買い物日和


騎士団に依頼されたカレク湿原での討伐任務を終え、同僚達とユニガンに戻ったブリーノは、新たな緊急の任務が入っていないことを確認してから、一人で詰所から外へ出る。
夕方にはまた見回りの任務が入っているが、それまでは自由時間だ。騎士団の寮に戻り一眠りするのもいいが、ちょうど昼も近く腹も減っている。寮には食堂もあるものの、ついでだからとその辺の適当な店で食べてゆくことにしたブリーノは、目的の店へと向かうその途中の大通りで、見覚えのある後ろ姿を見つけて足を止めた。

彼を注視するのはブリーノ一人だけではなく、周りの人々が様々な色の視線を彼へと向けている。好意的な色も僅かではあるが存在するものの、その大半は好奇心や戸惑い、怯えを宿した色で占められていた。
以前、彼に聞いた状況からすれば、これでも随分とましになった方なのだろう。王直々に彼が王の民であると認める触れが出され、ミグランスの英雄であるアルドと共に近場の魔物を追い払う姿が度々見かけられるたび、少しずつ彼を認める層が増えてきていると聞く。
それでも。

(……不愉快だな)

周りの群衆のごくごく一部、嘲りと軽蔑、敵意を隠そうともしない視線が依然として存在するのも確かで、それに気づいてむっと眉を寄せたブリーノは、気づけば彼、ロキドに声をかけていた。

「何をしている」
「……ブリーノか」

ブリーノに気づくとロキドは、ほっとした様子で表情を緩め、ゆらりと小さく尻尾を振った。堂々と立っているように見えて、その実、緊張していたらしい。これだけの衆目に晒されれば仕方あるまい、と、ロキドに話しかけた途端、己にもちくちくと突き刺さった視線の数にうんざりとしつつ、表情には出さぬように話を続ける。

「お前がこんな所に来るのは珍しいな」

王より街に自由に出入りしてよいと太鼓判を押されたものの、ロキドの行動は控えめだった。まだ街の人間たちが慣れないだろうからと、アルドたちと一緒でない時はあまり街中に入らないようにしているようだし、街に来る用事がある時も人の多い時間は避けていると知っている。
だからこんな昼間から、特に人の多い大通りにロキドがいるのは滅多にないことだ。
アルドやとある同僚のようにお節介を焼くつもりはなかったけれど、多少、気にはなる。だから何かあったのか、重ねて問えば、照れくさそうに視線を落として頬を掻いたロキドが、小さな声でぼそぼそと話し出す。

「ああ……実は、幼き友が今度、誕生日を迎えるというのでな。その、何か俺からも贈り物を出来ればと思ったのだ」

ロキドのいう幼き友については、ブリーノも知っている。
時々ロキドが嬉しそうに花冠や花の首飾りを手に眺めていることがあって、仲間達がそれはどうしたのだと尋ねれば、楽しげに小さな少女のことについて話している。ブリーノは直接尋ねたことはなかったけれど、そんな仲間達に向けた話を通りがかり、耳にしたことがあったから、彼女がロキドにとって大事な存在であることはある程度理解している。
そんなロキドと、彼がちょうど立っていた店を交互に見やって、ブリーノは口を開く。

「そうか。……ならばその店はやめておけ」
「ふむ、ユニガンで一番品揃えの良い店だと聞いたのだが……」
「確かに品揃えはいいが、店員の質が悪い。……ついてこい、良い店を紹介してやろう」

お節介は柄ではないが、ロキドの正面の店の主人は極端な人間至上主義者で、店員にもその気質が強いことを知っている。魔獣だけでなく、エルフやダークエルフにも差別的で、一度騎士団の遣いで店に入った時、ひどく不快な思いをした事があった。知らぬふりで見過ごして、ロキドに同じ思いをさせるのも気分がよくない。
ブリーノがさっさと歩き出せば、ロキドも慌ててついてくる素振りがあった。そして少しもしないうち、ブリーノの隣に並ぶと、すまない、恩に着る、と目を細めて笑い、ぱたりぱたりと尻尾を振ってみせる。
ブリーノが無言で頷いてみせれば、俺はこういう店に詳しくなくて、さっきの店はアナベルに教えて貰ったのだ、とぽつぽつと話すロキドの言葉に、なるほど、とブリーノは納得する。人間以外の客には横柄なあの店も、人間相手なら随分まともで評判がいいらしい。騎士団でも名の馳せた聖騎士のアナベルであれば、丁重な対応でもてなされることだろう。人以外に対する顔を知らずとも、仕方がない。特に王都であるユニガンにおいては、人であることへの特権意識と、人以外に対する差別意識を強く持つものが少なからず存在していて、人とそれ以外では見える顔が全く違うこともよくあることだ。

