絡め取られる


どうして、と尋ねた言葉に、咎める意図はなかった。
ただ単純に、不思議だったのだ。
アルドの幼馴染という立場のためか、初対面のアルドの仲間たちからも気さくに声をかけられはするけれど、その全員と親しく付き合っている訳でもない。何度か共に戦ううち、交わす言葉が増えてゆき、アルドの、という枕詞をつけずとも仲間だと自然と思うようになった者は何人かいても、全員にそれが適用される訳ではなく、彼は依然としてダルニスの中ではアルドの仲間のままの男だった。

しかし特に親しく付き合った覚えのない男から、視線を向けられている事に気がついたのは、少し前のこと。
例えば次元戦艦で鉢合わせた時、ユニガンへと赴いた時に偶然顔を合わせた時、村に立ち寄ったアルドに彼も同行していた時。アルドの幼馴染、アルドの仲間、それに向けるにしては些か熱心すぎる度合いで、その青の瞳がダルニスをじっと見据えている。
敵意は感じない。どちらかといえば、好意的なものに見えた。
故に、不思議だった。
全くの知らぬ仲ではなかったけれど、そう熱心に見つめられるような何かをした覚えもない。
だからたまたま、村人達の遣いで訪れたユニガン、立ち寄った酒場にて。中に入ってすぐに目を惹かれた赤い髪に、声をかけるべきか躊躇っていれば、あちらから手招きで呼ばれて並んで座ったカウンター。頼んだ酒で唇を湿らせ、これもうまいよと彼に勧められるままにつまみを口に運び、ほどよく酔いが回ってきたところで、せっかくの機会だからと尋ねてみることにしたのだ。

「僕は美しいものが好きだからね。美しいものがあれば、自然と目で追ってしまうのは当然のことだろう?」

ダルニスの問いに軽く眉を上げてみせた彼、ネロはすぐににこりと笑って、照れもせずにそんな事を口にする。
美しい、と真正面から告げられたダルニスは、少々面食らいはしたものの、いまいち腑に落ちない。
容姿を褒められた事がないとは言わないし、周りから向けられた言葉によって、自分の外見がある程度整ってはいるらしいとの認識はあった。
けれどそれはあくまである程度の範疇。アルドの仲間たちには、美しいの一言が遜色なく似合う者たちが幾人もいて、ならばネロの視線は彼らに向けられるべきなのに、彼らといてもネロの眼差しは優先してダルニスに向けられていたように思う。
それに美しいといえばネロだって、ダルニスより余程当てはまる容姿をしているように見える。そんな男から美しいとの賛辞を送られても、納得がいかずそうかと素直に受け止めにくい。

そんなダルニスの内心の疑問を見抜いたのか、ネロはくすりと笑ってて、酒場の灯りの中、ゆるりと目を細めた。

「姿かたちの話じゃないさ。心の在り方のことだよ」

こころ、ネロの言葉を口の中で繰り返したダルニスは、むっと眉を寄せてこくり、酒を口に含んで飲み下す。
外見を過剰に褒められるのも腑には落ちなかったが、心の在り方と言われればますます納得がゆかなかった。
ダルニスが自認する己の内面は、美しさとはかけ離れている。凡庸で、特に面白い所もなく、どこにでもいる、特別ではない普通の男だ。
もしも内面の美しさを称えるならば、アルドの方がよほど相応しい。
それはけして覆ることのない、ダルニスの中の絶対的な幼馴染への評価だった。

「光があるところに、影出来るのは自然の摂理だよ。光が強ければ強いほど、影も濃く見えるようになる」

そんな事を考えていれば、まるでダルニスの考えを見透かしたように肩を揺らして楽しげに笑ったネロが、カウンターに頬杖をついて、身体ごとダルニスへと向き合うと、意味ありげな言葉を紡ぎ出す。

「アルドの放つ輝きは美しい。それは事実だ。いっそ愚直な程に真っ直ぐな性根も、心の底から誰かを信じられる心も、けして屈しない精神も、見ていて惚れ惚れするよ。彼はとても美しい」

