不思議な二人


ええ、ええ、本当に助かりました。ありがとうございます。お礼を差し上げたいのですけど、生憎、今ろくに手持ちがありませんの。えっ、気にしないでいい? まあ、でも、そんな訳には……。ええっ、村まで護衛して頂けるって、そんな、魔物から助けて頂いた上に、そこまでご迷惑をおかけする訳にはいきません! ……ええ、そうね、私だけじゃなくって、この子もいるものね……。すみません、旅人さんたち。厚かましいお願いですが、村まで一緒に同行して頂けるでしょうか。はい、はい、本当にありがとうございます。

ほら、アルド。あなたも旅人さんたちにちゃんとお礼を言いなさいね。えっ? はい、そうです、この子の名前はアルドって言うんです。いいえ、アルファルド王子から頂いたのではなくって、ミグランスの英雄から頂いたんですよ。ふふふ、私の夫も私も、ミグランスの英雄が大好きなんです。

実はね、私の夫、村に帰ってくる前はミグランスの騎士団にいたんですよ。それでね、ほら、十三、四年前だったかしら? ミグランス城に魔獣王が攻めてきたことがあったでしょう? あの時、私の夫はミグランス城に詰めていて、城になだれ込んできた魔獣たちにやられそうになってしまったんですって。
その時、夫を助けて下さったのがミグランスの英雄らしいの。突き出された魔獣の槍をたちまち剣で斬り飛ばして、あっという間にばっさばっさと魔獣たちを斬り伏せてゆく、その姿たるやまるで剣神のごとき……って、あらごめんなさい。私の夫が何度も何度も英雄のお話を子供に聞かせてて、だんだんと語り口が英雄伝を語る吟遊詩人じみてっていて、それで私もついついつられてしまって……そう、それで、危ういところで夫は命を救われたらしいの。けれどね、ミグランスの英雄の素敵なところはね、強さだけじゃないんですよ。死にかけて震えていた夫に、こう言ってくださったんです。「生きていてくれて、ありがとう」って。そして仲間の方に託して夫を安全な場所まで避難させる時に、こうも約束してくださったんですって。「絶対、みんなの想いは無駄にしないからな」って。
ええ、酷い戦いだったみたいで、夫の同僚の方も沢山亡くなってしまって、ミグランスの英雄が全てを助けられた訳じゃないようなの。そこは物語みたいにいかないものね。けれど夫は言っていたわ。「あの時の英雄の、泣くのを堪えて無理やりに笑った顔を見て俺は、命だけじゃなく心まで救われた気がしたんだ」って。
夫も、随分と心を痛めていたみたいで。もっと自分に力があれば、全員とまではいかなくっても、一人や二人くらいは助けられたんじゃないかって。村に戻って来てからも時々、魘されて夢の中で謝っていたわ。
だけどね、ミグランスの英雄の言葉と顔を思い出す度、魔獣王を討ち取るほどの力を持った方が、夫だけじゃなく死んでいった騎士たちにも心を向けて下さって、あんな風に辛そうな顔をして、そんな騎士たちの想いを全て背負って魔獣王を倒してくれたんだって思うと、少しだけ救われる気がするんだって。あいつらの死は無駄じゃなかったんだ、あいつらが英雄を魔獣王の元まで連れてゆくための道を切り開いたんじゃないかって、そんな風に思えるんだって。
まあ、あなたたちもそう思います? ふふ、旅人さんたちみたいにお強い方に頷いて貰えたら心強いわ。ええ、私は直接見た訳じゃないけど、私もそうだと信じてるわ。