道すがら、そんな内情を掻い摘んで説明してやれば、ロキドはほうっと安堵したように深く息を吐き出した。そうか、アナベルは知らなかったのだな、と独り言のように呟く声を聞いて、そういえばと思い出す。
少し前までアナベルは魔獣に対しての敵意と嫌悪を隠そうともしていなくて、アルドの仲間だから一応は受け入れ、魔獣ではなく人間として扱おうと努力はしていたものの、それでも傍から見ればロキドに対して随分と当たりがキツいように思えた。今ではちゃんとアナベルから謝罪があったと聞き、最近ではアナベルからロキドに声をかける姿も見られるから、随分と仲は改善しているようだ。
おそらく彼女がそんな陰湿なことをする人間ではないと分かっていても、悪意があった訳では無いと他人の口から改めて聞かされて安心したのだろう、となんとなく思い当たったブリーノは、それ以上取り立てて何かを言うことも無く、あとは無言のまま歩を進めた。

目的の店は、大通りから少し外れた裏路地の奥にあった。
何を売っている店、と聞かれれば説明が難しいが、日用品から魔道具まで様々なものが売られていて、歩く隙間がないくらい無秩序に品物が並べられている。
店の扉を開けて中に入ると、ロキドは感嘆の声をあげた。店の奥にいた主人はちらりと視線を寄越したものの、すぐに興味がなさそうによそを向いてしまった。愛想はないが、人間にも人間以外にも等しく無愛想な店主のことを、ブリーノは割と気に入っている。
店に連れてきたからこれで自分の役目は終わりだ、とさっさと引き返そうとしたブリーノだったが、ロキドの困惑した声によって阻まれてしまう。

「すまない、幼い少女への贈り物には、何が適当だろうか」
「さあ、私も分からないが……髪留めなどがいいのではないか」
「髪留めは、どれになるのだろう」
「……この辺りだろう」

贈り物を探すなんて、ブリーノだって全く得意ではないけれど、心底弱り切ったという表情のロキドを突き放すのは難しかった。しゅんと垂れた耳と、心做しかしぼんで艶を失ってみえる毛が、あまりにも頼りなげで放っておくのは些か躊躇われてしまう。
柄ではないと思いつつ、乗りかかった船、最後まで付き合ってやろうと決めて、ため息混じりに適当に近くにあった品物を指さしてやった。
すぐにぴんっと耳を立ててブリーノの指した品物をいくつか手にしたロキドは、難しい顔をしてどれがいいか悩み始め、真剣に考え込むうち、尻尾が勝手にゆらゆらと揺れる。それが品物に当たって床に落とさぬよう、ブリーノはさり気なく手を伸ばして棚と尻尾の間に差し込んだ。
万が一品物を傷つけでもしたら、ロキドだけでなく彼を連れてきたブリーノまで店主に睨まれてしまうかもしれない。それなりに気に入って利用している店、出入り禁止にでもなったら困る。だからこれは、ロキドのためではなく自分のためなのだと、誰にともなく胸の内で言い訳を連ねながら、尻尾を手であやし続ける。
いよいよこれで、この場を離れる訳にはいかなくなったな、と。
乗りかかった船だと思いはしていたけれど、どこかそわそわとして居心地の悪かった気持ちが、ちょうどいい理由を見つけてやっと、すとんと落ち着いた気がした。

