※レオセバ前提のレオ→ノノかつノノクレノノ要素もうっすらあり。レオくんの頭が割とおかしいです。

嫌いな男


(げえぇえっ!)

エルジオンの酒場のカウンター席、早めの夕食をとっている最中。カランと鳴った鈴の音に何気なく入口に目をやったノノルドは、心の中で悲鳴を上げて舌打ちをする。
とても業腹で認めたくないことではあるけれど、ノノルドにはとても苦手で極力顔を合わせたくない相手がいた。負けを認めた訳でも恐れている訳では無い、そんな事あっていいはずがない。しかしプライドと天秤にかけても、会いたくない方に気持ちが傾いてしまう相手。
そんな相手が気に入りの酒場に現れた時点でまず気に入らない。若返る前から贔屓にしていたこの店のマスターは、若返った後も詳細を尋ねてくることなく今までと同じようにノノルドを客として迎え入れる賢明さを持ち合わせている。それに注文の品が出てくるまでの時間が早いし、味だって悪くない。食事なんて栄養が摂れれば十分だと思っているけれど、そんなノノルドをして定期的に足を運ばせるくらいの事はあると認めてやってもいいと思っている店なのだ。さっさと出ていってほしい。

しかし男はそのまま店の入口で回れ右をして帰るなんて事は当然せず、ざっと店の中を見回してノノルドの姿を見つけると、にこりと笑って迷いなく真っ直ぐにこちらへと近づいてくる。
だから嫌いなのだ。ノノルドは舌打ちを追加して唇をへの字に曲げる。あの男ほど偶然という言葉が似合わない人間もいない。たまたまを装っても、予め全てが計算された行動だと嫌という程知っている。
だから今のこれも、そう。どうやって知ったかは分からないが、この時間ここでノノルドが食事をとっていることを知った上でやってきたのだ。逐一誰かしらに行動を補足されぬようセキュリティには気をつけているつもりなのに、しれっと掻い潜ってここを突き止められた事が心底ムカつく。屈辱だ。帰ったらすぐにセキュリティシステムのグレードをアップさせようと心に決める。

「やあノノルド。ここ、いいかな?」
「よくない! どっか行け!」
「あはは、相変わらずつれないなあ」

ノノルドの近くまで来た男、レオングランツェはしおらしく許可を願い出るような言葉を口にする。即座に蹴ってやったが、大して気にした風もなくカウンター、ノノルドの隣に腰を下ろした。
すぐに席を立って帰ってやっても良かった。いつもならそうしたことだろう。
けれど忌々しいことに、ノノルドはこの男に借りがあった。借りがあると、自覚してしまっていた。不老不死の研究の過程で若返ってしまった際に、別の研究者たちの研究材料として扱われることなく済んだのは、この男の根回しがあったからだと知ってしまっている。
己の才能へ人一倍の自負はあれど、有象無象との煩わしい交渉事については遺憾ながら通じてはいない。天才である自分に非才たちの動きなんぞ羽虫ほどの影響も与えないものだと、全く意に介してなんていなかったけれど、さすがに若返りについては少々まずいと思った。いくら凡愚共といえど群ればそれなりの脅威にはなる。今までは研究の内容でうるさい口を封じてねじ伏せて来たけれど、己の身に生じた奇跡が彼らを暴走させる可能性があることくらいは、十分に予想が出来た。
けれどノノルドが凡愚共の手を逃れ身を隠す事無く、今も堂々と外を歩き種々の研究を続けていられるのは、全く腹立たしくて認めたくない事だけれど、この男が動いたからだと知っている。どういう方法を使ったのかは不明だが、ノノルドが研究対象となることなく今まで通り過ごせるよう、気づいた時にはもうお膳立てが済んでいた。頼んでもいないのに!
この男の力なんて借りずとも、逃げおおせることは出来た。しかしその場合、今よりも幾分不自由を強いられる事になっていただろう。この店にも頻繁に来ることは出来なくなっていたかもしれない。
けして認めたくはないが、事実だ。少なくともレオングランツェは、ノノルドが持っていない家柄というバックグラウンドを持っていて、凡人共には時として崇高な研究結果よりそんなくだらない肩書きが役に立つのだと知っている。

