眠りの後で、仕切り直し


サルーパの宿屋の主人から、ハナブクを何体か無傷のまま生け捕りにしてほしいと依頼を受けたアルドたちは、チャロル平原のあちこちにせっせと捕獲用の罠を仕掛けて回ったあと、獲物が罠にかかるまでの間、昼飯がてら休憩をとることになった。
釣り場の近くに魔物よけの香を焚きしめ、各々がのんびりと過ごす中、昼食を食べ終えたマイティが大きな欠伸をしたことに気づいたアルドは笑って声をかける。

「まだ捕まるまでしばらく時間がかかるだろうし、眠いなら寝てていいぞ」
「うん、そうさせてもらうねー……」

アルドの声にこくこくと頷いたマイティが、そのまま地べたに横になろうとしたから、慌ててアルドはその手を引いて傍にあった木の近くまで連れてゆく。木の根元は街道に近いところよりも草が茂っていて、柔らかな寝具と同じとまではいかなくても土にそのまま転がるよりはマシだろうと思ったからだ。
既にマイティはうつらうつら船を漕ぎ始めていて、アルドの誘導にすんなりと従って木の根元にごろんと寝転がると、少しも経たないうちにすうすうと寝息を立て始めた。
その姿をまじまじ眺めたアルドは、しばらく考え込んでから、静かにマイティの顔の近くに腰を下ろした。そしてそっと頭の下に手を差し入れて持ち上げて、伸ばした太ももの上に慎重に頭を乗せる。
起こさないよう細心の注意を払ったつもりだったけれど、さすがに頭を動かされれば気づいてしまうものらしい。
太ももに重さが乗ると同時に、仰向けになったマイティの目がぱちりと開いた。

「ごめん、起こしちゃったか」
「ううん、まだ寝てなかったから。ねえ、アルド、これ」

小声で謝れば微かに首を横に振る気配があり、続いてどこか戸惑うようにふ、と息を吐いてから、マイティがちらりと視線で現状を問うてくる。
それを受けたアルドは軽く眉尻を下げて微笑んでから、ぽんぽんと頭を撫でながら答えを口にした。

「枕にしちゃ硬いだろうけどさ。地面よりはマシだと思うから」

マイティに立ったままでも眠れる特技があるのは知っていたけれど、彼の時間を割いてまでこちらの用事に付き合ってもらってるのだから、せめて少しでも眠りやすい環境を用意出来ればと思ったのだ。
アルドは枕がある方がよく眠れるから、マイティの頭の下に何も無いのが気になってしまった。そしてすぐに用意できる枕の代わりになるものを探した結果、見つけたのが自身の足だった。
もしかしてマイティは枕がない方が寝やすかっただったろうかと今更ながらに気づいて、慌てて余計なお世話だったかと尋ねれば、そんなことないよ、ありがとう、と小さく呟いたマイティが薄く微笑んで目を閉じる。
ならよかった、ほっと息を吐いて頭に置いた手を離そうとすれば、目を瞑ったままのマイティに「それ、やめないでほしいな」と言われたので、眠りの邪魔をしない程度にさらりさらり、そうっと手を動かして撫でてやる。時々指に引っかる髪はすぐにするんと滑り落ちてゆき、癖のない真っ直ぐな髪の手触りが心地よかった。
次第に楽しくなってきて、わざとくるくると指に巻き付けてはするりと解いて、指に伝わる滑らかな感触を楽しんで遊んでいればまた、マイティの目がぱちりと開かれて、かちりと視線が絡み合う。
ごめん、すぐに謝れば、何が? と不思議そうな声で聞き返された。どうやらマイティの髪の毛で遊んでいた事を咎められる訳ではないらしい。
なんでもないよ、とはぐらかしてバレないようにこっそりと巻き付けた髪を解いていれば、ちょっと眉を寄せたマイティが、ねえ、とどこか硬い声と共に口を開く。

「……アルドって、誰にでもこういうことするの?」
「こういうこと? ああ、膝枕のことか。そうだな、昔はフィーネや村のちびたちにやってたなあ。最近はあんまりしてないけど」
「ふうん」

