マツミさんが企画してくださった交換コラボ企画で書かせていただいた話です。とっても楽しい企画をありがとうございます!
マツミさんの素敵なロキブリはこちらから!(pictbland) →→→

答え合わせはもう少し先【交換コラボ企画】


「っと、すまない」

少し強めに引っ張られた毛、しかし痛みを感じるには程遠い柔らかな強さ。それでも律儀に謝罪を口にした男に、ロキドは小さく首を横に振って微笑み、もぞりと体を動かした。

アルドの仲間になってから、数えきれないくらい特別なものが増えた。
屈託なく笑いかけてくれる仲間たち、当たり前のように投げかけられる挨拶の声、特に用がある訳でもないのに始まる雑談の中にごくごく自然に用意されている己の場所。
ずっとずっと欲しくてたまらなくって、遠くから眺めて羨望と共に見つめていた全てが、手の届かぬものではなく日常としてロキドの毎日を取り巻いている。そのどれもが特別で大切で、嬉しくて愛おしくてたまらない。
そして今、ロキドの体に触れる指は、そんな特別の中でも一等特別なものだった。

ブリーノ、アルドの仲間、人間の中で生きるダークエルフ。
彼のことが特別の中でも一等特別なものになったのは、少し前のことだ。
アルドの仲間になって、特別が増えて、欲しかったものに囲まれて、これ以上を望むべくもなかったのに、けれど胸の中を占めたのは喜びだけではなかった。歓喜の共に生まれたのは、幾ばくかの寂しさ。
それは外から見ていた時、独りきりで過ごしていた時に常に心にあった、果てなく途方もない冷え冷えとした寂しさとは違う。
たとえば戦闘の直後、健闘を讃えあって差し出した拳の中、自分の手だけ人間のものではなかった時。道行く際、ガラスに映った己の姿だけが仲間の形とは違っていた時。喜びを表す時、歓声をあげる仲間たちにはない、無意識にぶんぶんと揺れる尻尾が目に入った時。
けして、自身を恥じている訳では無い。昔ならいざ知らず、父の想いを知った今となっては、魔獣の形を色濃く写した身を誇りこそすれ忌避はしていない。
それでも、ふとした瞬間に思ってしまうのだ。ああ、さみしい、と。
外側にあった孤独とは違う、内側にあって感じるさみしさ。仲間たちのことが特別で好ましいものになればなるほど、彼らと違うことがさみしくてたまらなくなる。彼らが好きで大事だからこそ、彼らと同じものがほしくなってしまう。自分も一緒だったら良かったのに、と瞬間的に思ってしまう。もしも自分が彼らと同じ姿だったら、想像して、そうだったならばもしかして、もっと早く彼らと仲間に、友になれたのではないか、なんて。手に入れた現在の幸福だけでなく、けして戻ることの出来ない過去の幸せにまで手を伸ばしてしまいそうになる。掴めないと分かっていて、意味の無い仮定だと分かっても、なお。

だからブリーノのことは出会った時からほんの少し特別で、そんな自身の思考を恥じもしていた。
古代に生きる呪いを受けたサイラスや、未来に生きる不思議な形をしたリィカやヘレナとも違う。今、この時代、この場所で。特に魔獣への忌避感が強く、そうでなくとも人間以外には警戒を見せる者の多いユニガンにおいて、人間に混じって生きるダークエルフの彼。そんな彼をどこかでは己の姿と重ね、自分と似た立場の彼の存在に励まされ勇気づけられ、しかしそんな風に区別をつける己が嫌になって戒めて、けれど再び彼を目にすればまたその姿に親しみを覚えて、その繰り返し。
だってアルドはロキドがどんな姿でもきっと同じようによろしくなと笑って手を差し出してくれただろうとよく分かっていて、他の仲間たちだってロキドの姿形を論って非難するような真似なんてしない。なのに勝手に違いを感じてさみしくなって、人とは違う彼に仄かな仲間意識を抱く自分こそが、誰よりも己や彼を差別しているのではないか、そんな悩みすら抱きかけていた。