だからとても不本意ではあるけれど、しばらくの間レオングランツェに付き合ってやることにした。この男に借りがある状況は面白くない。これでチャラだ。男に告げることなく、胸の内でそう決める。

「本当に幼くなってるんだね。……うん、幻影の類でもない」
「当然だろぉ? とっくに知ってたくせに白々しいぞ

「そりゃあね、情報としては知ってたよ。だけどいざ実物を見るとやっぱり感動してしまうね。さすがだよノノルド」
「……フン」

カウンター内のマスターにピンク・レディを注文したあと、隣からまじまじとノノルドを見つめたレオングランツェは、にこりと笑って感嘆の言葉を口にする。こういう所も苦手だ。鼻を鳴らしてノノルドはそっぽを向く。
KMS社に所属していた頃から、レオングランツェはやけにノノルドに構いたがった。わざわざ自らノノルドの研究室に足を運び、手ずから結果を受け取って惜しみない賞賛の言葉を注ぐ。
最初は、悪い気はしなかった。クロノス博士への憧れを語ったのと同じ口で、ノノルドの才を褒められるのは満更でもなく、しかも彼の褒め言葉はふんわりとした抽象的なものに留まらない。きちんとノノルドの研究内容を理解した上で、ここが素晴らしいと具体的な例を挙げて誉めそやす。時に同じ研究者ですら理解が追いつかない事もよくあったから、何を出しても一定の理解と知識を示すレオングランツェのことは、ただのKMS社の役員のくせに案外やるじゃないかと思っていた。更に付け加えるならば同じくKMS社の研究者としてあったクレルヴォの元には訪れていないと知れば、クレルヴォより自分の方がすごいのだと認められた気になって、見る目のある男じゃないかとそれなりに気を許した時期もあった。

まあそれも、ほんの一時の事ではあったけれど。付き合いが長くなればなるほど、男の異常さが透けて見えてきて、気味の悪さを感じるようになったから。賞賛を口にする男の、ギラつき熱の篭った目付きに嬉しさよりもまずうすら寒い気持ちの悪さを覚えるようになったから。研究者なんてみんなどこかおかしくって、ノノルド自身己の飛び抜けた才能は時に非才の奴らの目には異質に写るものだとも分かっていたけれど、レオングランツェの持つ異常さは、そういうものとはまた別のところにあった。

「ところでその体、見たところ十二、三がいいところだけど、もう精通はしてる?」
「……は?」
「おや、分かりにくかったかな? もう射精は出来る体なのかい?」

ほら、現に今だって。
まるで今日の朝食の献立を語るような気軽さで、とんでもないことを言い出した。あまりに理解の範疇外すぎて、屈辱ではあるがノノルドの叡智をしてもすぐには何を言われているか理解できない。
そしてもう一度、まるで噛んで含めるように別の言葉で同じ内容を問われたノノルドは、かあっと頬を赤くした。

「せっ、せっ、セクハラだぞぉ……っ!」

突如投げかけられた問いは、あまりにも下世話でデリカシーに欠けている。まさかいきなりそんな辱めを受けるなんて思ってもみなかった。屈辱と羞恥で身を染めて怒りに震えていれば、ごめんごめん、とちっとも悪びれない様子でレオングランツェが上っ面の謝罪を口にする。
反射的に白々しい、と思ったノノルドの感覚は、けして間違いではなかった。

「それで、どうなんだい?」
「なんでそんなこと、キミに教えなくちゃならないんだ……!」

舌の根も乾かぬうちに再び同じ問いを口にした男を、ノノルドはぎろりと睨みつける。絶対に教えてなんてやるもんか。強い決意を胸に抱く。
しかしまたムカつく事に、その反応でレオングランツェは察したらしい。その様子だとまだみたいだね、と口にした男は珍しくへにょりと眉を下げて、困ったなあ、と呟いた。
見立てが間違っていない事について納得がいかない気持ちはあったけれど、それよりも困ったという内容の方が気になる。絶対ろくな事ではないと思ったものの、つい気になってどういうことだと聞き返さずにはいられなかった。

