ダークエルフの長語り


「適当にしていてくれ」
「ああ、邪魔をする」

ユニガンの外れの、長期逗留者向けの宿の一室。ブリーノが借り上げ住み着いているという部屋、中に入るなり適当にしていろと告げられた言葉に、戸惑って棒立ちにならないほどには、招かれる事に慣れてきた。
さほど広くはない部屋の中、二脚だけある椅子のうちの一つに腰掛けたロキドは、土産にと持ってきた酒の瓶をテーブルへと置く。
ブリーノは鎧を外して楽な格好になったあと、ベッドサイドの棚から木の杯を二つ、どんどんと乱雑にテーブルに置く。そしてロキドの持ち込んだ酒の封を切ると、どぷどぷと二つの杯に注ぎ、何の合図もなく持ち上げた杯を傾け口に含みごくりと飲み込んで、僅かに唇の端を吊り上げて満足そうに呟いた。

「いい酒だな、うまい」
「ああ、ミランダが勧めてくれたのだ」
「ふん、あの酒呑みか。……酒に関する舌だけは確かだな」

ブリーノの反応にほっとしたロキドも、注がれた酒を口に運ぶ。酒精は強めだが、すっきりとして飲みやすい。ついつい飲みすぎてしまいそうだ。

(ダメだ、今日は少し控えねば)

しかし今日は飲みすぎる訳にはいかない。ロキドにはある目的があったからだ。
一気に飲み干してしまいそうになるのを堪え、ロキドはかたんと杯を机に戻し、一緒に持ち込んだつまみを出してブリーノに勧める。干した魚を細かく割いたものは酒との相性もよく、ブリーノも気に入ったようでひょいひょいと摘む指は止まることがない。
ロキドもむしゃりむしゃりと塩気のあるそれを噛み締めながら、ちびり、舐めるように少しずつ酒を口に含んでゆく。


ブリーノと食事を共にするようになったきっかけは、他種族への偏見が薄い店を紹介してもらうようになったからだ。ミグランス王のおふれや、アルドたちと行動をともにするようになったおかげか、以前より街に入ってもやたらとからまれたり難癖をつけられる事は減ったけれど、しかしすぐに好意的に迎え入れてもらえた訳でもない。言葉にはせずとも恐怖と嫌悪の宿る視線を向けられることはままあって、特に飲食物を扱う店には、毛が落ちると困るからと立ち入りを断られることが多い。
そんなロキドの状況に何か思うところがあったのか、ある日ブリーノが少々強引に、ロキドをある店へと連れていってくれた。貴族街からは程遠い、ユニガンの中でも少し治安の悪い場所にあった店。見た目はぼろだったが中は綺麗で、店主はロキドを見ても嫌な顔をしなかった。料理もうまく手頃な値段で、食事中他の客に喧嘩を吹っかけられる事もない。

少し潜ればこんな店は多くあるのだと教えてくれたブリーノは、それからもいろんな店にロキドを連れていってくれた。詳しく語ってくれた訳では無いけれど、ブリーノもダークエルフという人とは違う種族故に不快な思いをすることもあったのだろう。これは彼が嫌な思いをしながらも見つけだしたものなのだと、様々な店に連れゆかれるうちに察したロキドは、そんなとっておきを教えてくれた礼がわりにちょくちょくとブリーノに食事を奢ると申し出るようになり、その延長線でいつの間にか定期的に共に酒を飲む仲になった。

最初のうちは、ブリーノの馴染みの店で飲むことが多かったけれど、いくら他種族への偏見が薄い店とはいえ、酒が入って気が大きくなった客に絡まれる事がないとはいえない。何度か喧嘩を売られたあと、面倒だな、と吐き捨てたブリーノに、もしやもう己と酒を飲むのは嫌だと言うことだろうかと恐々としたロキドだったけれど、すぐさまブリーノの定宿で飲もうと誘われて、安堵で大きく脱力したものだった。

ブリーノと酒を飲む仲になるまで、ロキドにとっての酒とはせいぜい気付けがわりの薬のようなもので、けして美味いものではなく積極的に飲みたいものではなかった。
しかしそんな先入観は、初めて酒場でブリーノと二人で酒を飲んで以来、綺麗さっぱりと払拭されている。あまり辛い酒は得意ではないものの、エールの類はどんどんと食が進むし、蒸留酒はふわりと香る匂いが心地よい。ほこほこと体温が上がるのも気持ちがよいし、何より心なしか滑らかになった口で、ブリーノと、心許せる友と語らう一時は、何にも変えがたい至福の時間だった。楽しくて楽しくて、ついつい飲みすぎてしまう事も少なくない。