そう、だからこの子もミグランスの英雄のように強くて優しい人に育って欲しくって、アルドって名前を頂いたんです。ふふ、やんちゃばっかりで、とても英雄のようにはなれそうもないですけど。
えっ? ミグランスの英雄も小さい頃はやんちゃばかりだった? ええっ? 大きくなってからも? あらあら、知らなかったわ。どこかに駆け出さずにいい子で大人しくついてきてる時点で、英雄よりずっと賢いって、あらあらもう、それは言い過ぎじゃないかしら。ふふ、でも、ありがとうございます。
えっ、夫が村に帰ってきた時期? そうね、四年前だったかしら。ほら、四年前に先代の王様から今代の女王様に代替わりしたでしょう? それをきっかけに、騎士を辞める事にしたみたい。女王様も素晴らしいお人だけれど、やっぱり自分がお仕えするのは先代の王様だけでありたいからって。それに実はうちの人、あまり戦いが得意ではないの。気の優しい人でね、戦どころか村の男衆が喧嘩してるだけで、真っ青になっちゃうような気の弱いところがあるから、やっぱり少し無理はしていたんじゃないかしら。
そんな人がどうして騎士に? ふふ、それはね、先代のミグランス王に憧れてたんですよ、あの人。
私たちが小さかった頃一度だけ、ユニガンに連れてって貰ったことがあるんです。その時にね、あの人、迷子になって。村の大人たちも、ユニガンに慣れてないでしょう? あんな広い街で、どこをどうやって探せばいいかすら分からなくって、みんなが途方に暮れてた頃にひょっこりあの人が帰ってきて。興奮した様子で言うの。「お忍び中の王様が助けてくれた」んだって。
まさかそんな物語みたいなことある訳ないだろうって、大人たちは誰も信じなかったし、子供たちだって嘘だって決めつけたけど、でもね、私は信じたんです。だって小さい頃から、私、ずっとあの人の事が好きだったから。あの人が嘘をつく人じゃないって信じてたから。
嘘つき扱いされたあの人は、私にだけこっそり王様のことを教えてくれたわ。入り組んだ路地に入って怖くて泣きそうになってたら、いきなり体の大きな人に声をかけられて、恐ろしくって固まってるあの人を、王様は肩車してくれたんですって。そのまま一緒に街をめぐってみんなの姿を探しながら、途中の屋台で串焼きの肉も買ってもらって、あそこにある建物はなんだって説明までしてくださって、すごく楽しかったって。
どうして王様だって分かったかって? それはですね、こっそり王様に近寄ってきて、村のみんなの居場所を告げた人の言葉遣いがとっても丁寧で、それを受ける王様の言葉遣いが貴族みたいだったからだって。あの人、戦いは苦手だけど頭はよくって、観察は得意なんです。だから思ったんですって。きっとこの人は、お忍び中の王様なんだって。
ええ、それだけじゃ、根拠には欠けますよね。でもあの人はそのことをずっと覚えてて、成人したらミグランスの騎士になるんだって言ってました。あの人も、その人が王様だって完全に信じた訳じゃなかったみたいですけど、きっと国の偉い人には違いないって思ってて、騎士になればもしかしていつかその人に会ってお礼を言うことが出来るかもしれないからって。あの人、そういうところ、とっても律儀で一途だから。ふふ、純粋なんです。
それで宣言通り騎士になるって村を出て、ひと月後くらいだったかしら。私宛に、手紙が届いたの。その中で彼はね、王様があの人だったって、大興奮だったわ。ええ、びっくりでしょう? 本当に、お忍び中の王様だったらしいの。手紙の文章はめちゃくちゃだったわ。王様だ、すごい、本当だ、そればっかり。でも最後には、あの方が王だと分かった以上、誠心誠意お仕えするんだって、一端の騎士みたいな事言っちゃって。その言葉通り、十数年近く村に戻ってきやしないで。おかげですっかり嫁き遅れちゃったんですよ、私。

ええ、今はすっかり村で落ち着いてます。この子も生まれたし、戦いは得意じゃないけど騎士団で覚えた戦いを村の若い人たちに教えたりして、なんとかやってるわ。でもあの人、酔うと先代の王様とミグランスの英雄のことばっかり話すから、若い人たちがすっかり外に興味を持っちゃって、ほとんど村に残ってくれないのが困ると言えば困るかしら。ふふ、まあ、仕方ないわよね。ミグランスの英雄はあの人のただ一人の英雄で、先代の王様はあの人のただ一人の王様だから。あの人の話を一番聞いてる私も、すっかりお二人のことが大好きになってしまったわ。会ったこともないのに、おかしな話でしょう? でも分かるの、あの人があんなに目を輝かせて語る人達だもの。ご本人たちは、もっとずっと素敵な方に違いないわ。

ああ、村が見えてきました。ええ、あそこです。大したおもてなしは出来ませんけど、是非寄っていらして。
えっ? はい、そうです、私の夫の名前はケインですけれど……ええっ、そんな、頂けません、こんな! 結婚祝いと出産祝い? ええと、もしかして夫のお知り合い? まあ、なら余計おもてなししなくっちゃ。
えっ、用がある? そんな……いえ、お引き留めする訳にもいきませんね……お忙しい中、わざわざ村まで送っていただいてすみません。えっ? 急用は今思い出した? 気にしないで欲しい? ふふ、そちらのお若い方は嘘が下手なのですね。ええ、分かりました。きっと何か事情がおありなんですね。何のお礼も出来ず心苦しいですが、このご恩は絶対に忘れません。はい、夫への言付けも必ず。本当にありがとうございました。