「だって君、KMS社に精子提供してなかっただろう?」
「それがどうした」
「いずれ将来的には、君の種を貰ってセバスちゃんとの子供を作る予定だったからさ。精通してもらわなきゃ困るんだ。その体は成長するのかな? だったらいいんだけどね」
「…………は?」

そしてまたしてもレオングランツェは、理解不能の事をさも当然だろうとでも言わんばかりに口にする。屈辱すら最早感じない。ノノルドの頭脳で、理解する必要のないもの。そんな情報をさらりと開示されたノノルドは、ぽかんと口を開けてぴしりと固まった。
セバスちゃんについては、ノノルドもよく知っている。若返る前から交流があって、今も連絡を取り合っている。知り合うきっかけはレオングランツェであった事は遺憾ではあるものの、彼女の才能については認めてやってもいいと思っている。
彼女がレオングランツェの婚約者であるということも知っている。彼女がそれを嫌がる気持ちもよくよく理解出来て、珍しくノノルドが同情の念すら寄せていた。彼女がレオングランツェの婚約者に収まる少し前から、やつがノノルドに向けていたやけに熱っぽい視線が落ち着いて、その分が彼女に向かうようになった事もあって、多少の恩を感じていなくもない。だからセバスちゃんがどうしても嫌になったら、レオングランツェから逃げる手助けぐらいはしてやってもいいと思う程度には、それなりに気にかけている存在だ。

その彼女と、自身の婚約者である筈の少女と、ノノルドの間に子供を作る予定だったとかほざかなかったかこの男は。全く理解出来ない未来予定図を脳が咀嚼する事を拒否していれば、胡散臭く爽やかな笑みを浮かべながらレオングランツェが、何を勘違いしたか違う違う誤解だよ、とぱたぱたと顔の前で手を振る。

「嫌だなあ、いくら僕だってセバスちゃんと寝てくれだなんて言わないさ。種さえ貰えればあとはこちらでうまくやるよ。……ああ! 勿論、君たちの間に合意があるなら寝るのも僕としては大歓迎だけど、その時は僕も混ぜてほしいな」
「……い、意味が、分からない……」
「セックス自体には興味がないけれど、君とセバスちゃんのセックスならきっと興奮出来る気がするんだ」
「……キミの、歪んだ性癖のことなんて、ちっとも、これっぽっちも! 聞きたくない……!」

そして続いた説明は、誤解どころか更に理解へのハードルが跳ね上がっていた。
若返る前から、ノノルドの性的な欲求は薄い。そんな事に時間を費やすくらいなら、資料の一つでも読んだ方が余程有意義だと思っていた。人体の構造上、定期的に抜かねばならない事は分かっていても煩わしくて仕方がなく、それから解放された今の体は便利で、そういう面では研究に向いているので割と気に入ってもいる。
そんなノノルドにとって、レオングランツェの言い分はまるで異なる言語を話しているかのようだった。単語一つ一つの意味は辛うじて分かっても、繋げるとまるで意味が分からない。分かりたくもない。

「歪んでるなんてひどいな。セバスちゃんの事は特別に愛しているけれど、君のことだってとても気に入っているからね。そうだな、セバスちゃんの次に愛してるよ。それくらい好きな二人がセックスをしてるのを見れば興奮するのも道理だろう?」
「そ、んな道理があってたまるもんか!」

まるで常識を語るように、幼子に言い聞かせるように話すレオングランツェの姿は、もしかして傍から見ればひどく良識のある男に見えるのかもしれない。けれど話の内容はどう考えても狂っている。あまりにも堂々と語るため、一瞬だけもしや自分が疎いだけで世間では普通のことなのかと思いかけたけれど、すぐさま否定する。絶対におかしいのはレオングランツェの方だ。
まさかノノルドとセバスちゃんを引き合わせたのも、そのおぞましい計画の一部だったのではないだろうか。ふとそんな疑惑を抱いてしまえば、何もかもが怪しく見えて仕方がない。