だがしかし。
先にも述べた通り、今日のロキドには飲みすぎる訳にはいかない理由があった。
あからさまに飲まなければ、体調が悪いのかと早めに酒宴を切り上げられてしまうから、飲まない訳にはいかない。だからブリーノに気遣われぬぎりぎりを狙って、いつもよりはゆっくりとしたペースでロキドは酒を胃に収めてゆく。

「そういえば」

そして、ロキドの持ち込んだ瓶が空になり、ブリーノが取り出してきた酒が半分ほど空いたところで、それは始まった。

「俺の生まれ育った村には、昔からこのような話が伝わっている。親から子へ、祖から末へと語り継がれきたものだ。昔々、まだ精霊達が世界を謳歌していた頃、ある国の貧しい村に育った耳の短い青年と、エルフとして生まれた女がいた。ちなみにこのある国とは、東方にあったという説と西方にあったという説があってだな、語り手にの主観によって変わる事がある。俺はどちらかと言えば、西方の方がこの話の舞台として相応しいと思っている。だから西方の風習と併せた話の方をしてゆくつもりだ。まず前提として、この時代の西方には……」

いよいよ始まったぞ、と内心で思いながら、ロキドはうんうんと頷いてブリーノの話に耳を傾ける。

エルフの長語り、という言葉があるらしいと知ったのは、アルドの仲間にヴェイナが加わってから。人とは随分と違うらしいエルフの時間感覚に従って、下手すれば数日かけて雑談をするヴェイナに皆驚愕しつつ、一方、人の中で育ったルイナや、ダークエルフであるラディカやブリーノにはそんな素振りがなかったから、それはエルフの中で育ったエルフ特有のものであると思われていた。
しかしそれは、正しくはないと知ったのは、ブリーノとの何度目かの席でのこと。ほどよく酒が入って気が緩んだか、ヴェイナほどではなくても滔々と語りだしたブリーノに、戸惑いと共にこっそりとダークエルフの長語りだと胸の内で呟いたのはよく覚えている。

具体的にどれほどのものかは分からないものの、人間よりも随分と長い時間を生きるらしいダークエルフもまた、エルフ同様独自の時間感覚を持っているらしい。今までそれが表に出ていなかったのは、単純にブリーノやラディカが、箱入りエルフのヴェイナとは違って、人との付き合い方を知り、こちらち合わせてくれていたからのようだ。
その違う種族である人への気遣いが、酒を飲むうちに剥がれてゆくと、ダークエルフの感覚が顔を出すらしい。突如始まった、いつ終わるとも知れぬ長語りに戸惑いはしたものの、その分だけブリーノが己に気を許してくれた気がして、それを聞くのはけして嫌ではなかった。

だが、嫌ではないどころかむしろ好んでいるのだけれど、いかんせん長い。長語りの名に相応しく、とんでもなく長い。

「ヴァシュディア戦姫というエルフに伝わる叙事詩があるんだが、ダークエルフの中にもそれを好む者は多い。その中でも第5432巻の一節、シルフの眷属と心を通わせる青年の話は、この耳の短い青年とエルフの女の話を元にしているのではないかとの見方もある。その場合、西方を舞台にしているという説が怪しくなるが、だがしかし……」

様々なたとえと引用を駆使しつつ、しかし本題は忘れることなく続いてゆくブリーノの語り口は、いっそ吟遊詩人の唄のように耳に心地よく、そしていつまでも終わらない。
流れゆく言葉が重なるほどブリーノが心を開いてくれている証に思えて嬉しく、ずっと聞いていたいのに、残念ながらいつもロキドは最後までそれを聞き遂げられたためしがなかった。
そもそもロキドは、酒が入ってしばらくすると眠くなる質である。全身に酒精が回るとだんだんと体が重くなってゆき、とろとろと微睡んでしまいそうになる。
加えて、ブリーノの声だ。酒が入ったせいか、いつもより少し柔らかな声は耳から入って優しく体を包み込み、一定の調子で紡がれる言葉達は子守唄のように睡魔を体の奥から引きずり出してくる。ちゃんと聞こうと思っても、どんどんと思考がぼやけ始めて、うまく言葉の意味が掴めなくなってくる。ブリーノが何か喋っていることは理解できるのに、それが次第に遠くなってゆき、気がつけば眠りに落ちてしまう。

