こねこのまなざし


アルドは時々、何かをじいっと見つめる事がある。
たとえば揺れる花の綿毛、反射した太陽の光できらきらと輝く湖面、風にはためく色とりどりの風船、地面に足をつけてぴょんぴょんと跳ぶ小鳥、ひらりひらりと宙を飛ぶ真っ赤な蝶々。
日常の中、どこにでもありふれていて、けれど一度見つけてしまえば取るに足らないと捨ておくには鮮やかに息づいていて、宝箱にしまっておきたくようになるもの。何かを見つめるアルドの視線の先にあるのは、そんなものばかりだ。

だからメイは、何かをじっと見つめるアルドに気づいたら、声をかけずにそっとその視線の先を辿ってから、こっそりとアルドの瞳を眺めることにしている。
アルドが見つめる何かはいつだって素敵なものだって分かっているし、それに。見つめるアルドの瞳だって、見ていて楽しいものだから。
大きく見開いたアルドの瞳の真ん中、黒いところがいつもより大きく真ん丸になっていて、何一つ見逃さないとでもいうように、瞬きの回数は極端に少なくなる。けれど瞳は乾いてしまうことなく濡れていて、磨きたての黒曜石みたいに黒々と光っている。
心の底から夢中になっていて、他のものがちっとも目に入っていないのだと、一目で分かるそんなアルドの瞳を見るのが、メイは好きだった。
メイにだって、好きなものも夢中になるものも沢山ある筈だけれど、成長するにつれて本当にそれが好きなのか、自信が持てなくなることが増えたから。好きなふりをしているだけかもしれない、夢中になっているふりをしている自分が好きなだけかもしれない、好きなことをして楽しんでる最中にだってふっと思考に陰が差すことがあって、ぐらぐらと自分の中の芯が揺れるような、不安な気持ちを抱くことがある。
だからこそ、アルドの瞳を眺めるのが好きだった。心の底から目の前のものに夢中になってるのだと、一目で分かる大きくなった瞳、真ん中の黒いとこがぎりぎりまで張っているのを見つめるのが好きだった。もしかしてアタシだって、いい鉄を見てる時はこんな目をしてるのかもしれないと思えて、年を経たってこんなにも純粋に何かを見つめることが出来るのだと、客観的に教えてくれるから。

まるで猫みたいな、それこそ猫じゃらしを見つめるヴァルヲと一緒の目をしているから、アルドが元々猫だったと聞いた時、驚きはしたけれど納得もした。確かにアルド、猫みたいに見える事があったな、と心当たりが記憶の中にいくつも思い当たるものがあって、真ん丸の瞳はその最たるものだったから。


そんなアルドが最近よく見つめているものは、今までアルドが見つけてきたものとは少し趣向が違っていたから、メイは少しだけ意外に思っている。
今までのアルドがそんな瞳を向けるのは、自然であり、景色であり、人以外の生き物だった。
けれど今は。

(また見てる)

ユニガンの宿屋、部屋をとったあと。直接部屋には向かわず、ロビーで談笑する仲間たちの中、ぴたりと動きを止めてある一点に視線を向けたアルドの瞳の真ん中が、じわじわと大きくなってゆくのに気づいたメイは、こっそりとその行先を確認して、まただ、と胸の中で呟いた。
アルドの瞳の先にあるのは、一人の仲間、ネロの姿。
近頃のアルドは、気がつけばいつもネロを見つめている。

確かに。
ネロは、随分と綺麗な男の人だと思う。前にバルオキーにみんなで一緒に帰った時は、村の女の子たちがネロの事をかっこいいと言ってはしゃいでいたし、それ以外の街でもネロが女の人達から声をかけられている姿を見たことがある。残念ながらメイの好みは、もう少しがっしりとした、片手でぶんぶんと槌を振り回せるような男の人だったから、異性として好ましい見た目なのかはイマイチ判断しかねるところだけれど、それでも世間一般的に見ればかっこいい部類に入る人なのだと思う。
だけどやっぱり、不思議だ。ネロは綺麗な男の人だけれど、それは女の人のような綺麗さとはまた違う。
どちらかといえば武器のような、鍛冶屋としての視点から言うならば、しなやかな鞭のような、研ぎ澄まされた剣先のような、そういう鋭く実用的な美しさと同じものに見える。
だから不思議なのだ。アルドは今まで、そういう武器の類を熱心に見つめていたことがなかったから。