「君とセバスちゃんの子供ならどちらに似ても頭のいい子に育つだろうし、セバスちゃんだって案外嫌がらないんじゃないかな? 僕に似た子が産まれるより余程喜びそうだ」

しかし、絶対に騙されないぞと肩を怒らせていたノノルドだったけれど、次の言葉には確かにと少し納得してしまった。レオングランツェとはまた違う方向性で、セバスちゃんの思考もそれなりにぶっ飛んでいる。レオングランツェとの間に子供を作るくらいなら、ノノルドの方がマシだと判断する可能性は十分にある上に、場合によっては面白い結果になりそうだと積極的になりそうな気さえする。その辺の倫理観の怪しさは、正直言ってセバスちゃんとレオングランツェは似たりよったりなところもあって、取り繕う事をしない分むしろセバスちゃんの方がひどい時もある。
ノノルド自身、レオングランツェの提案を一概に悪いものだとは切って捨てられない部分もある。もちろん、頭のおかしい性癖については論外だが、種を選んで掛け合わせることは人以外でならごくごく普通に行われていることで、ならば人がやってはいけない道理もない。それでよりよいものが出来るならば、悪い話でもないだろう。

けれどノノルドは、やはりレオングランツェの言葉に同意することなく首を横に振る。
だってクレルヴォはきっと、そういうものを好まないだろうから。好まないと、つい先日の花に纏わる出来事で予想がついたから。
もしもレオングランツェの提案に乗れば、呆れとは違う、失望を乗せた視線をノノルドに向けるかもしれない。そんなの許せない。
クレルヴォはライバルで、いずれ完膚なきまでに叩きのめしてさすがノノルド参ったとひれ伏させてやるのだ。この前は少し失敗してしまったけれど、二度と失望なんてする暇を与えてやる予定はない、この先もずっと。

ノノルドのきっぱりとした拒絶を見たレオングランツェは、すっと表情を消すと、無表情のままぽつりと呟いた。

「君のそういう所、たまに変に常識に囚われてしまうところはやっぱり彼のせいなのかな。……残念だなあ、彼に傾倒していなければ、君のことをもっと好きになってただろうに。きっとセバスちゃんと同じくらいに」

傾倒なんてしていない、と否定するより先に、ノノルドの脳裏に浮かんだのは圧倒的な感謝の気持ちだった。なんだって、ありがとうクレルヴォ!
普段ならクレルヴォに素直に感謝の意を示すなんて冗談じゃないと抵抗しただろうけれど、レオングランツェの言葉が不穏すぎてそれどころじゃなかった。傾倒なんてしていない、していないがクレルヴォの存在がレオングランツェの興味をノノルドから薄れさせてくれているらしい。ありがとうクレルヴォ、今ならコーヒーの一杯くらいは奢ってやってもいい。

あからさまにほっと安堵を浮かべたのは、もしかして良くなかったかもしれない。無表情ながらどこかつまらなそうにノノルドを眺めたレオングランツェは、直後にぱっといやらしい笑みを浮かべると、そうだ、と空々しく口にしてにんまりと唇の端をつり上げる。

「君が無理なら、彼に貰うのも悪くないね。彼の研究分野には興味がないけれど、彼もまた君が認める程の天才だ。それなら」

分かっている。わざとノノルドを煽ろうとしている。乗ってやる必要はない。あからさますぎて馬鹿馬鹿しいくらいだ。分かっている。
けれど、分かりすぎるほど分かっていても、黙って大人しく聞き過ごすことなんて出来なかった。

「アレは、ボクのものだ」

レオングランツェの言葉を遮るように、ばん、とカウンターを強めに叩いて、そのムカつく顔をぎろりと睨みつけてやる。横取りなんてさせない。クレルヴォは、ノノルドのライバルだ。ノノルドのものなのだ。この変態に、欠片だって掠め取られてなるものか。

「ふふ、妬けてしまうな」

言葉とは裏腹ににこにこと楽しげに笑うレオングランツェの表情を見て、大きな舌打ちを響かせる。本人は否定するだろうが、この男は人を怒らせて喜ぶようなところがある。その小賢しい頭でなら、嘘はつかないままいくらでもうまく立ち回れるだろうに、こちらの逆鱗にあえて触れてくるような言動はわざとだとしか思えない。乗せられて感情を揺らしてしまったのが悔しい。
苦虫を噛み潰したような顔を浮かべ、唇を噛んで俯き黙り込めば、レオングランツェは身を乗り出しノノルドの顔を覗き込んで強引に視線を合わせると、柔和な笑みを浮かべてみせた。