そうして、ある日の夜。ミランダに捕まり、参加することになってしまった仲間内での酒宴。賑やかに盛り上がる皆を見ながら少し離れた場所、たまたま近くにいたブリーノに、胸の内をポツリとこぼしてしまった。飲み慣れない酒のせいで、きちんと頭が働いていなかったのかもしれない。
ロキドの話を聞いても、ブリーノは腹を立てる事はなかった。軽蔑の眼差しを向けることもなかった。時折相槌を打ちながら、最後までロキドの話に耳を傾けてくれた。
「私やお前と、アルドたちの種族が違うのは事実だろう」
それだけじゃない。全ての話を聞き終えた彼は、静かな口調でそう言ったあと、ふっと笑って独り言のように呟いたのだ。
「……それに、お互い様だ」
ちょうどそこで、大声で陽気に笑うミランダが近寄ってきて「アンタたちももっと飲みなよ!」と場の中心に引っ張りだされたために会話は打ち切られてしまったけれど、ロキドの中にはぐるぐるとブリーノの言葉が渦巻いていた。
お互い様、ということは、自分も同じである、という意味だった筈だ。ロキドの話を聞いてそんな言葉が出てくるということは、つまり、もしかしてブリーノも、時々寂しさを感じることがあるのだろうか。そんな時にロキドの事を見て、安心したり勇気づけられることがあるのだろうか。
もしもそうだとしたら、すごく、すごくすごく……嬉しい。
皆と違う事がさみしくって、違うと思ってしまう自身の思考にも嫌気がさしていた筈なのに、ブリーノの言葉を聞いた途端にあっさりと付随する感情がひっくり返る。大勢の中の少数の存在だからこそ、彼の心を僅かでも慰めることが出来たのだと思えば、それも悪くないように思えてくる。
ブリーノはダークエルフで、ロキドは人間と魔獣の子で、アルドは人間。そう、それは単なる事実だ。静かなブリーノの言葉を胸の中に響かせれば、その事について考える度に少しずつ膨れていった罪悪感が、一気に軽くなった気がした。

それから、以前にも増してブリーノを気にするようになった。
ユニガンの街で見かけた時、アルドに同行する際に顔を合わせた時。どこか乾いた土の匂いに似た彼の香りを鼻が捉えれば、まず一番にそちらを見てしまう。
そしてそれは、ロキドの一方通行ではないように思えた。ブリーノもまた、ほんの少しだけ周りよりもロキドの事を気にしているように見える。
もしかしてロキドの願望が大いに混じっているのかもしれない。あまり顔色の変わらない男の、心情を何もかも察してしまえるほど、他人の機微を悟る事に慣れてもいない。
それでも街で会えば一言二言と会話をしてくれたり、アルドとの旅の最中、戦闘のあとの休憩の時は、気づけば自然に近くにいる事が増えたように思う。
それに、これだって。

食事がてらの休憩中、腰を下ろしたロキドの背中に、長い指が優しく触れる。絡まった毛をほぐす指の動きはひどく慎重で丁寧で、けしてロキドに痛みを与えぬようにと注意を払っているのがよく分かる。普段は素っ気なさの下に隠された彼の優しさが指先に全て込められているように思えて、その指で触れられる時間がロキドは好きだった。
一番初めは、きっかけ宴会のあと、さしても経たないうちだったと思う。
アルドたちと共に街に帰る途中、後ろを歩いていたブリーノに指摘されたのだ。背中の毛に枝が絡まっているぞ、と。
割合よくあることだ。ロキドの体を覆う毛はつるりとした仲間たちの肌に比べていろいろなものを巻き込みやすく、特に自分では見えない背にはしょっちゅう何かしらがくっついているようだが、邪魔にならない限りはさして気にもしてはいなかった。
だからその時も、ああ、と頷いただけで、放っておくつもりだった。そのうち自然と取れるだろうと思った。今までだって、そうだったのだから。
けれどブリーノは、何を思ったかロキドの背に手を伸ばしてきた。急な行動に驚いてびくりと震えると、じっとしていろ、囁いて指先がさわさわと背中の毛に触れる。どうやら枝を取ってくれようとしているらしい。それは分かった。
だがしかし、その意図は分かってもなお、ロキドの心はちっとも落ち着いてはくれなかった。絡まった枝を取る、それ以上の意味はない筈なのに、まるで優しく毛を梳かれているような指先の動きが気持ちがよくって、どきどきと心臓が煩くなってゆく。毛の中に潜り込んだ指先が、その奥、皮膚につんと触れるだけで、自分とは違う体温を感じてぴょんと肩が跳ねてしまいそうになる。むずむずと喉の奥が痒くなって、無性に大声て叫びたくなってしまう。そわそわと落ち着かなくって、走り出してしまいたくなる。ぐっと奥歯を噛みしめて湧き上がる衝動を堪えていれば、じわじわと地肌に汗が滲んでゆく。
それほど長い時間ではなかったと思う。とれたぞ、との声とともに離れていった指に、ようやく力を抜いてほっと安堵の息を吐いたロキドは、同時にひどく寂しくて物足りない気持ちになっている事にも気がついた。
もっと複雑に絡んでいればよかったのに。そうすればもっと長く触れていてもらえたのに。物足りなさの奥から顔を覗かせたものにぎょっとして、慌てて覆い隠して見ないふりで礼を言ったのに、騒ぐ鼓動は一向に落ち着かなくって、全身がどくんどくんと脈打っているようだった。
その日、宿で眠ってしまうまで、ずっと。ブリーノに触れられた部分は、まるでそこだけ別のものになったように、熱く火照ったままだった。

