すから始まる


「アルド!」

次元戦艦の長い廊下、アルドが一人きりになったタイミングを見計らって、セヴェンはその背中に向けて大きく声を張り上げた。
すぐさま振り返ったアルドは、セヴェンの姿を見つけるとふわりと優しげに微笑んで、どうした、と口にしながら近づいてくる。

一歩。
アルドが足を踏み出すたびに距離が縮まってゆき、その分だけばくばくと心臓の鼓動が加速してゆく。今すぐこの場から逃げ出したい衝動をどうにか気力でねじ伏せて、ごくり、唾を飲み込んでカラカラに乾いた喉を潤した。
二歩、三歩、四歩。
近づくにつれ、微笑みを浮かべたアルドの顔が徐々に怪訝そうな色へと変わってゆく。呼び止めたくせに、ちっとも話を切り出さないセヴェンを訝しがっている顔だ。

「どうしたんだセヴェン、何かあったのか?」

とうとう目の前までやってきて立ち止まったアルドの声に、隠しきれない心配が滲んでいる事に気づいたセヴェンは、いいやと首を振ってから、いよいよ覚悟を決めてすうっと大きく息を吸い込んだ。
今日こそ、アルドに好きだって伝える。アルドに、告白をする、その覚悟を。
そう、告白を。告白、こくはく、アルドに、告白。
大丈夫、練習はしてきた。好きって言うだけ、それだけでいい。好き、すき、アルドが、アルドに、好き、好きだって。大丈夫、いける、たった二文字、たったの。

「す、す、す……」
「すすす……?」
「す、スキュラはもう釣れたかっ?!」
「ああ、うん。この間釣れたよ。セヴェンも居ただろ?」
「そ、そうだったよな……」
「あとはメカクラゲをいくつか釣ったら、新しい杖が作れるようになるからさ。そうしたらセヴェンも試し撃ちしてみてくれ」
「あ、ああ、分かった」

しかしながら、セヴェンの口から飛び出したのは、告白とは全く違った見当はずれのもの。突然スキュラのことを持ち出されてびっくりしたように目を見開いたアルドは、すぐさまうんと頷いてあっさりと話に乗ってくる。
違う、そうじゃない。どうにか軌道修正を図って再び告白の流れに持ち込みたかったけれど、楽しそうに釣りの予定を話すアルドにつられて、気づけば聞き手に回っていた。セヴェンもまた一緒に行こうな、と誘われれば一気に気分が浮き上がって、うんうんと何度も頷いて約束だからなと念を押す。
肝心の告白について思い出したのは、ひとしきりアルドと話し込んでから。アルドを呼びに来たサイラスをきっかけに話に区切りをつけ、うきうきと浮ついた気持ちでアルドたちの背中を見送ってからしばらくして。
結んだ約束を心の中で反芻してる最中に、ようやく当初の目的を思い出したセヴェンは、頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。

違う、そうじゃない、そうじゃなかった。
一緒に出かける予定が出来たのは嬉しいしけれど、そうじゃなくって本当はもっとちゃんと、伝えるつもりだったのに。
しかし既にアルドの姿はどこにも見つからず、もう一度初めからやり直す事も難しいことに気づいてセヴェンは、ぐううと唸ってますます小さく丸まり膝を抱え、終いにはとうとう次元戦艦の床にごろんと転がってしまった。通りがかった戦艦クルーに発見され、機械の表情ながら焦った様子のそいつに医務室に運び込まれるまで、ずっとそのまんま。立ち上がる気力すら湧いてはこなかった。

かくしてセヴェンの記念すべき十回目の告白チャレンジは、不発に終わった。
それまでの九回と同じく、好きの二文字をとうとう口にする事すら出来ないまま。



十回目の失敗から数日。

「やーいヘタレー」
「……うるさい」

IDAスクールのスカイテラスの一角、陣取ったテーブルにべたりとうつ伏せていれば、いつの間にか近づいてきたフォランにまるで何もかも見透かされたような言葉をかけられた。言い返すのも面倒で、端的に切って捨てたつもりだったのにフォランが去る様子はない。そのままテーブルを挟んでセヴェンの向かい側、空いた椅子に腰を下ろしてして頬杖をつき、じろりと物言いたげな視線を向けてくる。
授業はどうしたんだよ、仕方なく尋ねると、休講、と短い答えが返ってきた。サボりだったら自分の事はさておいて、それを理由に追い払えたのにと思いながら、他の適当な口実を探していば先にフォランの方から、またアルドでしょ、とずばり落ち込んでいる理由を言い当てられて、テーブルにめり込んだセヴェンはむすりと唇をへの字に曲げた。