たっぷりと時間をかけて悩みに悩んだロキドが、ようやく選んだ髪留めは、小さな白い花があしらわれたもの。値段も子供に贈るものとしては適当だろうとブリーノが頷けば、嬉しそうに笑ったロキドがいそいそと店主の元へと向かう。
やれやれ、と肩の荷を下ろしたブリーノが、一足先に外に出ようとすれば、待っていてくれ、と会計中のロキドに声をかけられる。これ以上用もない筈だが、さして時間のかかることでもないだろう。分かった、と短い答えを返し、店を出たすぐのところでロキドを待った。
しかしブリーノが予想したよりも長く、ロキドが店から出てこない。店主は無愛想ではあるが理不尽な人間ではないが、もしかして何かあったのだろうか。気になったブリーノが店の中を覗こうとすれば、ちょうどそのタイミングでロキドが出てきた。

「随分時間がかかったな」
「ああ、待たせてすまない……これを」

一応、心配はしたのだ、少しばかり憮然としてしまったのは仕方あるまい。
ブリーノの言葉にちょっぴり気まずそうに俯いたロキドは、おもむろに何かをブリーノへと差し出した。
その手のひらに乗っていたのは、橙と赤が混じったような色の石がついた、小さな髪留め。

「お前の瞳の色によく似ていると思ったのだ。付き合ってくれた礼に、受け取っては貰えないだろうか」

一体何だこれは、と髪留めとロキドに交互に視線をやって無言のまま尋ねれば、照れくさそうにロキドがそんな事を言う。
それでもブリーノが受け取らず、じっと見つめていれば、へにょりと眉を下げて、迷惑だろうか、と小さな声で呟いた。尻尾は可哀想なくらいに縮こまって丸まっている。
仕方ない。そんなあからさまに落ち込まれるとさすがに僅かばかり良心が痛む。
大きなため息を一つついてから、ブリーノはロキドの手から髪留めを受け取って、太陽に石を透かしてみる。陽の光を散らしてきらきらと光る石は、率直に言って美しかった。

「俺の瞳の色か……似ているか?」
「ああ、よく似ている。とても、綺麗だ」

こんな美しいものが己の眼窩に収まっているとはとても思えなかったけれど、ぼそりと呟いた疑問は力強くロキドに肯定されてしまう。見れば萎んでいた尻尾はぱたぱたと機嫌良さそうに揺れていて、全く現金なやつだと笑いそうになった。
髪留め、とは聞いたけれど、さすがに髪につけるのは躊躇われる。ブリーノがつけるにしては、可愛らしすぎる気がしたからだ。
しかしどこか期待するような眼差しのロキドを前にしては、懐にしまい込むのも躊躇する。そんなことをすればまた、ロキドの尻尾が縮こまる図が容易に想像出来た。表情よりもあからさまに気持ちを表す分、落ち込まれた時の居心地の悪さが半端なくて、本当にタチが悪い。

少し悩んでからブリーノは、肩で留めたマントの先端、ふさりと揺れる布にぱちりとそれをつける。
これでどうだ、とロキドを見れば、ぶん、と一際大きく尻尾が揺れた。

「似合っている」
「そうか」

視線を少し落とせば、視界に入る小さな石には慣れなくて違和感しかなかったけれど、嬉しげに揺れる尻尾を見れば、悪くはないか、と思えてしまうのが不思議だった。不思議で、なんとなくバツも悪くて、なのにどうしてか気分がいい。

「私はこれから食事をして帰るところだが、お前もどうだ」

だからそんな風に、らしくもなく食事の誘いをかけてしまった自身も、不可思議ではあったけれど嫌ではなかった。やっぱりやめておこうと、すぐに撤回してしまう気がおきない程には。
ロキドはブリーノの誘いに驚いたようにぱちぱちと数度瞬きをして、破顔する。是非とも、と力強い返答と共に、尻尾がまたぶんぶんと激しく揺れ始めた。
たかが食事くらいでこれほどまでに喜ばれるのは、悪い気はしない。ともすればふにゃりと緩みそうになる唇をきゅっと引き結び、こっちだ、と歩き始める。

並んだ足音、視界の端に煌めく橙と赤の混じった光、緩やかに揺れる尻尾の影。

(悪くない)

改めて胸の内で呟いてブリーノは、己の機嫌がいたく良いことを自覚して、ふっと小さな笑い声を漏らす。
これから連れてゆく店、外観は良くないが味はとびきりの店でうまいものを食わせてやれば、また尻尾が大きく揺れる様を見れるだろうか。
想像するだけで、胸がくすぐったいような、笑いだしたくなるような、愉快な気持ちが腹の底からせり上がってくるような気がした。