遠くなってゆく旅人たちの背中が小さな粒になって道の向こうに消えてゆくまで、女はずっと二人を見送っていた。
不思議な二人だった。一人は夫より少し若いくらい、もう一人は彼よりも二十ほど上に見えた。親子でもおかしくない年の差がありそうな二人なのに、不思議と親子には見えなかった。けれどただの旅の道連れというにはひどく親しげで、女の話を聞きながら笑う二人がお互いにかける言葉には遠慮がなかった。よくよくお互いのことを分かっている、そんな空気があった。

「お父さんとお母さんみたい」

ふと、呟いたのは息子のアルド。え? と聞き返すと、幼い息子は得意げに胸をはる。

「おじさんたち、仲良ししてる時の、お父さんとお母さんみたい」

息子の言葉に、まあ、女は目を瞠って口に手をあてる。息子を寝かしつけたあと、夫と二人で酒を飲みながらとりとめもないことを話して夫婦の時間を持つことはあるし、そのあとにそういうことをする事もある。
まさか息子に全部筒抜けだったのだろうか、それを考えるとひどく恥ずかしいような気もしたが、一方で納得もする。
年の離れた奇妙な二人の組み合わせ、友達というにも親しすぎるような空気や距離感は、恋人や夫婦だと言えばしっくりと来る気がする。二人の性は同じだったけれど、違和感はなかった。そして一度そう思ってしまえば、それ以外の関係性が思いつかない。

そういえば。彼らの姿が見えなくなってようやく、女は二人の名を尋ねそびれていたことを思い出す。どうして聞かなかったんだろう、不思議に思って振り返ってみれば、どことなく人目を避けるような、それこそお忍びの旅の途中の空気があった気がする。そしてこちらが何かを尋ねる前に、主に年嵩の男の方にあれやこれやと水を向けられて話を引き出されていた気もする。その場では何もおかしいとは思わなかったのに、終わって思い出してみるとなんだか上手くしてやられたような気分で、けれどちっとも嫌な気持ちにはならない。
不思議だわ、首を傾げた女は、息子の手を引いて家路を歩く。夫への言付けを何度も胸の中で繰り返しながら。

そうして帰った家、出迎えてくれた夫に託された数枚の金貨とその言葉、「息災でな」と年嵩の男が口にしたそれを伝えれば、夫の顔色が変わった。尋常でない顔色の夫に請われるがままに二人の話をすれば、夫の顔色が赤に青にくるくると変化して、年嵩の男が夫の名前を、ケインと口にした事を話せば、ついに夫は感極まったように天を仰いでおいおいと泣き出した。驚いた息子が心配して夫に駆け寄ると、ぼろぼろ涙を零しながら息子を抱えあげた夫が、しみじみと呟いた。

「あの方たちだ。俺の王と、俺の英雄だ。アルド、お前の名前はあの方から頂いたんだぞ」

夫の言葉に、女はまあ、と目を丸くする。
まさか夫が何度も口にしていた二人がまさか、あの二人だなんて。けれどそう言われてみれば、夫の語り口のままの二人だったようにも思えてくる。いいや、夫の話以上に素敵な二人だった。
先代の王と、ミグランスの英雄の旅。それも多分、おしのびの。何を目的としているかは分からないけれど、きっと女を助けてくれたように困った人を助けて回っている気がする。
だから女は、夫に一つだけ秘密を作った。王と英雄の間にあった、柔らかな空気。息子がお父さんとお母さんみたいだと言った、どこか甘やかで親しげなものは、そっと心に秘めて誰にも言わぬようにしよう、そう心に決める。
女にとっては何の違和感もなかった二人の姿に、王と英雄の名をつけて広めてしまうことで、口さがないもの達の邪推に晒されるのが嫌だったから。夫のことは信じてはいるけれど、信じているからこそ酔うと上機嫌で英雄と王の話をしてしまうことも知っている。
だから、内緒にしておこう。きっとそれが、彼らの親切に何も返せなかった今の女に出来る、唯一の恩返しだと思って。