「君に嫌われたくないからね。彼には手を出さないと誓うよ」
「もうとっくに嫌いだ」
「ははは、ひどいなあ」

とても恩着せがましい言い草に、ぶすりとした声でノノルドは吐き捨てる。クレルヴォはノノルドのものだと主張したのはこれが初めてではなく、その度に似たような事を誓ってきたくせに、何を今更。それを指摘すれば、この男はしれっとした顔で期限は指定していなかったからねだとか何とか言い出して、ならばとずっとを約束させようとするとのらりくらりと躱して逆に言葉遊びでこちらに仕掛けてこようとする。本当に嫌いだ。
しかし嫌いだと告げてもまるで堪えた風もなく、ますます楽しげに笑う男は、ピンク色のカクテルをぐっと飲み干すと、さてそろそろ退散するよ、とマスターを呼んで精算を始めた。

「……結局、何しに来たんだキミは」
「小さくなった君の体の状態について確認しにね。さすがにそこまでは探らせてもらえなかったから。相変わらず君のガードは硬いね」

引きとめるつもりは毛頭ないが、気に入りの店での夕食の時間を邪魔されて台無しにされたノノルドとしては聞かずにはいられなかった。聞かなければ良かったとすぐに後悔したけれど。
帰ってきた答えで頭のおかしい未来予定図を思い出してうんざりし、悪びれなくノノルドのデータを漁ろうとした事を暴露するレオングランツェの言葉に表情が険しくなる。
口振りからして、いくつか表層は突破されたとみて間違いない。己の行動も含めてガードを強固にしなければと思う一方、情報を流さなければまたこうして接触されるのかもしれないと思えば、適度に探らせてやった方が面倒がない気もする。果たしてどちらが良いか逡巡しているうち、当の本人はさっと席を立った。

「気が変わったらいつでも言ってくれ。まだまだ時間はたっぷりあるしね。いい返事が聞けるのを待っているよ」
「そんな日なんて来るもんか! 絶対だ!」
「ははは、じゃあねノノルド。愛してるよ、セバスちゃんの次にね」

まだ諦めていないことを宣言して、ウインクを一つ。流れるような慣れた動作が小憎たらしい。まるで嬉しくない愛を告げて、去ってゆくレオングランツェが店の入口をくぐって見えなくなるまで、ノノルドは油断なくその背を睨みつけていた。
来た時と同じ、カラン、響いた鈴の音と共にゆっくりと扉が閉まるのを見届けたあと、はああと大きく息を吐き出して苛立たしげにぐしゃぐしゃと頭を掻きむしる。
どこまでも腹の立つ男だ。今すぐ直前までの記憶を捨て去ってしまいたいのに、不快な言動はインパクトが強すぎて未だぐるぐると脳裏を占拠したまま。優秀な己の頭脳が、今だけは恨めしい。レオングランツェの発言と共に声色と顔つきまできっちりと覚えていて、忘れようとしても頭の中でリアルに再生を始めるものだからぞっと鳥肌が立って仕方ない。

かくなる上は、と据わった目をしたノノルドは、背に腹はかえられぬとばかりに、取り出した端末でどこかへと連絡をとり始める。

「クレルヴォ? 今からすぐ出てこい、エルジオンの酒場だ! コーヒーを奢ってやる! はぁ? 無理? 無理ってなんだよ! このボクが! コーヒーを奢ってやるって言ってるんだぞぉ! おいこら、クレルヴォ! 聞いてるのかぁ?!」

そうして端末越し、気乗りのしない返事ばかりを寄越す相手にきゃんきゃんと噛み付いているうち、いつしか鳥肌は収まっていて。ついには相手が諦めて渋々といった様子を隠しもしない大きなため息と共に、酒場まで出向く事を約束させた頃には、不機嫌に歪んでいた筈の唇は知らず微笑みの形を描いていた。