マイティの言葉に記憶を辿って答えを返したアルドは、ふわりと目を細めた。
フィーネがまだ小さかった頃はよく、「お兄ちゃんお膝貸して」とあちらからねだってきていた。アルドだってまだ小さかったから、フィーネの足を乗せてしばらくすればじんじんと痺れてきてしまって、フィーネを起こさないようにそっと足を引き抜いて代わりの枕を押し込めば、起きた時に随分とむくれられたものだ。
けれど成長するにつれて恥ずかしくなったか、アルドから持ちかけても「もう子供じゃないもん」と断られるようになってしまった。村の子供たちの遊び相手になったあとは、アルドの足の好きな場所にそれそれ頭を乗っけて昼寝するのが習慣になっていたけれど、そちらもアルドが村を出てからは絶えている。
もしかしてそれが、少し寂しかったのかもしれない。昔のフィーネやちびたちに比べたら随分と大きなマイティ相手に、躊躇うことなく自身の足を差し出したのは、そんな昔を懐かしむ気持ちがどこかに混じっていたのかもしれない。
無意識に潜んでいたものを自覚すれば、途端に自分がちっとも妹離れできていないように思えて、なんだか気恥ずかしくなってくる。下からアルドを見上げるマイティの瞳にじいっと見据えられるのも、そんな内側まで見透かされているような気がして落ち着かない。マイティがよく眠れればと始めた事のつもりだったのに、逆に子供じみた郷愁に付き合わせてしまっているようで、後ろめたさがじわりと胸に滲む。

だから誤魔化すようにぐしゃぐしゃとマイティの頭を撫でて、さりげなく視線を外そうとした。
けれど完全に瞳を逸らしてしまう前。
ねえ、マイティの口から飛び出た声に引き留められる。

「ねえ、あのさ。小さい子が相手ならいいけど、他のみんなに、こういうの。……僕以外にこういうこと、あんまりしないでほしいんだ」
「うん? あ、やっぱり寝心地悪かったか? 代わりの枕になりそうなもの探してこようか?」
「ううん、違うよ、そうじゃなくて」

いつもの柔らかなものと違って、幾分低くて硬質な声で紡がれた言葉に、どこか不機嫌にも聞こえたそれに、ひやりと心臓が冷たくなる。染みのようにぽつりと落ちた後ろめたさが、ぐわりと一気に膨れ上がってきゅうきゅうと胸を締め付けた。
もしかしてやっぱり、嫌だったのだろうか。らしくもなく弱気がちらりと冷えた胸を過ぎり、ちくり、微かに痛みを訴えたような気がして、ぐ、と胃の腑が重くなる。
正体の分からない焦燥感に駆られて、取り繕うように並べ立てた言葉は、どこかふわふわと上擦っていて、ううん、その一言であっさりと一蹴されてしまうくらいには、薄っぺらくて軽い。
だったら、と更に焦って捻り出した理由を追加して、二人の間をアルドの声が埋めてしまう前に。
ゆっくりと口を開いたマイティが、瞬きもせずアルドを視線で貫いた。

「僕が、アルドの事好きだから」

頭上からさやさやと響く木々の葉擦れの音がその瞬間だけ、世界から消えてしまったように。頬を撫でる風を裂いて、くっきりと浮き上がった言葉が真っ直ぐに、アルドの耳へと飛び込んでくる。
オレも好きだよ。
仲間に好きだって言われたら、悩むことなく自分もだと答えるのがいつものことなのに、なぜだかこの時に限っては、その言葉がすんなりと出てきてはくれなかった。まるで喉の奥に何か詰まっているみたいに、うまく喋ることができない。
それでもと無理矢理に口を開けば、すかすかの息が喉を震わせないまま唇の隙間を通り抜けてゆくばかり。ひゅうひゅうと空気に晒され乾いた口内を潤すように、口を閉じてごくりと唾を飲みこめば、結んだ唇が、水気の乏しくなった舌が、ひりついた喉奥が。ぺたりぺたりと貼り付きあって、ますます音を紡ぎにくくなる。
はくりはくり、何の音も出せないまま何度も、口を開いては閉じてを繰り返すうち、やがて口を開くのにも躊躇うようになった頃合に。太ももに頭を乗せたまま瞬きもせずにじぃっとアルドを見つめていたマイティの手が、おもむろにアルドの方へと伸びてきた。きゅっと唇の端を引き結んだアルドは、避けることもせずに近づいてくる指の先を、視線で追った。
その指先が、とん、とアルドの頬に触れたと同時に。