アルドの事を語るネロの言葉に、嘘の匂いはしない。
顔だけをそちらに向けてみれば、うっとりと細められた青い瞳にかち合った。まるで愛しいものを見つめるように甘く、カウンターに置かれた橙の光を写した青は、ぎらりと燃えるように揺らめいている。
幼馴染に向けられた色に少しばかりの危うさと警戒を抱きつつも、内容自体にはダルニスも同意して頷く。幼馴染の姿を幼い頃からずっと隣で見続けているからこそ、そんな事は誰よりもよく知っているつもりだった。

「けれど美しさは比較するようなものじゃない。美しいものは、ただ美しい、それだけだ。……僕はね、ダルニス。君もまた、美しいと思うよ。彼を眩そうに見つめて、時にその瞳に苦ささえ滲ませているのに、それでも影に染まることなく彼の傍にあり続けた君の在り方は、とても美しいものだ」

それなのにネロが、アルドを語ったのと同じ瞳で、同じ声色で、ダルニスの事を語ったから。
警戒を抱く間もなく、反論する事も顔を背けてしまうことも出来ず、咄嗟に何の反応も出来ないうちに、その瞳の甘やかな光にぴたりと縫い止められてしまう。

「自分の出来ないことを容易く成し遂げてみせる者を、羨んで妬んで悪意を向けるのは簡単なことだ。悪いのは自分じゃない、あいつが卑怯なだけ、たまたま運が良かっただけ。そんな風に情けない台詞を連ねて相手を貶めて、自分の矜恃を無理矢理に保とうとするやつらなんていくらでもいる」

聞いてはいけない。耳を傾けてはいけない。
頭の中ではカンカンと高い金属の音が鳴り続けている。村で緊急事態が起きた時に、鳴らされる鐘の音だ。
これ以上ネロの言葉を聞いてしまえば、絡め取られてしまう。漠然とした予感があった。
分かっているのに、するすると染みゆくネロの声を追い出す事が出来なくて、固まったままの視線を外してしまえない。向けられた青に、吸い込まれてしまいそうだ。

「だけど君は違う。アルドを眩しそうに見つめながら、苦さを覚えて時には嫉妬を抱きながら、彼を貶める事もなく、彼から離れてしまうこともなく、彼の良き友として、その背を守る者として、共に有り続けた。燻って拗ねて縮こまることなく、彼の隣で自らを磨き続けた」

どうして、と尋ねた言葉に、咎める意図すら含めなかった。呆然と吐き出したされたそれは、或いは何かを問う意味すら孕んではいなかった。
だってそれらは、ダルニスが心の奥底に鍵をかけて慎重に隠し続けてきたものに他ならなかったから。
大事な大事な幼馴染。長い付き合い故の情だけではなく、人としてもとても好ましく思っていて、その背中を守り続けてゆこうと誓った心に嘘偽りはない。?
けれどその裏側で、幼馴染に一度も嫉妬をした事がないと言えば嘘になる。ダルニスに出来ないことをあっさりと、何でもないことのように体現して笑う彼が眩しくて誇らしくて、同じくらい、憎らしくもあって。
なぜ自分はアルドのように出来ないのだろうと苦悩して、苦悩する間にもアルドは真っ直ぐに前を向いて光の中を駆けてゆく。その背中はいっそ、残酷な程に輝いて瞼の裏に焼き付いて離れない。

仄暗く煮える心、一時の気の迷いでその背を掴み引き倒そうとした事は、何度だってあった。どろつく思いに従って、眩しく輝くアルドを黒く染めてやろうと内から響く誘惑に負けそうになったことは、数え切れないくらいある。
だけど、それでもダルニスは、幼馴染の事が好きだったから。家族とも友とも弟とも思っていて、特別で、唯一で、何でもない事のように誰にでもひょいと助けの手を差し出して、事も無げに笑うアルドのことが大事で、失いたくなくて、陰らせたくなくて、好きで仕方がなくて、愛していると言っても差し支えがないほどの気持ちを抱いていたから。
胸に抱えたその一端でも、誰にも漏らしたことはなかった。アルド本人には勿論、メイにもノマルにも、家族にも村人にも、二度と会うことの無い旅人にだって。どれほどアルドが大事だとしても、けして消すことの出来なかったどろどろと濁った心の存在について、一言だって口にしたことはなかった。
もしもアルドの耳に入ってしまえば、そう思えば僅かに欠片を匂わす素振りだって出来なかった。アルドをけして傷つけたくなくて、自分も傷つきたくなかったから。それを認めて口にした瞬間、醜い心が膨れ上がり自制出来なくなるのが恐ろしかったから。

