寒い夜


元々、故郷の村でも他人との距離は近くない方で、人の街に出てきて一層その傾向は強くなった。勿論意識的にそうしている部分もあったものの、単純に人の気配が多い場所だと落ち着かない。体温が感じ取れるほど、密着した状態なんて以ての外だ。
だから近づいてきたものをあしらうのには慣れていても、自分から手を伸ばすことにはあまり慣れていない。その必要があるとも思ってはいなかった。

だからブリーノは、少し、困っている。


(……寒い)

アクトゥールの宿、冷えた夜の気配にぶるりと身を震わせて、寝返りを打つ。水の気配がそこかしこにあるせいか、アクトゥールの夜はなかなかに冷え込みがきつい。
そっと擦り合わせても全く温まる気配のない足先に睡魔が吸い取られてゆくのを自覚しながら、そっと隣のベッドの気配を窺った。
ベッドの上、こんもりと山のように盛り上がった毛布は穏やかに上下を繰り返しているけれど、部屋に響く呼吸は少し浅い。おそらくは彼も、完全には寝入っていないのだろう。
しばしその浅い呼吸に耳を傾けたブリーノは、口元まで引き上げた毛布の中、ほうっと大きなため息を一つ吐き出した。

隣のベッドで眠る彼、ロキドとは、微妙な関係である、とブリーノは認識している。
ただの仲間というには親しくしすぎた自覚はあって、普通ならけして許さない内側まで踏み込ませている自身も、それを満更でもなく思っている己のことも、認識していた。たとえばアルドに呼ばれて次元戦艦に乗り込んだ時、さりげなくその姿がないか探してしまうし、共に戦う際、巌のように崩れぬその背に、己の背を預けるのはひどく心地が良い。アルドや騎士団の同僚達に抱くのとはまた違った、ロキドだけに向かう気持ちが自身の中に生まれ日々育っていっていることを、ブリーノは知っている。正確には、長く見ぬ振りをしていたけれど知らぬ存ぜぬで通せないほどには、大きく育ってしまった。

そしてそれは、おそらくロキドも同じだ。
誰かを探すようにきょろきょろと辺りを見回していた視線が、ブリーノを見つけるとぴたりと止まり、ふさふさと尻尾が揺れる。仲間たちと話す時はいつも楽しげではあるけれど、ブリーノの前だと一等その傾向が強い。それはブリーノの勘違いでなく、アルドたちからも「仲がいいんだな」と笑顔で称されたほどだから、実際そうなのだと思う。

つまるところ、ブリーノとロキドはお互いに特別な気持ちを抱いている。それは恋情に近いもの、少なくとも悪意ではなく好意の類であるのは確実だ。
悪い気持ちではなかった。好意を寄せるものに、好意を返されて嫌な気持ちになる者はあまりいないだろう。それにロキドならば、自らの事情に巻き込まれても返り討ちに出来るだけの強さを備えている。以前ならそれでも、けして近づけまいとしていただろうけれど、多少軟化したのはアルドに振り回されて絆され、影響を受けてしまった結果なのかもしれない。

しかし。
少しばかり柔くなった思考とは裏腹に、積極的に人との関わりを持ってこなかったブリーノには、手を伸ばす方法が分からなかった。同じ気持ちを抱いているとほぼ確信していても、ではそこからどうすればいいのか分からず困ってしまう。突然交合の誘いをかけるのはあまりにも性急する気がするし、かといってじゃあ何をすれば良いのかと考えれば、さっぱりと何も思い浮かばない。それでもひっそりと観察した騎士団の同僚達の会話から学び、数度、ロキドを誘って出かけた事はあったが、最終的には魔物を倒す羽目になって、なんだか思っていたのと違った。

今の距離に特に不満がある訳ではない。仲間より近しく、連れ合いというには少し遠い距離は、ぬるま湯のように心地よい。
けれどふとした瞬間に、後一歩、近づきたくなる。その体温を感じたくなって、衝動的にその腕を引き寄せたくなる。不満があるとは思っていないつもりでも、すっかりと満足してもいなかった。


