君が笑っていますように
アルドの事を考えると、身体の真ん中にぽかりと虚ろが出来たような心持ちになる。
初め、それは寂しさだと思っていた。
星の意思の導かれるように続くアルドの旅に付き合ううち、段々と時空の歪みが正されてゆき、それに従い各所に開いていた次元の穴が一つ、また一つと塞がっていった。偶発的に生じる歪みの数は減り、巻き込まれる人間も少なくなって、やがて次元戦艦をもってしても時代を越える事が難しくなった頃。長いようで短かった旅は、ついに終わりを迎える事となった。
それぞれの時代の抱える問題が全て解決した訳では無いけれど、過去や未来に跳んでまで歪を生むものは消え、あとに残ったのはその時代の人間で解決できる範囲のものばかり。もしも無理を押して次元の穴を潜り続ければ、逆にそれが新たな歪みや問題を生むであろうとのシミュレーション結果を科学者たちや合成鬼竜から聞かされてしまえば、終わりを拒める筈もなかった。
仲間たちは自分の時代へと帰ってゆき、アルドは800年前に、セヴェンはセヴェンの生きる時間に。
もう、アルドと二度と会うことは無い。
話をすることも、肩を並べて戦うことも、笑いあうことも、二度と。
だから。
寂しくて仕方ないのだと、思っていた。
けれど少し様子が違うようだと気づいたのは、アルド以外の仲間の事に想いを馳せた時。
アルドの元に集まった違う時代の仲間たち、それほど話した事のない相手もいたけれど、アルド以上によく話した仲間もいた。
たとえばレレ。
ぽつりぽつり、夢見の館で出会った誰かが仲間に入るたび、セヴェンとレレが肩慣らしがてら彼らを適当な戦場に連れてゆく事がよくあった。
正直言って、最初はレレのことを苦手に思っていて、多分、心のどこかでは随分と見くびってもいたと思う。セヴェンがろくに返事もしないのにまるで気にした風もなく、はしゃいで話しかけてくるレレは小さな子供にしか見えなくて、とてもまともに戦える気がしなかったから。
けれどそんな気持ちは共に戦ううちに消えてゆき、いつしかごくごく自然にセヴェンからも話しかけるようになっていた。
随分と子供っぽいところはあったし、世間擦れしておらず他人の悪意に鈍感すぎる所もあったものの、魔法の実力は確かで案外頭の回転も早い。幼さの残る独特の言い回しに慣れてしまえば、魔法について彼女なりの理解があるのだと徐々に知れた。すぐに脇道に逸れ雑談が混じりはするものの、レレと魔法の話をする時間は、セヴェンにとってひどく有意義で楽しいものだった。未来の魔法の力の仕組みとは違う、精霊の力に頼ったシャーマンとしてのそれは古代の魔法と非常に似通ったもので、レレの何気ない言葉で新たな力の活用法に気づいたことも一度や二度ではない。
同じ視点、同じ立場から、魔法や精霊の事について語り合える相手に出会えたのは初めてのことで、セヴェンの時代ではどれほど言葉を尽くそうと懐疑的に見られ全く理解をしてもらえなかった力を、当たり前のものとして扱うレレは、一言二言でセヴェンの言いたいことを理解してくれる。それどころか、セヴェンの時代では失われてしまった精霊たちの伝承の類についてもレレはよく知っていて、御伽噺の形をとったその伝承を語ってくれるよう、二人きりの時にこっそりと頼むことすらあった。
そのうち仲間に加わったトゥーヴァやガリユとも同様に、精霊の力について話すことが多かった。素っ気なく見えるトゥーヴァは教えを請えば恐ろしく分かりやすい言葉で体系的に精霊と魔法の関係について説明してくれたし、一見すれば自分以外を全く気にかけていないように見えたガリユも、こちらが強くなるための手段として未来の魔法技術の話を提示すれば驚くほど貪欲に食いついてきた。そして言葉を交わすうちにセヴェンのことを切磋琢磨に値する存在だと認識してからは、積極的に戦闘を吹っかけてくるようにもなった。