面倒くさいことに、フォランにはおおよその事はバレてしまっている。原因は確か二度目、告白の失敗をした時。アルドに話しかけて告白できないまま別れ、一人きりになったと思ってそのまま好きだ、好きだと口にできなかった言葉を繰り返し練習していたその一部始終を見られていたせい。最初は割と気を遣って話を切り出してきた気がするのに、失敗が五回を越えた頃からは遠慮なくずけずけと踏み込んでくるようになった。
面倒だ、厄介だと思ってはいるものの、それでも一人で抱えているより吐き出した方が楽になるのも、不本意ながら事実である。怖気付くセヴェンにため息をついても、それ以外の事については案外真面目に受け止めてくれて、他のやつに漏らしもしない。そういう意味では、フォランの事をそれなりに信用している。
だから気がつけばセヴェンはフォランの誘導に乗せられて、十回目の顛末を洗いざらい吐き出す羽目になっていた。

「スキュラ、スカイテラス、スイスイスーイ、スコシカシパン、スカイフィッシュ、スパタ……あと何だっけ? 毎回毎回よく思いつくよね、そろそろネタも尽きてきたんじゃない?」
「……まだスカイサーペントがある」
「あのさあ……」

一通りの話を聞き終えたフォランは呆れを隠すことなく、今までにセヴェンが挙げた好きの代わりにした言葉を連ねてゆく。さすがに自分でもどうかと思っていたけれど、素直に認めたくなくて悔し紛れに思いついた言葉を追加で挙げれば、浮かんだ呆れの色がますます濃くなった。
皆まで言われずとも、フォランの言いたいことは分かる。

そうじゃないだろ。分かっている。すから始まる言葉をピックアップするゲームをしているんじゃない。告白をしたいのだ。失敗する前から予防線を張って、代わりを用意してる場合じゃない。

頭ではちゃんと分かっている。
分かっているのに、どうしてもその二文字が伝えられない。
アルドの前に立つと心臓がおかしくなって、頭が真っ白になって、考えていた手順が全て吹っ飛んでしまう。繰り返した練習の成果を発揮するどころか、何を言えばいいかさっぱり分からなくなって、だけど黙ったままだとアルドが心配するから早く何かを言わなくちゃいけないと焦りに焦って、つい、ぽろっと。好きの代わりにどうでもいい言葉を口にしてしまう。
何度失敗してもちっとも慣れなくて、むしろ回を重ねる毎に緊張の度合いが増してゆく。時間を置いた分ますますアルドのことが好きになっていて、増えた好きの分だけ心臓の鼓動が加速してしまう。
言い返すことなく黙り込んだセヴェンにさすがに同情したのか、フォランの声から呆れの色が薄らいで些か柔らかなものに変化した。

「てかさ、好きって言ったくらいじゃ絶対伝わんないから、もっと気軽に言っちゃえばいいのに。アルドって鈍いしさ」
「……お前だって鈍いだろ。聞いたぞ、告白されそうになってんのに気づかなかったっての」
「あ、あたしはそこまで鈍くないもん! 途中でちゃんと気づいたし! それに今はあたしのことじゃなくてセヴェンの話でしょ!」

フォランの言い分には全くその通りだなと頷くしかなかったけれど、そんな簡単に言えればこんなに悩んでないとむすりとしたセヴェンが、八つ当たりがてらIDAスクール内で噂になってた話を告げれば、フォランが慌てたようにばしんばしんとテーブルを叩いて声を張り上げた。
IDEAのメンバーほどではないけれど、フォランもスクールの中では槍の名手として割と有名な方らしい。校内のあちこちで無責任に流れる噂にはちっとも興味はないものの、スクール内でフォランと話すようになってから、聞いてもないのにあれやこれやとフォランの話を聞かされる機会が増えてしまった。
しかしセヴェンの反撃にフォランが怯んだのは、たった一瞬のこと。すぐに気を取り直して真面目な顔つきになり、聞きたくない言葉を強引にセヴェンの耳に流し込んでゆく。