偶然の親切、たまたまの気まぐれ。一度で終われば、どれほど心を乱してもいずれ落ち着いたかもしれない。彼が特別であることは変わらないけれど、今ほどのものではなかったかもしれない。
けれどそれは一度限りのことではなかった。なぜなら、そう。ロキドの背に何かがくっつくのは、割合、よくあることなのだ。
その度に、ブリーノは目敏く気づいて取り除いてくれる。枝や葉っぱだけではない。地を抉る己の技を発動させれば、毛の表面に舞い上がる土埃が付着する。それをぽんぽんと手で払ってくれた事だって、一度や二度ではなかった。
基本的に積極的に周りと関わろうとしない男が、自分相手にはそんな風に親切に振舞ってくれるのだ。周りより少し自分のことを特別に扱ってくれている、とロキドが思ってしまっても仕方があるまい。
勿論、その指がブリーノのものではないことだってある。アルドの仲間たちには、親切で世話焼きな者が多い。
彼らに触れられるのだって、好きだ。小さな手に触れられれば心がほわりと温かくなるし、手早く取り去ることを目的とした少々乱暴な手つきは、性格が表れているようで面白くなってしまう。
けれど制御が不能なほどに心臓の鼓動が跳ね上がってしまうのも、思い出すだけで触れられた部分が熱くなるのも、全身をくすぐられたようにむずがゆい気持ちになるのにずっと触っていてほしくなるのも、ブリーノただ一人だけだった。
だから、自分の心の動きの意味がよく分かりはしなくても、彼は自分にとって一等特別な存在だということはよく分かっていた。


やがて、もぞもぞと毛の中を蠢いていた指の動きが緩やかになり、終わりが近づいてきたことを悟ったロキドは、吐き出しかけたため息をごくりと飲み込んだ。終わらなければいいのにと思ってしまうけれど、あまり煩わせて面倒だと思われたくはない。
ただでさえロキドには、ほんの少しの後ろめたさがあった。
けしてわざとではない。わざとではないけれど、ブリーノと共にいる時に限って、たとえば森を駆け抜ける時、戦闘の最中の拳をふるう時、以前より少しだけ、己の身に気を遣わなくなった。
けして意図している訳ではない、つもりだけれど、どこかには彼に触れてもらう理由がほしいとの気持ちが潜んでいることは否定できない。

「いつもすまない」
「気にするな。私が気になるだけだ」

そうしてついには離れていってしまった指への名残惜しさを滲ませぬよう注意を払いながら、謝罪の言葉を口にする。以前に抱いていたものとは種類の違う、新たな罪悪感をちくちくと刺激されてしゅんと肩を落とせば、顔色も変えず淡々と告げられて少しだけほっとした。表面の素っ気なさの割に優しい男だとは思っているものの、おべっかを使う男ではないとも分かっている。彼がそう言うのなら、そうなのだろう。
と。離れた筈のブリーノの指が、再び背に触れる気配があって、たちまちロキドは身を強張らせた。咄嗟のことで、己の反応を隠す事も出来ない。