その言動とは裏腹にガリユは、非常に冷静で論理的思考をする男で、レレと同じかそれ以上に頭の回転が早い。それはトゥーヴァも同じで、属性の違う四人で集まって話をする時には、あちらこちらに散見して各々好きな事を喋り、一見して通じていないようにも思える会話の中、高速で次々と展開してゆく議論の流れから振り落とされないようついてゆくのが精一杯だった。自身の知識の足りなさに、歯噛みしたことも一度や二度ではない。
悔しかった。悔しかったけれど、彼らに敬意を抱くようにもなっていった。セヴェンの時代においては、この力の事について誰よりも分かっているのは自分だけだと自負していたのが、あっさりと覆されるのが屈辱で、新鮮だった。
どうにか追いつこうと食らいつくうち、知識も技術も飛躍的に伸びてゆき、誰に指摘されるでもなく己の目から見てもはっきりと感じられる成長を実感するのは、ある種の快感でもあった。
そんな彼らと二度と話すことが出来ないのは、やっぱり寂しい。セヴェンの時代に戻ってから、叶うならばもう一度、夜を徹して彼らととことん語り明かしたいと願った事がないと言えば嘘になる。
けれど彼らについて思いを馳せた時。
寂しい、もう一度会いたい、話したい、戦いたい、ひとしきり懐かしんだあとには。
あいつらならあの時代でうまくやっていくんだろうなと、それぞれが自由に生きている様を想像して、少しだけ笑ってしまうのだ。
旅が終わってから、フォランやルイナを中心に昔の記録や歴史を調べるのがアルドの元に集っていた仲間たちの間でのブームになっていて、見つけ出した資料の中にはレレやガリユらしき記述もあった。
猫を引き連れた水の魔法使いの御伽噺、炎の魔王と呼ばれた男の記録。
フォランたちが見つけてきたそれらを見た時は、あまりにもらしいそれらに、懐かしむよりも先についつい噴き出してしまった。旅が終わってからも、随分と派手にやっていたらしい。伝承に形を変えた彼らのその後を知れば、寂しさは感じつつも安堵して、オレも頑張るかと腹の底から活力が湧いてくる。
他にも何人か、仲間たちらしき記録は見つかっている。
古の聖女とその隣に常に控えるサラマンダー、聖剣と魔剣の対の乙女たち、変わった木こりの御伽噺、お転婆なお姫様の物語。
いかにもセヴェンの知る仲間たちらしいものもあれば、全く違うものもあって、一つ読む度に笑って懐かしんで、ハッピーエンドで終われば良かったなと安心できる。進む記述と共にかつての仲間たちの顔を頭に描いて、しんみりとしつつも彼らが幸せであれと心底願う。
けれど、アルドは。
アルドに関するものは、一つだけ見つかっている。ミグランス城でのあの戦い、バトルオブミグランスのモデルにもなっている、AD300年の魔獣戦役。
アルドたちと旅をする前には既に授業で聞いた事のあったそれについては様々な説が存在していて、最近発見されたという新説に新たに登場したのは、魔獣王に苦戦する王の前に謎の青年。
元々は当代ミグランス王が己の命と引き換えに魔獣王を打ち倒したものの、城のみならずユニガンの街まで壊滅状態で、次に擁立された女王の元、十年近くかけて復興の道を歩んだ、というのが通説だった。
しかし新説によれば、魔獣王は謎の青年と仲間たちに倒され、被害はユニガンの街まで及ぶことなく数年もしないうちに城の修繕は終わり、王は存命のまま王位継承も二十年ほど後にずれこんでいるという。
アルドだ、と仲間たちは確信と共にその新説を受け入れた。実際、それが真実あったことだと誰もが知っていたから。
記述の中、謎の青年の正体が王の隠し子ではないかとの仮説が立てられていれば、すごいじゃんアルドとみんな笑って、アルドどうしてるかな、相変わらずお人好しのまんまだろ、とそれぞれに過去に戻ったアルドに思いを馳せ、ちらりちらりと寂しさを零しつつも、最後にはアルドが元気にやってるといいねと柔らかく笑う。セヴェンが他の仲間たちについて考えた時と、概ね同じような反応をしてそれを受け入れていた。
なのにセヴェンは、笑えなかった。
アルドなら元気にやってるだろうと想像すれば、つきつきと胸が痛くなって息が苦しくなる。