仮に、もしかして。
それが特別な好意によるものだと仮定してみる。
だってアルドは今までその瞳を人に対して向けたことはなくって、ネロが初めてで、そういう意味では特別だというのは間違いではない。
けれどそれも、あまりしっくりはこない。
ネロを見つめるアルドの瞳は、きらきらと輝くガラス玉を眺める時と同じ色と形をしているから。メイがよく知る恋する女の子たちが好きな人について語るときの、熱っぽい色が欠けているように思うから。
アルドのその瞳について、一言で表すなら、純粋、という言葉が一番ぴったりとくる気がする。純粋に研ぎ澄まされた興味、好奇心だけがそこには浮かんでいて、その他の気持ちはちっとも見えてはこない。見つめるものをどうこうしてやろう、なんて意思が欠片も混じっていない、ただ気になったから、見ていたいから、見ている、それだけ。それこそまさに猫のような、幼子のような、単色の視線を注いで見つめることだけに夢中になっている。
だからそれは恋だとか愛だとか、そんな名前をつけてしまうにはあまりにも透明すぎて、違和感があった。

と、その時。
ぼんやりとアルドの視線の意味を考えながら、アルドとネロを交互に見ていれば、おもむろにネロがアルドとメイの方を向いて、微笑んだ。
ほんの少し目を細めて、僅かに唇の端を上げただけ。たったそれだけの動作なのに、浮かんだ表情は艶やかで、メイはひゅっと息を飲んで思わず後ずさった。
全然好みのタイプではないけれど、だとしたってそれは趣味嗜好の範囲を飛び越えて、とても綺麗なものだと分かってしまう、そういう種類の笑みだった。
すぐにネロは視線を外して別の方を向いてしまったけれど、瞼に焼き付いた笑みは消えてはくれない。
やっぱりネロって綺麗な男の人なんだなあ、と改めて思い知ったメイは、ほう、といつの間にか詰めていた息を吐き出し、アルドの方を見やって、再び息を飲んだ。

ただでさえ大きく見開いていたアルドの目が、更に大きく瞠られていて、ぱちり、ぱちり、ゆっくりと瞬きをする度、透明だった視線の元、瞳の中にゆらりと燃える炎の幻想が見える。
そして、たった数度の瞬きの後。アルドがネロに向ける視線の色は、劇的な変化を遂げていた。
純粋な興味だけで形作られていた視線は、分かりやすく熱を帯びていて、瞳の真ん中、周りよりも一層黒い部分は、ぎりぎりまで大きく膨らむと同時、ちりちりと揺れていて縁がくっきりと浮き上がって見える。

勘違いしていた。
アルドの瞳の変化を見たメイは、咄嗟にそう思った。
やっぱり、特別だったのだ。
きっとアルドも無意識で、なのに気になって仕方がなくって、ついつい目で追ってしまって、だけど多分、アルドの中にまだ生まれてはなかったものだから、メイもよく知るあの瞳の中に一緒くたに押し込められていたけれど、それが自然でも景色でもない、唯一の人であった時点で、どうしたって特別だったのだ。
そうしてアルド自身すら気づかないうちに着々と育っていたものは、大きく膨らんでいて、たった一つのきっかけで。ネロが淡く微笑んだだけで、あっというまに特別に分離して一気に花開いてしまう所にまで来ていたのだ。
それで、トドメはさっきのほんの一瞬で。
微笑み一つで、アルドの中、ネロに向けた視線の根っこに、恋という名前がつけられた。興味の中に、別の色が混じって彩る意味が変わった。

うわあ、思わず呟いてメイは、アルドから視線を外してそっと目を伏せた。
だって。
幼馴染が恋心を自覚する、まさしくその瞬間を至近距離で目撃してしまって、気まずいような、照れくさいような、恥ずかしいような、いたたまれない気持ちになったから。いくら幼馴染だとはいえ、それはメイが見てはいけないものだった気がしてしまったから。
まるでその瞳に浮かぶ熱にあてられたかのように、俯けた頬は赤く火照っていた。