「……毛並みが乱れている」

ブリーノの言葉に、そうか、頷いて体の力を抜くふりをしたけれど、ばくばくと騒ぐ心臓はいつも以上に騒がしい。
撫でつけるように毛を梳く指の感触が、そこだけ切り取ったようにくっきりと浮かび上がって、まるで心を優しく撫でられているような心持ちになる。気持ちがよくって、恥ずかしくっていたたまれなくって、もっと触っていてほしくってたまらない。
ああ、そうだ。
ブリーノに触れられるのが、一等好きだ。本当は、理由なんてなくても、触ってほしい。毛に絡んだ異物を取り去るためでなく、ロキドに触ることを目的として触ってほしいのだ。
いつだって触れられるたび、動揺して高揚してぐちゃぐちゃにかき乱されていた心の中、真ん中にあった気持ちがほんの少しだけ輪郭を浮かびあがらせる。抱いていた自覚が、ちょっとだけ歩を進める。
もっと、鮮明になったその先には、何が待っているのだろうか。自分の気持ちなのに、分かるようで分からない心に訳もなく焦燥を感じつつ、それにつけるべき名前を早く見つけてしまいたいような、見つけてしまいたくないような、複雑に入り混じる気持ち。
それの処理の仕方を知らず持て余して困惑する一方、振り回される自分をどこかで楽しくも感じている。
誰かに聞いてしまえば、早いかもしれない。ロキドよりずっと他人との関係に慣れていて物知りな仲間たちの誰かに尋ねれば、不可解の気持ちの正体はあっという間に知れることだろう。けれど早急に答えを出してしまうのは、勿体ない気もしてしまう。特別な彼にだけに感じている特別な気持ちは、誰にも見せず独り占めにしていたかった。
だから差し当たっては、現状のロキドに出来ることは、背を撫でる指の感触を感じて心に焼き付けることだけ。さらり、さらり、ゆっくりと毛を梳く指の感触は、遠い昔、母が撫でてくれた手つきと少し似ている気がした。
どきどきと騒ぐ心と、つんと熱くなった鼻の奥、うっとりと浸って全てを投げ出して委ねてしまいたいような気持ち。
相反する二つの気持ちを抱いてロキドは、静かに目を閉じる。
ぱたり、ぱたり、空気を揺らす尻尾の音だけが、二人の間には存在していた。




(変なの)

今しがた目撃したばかりの光景の意味が分からなくって、レレはこてんと首を傾げた。
何もついていないロキドの背に手を伸ばすブリーノ、その手に握られた枝。しばらくさわさわとロキドの背を撫でたあとに、ロキドに向けて握った枝を見せるブリーノ。
一体何だったんだろう、いたく興味を惹かれたレレだったけれど、少し離れた場所にいる二人の元に駆けて行って、その意味を問うような真似はしなかった。距離があるせいで表情まではよく分からなかったけれど、二人の間にある空気がどこかきらきらほわほわと温かく輝いているように見えたからだ。

(よく分からないけど、ロキドくんもブリーノくんも、とっても嬉しそうなの)

だってレレは知っている。二人を取り巻く空気はレレのじぃじが女の人と一緒にいる時に纏っている空気にちょっとだけ似ていて、そういうものに質問を投げかけるのは「野暮」っていうのだとじぃじが言っていたから。そうだ、馬に蹴られるとも言っていた。よく分からないけど、馬に蹴られるのは嫌だ。
再びゆるゆるとロキドの背を撫で始めたブリーノの姿を遠目に見たレレは、にっこりと笑う。
理由は分からなくっても、二人が嬉しそうにしているのを見ていたら、レレまですっかり嬉しくなってしまった。
ふんふんと歌う鼻歌、音に乗せて拡散する魔力が、そよそよと穏やかな風を生み出し、あちこちにぽんぽんと花を咲かせ、青い空には虹を生み出した。
小さな魔女の喜びに合わせて、世界が歓喜を歌う。
それはまるで、世界の片隅、ひっそりと想いを向けあう二人を祝福しているかのようだった。