またアルドらしく人助けをして回ってるに違いないと確信すれば、ずんと腹の底が重くなって指先が氷のように冷たくなる。
いつだって笑って過ごしている筈だと思えば、身体の真ん中を撃ち抜かれて空虚な穴が生じたような心持ちになる。
どれほど都合よく受け止めようとしても、とても肯定的なものとは思えなかった。
幸せどころかまるで、アルドの不幸を願うような自身の反応に、セヴェンは酷く動揺した。
だってアルドは特別で、一番、笑っていてほしい存在だったから。
だってアルドが、全てのきっかけをくれた存在だったから。
旅が終わっても、セヴェンの手の中には様々な物が残っていた。
アルドを通じて知り合った同じ時代の仲間たちとは、旅が終わっても縁が切れることなく続いたままで、特にIDAに通う面々とは事ある毎に顔を合わせる機会が増えた。
以前のようにそれぞれの生活に戻ってしまえば、全く違う道を歩む者同士、接点は無くなってもおかしくないのに、多い時にはほぼ毎日のように誰かと顔を合わせては何かしらの言葉を交わしていた。
最初のうち、話題は別れた仲間たちの事に終始していたと思う。理解して別れを受け入れたとはいえ、それでも胸に燻る寂しさをうまく飲み下せない部分もあった。それを紛らわせるかのごとく、旅の思い出をぽつぽつと語り合っては共有して笑いあい、気づかれないように少しだけ泣いた。
けれどいつまでも思い出に縋っていた訳でもない。
IDA内で事件が発生してIDEAが動く事になれば、所属していないセヴェン達にも内々に協力要請が来ることがあったし、フォランやルイナに友人絡みの問題で度々引き摺り出されたりもしながら、日々は目まぐるしく過ぎ去ってゆく。そうして忙しく毎日を過ごすうち、仲間たちと顔を合わせても、昔の話に花が咲く機会は徐々に減っていった。
それでも、縁は途切れないまま続いた。共通点であった筈の旅の事に触れなくなっても、交わす言葉が切れることはなく、未来への約束が続いてゆく。まるで、友達みたいに。
以前と比べて格段に騒がしくなった毎日は、時々面倒になる事もあったけれど、けして悪いものじゃなかった。
変わったのはそれだけじゃない。
仲間たち以外にも、セヴェンに話しかけてくるクラスメートや見知らぬ生徒たちが、旅の前と比べると随分と増えた。その中にセヴェンの力に懐疑的な視線を向けて、馬鹿にするようなやつらがいなかった訳じゃないけれど、大半はセヴェンが驚くほど好意的だった。
精霊の力に純粋に興味を示す者、クラスメートとして接触を持とうとする生徒、イスカやサキに憧れていて話を聞きたがるやつ。動機は様々で下心もあったけれど、話してみればみんな、いいやつらばっかりだった。中には精霊の力と未来技術の融合について非常に詳しく研究しているやつもいて、レレたちとは別の観点からの自身の力についての研鑽が進む事もあった。
誰にも理解してもらえないと思っていた。
周りにいるのは誰も彼も取るに足りないくだらないやつらばかりで、信じられるのは自分の力だけだと思っていた。
でも、違った。
アルドと出会って、初めて他人からの理解を得られて、捻くれた心が少し和らいだ。裏のない信頼を向けられて、閉じた視界が徐々に広がっていった。
旅を通じてアルドの仲間たちと触れ合ううち、自分の生きてきた世界の狭さを知り、自分以外にも凄いやつが外には山のようにいるのだと理解した。それは何も長い年月を生きた先達だけに限った事でなく、セヴェンと同じ年の頃、同じ環境の中にも何人もいた事も知った。前は毛嫌いしていたシャーマンとは違う仕組みで成り立つ魔法使いたちへの偏見も、マイティやサキの力を目の前にして粗方吹っ飛ばされ、自分と違うものを認めることは自身の否定に繋がらないと理解して、ある種の尊敬の念すら抱くようになっていった。
そうして、開けた視界で改めて己を取り巻くものを見つめてみれば、セヴェンが思っていた以上に世界は優しかった事を知った。