もぞり、布団の中で改めて足を擦り合わせても、一向に熱は上がらずひたひたとつま先から冷気が這い上がってくるようで、毛布の中、ぶるりと背中が震えた。はあ、と口に寄せた指先に息を吹きかけ、束の間の暖を取ったブリーノは、はたと思いついた。
だって今夜はとても寒くて、このままではろくろく眠れそうにない。短い仮眠で体を休める術は身につけていても、それでも睡眠が足りなければどこかに支障は出る。
だから、何らかの改善策を試みるのはおかしなことではない。
思いついたそれを、熟考する前にブリーノはそっと音を立てぬように起き上がり、ベッドから抜け出した。じっくりと考えれば、馬鹿馬鹿しいと自身の冷静な部分が思いつきに否を突き付ける事が目に見えていたから。
抜き足で向かった先は、数歩分離れた隣。ロキドが眠るベッドに素早く潜り込めば、小山が大きく跳ねる気配があって、何か言われる前にブリーノはぼそりと呟いた。

「……今日は、寒い」

嘘じゃない。冷え切った手足の先は、ほんの束の間ベッドを降りた間にますます冷たく氷のようになっている。
眠れないのは困る。そしてこの部屋の中で手っ取り早く暖を取れそうなものは、ロキドだった。
だからブリーノは、よく寝て体調を万全にすべくロキドのベッドへと侵入することにした。
ひどく強引な理由ではあったけれど、きっかけに躊躇うブリーノの背中を押すには手頃なものであったのだ。だから考えるより先に動いた。

しかしやはり早計だっただろうかと、既に後悔も始めていた。勢いで忍んだベッドの中、ふさふさと肌に当たる毛がまざまざと距離の近さを伝えるせいで、らしくもなく鼓動が早まっている。なんだか自分がひどく女々しくなったような気がして、腹立たしくもあった。
冗談だ、と笑って元に戻るべきか、ブリーノが苛々と乱れる思考で考えていれば、中途半端に潜ったせいで半分毛布からはみ出た背中を、ふわりと布で包まれる感覚があって、間を置かずそっと両手を温かなもので覆われる。

「……冷たいな、これでは眠れぬだろう」

すりすりと熱を与えるように包んだ両手を揉み込むのは、他ならぬロキドの手のひらだった。冷え切った手には火傷しそうなほど熱く、すり、すり、擦り合う度にブリーノへと熱が移ってくる。
ブリーノに熱を与えても、ロキドの手のひらは温かなままだった。その事実に、ひどくほっとしてしまったブリーノは、どこか強ばっていた身体の力を抜いて、ほんの少しだけロキドの方へと身を寄せた。もしかして寒さを口実に潜り込んだくせに、彼の体温を奪い冷やしてしまうことを恐れていたのかもしれない。それが杞憂だったと理解して、ほつほつと安堵が胸の中に広がってゆく。
多少緩和したとはいえ、何であれ己の事情に他人を巻き込むのは得手ではなく、それが悪い方向へと向けば身の内に苦いものが生まれる。けれどこんな些細なことでも、ロキドは己に左右されるどころか、熱を与えても尚ほこほこと温かな体温を保ったまま。たったそれだけの事実が、心強くてたまらなかった。
毛布の中、器用に動く尻尾がふわりとブリーノの背中に回されて抱え込まれ、冷えた足先がその足の間に挟まれ、手と同じように温められる。じわじわと移ってくる温度が、やがてなだらかになりロキドの体温へと近づいてゆく。冷えた手足に慣れた身としては、熱すぎるほどだ。
もう少しこの熱を感じていたかったけれど、残念ながら温もりは同時に睡魔を連れてやってきた。
まるで石化でも喰らったかのように、ぴきぴきと足先から眠りに包まれてゆく感覚に、名残惜しさを感じつつもブリーノは重い瞼を閉じる。
そして、ちょうど腰まで睡魔が這い上がってきて、くらくらと思考がぼやけ始めた頃合、もう少しだけ、ロキドへと近づいた。
頭のてっぺんまで眠気が回り切ってしまう前、布を挟んでふわんと頬を押す胸の毛の感触に自然と口元は綻び、とくとくとくとく、妙に早く刻まれる何かの音がロキドの心音だと気づくのと同時。
ブリーノは、思考を手放し穏やかな眠りの波に身を委ねた。

翌朝。
少し寝不足気味のロキドを目の当たりにして、申し訳ないような、苦々しいような、照れくさいような、少しだけ心が踊るような。
快とも不快ともいえぬ複雑な気持ちを抱いたのは、ブリーノだけの秘密である。