だから、誰も知っている筈がないのに。
ネロの言葉は、そんなダルニスの秘密をあっさりと見透かしてしまう。予測ではなく断定で、それがある事を確信してしまっている。
どうして。それは、誰にも話したことの無いものなのに。
思わず漏れ出た一言のあと、続いた疑問は口にはせず胸の内だけで呟いたもの。けれどネロはまるでそれが聞こえているかのように、ますます目を細めて笑んでみせる。瞳に浮かんだ甘さが一層濃くなった気配があって、ぞっと背に悪寒が走った。

「君の瞳を見ていれば分かるさ。アルドを見つめる時たまに、ほんの一瞬だけ走る苦み、傷ついたような光。君はそれを自覚していた筈だ。それを浮かべたあとは、少し長く目を瞑る癖があるからね。そうして再び目を開けた時には、翳りは綺麗に消え去り彼への信頼と愛しさだけを瞳に湛えている。……僕はね、その瞬間の君の瞳が、一等美しくて好きだよ」

指摘されて、否定できなかった。誰にも告げたことはなく、必死で隠してきたけれど、それでも時々表に出そうになることはあった。
その時、自分がどんな目をしているかは知らない。けれど光の中で朗らかに笑い、自らも光を放って輝くアルドを見てぐるりと黒いとぐろが内から這い上ってきそうになった時、目を瞑る癖がある自覚はあった。瞼の裏、屈託なくダルニスに向けて甘えるように笑うアルドの姿を思えば、不穏は愛しさで上書きしてしまえると知っていた。それはアルドと過ごすうちに見つけた、ダルニスなりの感情を制御する方法だった。

違う、力なく吐き出した声が、何を否定しているのか自分でもよく分からない。けれど次いで零れた言葉、それならメイやノマルの方が、と続いたものに、はっとして少し、見えない糸がぐるぐると巻きついたような鈍った思考が、明瞭さを取り戻す。
そうだ、メイにノマル。フィーネはアルドの妹だから少し違うものの、二人はダルニスと同じようにアルドと共に育ってきた幼馴染だ。けれど彼らはダルニスのようにアルドへの嫉妬を滲ませることなく、真っ直ぐにアルドを慕っている。
だからダルニスはけして特別でも美しくもなく、特別だと言うなら彼らの方がよほど美しい心を持っている。ダルニスは凡庸で普通の、気の良い幼馴染にすらみっともなく嫉妬をしてしまうような心の小さい、平凡な男なのだ。

ダルニスが連ねた名に、ネロは一旦そうだね、と頷いたから、ほっと安堵の息を吐く。そうだ、そうでなければいけない。
けれどネロは、ダルニスが望む言葉を続けてはくれなかった。

「でも、彼らと君は違うだろう? ……アルドと同じ性別で、アルドよりも歳上で。そして何より君の理想の先には、アルドがいる、彼らとは違ってね。君が理想の自分に近づくより先に、歳下のアルドが君の理想を体現してゆく。君の理想が、形を持って君に笑いかける」

ネロの言葉に、迷いはなかった。一見ダルニスを窺うような口ぶりで、なのに確信を孕んだ声色はすっと胸に切り込んでダルニスの心を丸裸にしてゆく。自分でさえも意識していなかったものまでも突きつけられて、カウンターに置いた手が、自然と握り拳の形を作った。まだ杯に半分以上酒は残っていたけれど、口を付ける気にもなれない。

「君なら。アルドを傷つけることさえ、簡単だった筈だ。アルドは君を信頼していて、友とも兄とも思っている。あれほど無防備に開かれた心を、握りつぶす機会なんていくらでもあった筈だ」

その、握った拳の上に、ふわりとネロの手が重ねられる。力んで強ばった手の甲をあやすように指先で擽り、指の腹で手の形をゆっくりとなぞる。
振り払ってしまいたいのに、肌に触れた指先は思いの外暖かくて、心地よくて、拒絶しきることが出来ない。