嫌なやつはいる。悪意を隠そうともせず近づいてきて、セヴェンの力を馬鹿にしてせせら笑うやつらの数が減った訳では無い。以前のセヴェンにはそいつらしか見えていなくて、それこそが己を取り巻く世界の全てだと思っていた。
けれどよくよく見てみれば、その周り。絡まれるセヴェンを心配そうに見ている人がいた。前はどうせどれも同じだと一括りにしてすげなく振り払ってきた手のうち、伸ばされたいくつかは、悪意とは無関係の根っからの善意で成り立っていた事に気がついた。
前より話しかけやすくなったな、とクラスメートに言われて、変わったのは周りじゃなく自分の方だと知って、そして。
開けた視界で見つめた世界の中で、以前よりずっと楽に息が出来るようになった。
もしかしたら、いつかは自分で気づいていたのかもしれない。
アルドと出会う事がなくても遠い未来には、目立つ悪意の周りには、自身に向けられた善意が潜んでいることに気づけていたのかもしれない。
だけど今のセヴェンがそれに気づいたのは、アルドがきっかけだったから。
もしもで語る未来ではなく、事実として、アルドとの邂逅で広がった世界があったから。
大事で、特別で、仲間で、初めてセヴェンに他人に理解してもらえる喜びを教えてくれた人だから。
一番、笑っていてほしいのに。
一番、幸せになってほしい筈なのに。
それを願おうとする度、ぽかりと身体の真ん中に生じる虚ろが、祈る言葉を何もかも飲み込んでしまう。
旅が終わってから、度々、アルドの夢を見る事があった。
アルドの幸せを心から願えない自分を自覚してからは、その頻度は段々と増えてゆき、近頃ではほぼ毎日のようにアルドを夢に見ている。
旅をしていた時のこと。並んで戦った時のこと。
思い出をなぞるように鮮やかに記憶が再現される事もあれば、二人で並んでとりとめもない話をして終わる事もあった。
最初のうちはたとえ夢でもアルドに会えて嬉しかったのに、段々と後ろめたさが手伝って、まるでアルドに責められているような心地になってしまう。夢の中でアルドに会えている間はふわふわと浮かれた心が、目覚めた瞬間ずぅんと重く沈むようになってゆく。
積み重なってゆく罪悪感のせいでアルドとの思い出すらくすんでしまうような気がして、現実では極力アルドの記憶に触れないようになってしまって、それがまた、悲しくてやるせなかった。
そして今日も。
眠るセヴェンの夢の中には、アルドが現れた。別れた時と同じ髪の長さ、同じ顔で笑うアルドが、夢の真ん中に立っている。
けれどいつもとは、様子が違う。
何が違うんだろう、考えた夢のセヴェンの意識は、すぐに異変に気がついた。
近いのだ、距離が。いつもなら全身が見えている筈のアルドの身体が、上半身しか見えない。それだけアルドが近い場所にいると意識した途端、夢の中の意識が実体を持ってセヴェンの形を取ってアルドの前に降り立った。
現れたセヴェンに動揺することなくにこりと笑ったアルドは、ただでさえ近い距離を更に詰めてセヴェンの真正面に立つと、おもむろに肩を掴んでぐっと顔を寄せてくる。
その鼻筋が眼前に迫ってきて、唇が、唇に触れる寸前。
ようやく、キスをされそうになっていると気がついて。
ふわり、唇に暖かくて柔らかなものが押し付けられた瞬間。
「うわああああああっ!」
絶叫と共に、現実のセヴェンは飛び起きる。
どっどっどっと激しい動悸が胸を叩き、目覚めたばかりなのにすっかりと息が上がっていた。
混乱のまま部屋の中を見回し、そこが見慣れた寮の自室で、アルドがどこにもいないことを確認してようやく、セヴェンは大きなため息をついて項垂れる。
落ち着かない心臓を宥めようと深呼吸をして、がしがしと頭を掻き舌打ちをしたところで、さっと脳裏に先程の夢の情景が浮かんで、どくり、再び心臓が大きく跳ねた。
アルドの事は、好きだった。大事で、特別な仲間だった。
それは間違いない。胸を張って断言出来る。
