かってくれるよう早口で頼見込む。その勢いに何か察したのか、合成鬼竜はそれ以上何か言うことなくすぐさまエルジオンへと送り届けてくれた。
艦を降りる直前、怖いもの見たさの好奇心に抗えず、ちらりと後ろを振り返れば、変わらずアルドを抱えたままのダルニスが見えてしまう。
しかもよく見れば、さっきよりもアルドとダルニスの顔の距離が近い気がする。唇は触れてはいなかったけれど、こつり、くっついた額に気づいていよいよいたたまれなくなったセヴェンは、くるりと急転換して寮に帰るべくカーゴステーション向けて全速力で駆け出した。
(うん、オレは何も見なかった)
そして、ステーションでカーゴを待つ間。
胸の中でそう何度も呟くセヴェンは、ひどく安らかで達観しきった顔をしていた。