だから、今日こそは、と密かに目論んでいた。極力酒の量を抑えて、最後までブリーノの話を聞こうと思っていた。
しかし。

「ただ、ヴァシュディア戦姫は7777巻で綴り手が変わったのではないかという説もある。その場合、4695巻と8645巻を結びつける根拠が薄くなってしまうんだ。耳の短い青年が手にしたという首飾り、それがエルフの女に手渡された地が、東方だとされる説があるのはその齟齬のせいだ。実際、耳の短い青年が身につけていたという……」

話が、長い。どうしようもなく、長い。
いつもならとうに眠っている時分を超えても、まだまだブリーノの話が終わる気配がない。控えた酒の分で遠ざけていた眠気は既に忍び寄ってきていて、ぱしぱしと瞬きを繰り返し、ぎゅっと太ももに爪を立てて眠気を追い払おうとしたけれど、流れゆく言の葉にぼんやりと目の奥が霞み始めた。

ああ、口惜しい。
もう少し、もうほんの少しで、ブリーノの話を聞き遂げられたかもしれないのに。
ぽやぽやと千切れて欠片しか認識できなくなった言葉たちを、つなぎ止めようとしてもちっとも原型が分からず、ようやくロキドは諦めることにした。

(次こそは……眠気覚まし、頼んで、ポム、薬……)

揺らぐ意識の中、次回への雪辱を誓いながら、やわやわと暖かく思考を包む声に全てを委ね、ロキドは心地よい微睡みの中へと倒れ込んだ。



うつらうつら、舟を漕いでいたロキドが、ばたんとテーブルに伏したのに、ブリーノは気づいていた。気づきながら、語る口は止めぬまま。そして、すよすよと穏やかな寝息をたてるロキドの背中が、規則正しく上下を繰り返し、完全に寝入ったと確認してから。
ふっと小さな笑い声を洩らしてから、あれほど長々と語っていたのが嘘のように、雑に話を切り上げてまとめに入る。

「……そして、長き試練の果てに、めでたしめでたしで終わったこの話の耳の短い青年のように、或いはエルフの女のように。……俺は、お前のことを慕わしく想っている」

ロキドが必死でブリーノの話を最後まで聞こうとしていたのには気づいていた。気づいていたから、わざと話を延ばしてやった。けして最後まで聞かせてやるつもりなんてなかったから。
ダークエルフの話もエルフのように長いのは本当で、けれどそれをある程度調整出来るくらいには、ブリーノは人の世に慣れている。
最初、うっかりとロキドに長々と話してしまった時は、本当に気が緩んでやらかしてしまったのだけれど、戸惑いつつもどこか嬉しそうに耳を傾けるロキドを見るうち、思いついてしまったのだ。

エルフの長語り、ダークエルフの長語り、と言われる中でも、最も長い時間をかけて紡がれるのは、愛の言葉だ。情熱的な者になれば、おおよそひと月ほどかけて愛を告げる事もあるし、そうでなくとも大体皆、少なくとも十日はかけて愛を告げるのが普通である。
だからブリーノは、長語りに乗じてそれを、愛の語りにすり替えてやることにした。語れば語るほど、紡げば紡ぐほど、重ねた言葉の分だけ愛情の形になると信じられている、エルフとダークエルフの習慣に則って。

目的を達するまでは、それを告げるつもりはない。
けれどロキドには分からぬやり方で、抱えた想いの一端を聞かせてやるのは、ひどく楽しくて心が弾むことで、一度覚えてしまえばやめることが出来なかった。そこに含む意味を知らぬまま、必死で眠気に抗い聞き届けようとしているロキドを見ていると、想いが受け入れられている錯覚を覚えて、甘く心が疼く。
悪く思われていない事は知っている。その情の種類は別として、それなりに心を向けられているのも理解している。叶わぬ、と切り捨ててしまうには希望が多分に含まれていて、いつかが望めるような間柄。
そんな相手と、二人で酒を酌み交わす夜。
ただの仲間に向けるよりも柔らかな眼差しで、ブリーノの言葉を受け止めるロキドを見るうち、一層想いが膨れてゆく。

いつか、目的を遂げる事が出来たなら、その時は。
ダークエルフの中では無口な方だと評されていたブリーノだけれど、きっちりと十日はかけて愛の言葉を贈ってやろう。間にはちゃんと睡眠も挟んで、余すとこなく想いを重ねた言葉を紡いでやろう。
だから今はまだ、さわりだけ。

「……覚悟しておけ」

寝入るロキドに小さな声で囁いて笑ったブリーノは、その背に己のマントをかけてからもう一度、満足気な笑みを口の端に乗せた。