けれどそれは、さっきの夢のような事を望むものではなかった筈だ。少なくともセヴェンは、アルドをそういう風に見たことはなかった。つもりだった。
なのに。改めて夢の出来事をなぞってみる。
肩に置かれた手の力、眼前に迫ったアルドの顔、触れた唇の柔らかさ。
そのどれもが、ちっとも嫌じゃなかった。
試しに適当に思いついたクラスメートの一人で同じ流れを想像しようとすれば、最後まで辿り着くする前にうげえ、と顔が歪んでしまう。とてもキスまで浮かべる気にはならない。
けれどまたそれをアルドの姿に戻して再生みれば、途中で振り払う気も止める気も、さっぱりと起こらないまま。そんなつもりじゃなかった筈なのに、近づくアルドの顔に動揺しても、拒絶する気は欠片も生じなかった。
無意識のうち、唇に指が伸びる。
とん、と微かに指の腹で押した感触は、夢の中のものに少しだけ似ている気がして、かあっと頬が熱くなる。
嫌じゃなかった、全然。
それどころか、もっと触れていたかった、ような気がする。
もっとあの柔らかさを留めていたかった気がするし、離れて行った後にはセヴェンからも手を伸ばして、アルドの肩を引き寄せて、それでもう一度唇を寄せて、そして。
途切れた夢の続きを想像すれば、頬のみならず身体の芯から熱くなってゆく。頭の中にアルドに口付ける自身の姿を描けば、ごくりと喉が鳴った。
「そ、ういうこと、かよ……」
セヴェンは自分の事を、それほど鈍い方ではないと思っている。
全く自覚はしていなかったし、気づくのが随分と遅くはなってしまったけれど。これだけあからさまにそれを示唆する情報が揃ってしまえば、嫌でも答えが見えてしまう。
アルドだけ、その幸せを願えなかった理由は、きっと。
セヴェンが、アルドに恋をしていたから、いいや、今もしているせいだ。
アルドの事が、一番、特別に好きだったから、アルドにも同じように特別に想われたかった。
セヴェンとの別れに痛みを覚えてほしくて、いつまでもいつまでも特別のまま、心の中に留まっていたかった。
ずっとセヴェンの隣で笑っていてほしくて、セヴェンのいない世界で誰かと笑い合うアルドを想像したくなかった。
抱えこんでいた気持ちを自覚した途端、分からなかった理由が次から次へと溢れてきて、そのあまりの身勝手さにセヴェンは唇の端を歪めて自嘲する。
もっと、アルドと、アルドに、オレが、オレを。
求めるばかりの心は喧しく騒いで、気づきたくなかった本心を抉り出してセヴェンに突きつけてゆく。
違う、やめろ、そうじゃない。
心の中で反論しても、ぎゃあぎゃあと喚く恋心は全く収まる気配を見せない。
しばらく抵抗を試みたセヴェンだったけれど、押さえつけようとする度にますますと膨れ上がってゆく己の心の声のしつこさに、ついには諦めて妥協策を提示してやることにした。
一度だけ。
自覚した身勝手な恋心に、祈りを許す。
一度だけ。
心のままに、想いの丈を全て吐き出すことを、自身に許す。
どうか。
どうか、アルド、お前が。
オレのいない世界で、けして幸せになりませんように。
オレじゃない誰かと、けして幸せになりませんように。
オレの知らない顔で、二度と笑いませんように。
オレがアルドを想うのと同じ分だけ、アルドもオレのことを好きであってくれますように。
オレがいないことを寂しがって、悲しんで、恋しがって、そして。
いつまでもいつまでも、その心がオレに縛られていてくれますように。
駄々のような願いは、浮かべる度にじわりと胸を甘く犯してゆく。セヴェンの事を想って胸を痛めるアルドを想像すれば、蜜のようにとろとろと粘った歓喜が身体中を駆け巡る。
けれどそれは、たった一瞬のこと。
吹き出した薄暗い本音の数々に、すぐにむかむかと吐き気が込み上げた。
その不幸を願って甘い空想に浸るには、セヴェンにとってアルドはあまりにも大切な存在だったから。
一瞬の心地良さを永遠に引き伸ばすには、アルドに貰ったものがあまりにも大きかったから。