「そうだな、いっそ盲信してしまえば楽だったろうね。彼は特別だと世界の外側に置いて、心酔しきって盲従してしまう道だってあっただろう」

やがてたっぷりと拳を撫でた指先は、ダルニスの体から離れることなく、つつつ、と腕を伝って上にあがってきた。
服越しにも関わらず、ネロの指先の感覚がありありと伝わってきて、耐えられず目を瞑れば、ますます感覚が鋭敏になって息をするのすら苦しくなった。
二の腕、肩、首筋、顎。焦れったいくらいの緩慢さでゆるりと形を辿ってゆく指は、やがて頬に添えられて、優しげな手つきてすりすりと肌を撫でる。

「けれど、君はそうしなかった」

それを認められる訳にはいかなかった。心の狭い男の、醜い嫉妬でなければいけなかった。誰からも唾棄されるものでなければならなかった。
幼い頃からずっと心の片隅にあって、じくじくと胸を苛んできたものは、ダルニスにとって赦せない己の心の弱さで、大好きなアルドを心から大好きだと言えない部分が存在するのが苦しくって、叶うならば捨て去ってしまいたかった。
誰にも見せることなく心の底に閉じ込めて、漏れ出そうになったとして再び鍵をかける方法も覚えた。何度も何度も何度も数え切れないくらい、アルドが妬ましいと囁く心を、殴りつけて、叩き潰して、首を絞めて、息の根を止めて、殺してきた。

「アルドを眩く見つめても、自分と違うものだと目を逸らしはしない。どれほど憧れても、自分に重ねて同一視はしない。彼の幼馴染という立場に頼って驕って、彼の功績を自分の手柄のように語ることも無い。彼に全幅の信頼を寄せてもどっぷりと頼りきる事も無く、どこまでも駆けてゆくその背中を守るため、同じ目線で、同じ立場で、隣に立ち続けようと足掻き続けている、昔から今まで、ずっと。……当たり前のようで、ひどく難しいことだよ」

だから、認められる訳にはいかなかった。
ダルニス自身によってただの一度も許されることなく責め続けられたその心は、陽の光に当たったこともなく、受け入れられた事すらなく、これから先もずっと変わらず殺し続ける筈だったもの。誰の目にもけして触れさせるつもりがなかったもの。
それが、橙の灯りを写した青い瞳に見つけられただけで、ダルニスの意志とは裏腹に歓喜に震えてしまう。存在を受け入れられて認められれば、嬉しいと涙を流し始める。
そんなの、認める訳にはいかないのに。
慈しむように視線で撫でられただけで、ぐしゃぐしゃに掻き回されて乱されて、もっと見て欲しい、もっと認めて欲しい、もっと褒めて欲しい、もっと撫でて欲しいと浅ましく騒ぎ出す。

「僕はね。そんな君の在り方が、とても美しくて好ましいと思っているのさ」

頬に触れた指の感触が、より大きなものに変わる。掌でそっと頬を包まれたダルニスは、観念して目を開いてネロを見る。
随分と遠慮なく、ずかずかと踏み込まれた。隠し通してきたものを、暴き立てられ引きずり出された。気づきたくなんてなかったものまで、強引に目の前に突きつけられた。
けれどネロの瞳に、人の心をいたずらに苛んで喜ぶような、意地の悪い色は欠片も滲んでいない。
あるのは、どこまでも甘く蕩けた光。
アルドを語った時と同じ、愛しさだけが滲む、慈しみの色。
世辞でも煽りでもなく、彼が言葉にして語った通り、ダルニスの抱える昏い黒い心を含めて、美しいものだと心底告げる感情しか浮かんでいない。

認める訳にはいかなかった。
理性はまだ、抵抗を諦めてはいない。今すぐ逃げるべきだとしつこく警告を繰り返している。
けれど体は、どうしてか言うことを聞いてくれない。
目の前の男を突き飛ばして席を立つ代わり、頬を包む掌に、僅かに体重を預けてしまえば、取り返しがつかないと頭を抱える気持ちを上回って、全身を穏やかな安堵と歓喜が包み込み、足の先から頭のてっぺんまで、じわじわと侵食してゆく。

視線の先、微笑みの形のまま、ネロの唇は僅かにも動いてはいないのに。
つかまえた、楽しげに笑う彼の声が、さやさやと耳元で響いた気がした。