「そうやって落ち込んでるうちにさ、誰かがアルドの隣に立っちゃうかもしんないよ。あれでアルド、結構モテるみたいだし」
「それくらい、分かってるよ……」

ぐさり、フォランの取り繕わない言葉で、沈んだ心に会心の一撃。アルドの隣、セヴェンではない誰かがいて、誰にも向けたことのない甘やかな顔で笑いかけるアルドを想像して、ぐさり、追加のもう一撃。
告白の成功を思い描くよりよほど容易に浮かんでしまった空想は、ただでさえすり減っていたセヴェンの心をガリガリと削ってゆく。鼻の奥がツンと痛くなって、じわり、目頭の奥に滲んだ水気を、ごくりと飲み込んでどうにかやり過ごした。
じくじくと痛む心はペイン状態、消えないダメージが継続している。戦闘中なら多少の痛みには耐えられるけど、今だけは至急リフレッシュを要請したかった。

「ま、フラれたらみんな誘って失恋パーティーしたげるから安心しなよ」
「……フラれてないし」
「そうだね、告白もできてないもんねー」
「……うるさい」

からからと笑うフォランは、相変わらず容赦がない。まるで真っ直ぐに突き出した槍の穂先のように、的確に急所を突いて、それだけでなくしっかりと煽ってくる。
現にフォランの言葉に再びぐさぐさと胸を刺されてしまったけれど、それだけじゃない。
失恋パーティー、冗談じゃない。しかも他のやつらも誘って。そんなもん、開かれてたまるか。
しゅんと萎れた胸の奥、ふつふつと負けん気が顔を覗かせ始める。
楽しげに笑うフォランをじろりと見返せば、ヘタレセヴェン、口の形だけで追加されたものだから、へばりついたテーブルから勢いよく起き上がり、真正面からフォランをぎっと睨みつけた。

「見てろよ、絶対好きだって言ってやる……!」
「あはは、調子出てきたじゃん。うんうん、がんばれー」

けれど唸るように絞り出した低い声も、明るく笑うフォランの声にかき消されてしまう。
面白くない。何もかもしてやられた気分、最初から最後まで手のひらで転がされて発破をかけられてしまった。とても面白くない。
だからぷいとそっぽを向いて、呟いた声はフォランに届くか届かないか、ぎりぎりのもので。

「……ありがとよ」

素直に礼を言うのは癪に障る。
だけどフォランに背中を押されてしまったのもまた事実。それは認める。
いつの間にか目頭の奥はすっかり乾いていて、心のペインは解除されていた。ぐずぐずと思い悩む代わりに、次こそは見てろと、十一回目の挑戦に向けての闘志が湧いてきた。もしも一人きりで考えていれば、もうしばらくの間は落ち込んでいた気がする。
ちっとも面白くはないけれど、感謝していないこともなかったから。

そんな複雑な気持ちを孕んだ呟きは、しっかりとフォランに聞こえいたらしい。
視界の端でにやにやと笑うフォランが口にした、どういたしまして、わざとらしく気取った返事は、明らかに聞いた上で面白がっているようにしか聞こえなかった。

くそう、見てろよ。
胸の中でもう一度呟いたセヴェンはぐっと拳を握り、響くフォランの笑い声をバックミュージックに、次の告白のシチュエーションを頭の中で練り始めた。


なお、余談ではあるけれど。
そんな二人の会話の一部は、たまたま近くを通った生徒に拾い上げられ、そこから「セヴェンがフォランに告白したらしい」との噂となって学内を巡りに巡り、何巡もの後に最終的にセヴェンとフォランの耳に届く頃には、「セヴェンとフォランが結婚するらしい」との尾ひれのつきまくったものに進化して、全く心当たりのない二人を心底驚かせる事になるのだが。
告白に向けて改めて決意を固めるセヴェンもその背中を押すフォランも。現時点では、知る由もなかった。



しかして、今日も。

「アルド!」
「うん? 何かあったのか、セヴェン」
「す、す、す、スチームナックル! 余ってないか?!」
「余ってるけど……なんで? セヴェンが使うのか?」
「あ、ああ、筋トレに使えるかと思ってさ……」
「そうか。次元戦艦に置いてあるから取ってくるよ」
「あ、お、オレも行く!」

抱いた筈の硬い決意とは裏腹に。
すから始まる言葉をピックアップするゲームは、相も変わらず継続していたりする。