恋心だけでアルドへの想いを染め上げてしまうには、仲間としても、人としても、先達としても、たぶん、友達としても。いろんな種類のアルドへの好意を抱えすぎていたから。
刹那の甘露に記憶を浸してしまえば、大事な想い出が歪んで、やがて都合よく改変された妄想に全て書き換えられてしまう気がした。そんなのは、絶対に嫌だったから。
ひとしきり思うままに吐き出して、暴走する恋心が落ち着いた頃合を見計らって、すうっと息を吸い込んで目を瞑ったセヴェンは、胸の前で手を組んで祈りを捧げる。
今度こそ、自分ではなくアルドに向けた祈りを。
どうか。
どうか、アルド、お前が。
いつまでも幸せでありますように。
いつだって笑って、楽しく毎日を過ごしていますように。
その心が何にも縛られることなく、アルドが望むように生きていてくれますように。
オレの事は、たまに思い出してくれると嬉しいけれど。
それが痛みとは程遠い、笑顔で語られる柔らかな記憶でありますように。
つきり、心臓は痛んだ。ひゅっと腹の底が冷えて、寂しさが湧き上がってくる。きゅうきゅうと胸を締め付けて抵抗する恋心が、祈りの邪魔をしようと試みる。
けれどセヴェンはそれを無視して、何度も何度もアルドの幸せを願う。嫌だ嫌だ、幸せにならないで、煩く騒ぐ心をねじ伏せるように、何度も、何度も、身勝手な声が聞こえなくなるまで。
けして嘘じゃない。それだって確かに、セヴェンが抱えた本心の一つ。アルドの幸せを素直に願えない心を抱えているのも本当だけれど、それでも。
やっぱり、アルドには笑った顔が一番良く似合うと知っているから。
その笑顔に救われて、背中を押されて、広がった世界があったから。
どうか、どうか。
繰り返し祈るうち、少しずつ胸の中で暴れ回る声が小さくなってゆく。アルドの笑顔を頭に浮かべれば、胸を締め付ける力が弱くなってゆく。
そのうち胸の内、騒ぐ声が聞こえなくなっても、セヴェンは胸の前に組んだ手を解こうとしなかった。
やがて、どれほどの時間が経ったか。
つう、と一筋、涙が零れて頬を濡らした。
ひそり、静まり返った心の中には、息絶えた恋心の骸が無造作に転がっている。それを丁寧に拾って心の奥底に埋めてやったセヴェンは、ぐいと乱暴に目尻を拭った。このままもう一度布団の中に潜り込み、好きなだけ寝こけてサボってしまおうか、ちらりと誘惑が頭を掠めたけれど、ぱんぱんと頬を数度叩いてから、ベッドを下りて身支度を始める。またあんな夢を見ても困るし、部屋の中に一人でいれば、余計なことを考えてしまいそうだった。
着替えの最中、視界の中に端末を見つけて、ふとあることを思い出したセヴェンは、ジャケットを羽織ってから、手にとった端末にメッセージを打ち込んだ。送り先は、旅の仲間たちで作ったグループ。
無自覚の恋心に振り回されていたここ最近は、仲間たちと顔を合わせるのもなんだか気まずくなって、何度かあった集まりへの誘いも理由をつけて断っていた。
けれど原因を見つけた今となっては、むしろ彼らに会いたかった。会って、アルドの話をしたかった。今の自分なら、最後はみんなと同じように笑ってアルドの幸せを願える気がしたから。
もしかして途中で、埋めた筈の恋心の残骸が再び息を吹き返すかもしれないけれど、そうしたらまた葬ってやればいい。何度でも、何度でも、心の底からアルドの幸せを願えるようになるまで。
直近の集まりに自分も参加する旨を伝えれば、すぐさま反応が返ってくる。どうやら次の集まりは、シュゼットが提案したものだったらしい。やたらと長々しく仰々しいシュゼットからの言葉があっという間に画面を埋めつくしていったが、要約すれば楽しみにしている、とそれだけのことしか言っていない。
相変わらずだな、少し笑ったセヴェンは端末を放り投げ、大丈夫、自分に言い聞かせる。
大丈夫だ、間違えない。
今度こそオレはアルドが、笑っている世界を願う。
決意と共に改めてそう誓えば、微かに胸は軋んだけれど。
引き結んだ唇は心なしか、微笑みの形に緩んだ気がした。