好きなんだ、アルドのこと。
念を押すようにマイティが、重ねて囁いた。
硬さは幾分残したまま、大事なものを語るようような柔らかな声色で。

「アルドの事が好きだから、他の人にこういうことしてたら、モヤモヤする。嫉妬、しちゃう」

頬に触れた指は、するり、輪郭をなぞるように、ゆるりと頬をなぞって顎先に移動した。とつり、指が肌に触れた瞬間は、冷えた指先の温度に僅かに身体が強ばったのに、それが辿った軌跡はまるで火で炙ったように熱く火照っている。
何も、言えなかった。まるで魔法にでもかけられたように、口も手も足も固まってしまって、軽く頷くことも首を振ることもできない。
よく仲間からは鈍い方だと言われるし、自分でも多少自覚はある。そういった事はあまり察する事ができない方だ。
けれど、マイティの好きが、オレもだよとあっさり返せる類のもの、仲間として好きだって意味じゃない事は分かった。
分かってしまった。

なぜならば。
真っ直ぐに向けられた瞳に宿る光が、あまりにも強かったから。
顎先に触れた指は優しげなのに、貫く視線はまるで敵と相対した時のように鋭くて、けれどそこに冷徹な色はなく、いじらしいくらいひたむきに、ゆらゆらと燃えているようだったから。

何か、言わなきゃいけない。
頭では思うのに、やっぱり身体はちっとも言うことを聞いてくれなかった。
どうしよう、どうしようか。
硬直したまま内側で、ぐるぐるとあれやこれや考えていれば、ふ、と。ぱたり、アルドに向けて伸びていた腕が力を失って下へと落ちて、焦げ付く視線は数度の瞬きで中断される。
そうして、まるでいつものように、目を瞑って大きな欠伸をしたマイティが。

「ふわぁ……だめだ、ねむいや……起きたらもっかい、ちゃんと告白するねー……」
「えっ、おい、マイティ……マイティ? ……うわ、もう寝てる」

ふわあぁ、気の抜けた声が響きた途端にふわりと緩んだ空気に、身体の強張りが少しだけ解けたアルドは、小声でマイティに呼びかけるも、返事はない。代わりに聞こえてきたのは、すうすうと規則正しく繰り返される寝息。何度か名前を呼んでも、上下する胸のリズムに乱れはなくて、照れ隠しの寝たフリじゃなく本当に寝入ってしまったらしい。
その事実を確認したアルドはようやく、はああ、と大きなため息をついて、一気に脱力する。けれど身体のあちこちに入っていた力が抜けるのと反比例するかのように、身体の内側がざわざわと騒ぎ出した。

一つ息を吐き出すたび、勢いよく脈打ち始めた心臓がどんどんと体温を上げてゆき、一つ息を吸うたび、ようやくまともに働き始めた頭が新しく混乱を始める。触れられた頬から顎にかけてのラインは一際じんじんと熱く疼いていて、マイティの頭に乗せたのと逆の手で軌跡をなぞってみれば、ぞくり、首の後ろが痺れてますます胸の鼓動が速まっていく。
落ち着こうと何度も深呼吸をしてみても、うまくいかない。額にはじわりと汗が滲み、頬は触れなくても分かるくらいかっかと火照っていた。

(起きたら、もう一回……お、覚えてるのかな……)

眠りに落ちる寸前、マイティが呟いた言葉がぐるぐると頭の中を反響して、アルドを見据えた強い瞳の光がそれに色と熱をつけていく。
どくどくと全身を巡る血潮に乗って、マイティの言葉が指先まで染み渡っていくような気がして、うわあ、恥ずかしさについ、間の抜けた声を漏らして、慌てて片手で口を塞ぐ。
どうしよう、もう一回、改めて好きだって言われたら。
なんて言えばいいんだろう。
どんな顔をすればいいんだろう。
どうすればこの胸の動悸は静まってくれるんだろう。
思考はあちこちに飛んでは戻り、合間にはさっきのマイティの声が響いて、どうしよう、どうしよう、処理しきれない感情が渦巻いてゆく。
考えれば考えるほど、混迷は深まるばかり。
何を考えればいいのかすら分からなくなってゆく。

けれど。
あれもこれも、色々な事を考えて悩んで動揺したくせに。
どう断ろうかとは、ついには一度も考えなかったことに。
いつの間にか胸の奥、根付いていた己の感情に、アルドが気づいたのは。
ハナブクが罠にかかったとの仲間たちの声がして、マイティが目覚める直前のことだった。